モラルに体当たり記

モラルに体当たり記

September 27, 2006
XML
カテゴリ: 書評
サバルタンとは、イタリアのマルクス主義思想家グラムシの用語で、本来「従属階級」という意味だが、
ま、ここでは、抑圧されている人、従属的な立場にいる人、エリート以外の人、社会的弱者というような理解でよいのではないだろうか。

スピヴァクの文章は、非常にもってまわった言い方をしているので、内容については、いまだ咀嚼できていない部分が多いのだけれど、簡単に説明すると以下のような話ではないかと思う。

彼女の結論は至極単純で「サバルタンは語ることができない」というものである。

世の中には弱者(サバルタン)を代弁するような人が様々いるけれども、本当の弱者(サバルタン)は、語る場所もなく、語る術もない。

では、サバルタンを代表して、語っているのは誰か?

それは、(1)当のサバルタン以外の人たち
(外部からのヒューマニスティックな慈善家や、現地の人々を興味の目で眺める研究者、そしてサバルタンを利用しようとする事業家や活動家など)、

そして、(2)サバルタンから何らかの変容を遂げた人たち、である。



繰り返すが、サバルタンには、語る「場所」も、語る「術」も与えられていない。

語る場所を与えられるためには、そのサバルタンは、サバルタンの地位を脱出しなければならない。
それは、高等教育を得ることだったり、活動家になることだったりするのかもしれない。

しかし、「語る場所を持てるようになった」ということはつまり、「その語りに人々が耳を傾けてくれるようになった」ということであり、その段階でそのサバルタンはサバルタンではなくなっているのである。

(だって、人々は、「聞く価値のある人の話」にしか、耳を傾けない。そして「話を聞く価値のある人」というのは、通常、社会的成功者である)。

さらに重要なことは、サバルタンが「語る」ためには、サバルタンが「語ること」をもっていなくてはならないのである。
しかし、残念ながら、本当のサバルタンというものは、「語る事実」も「語る言葉」をもっていない。

たとえば、本当に生活保護が必要な餓死寸前の生活をしている人々のうちには、生活保護という制度そのものを知らない人が多くいるように。
彼らは、自分が生活保護を受けられるという事実も、それを主張する言葉も持っていない。

虐待を受けている子どもや女性も同様である。多くの人は「逃げればいいのに」と彼らに対して思う。けれど、彼らは逃げる場所も知らなければ、そもそも、自分が助けてもらえる存在だということも知らない。彼らは現実の前に絶望し、ただ暴力者の前で沈黙し、現実をやり過ごしているのみなのである。

(ちなみに、このようなサバルタンが日本にどれだけいるか、ということについては夜回り先生として有名な水谷修さんの本を読むといいと思う。そこで書かれている様々な事例には、ちょっと衝撃を受ける。)


そのサバルタンは、語る言葉を持った瞬間に、サバルタンから何らかの変容を遂げるのである。

サバルタンは語ることができない。
よって、私たちは、サバルタンについて書かれたものや言われていることを、(たとえサバルタン自身によって書かれたものだとしても)そのまま信用することはできない。

なぜなら、人間は、過去を常に上書き修正して生きていっているからである。語る言葉を持った瞬間に、そのサバルタンは自分の過去を、新たに得た言葉で書き直してしまうのである。

被差別部落の人々にインタビューした桜井厚の研究には、この具体例が如実に現れている。



(逆に言えば、それまでは、それらの経験は「差別的な経験」としては受け取られていなかったことになる。)
彼女にとって、それらの経験の意味づけは、解放運動に参加する前と後では全く違う。
そして、今の彼女が語る内容は、昔の彼女が語る内容とは、違っているであろうことは、容易に想像がつく。

この例からもわかるように、サバルタンについて書かれたテクストは、サバルタンの現実とは、無関係なところで生まれている言説なのである。

では、サバルタンについてどのようにアプローチし、どのように理解し、そして、彼らへの抑圧をどのように解決していいのだろうか。

スピヴァクはすっきりとした解決策は与えてはくれていない。
ひとつ、彼女が可能性としてあげているのが、デリダ的脱構築、すなわち「文章の空白を読む」ということである。

何が書かれているのかではなく、何が書かれていないのか、という部分にこそ、人間が無意識のうちに抑圧している他者や、当たり前のように前提としている思考や欺瞞が存在しているからである。

