マハリシ・ラマナ
5番目は、マハリシ・ラマナの本だ。それは本というほどのものではない。 「私は誰か」 と題された小さなパンフレットにすぎない。
ラマナは学者でもなかったし、教育も受けていなかった。わずか17歳のときに生まれ故郷を後にし、二度と戻らなかった。本当のふるさとを見つけたとき、誰が生まれ故郷など戻るだろう? 彼の方法は、 「私は誰か?」 と問いかける、自分の内奥の核に向っての素朴な探求だ。彼こそは 「エンライトンメント・インテンシブ」 の本当の意味での創作者だ。その発明家のふりをしているどこかのアメリカ男や、アメリカ女などではない。
私はこれはたいそうな本ではないと言った。だがその人間は偉大だ。時には私は、小人物、ごく月並みな人間によって書かれた偉大な本を挙げることもある。今私は、ごく小さな本、ほんの2、3ページのパンフレットを書いた本当に偉大な人物に触れている。これ以外は、彼は常に沈黙していた。彼はごくわずかしか、ほんの時たましか話さなかった。 カリール・ジブラン なら、もしマハリシ・ラマナの所に行っていれば、途方もない恩恵を受けることができたはずだ。そうすれば彼は「大師の御声」を聴くことができただろう。マハリシ・ラマナもまた、カリール・ジブランによって得るところがあっただろう。なにしろジブランは、比類のない書き手だった。ラマナは貧しい書き手だった。カリール・ジブランは貧しい人間だったが偉大な書き手だった。このふたりがいっしょになれば、世界にとっての祝福になっただろうに。 OSHO p157
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狂人ノート<3> ミルダッドの書 2009.01.12
私が愛した本<29> 維摩経 ヴィマルキ… 2009.01.12
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