「狂人ノート」
<3>
Osho マ・アナンド・ナルタン訳 和尚エンタープライズジャパン 1991/5
どうか、狂人の言語を理解してほしい。
もし”馬鹿者”という言葉を理解したかったら、
ドストエフスキーの「プリンス」(白痴)をよみなさい。
いや、ミハイル・ナイミの
「ミルダッドの書」
のほうがいい。
これは比類ない本だ。
ひとつひとつの言葉が、純粋な理解そのものだ。
甘美だよ。
とくに、おまえたちも知っているように、わたしは糖尿病で苦しんでいるからね。
「ミルダットの書」は、糖尿病に苦しんでいる者たちみんなにいい。
砂糖はまったく入っていないにもかかわらず、じつに甘美だから。
「ミルダッドの書」は馬鹿について語っている。
馬鹿とは、たんに単純で子供のようで純粋無垢を意味する。
p135
オーム マニ パドメ フム
このマントラは、チベットで幾千年にもわたって唱えられてきた。が、これはチベットのなかでしか唱えられない。というのも、
彼らだけが、ヒマラヤの偉大な高み、純粋さを知っているからだ。
その純粋さは、ほかの誰も知ることができないものだ。
チベットは、世界中で宗教にもっとも近づいた唯一の国だ。
チベットが今、コミュニストの手の内にあるのは、なんと不運な、この上もなく不運なことだ。
彼らはチベットを破壊している。
これは、精髄そのもの、究極の善だ。
「ミルダッドの書」はこういう時に案出されたにちがいない。
こういう瞬間にできた本はごく少ない。
p139
わたしはまた、ミハイル・ナイミの「ミルダッドの書」を思い出した。この本はまったく信じられないような本だ。
わたしは、一人の人間にだけは、ミハイル・ナイミにだけは嫉妬を覚える。
ふつうの意味合いでの嫉妬ではない。
ふつうの意味合いでの嫉妬は、わたしには感じられないからだ。
彼がすでにこれを書いたという意味で、わたしは嫉妬する。
さもなければ、わたしが書く。
わたしは、これを書いていただろう。
これは、わたしが飛翔しているのと同じ高度に関することだ。
これらの高みから、わたしは存在全体を、
ひとつの遊びとして、祝福として、意味もなく美しいただの祝祭として、道理も見筋もない、なんの意味もない遊びとして、観ることができる。
そうだ、これこそおまえたちにも知ってもらいたいことだ。
人々はクリスマスを祝う・・・・彼らは、一年中祝っているべきだ。
時々しか祝わないというのは、その生が祝祭の生ではないことを示しているにすぎない。
p160
<4>につづく
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