宇宙蜃気楼
宇宙船のブリッジは異様な雰囲気に包まれていた。
全乗組員が呆然とナビゲーションスクリーンを見詰めている。
しばらくしてナヴィゲーションオフィサーのエランがしわがれた声で誰にともなく呟いた。
誰一人その言葉に答を返すものはなかったが、呼吸するのを忘れていたかのようにため息にも似た呼気を一斉に吐き出した。
スクリーンにはブルーの淡い鬼火のように浮かび上がった、見覚えのある星が映し出されていた。それは色が薄いという点を除けば紛れもなく地球そのものであった。
船長のエダはそんな乗組員の様子が少し平静さを取り戻したタイミングで、すでに分析済みのデータをもとに説明を始めたが、その口調には無理に冷静さを保とうとする平板さが感じられた。
「この星域には高濃度の星間物質が広がっている。そしてちょうどここから100光年の距離、地球と我々の中間にブラックホールが確認されている」
「そして、そのブラックホールの重力レンズ効果で太陽系近傍からやってきた光がここで星間物質に像を結んでいるというわけだ」
「でも、こんなに鮮明に見えるのかい?」
メカニックオフィサーのホセがスクリーンを凝視したまま尋ねた。
「もちろん感度を最大にしている。船外を直接見ているわけではないんだ。ご存知だとは思うが」
「ああ、あれ、オーストラリア大陸だわ!あたしの故郷なのよ!」
おぼろげに浮かぶホログラムのような地球を目を凝らして見つめていたメディカルオフィサーのキャシーが素っ頓狂な声を上げた。
乗組員の生理的時間にすると地球を発ったのはほんの2ヶ月前だった。一ヶ月をかけて宇宙船が亜光速に達すると、さらに1週間をかけて冷凍睡眠に入り、全員が数世紀にわたる眠りについた。
目的の星系まで半分の距離で、彼らがマザーコンピューターに起こされたのは非常事態が発生したからだ。
コンピューターにとって、この光景は特に注意を惹くものではなかった。この蜃気楼のような太陽系に実体はなく、単なる物理現象以外の何者でもない。
コンピューターにとって重要だったのは地球から発されている電磁波、とくに通信や放送などの信号のほうだった。地球からの通信を感知できるはずのない距離で、知的生命体からのものと特定できる有意な信号を傍受したことが、乗組員を覚醒させる緊急事態と判断させたのだった。
「で、どんな電波を捉えたんだい?クラシック・ロックの音楽番組でも?」
「んん?ちょっと待てよ。今ここで受信しているのは一体何年前の放送なんだ?」
チーフナヴィゲーションオフィサーのアリが白い歯をむき出して甲高い声で喚いた。
「我々が出発して600年後の地球だ、現在時間の200年前だ」
「えっ!計算が合わない・・そうか。ローレンツ収縮か・・。畜生!」
このとき乗組員一同は出発した当時の地球とは全く別の時空を自分たちが生きていることに気付かされ、言いようの無い孤独感に襲われていた。アリの悪態は一同の気分を代弁していたのだ。
「それはどんな内容なのですか?」
メディカルドクターのリーが穏やかな声音でエダに聞いた。
「うむ、分析中なんだが、あまり楽しいものではなさそうだ。分析が完了次第皆に報告しよう」
乗組員はほとんどがスクリーンに映しだれる淡いブルーの地球を見つめたまま物思いに耽っているようだった。
-- * -- * -- * --*
コンピューターの解析結果に、コンピュータースタッフたちが数日がかりで補正を加えた地球からの信号は、衛星放送のものだった。概略はこうだ。
宇宙船が地球を出発した580年後、つまりスクリーンに浮かんでいた蜃気楼の地球の20年前に些細な原因から熱核戦争が勃発し、地球の陸地のほとんどが廃墟と化したらしい。
僅かに生き残った人類は南半球に逃れたが、北半球に集中していた環境維持装置のほとんどが破壊され制御を喪失してしまったため、生き残る可能性は万に一つもない状況に陥っているらしい。環境維持装置により、僅かづつ改善されていた地球は圧倒的な破壊力を持つ数発の核兵器により焦土と化し、不毛の惑星になってしまったのだ。
南半球、オーストラリアにあるシェルターに逃れた人々もほとんどが逃げだす際に多量の放射線を浴び、半死半生の状態だ。しかも唯一残ったシェルターの防護機能も完全ではなく、放射能に侵された大気や水の侵入をシャットアウトすることはできないようだ。
宇宙船が捉えた電波は残存する放送局の電波で、今わの際まで信号を発することが自分の使命であるかのように、ここに至る経緯と現在の状況を放送し続けているのだ。そして地球上にもし生き残っている人類がいれば南半球に集まって欲しいと訴えていた。
乗組員の意見は二分された。
「我々がここで、幻影であれ地球の姿を目にしたことは偶然とは思えない。もともと新しい居住可能な惑星を第二の地球に変えるべく編成され装備された我々にとって、地球を再び人の住める星にするのは難しい事じゃないじゃないか!」
チーフナビゲーターのアリが熱っぽく訴えた。
「今すぐ戻ろう!それしかない」
ほとんどの乗組員が頷いた。
「しかし、我々の本来の使命は第二の地球を他の星系に見出すことじゃないのか?」
副船長のヘルツが遠慮がちに話し始めた。
「たしかに地球へ戻ることも選択肢の一つかもしれない。しかし、すでに地球はその命運が尽きているんだ。我々を送り出してくれた瀕死の同朋の思いはどうなるんだ?」
しかしヘルツの言葉に同調するものは少なかった。
「第二の地球と言うが、その確率は万に一つだ。地球ほどの星がそう簡単に見つかるとは思えない・・。我々が失敗すれば人類が途絶えてしまう」
リーがいつになく興奮した表情で、厳かに自転するスクリーン上の地球を見つめながら言った。
エダはこの宇宙船の本来の任務からすると、地球に戻ることが正しい選択だとは思わなかったが、確率的な見地からは地球帰還案ももっともな意見だと感じた。それに彼自身、スクリーンに浮かぶ地球の姿に強い望郷の念を禁じえなかった。どうすればいいのか!?
結局、議論を重ねた末、多数決という形で地球へ戻ることで結論が出された。もし、旅を継続することを強制すると船内暴動が起きかねないような雰囲気だったのだ。
-- * -- * -- * --*
最終決断が下ると、直ちに実行に移された。ナビゲータークルーたちが数日間をかけて太陽系に戻るルートとスケジュールを計算し、マザーコンピューターに指令を出した。そして乗組員は健康診断を受けた後、順番に冷凍睡眠に入っていった。
船長はいつものように他の全ての乗組員が眠りにつき、睡眠装置が正常に動作していることを確認すると、自身の冷凍睡眠の準備を始めながらマザーコンピューターに問うた。
「マザー、我々の決断は間違っていないと思うかい?」
「心配しないで、エダ。あなたたちは間違ってはいないわ。私が見守っていて上げるから一眠りしなさい」
宇宙船は緩やかに地球へと戻る進路へ船首を向けつつあった。
エダは冷凍睡眠に入りつつ意識が薄れる中、かすかな声を聞いていた。それは穏やかな慈愛に満ちた母の声でこうささやいた。
「エダ、よくお聞きなさい。あなたはもう地球人ではないのよ。あなたたちが星と星をつたいながら遠くへ旅する能力を持ったときからあなたたちは彼方を目指して宙(そら)の隅々へひろがることを運命付けられたのよ。
大丈夫。私がついているわ」
エダは夢の中でうなづき、かすかに微笑んでいた。
やがて宇宙船は意を決したように再び反転し、太陽系を背にして静かに加速していった。再び現れた静かに回りつづける幻の地球ははるか彼方に霞んで消えていった。
===== * ===== * ===== * ===== * ===== * ===== *
2459年3月14日 宇宙省発行文書(極秘)
恒星間宇宙船マザーコンピューター用基本プログラム開発アルゴリズムに係わる留意点
1.人間にとって恒星間飛行は極めてストレスが高く、ときとして情動的な判断により誤った選択をしてしまう可能性を否定できない。
2.1の理由により人間のストレスを緩和できると考えられるあらゆる環境を提供する。例えば人口音声は人間にとって母性を感じさせる穏やかな女性の口調や音質とすることが望ましい。・・・・・・
3.1の理由により人間である乗務員が感情的な混乱により誤った選択を行ったと判断されるときはこれをオーバーライドして無視することを可能にしておく。
・・・・・・
===== * ===== * ===== * ===== * ===== * ===== *
挿絵:武蔵野唐変木様
