壮絶な病魔との闘い。

壮絶な病魔との闘い。

大学病院へ転院

2003年10月28日、1回目のカテーテルアブレーションを施行。
直後から胃のぜん動運動が完全に麻痺し、食べた物が胃から十二指腸・小腸
へ全く流れなくなってしまった。
合併症なのか医療事故なのか紙一重のところであるが、とにかくカテーテル
アブレーションが起因していることには間違いは無い。(後に合併症である
ことを病院側が認めました。)

2003年11月5日、循環器病棟から消化器内科病棟へ移った。
循環器病棟は古い建物で、かつ8人部屋だったので通称、野戦病棟と呼んで
いました。一方、消化器内科病棟は増築した新しい建物で病室も5人部屋と
言うことも有り、静かでゆったりした環境で療養することができました。
主治医は、口数の少ない女医さんでした。(年齢は20代後半でしょうか)
早速投薬治療が始まりました。胃腸を動かす飲み薬(ナウゼリン、ガスモチン)
と、一日3回肩へ筋肉注射(薬剤不明)を行ないつづけました。
しかし、頑として胃腸が動きません。
食事は流動食が出されましたが、消化されないので毎食後鼻からチューブを入れて
吸引。従って経口栄養が摂れない状況です。78kgあった体重もみるみる減少し、
2週間後には65kgまで落ちてしまいました。
病状は一向に改善する兆項も無く、消化器内科学的にも治療が行き詰まって
来たようです。
転科して半月程経過したとき、主治医が「もっと専門的な治療が必要と思うので
大学病院へ転院した方が良い」と言われ、県内の主だった大学病院(東海大学
・横浜市立大学・北里大学)を候補に挙げられ、選択をせまられた。
以前から主治医の女医さんは、北里大学からの出向医師であることは判っていて
投薬や治療方針も北里大学病院の助教授クラスの医師のリモートコントロール
だということも判っていました。従って無条件に北里大学病院を選択しました。
とにかく大学病院なら英知が集まっていて何とかしてくれるだろうと言う藁をも
掴む思いで、11月28日に横須賀共済病院から北里大学東病院へ転院しました。
すでに病態は把握していたようで、あらゆる検査のスケジュールがすばやく組まれ
治療も開始されました。大学病院へは始めての入院だったので、モルモットにされ
るのではないかという不安があったのですが、ドクターも看護師もアットホーム
的な雰囲気でほっとしました。
主治医は上部消化器管疾患の権威のあるドクターで、非常に話しやすく「この
先生なら信頼できそうだ」と直感しました。現実もそのとおりでした。


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