サバルタンに近づくためには、私たち自身の中にある、常識としてふだん考えもされない事実や、見過ごされている欺瞞に、自覚的でなくてはならない。

なんで、そこまでしてサバルタンを研究しなくてはならないか、と考える人もいるかもしれない。
けれど、逆に考えれば、そのような私たちが見過ごしている常識や欺瞞を照射し、人々に気づかせることができることが、サバルタン研究の意義であるともいえるのではないか。

スピヴァクは、「何かを学び知る」という特権は同時に、「何かを失う」ことであるという事実に言及している。
そして、私たちに、学び知ったことを「一旦忘れ去ってみる」ということを推奨している。

この部分は、非常に重要な示唆である。

なぜなら、私自身、研究対象たる働く女性たちと話していて、かなりの違和感を感じるからだ。

かつて私自身も彼女たちのone of themであり、彼女たちと同じような感覚を持っていたはずなのに、
学校に入り、労働の現場から身を引き、学問的知見を学ぶことによって、
私のものの見方は、たぶん、彼女たちとは決定的に違ってしまったのだと思う。
(とはいえ、私は逆に「知ってしまったものの悲劇」もあると思うけれど。)

なので、「いったん、学び知ったことを忘れてみる」ということは、
彼女たちが何に惑い、何に苦しみ、何が必要なのかを「実感として」感じるために、
とても重要なプロセスである。

たとえ、本当には「実感として」感じることはできないのだとしても、
感じようと努めることそのものこそ、研究者の良心であり、学問への愛と敬意なのだと思う。

さて、内容はさておき(って、これだけ長く説明してきて、「さておき」もないけど)、
私がこの本で非常にImpressiveだったのが、彼女の語り口である。

確かに文章は読みにくいのだけれど、非常に好感の持てる本であった。

たぶんその難解さは、第一に、彼女が安易な断定や論理の飛躍を避けているために、
第二に、デュールーズとフーコー批判という形をとっているこの本の構成のために、
すなわち「デュールーズとフーコーくらい(ついでにマルクスとデリダも)先に読んどけよ、お前ら」っていう要請のために、
起こっているものであろう。(でも、マジでわかりにくいけど!)

彼女は、デュールーズやフーコーといった先人たちを批判しているが、
私は、彼女のその批判は、無意識のうちに抑圧を行使しているフーコーやデュールーズへの怒りや、彼らを引きずり下ろそうという意図ではないと思う。(彼女自身もインタビューで「私が怒っていると思われるのは心外であった」というようなことを述べている。)

むしろ、彼女が主張したいのは、デュールーズやフーコーといった現代の知の巨人ですら気づくことなく自らの中に内面化している、根強い西洋中心主義・エリート主義・帝国主義・男性中心主義といったようなものに対する、ある種の衝撃と絶望なのだ。

サバルタンは語ることができない。
その沈黙はあまりに深いから、私たちは、まるでサバルタンは存在していないかのような錯覚にたやすく陥るし、サバルタンをたやすく無視することもできる。
サバルタン自身だって現状に満足したり利用しているじゃないかと言い募ることもできるかもしれない。

けれど、忘れてはならないのは、サバルタンは語ることができないという点である。
語ることができないからといって、存在しないわけではない。もちろん無視していいわけでもない。

そのなかで、どのようにサバルタンに近づくか、という点について、
スピヴァクは、非常に謙虚に、そして真剣に向かい合っている。
(ちょっと厳密かつ厳格に過ぎるような気がしないでもないけど)。

良い本でした。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  October 5, 2006 11:06:42 AM
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Profile

bitteraska

bitteraska

Favorite Blog

何を優先するか New! にわとりのあたまさん

おざーんblog おざーんさん
My wife is ... にわとりのあたまの裏さん
●尾崎友俐● ◇尾崎'友俐◇さん
今宵もガイショクざ… 東京スヌーピーさん

Comments

111@ Re:どうしてボランティアはブスが多い?(10/04) べつに、美人とブスなら ブスのほうが多い…
http://buycialisky.com/@ Re:口癖(03/20) buy low cost cialis softcialis tadalafi…
http://buycialisky.com/@ Re:どこまで食べれるか?(04/09) viagra y cialis espa olqual e o melhor …
http://cialisda.com/@ Re:口癖(03/20) cialis and popperscialis cialis genuine…
http://cialisda.com/@ Re:できたての彼氏は赤ん坊と同じ(07/29) photo of cialiseyesight cialisgoedkoop …

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: