「魁偉の残像」
グルジェフと暮らした少年時代
フリッツ・ピータース/ 前田 樹子 1995/02 めるくまーる 単行本 p287
Vol.2 No.504 ★★☆☆☆
70歳でクリシュナムルティの本に出会う 男性もあれば、11歳でグルジェフとともに暮らすことになってしまう少年もいる。この本は、その少年がグルジェフと暮らした日々の数年を、後に成人してから思い起こして記録した本である。少年時代に、自らの意志とは別なところで、とてつもない「魁偉」に出会ってしまった記録と言えば、 「セカンドライフを読む。」 の著書のあるティム・ゲストの 「My Life in Orange: Growing Up with the Guru」 を思い出す。この少年たちにとって、その出会いは人生にどのような意味を持っていたのだろうか。
子供として、私がグルジェフと暮らした数年間に、私ははどういう影響を受けたであろうか? プリオーレで、私は何を学んだであろうか?
この問いに、私は、別の問いを持って答えてみよう。あのような経験を、いかに評価できようか? プリオーレには、いわゆる出世に役立つ教育や訓練は、何もなかった。私はカレッジに入学できるほど勉強しなかったし、高校の最終試験にすら合格しなかった。情け深く、賢い人間にはならなかったし、世間的に、より有能な人間にすらならなかった。より満ち足りて、より穏やかな人、というよりもっと正確には、より悩みの少ない人にもならなかった。だが、確かに学んだことがある。そのいくつかは、
----生は、今、この瞬間を生きるということ、
----死という現実が不可避であること、
----人間は、当惑し、混乱し、不可解であり、宇宙の中の歯車の歯にすぎないということ、
こういうことは、おそらく、どこででも学べたであろう。
だが、私は、たぶん、1924年に戻って、繰り返すであろう・・・・・
生存はどのようにも形容できるが、というよりもっと正確には、形容できるように思えるが、とにかく贈物なのだ。そして、あらゆる贈物のように・・・・中に何が入っているかわからない・・・・箱の中には奇跡が入っているかもしれない・・・・ということを。
「プロローグ」
p274
グルジェフの著書 「森羅万象」 三部作の、その1 「ベルゼバブの孫への話」 が、間違った宇宙観の破壊であり、その2 「注目すべき人々との出会い 「生は〈私が存在し〉て初めて真実となる」 が、仮に未完であったとしても、新しい宇宙創造の書であったとするなら、さて、この「魁偉の残像」は、どのような位置づけになる本であろうか。
グルジェフの生前の記録は極めて少なく、ましてや暮らしを一緒にした人のまとまった記録は数冊に留まるとされる。そういった面から考えれば、グルジェフの信奉者や研究者にとっては、きわめて貴重な資料ということになるだろうが、しかし、「書」や「読書」を「ワーク」と見たグルジェフからみた場合、どのような意味合いを持ってくるだろうか。
一部研究者によれば、グルジェフ本人は自らのワークは失敗に終わったという思いを持ってこの世を去っていったのではないか、ということだ。ウスペンスキーの晩年も、必ずしも達成感に満ち溢れた境涯ではなかった。Oshoもまたウスペンスキーがグルジェフを 「裏切った」 時点で、グルジェフ・ワークは未完に終わったと見ている節がある。
クリシュナムルティにしてもグルジェフにしても、あるいはオーロビンドやシュタイナーなどにしても、死後にあれこれ脚色された資料をもとに私淑したりして悦にはいろうという向きもないではないが、重々、魔境に陥らないように注意しなければならない。それはなにも、彼らの話題ではなく、わが身の話題である。資料や文献に隠れて、体験をともなったリアリティを忘れるようなことがあってはならない。
グルジェフ伝 神話の解剖 2009.01.14
ミルダッドの書<1> ミハイル・ナイーミ 2009.01.13
グルジェフ・ワーク 生涯と思想 2009.01.12 コメント(1)
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