「プラネット・グーグル」
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ランダル・E.ストロス /吉田晋治 日本放送出版協会 単行本 272p
★★★☆☆
★★★★☆
★☆☆☆☆
「Web検索エンジンGoogleの謎」
2004/04
「ザ・サーチ グーグルが世界を変えた」
2005/11
「グーグルGoogle-既存のビジネスを破壊する」 2006/04
「Google誕生」 2006/6
「グーグル・アマゾン化する社会」 2006/09
「次世代ウェブ グーグルの次のモデル」 2007/1
「爆発するソーシャルメディア」 2007/03
「Google vsセカンドライフ」 2007/10
「ネット未来地図 ポスト・グーグル時代20の論点」
2007/10
「Googleとの闘い」
2007/11
「Googleを支える技術」 2008/04
「グーグルが日本を破壊する」 2008/04
「アップルとグーグル」 2008/04
「グーグルとウィキペディアとYouTubeに未来はあるのか?」 2008/06
「グーグルに異議あり!」
2010/04
「グーグル秘録」
2010/05
「グーグルが描く未来」 2010/07
この「プラネット・グーグル」は当ブログが読んだ、いわゆるグーグル本の中では最も新しい本ではあるが、情報的的には決して新しい内容ではない。日米同時刊行と銘打ってあるものの、グーグルの誕生時から今日までの歩みを歴史的に追っているので、他書とダブるところも多く、他の本を読めば十分というところが多い。
グーグルとは一体何か、ということを考えた。今さらながらだが、当ブログなりに位置付けたら、どういうことになるのだろうか。3、という秘数に倣って、人間界の現象を、3層のもの、あるいは、三角形のものと見てみると、肉体、心理、魂、と分けることができる。科学、芸術、意識と言ってもいいだろう。この分類法にITやインターネット社会を対応させると、コンテナ、コンテンツ、コンシャスネス、と分けることができそうだ。
コンテナとしてのITは、重層的なテクノロジーの集積であるパーソナルコンピュータが完成したことによって、一段落したようだ。ムーアの法則によって今後もますますパソコンの進化はすすむだろうが、道具としてのパソコンは、ひとまず出来あがったのだ。しかし、これだけでは、その技術が発揮されたということにはならない。
コンテンツとしてのITが発展したのはインターネットの発達であり、さらに言えばブロードバンドが安価に行き渡ることによって、ますます拡大したということになる。ケータイはもっとモバイル性に特化したものとして、さらに進化する可能性はあるが、基本的にはインターネット携帯パソコンの一種と考えることができる。
グーグルは、基本性能をそなえたパソコンが当たり前にあり、インターネットのブロードバンドが普及している社会を前提にして存在している。その環境のなかで、グーグルはさまざまなサービスを生み出しているが、かならずしもすべてが的を射ているわけでもなく、試行錯誤の面もあると思われる。
現在、地球上で標準的にパソコンが普及してブロードバンド環境が整っている地域はどれだけの広がりを見せているのだろうか。飲料水や毎日のベッドですら十分に確保できていない地域もあるわけだから、まだまだこの環境は世界標準とは言えないだろう。だが、今後も、車や電話などの通信手段とともにブロードバンドパソコンが地球に行き渡るとして、その後、その進化はどうなっていくのだろうか、というのが、多くの人の関心のありどころであり、当ブログの主テーマのひとつである。
地球をひとつ、と見ること、地球人の知識をひとつのものとしてつないでしまうことなどは、グーグルアースや検索技術によって、かなりのスピードで進行している。文字だけでなく画像や音楽もYoutubeなどを通じて、ひとつのプラットホームの上で、並列的に並べられる時代となってきた。
しかし、これは進化過程としては、まだまだ発展途上の姿であろう。もし秘数3にいくばくかの必然性があるとしたら、コンテナ、コンテンツから次のステップが必要となる。それがコンシャスネスだ。ではこの文脈においてのコンシャスネスとはなんであろうか。
昔の(いや現在でも存在する牧歌的風景のなかでの)村において、食糧を生産するための農場と、学校や医療施設をも含んだ形の知の生産の場としての、図書館をイメージしてみる。ここまでが、この文脈でいわんとするところの、コンテナ、コンテンツの姿だ。しかし、もうひとつ足りないものがある。祈りの場、瞑想の場、神との対話の場、それは教会や寺院かもしれないし、リゾートとして名高い観光地であるかもしれない。高くそびえる山や遠い海原であるかもしれない。それをとりあえずコンシャスネスと呼んでおこう。
早めの結論から言っておけば、グーブルはこのコンシャスネスとしてのITへの橋渡しとして、コンテンツの集積を計っている、というのが当ブログの見方だ。卑近な例で言えば、ウェブ1.0でマイクロソフトがパソコンを完成させ、ウェブ2.0でグーブルがインターネット社会を早急に生みだそうとしている。そして、次のステップ、それは完成の意味する秘数3としてのウェブ3.0だ。
ウェブ3.0はどういう形でやってくるのだろうか。ウェブ上の国連や、ウェブ上の世界政府を意味しているのだろうか。あるいは世界宗教性としてのスピリチュアリティであろうか。もしそうであったとしても、さて、ウェブ2.0からそこへの橋渡しは現在どこまで伸びているのだろうか。セカンドライフのような、点から線、線から面、そして空間の増大というヴァーチャル・リアリティの動向も気になるところだ。
あるいは、例えば、ケン・ウィルバーの 「インテグラル・スピリチュアリティ」
とWeb3.0はどのようなつながりを持ち得るだろうか。あるいは、世界宗教への可能性としての 禅
や チベット密教
は、ウェブ3.0とどのようなインターフェースを持ち得るだろうか。漠然とした素描でしかないが、当ブログが第一期を終えるにあたり、この辺あたりがそろそろ結論として見えてきたということになる。
村上春樹にご用心<1> 2009.03.10
セカンドライフを読む。<7> 2009.03.09
戦うコンピュータ 軍事分野で進行中のIT… 2009.03.08
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