<1>からつづく
「デジタルネイティブ」
<2>次代を変える若者たちの肖像
三村忠史 /倉又俊夫 2009/01 日本放送出版協会 新書 189p
★★★★☆
★★★☆☆
★★☆☆☆
この 「デジタルネイティブ」 は2009年1月発行の新刊でもあり、話題としてはまだまだ旬を過ぎてはいないだろう。そう思って読むのだが、どうも批判的というのか保守的というのか、新しいものにはひとこと言わなければ気がすまない、という悪癖がでてしまうようだ。
考えてみれば、このブログが本格的にスタートするきっかけになった 「ウェブ進化論」 を読んだときも、かなり批判的な読み方をしたものだった。なんとも魅力的ではあるのだが、なにかいっちゃもんをつけておかないと、こちらが無視されたような気になる、そんなところだっただろう。
あれから3年ほど経過しているわけだが、さて自分の生活を振り返ってみると、かなりWeb2.0的に変化してきていることがいくつもあることを発見する。そもそもこの「ウェブ進化論」の紹介を知ったのは「朝日新聞」朝刊の文化欄だった。当時の私にとっては、ニュースの信ぴょう性は、ネット上のものより紙媒体のほうがはるかに上だった。
ところがあの本を読んで以来、1年後にその朝日新聞の宅配購読をやめ、それからさらに、あっという間に2年が経過したが、新聞なし生活も、ほとんどその不足を感じないで過ごすことができた。自分の生活の基盤が、旧来のスタイルからネット主導型にスムーズに移行してきたものと思われる。
新聞がなくなってすぐに困ったのは二つ。ひとつはテレビの番組表をみることができなくなったこと。しかしこれはすぐに 解決 した。慣れるまではすこし時間を要したが、ネット上で十分にその機能は充足できることを発見した。
ふたつ目は、近くのスーパーのチラシが入らなくなったこと。すぐに不満を漏らしたのは奥さんの方だったが、スーパーのチラシは玄関のポストに入っていることも多く、家族の減少もともない消費する品目も減った。定番メニューだけならいつものところに行けばほとんど変動しない安定した値段で買えるし、よけいなものを買うこともなくなった。新聞のない生活も、ほとんど苦にならずに慣れてしまった。
この 「デジタルネイティブ」 は、NHK取材班が作った本だ。朝日新聞と同じように、私にとってNHKはこれまで情報に対する価値判断の基準になってきた。テレビで見た、というより、NHKで見た、という方が価値があった。最近で言えば、 「白洲次郎」 がNHKドラマ化されることによって、バラバラに読んできた 白洲次郎 が再評価され、市民権を得たような、変な安ど感を味わう。
この「デジタルネイティブ」もNHKが作った番組だから、価値があるみたいな判断があることはたしかだ。しかしこの私の「みなさまのNHK」崇拝も、一体いつまでつづくのだろうか。ひょっとすると、一年後はもうテレビは見ない、という決断をしていない、とも限らない。
世はテレビの完全な地上デジタル化に移行していこうとしているようだが、この動きを私自身はあまり歓迎していない。正直言って今のテレビで十分だし、出演者たちの髪の毛一本一本が見えるほどのクリアな画質を私は必要としない。それだけのクオリティを確保するために、新しいシステムに買い変えたり、決して安くないNHKの視聴料を払い続けるよりも、もうテレビは見ない、という決断をする可能性はある。
それにはもちろんインターネット機能があるということが前提なのだが、ネット上のニュースも、各新聞社やニュース配信サービス業者からの横流しなのだが、画像についても、NHKや他のテレビ局からの横流し画像を見ることになるのかもしれない。先日も、西垣通の 「デジタル・ナルシス」 を読みながら、NHKテレビの番組 「ウェブ社会をどう生きるか」 を見ていた。この世からNHKはなくなってしまえばいいなんては思わないが、いままでのように、テレビは同時性で見るべきもので、見逃したら、なかなかふたたび見ることができない、というシステムはそろそろ終わるべきだ。
私はこのNHK番組「デジタルネイティブ」は見逃したが、 Youtube などを使えば、ほぼ内容を知ることができる。はてなの 近藤淳也 の動画もここで初めて見た。ここからのきっかけで、私自身は今批判的であったり反動的であったりするかもしれないが、将来的には、これらの変化をごくごく当たり前のように受け入れる可能性はある。
「ウェブ進化論」 で物足りないなぁと思った部分は、続編の 「ウェブ人間論」 の対談でだいぶ埋めわせることができた。この続編を読んだときもかなり批判的だったり保守的だったりする自分を発見したが、それでも、あの本をきっかけにして、本の中で話題になっていた 「スターウォーズ」 とか 「マトリックス」 、 「ブレードランナー」 なんて映画をみることになったのだから、今は大いにあの本にも感謝している。いや、むしろこの「ウェブ人間論」があってこそ、あの名著「ウェブ進化論」は成立しているはずだ。
当ブログが第一期をスタートするきっかけとなった「ウェブ進化論」を、今こうして再読してみることは必要なことだった。そして、この時期において、「デジタルネイティブ」という本が生まれ、そのようなネットバリューが生まれ始めているということを知った。10の桁を四捨五入すれば、すでに100歳になる私であるが、そして日々保守的な傾向の強まる自分を発見している私ではあるが、実は「デジタルネイティブ」の一人だと思っているのだ(笑)。
「デジタルアダルト」だとか「デジタルシルバー」なんて言葉が今後でてくるかどうか知らないが、気持ちは「デジタルネイティブ」だ。そう自分を規定したところで、この本のなかで気になるところは二つ。今後、この本から今後ワンポイント的に発展させてみたいところが二つあるということだ。
ひとつは、「ネット上に『国連』を作りだせ~デジタルネイティブの『フラット革命』~」P130あたりのこと。これは「ウェブ進化論」なかの 「世界政府が開発しなければならないはずのシステム / ウェブ上での民主主義」 p048で触れられていることと連動する。 オバマ がアメリカの新大統領になることによって、なにごとかの変化が政治の世界にも展開されるかもしれないが、現実の政治の世界のむずかしさ、そして現実の国連の機能の限定された姿をみるとき、その非力さに落胆せざるを得ない。
ネット上に「国連」をつくることは簡単ではないはずだ。しかしネット上だからこそ「国連」は作れるかもしれない。その可能性が見てくるかもしれないし、そういうものであってしかるべきだ、という可能性に当ブログは賭けたい。
そしてもう一つ。現役高校生であるデジタルネイティブのひとりが、このNHKの記者に紹介されたとされる「アメリカの未来学者」レイ・カーツワイルP12のこと。 「スピリチュアル・マシーン」 や 「ポスト・ヒューマン誕生」 などカーツワイルの本も読んできたが、 リサ・ランドールの 「異次元は存在する」 とか 「ワープする宇宙」 などももう一度読み直してみたい。この二人の本にNHKが関わっている、というところも、何かの縁を感じる。
当ブログのタイトルは右往左往のすえ、現在は「地球人スピリット・ジャーナル」で定着している。当ブログの主テーマは、人間論であり、人間を地球人とくくってしまうときに起こる意識の在り方だ。
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