秋に咲くヒマワリ・・なのかもね。

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2020.01.07
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小学生からの巨人ファンでしたが、2000年を過ぎたあたりからプロ野球を見なくなりました。最近の若い選手を見ても区別がつきにくくなってきたのも年齢のせいかも知れません。

江夏・堀内両投手の投げ合いとか、王選手の山田投手から奪った日本シリーズでのホームランとか、昔のプロ野球は人間くさかったように思います。

近鉄戦での江夏投手のの21球や、オールスター9連続奪三振は特に印象に残っています。NHKの番組は今回はじめて観ましたが、21球それぞれに背景があることや、衣笠さんのアドバイスが江夏投手をふっきれさせたこと、野村さんの解説が面白かったです。江川投手も高校からプロに入っていれば、もっとすごい記録が出せたかもしれません。

屋根の無い天燃芝の後楽園球場で、またプロ野球を観たいです。

2021.7.19リンク切れにより差替え。
2024.3.4リンク切れにより差し替え、内容の追加。







■参考リンク
Wikipedia:江夏の21球
NHK特集・スポーツドキュメント「江夏の21球」
山際淳司の作品を読んだ近鉄ファンの佐藤寿美・報道ディレクターが企画を提出した。本人にスポーツ番組の経験はなく、すでに出版されているドキュメンタリーと同じ題材をNHK特集で取り上げることには反対が強かった。番組制作の条件として部長から、山際の作品を超えるものを作れと言われたという。

江夏へのインタビューは山際・岡崎・佐藤の3人で担当。3人が交代で江夏に質問を行い、それに対して江夏が1球1球説明を行ったため、収録に8時間かかったという。ちなみに、江夏・山際・佐藤の3人は同じ1948年生まれ、さらに江夏と佐藤は同じショートホープを好んで吸っていた[25]という偶然もあって馬が合ったことも番組制作の上でプラスとなった[26]。
当時の試合映像は当日中継を行った毎日放送にも残っていなかった。NHK広島放送局の職員がたまたま録画したビデオテープをロッカーに置いてあったものが見つかった。しかしニュースでダイジェスト用に使うために用意したものだったため、実況は入っていなかった。ラジオで実況をしたNHKの島村俊治アナウンサー[27]自分で録音していたテープがあり、ようやく素材をそろえることができた。
山際の文章では要所にのみ加えられた野村克也の解説を、独自性を出すために1球ごとに解説を加えるようにし、画面上にボールの軌跡を描くことを手作業で行った。また、スコアボードに代打・佐々木が表示される場面など、残された試合映像にないシーンを大阪球場で新規にロケ収録して補った。
野村は冒頭の解説で「プロ野球は半世紀が流れていますけど、これ程の場面に出くわしたことはない。おそらくこれからも出るか出ないか分からないと思う。それぐらいの名場面が1979年の広島VS近鉄の日本シリーズじゃなかったかと思います」と話した。
2010年10月にNHKエンタープライズからDVDが発売されている。奇しくも佐藤はこのDVDの発売当時、NHKエンタープライズの常務取締役を務めており、発売後の2011年2月から2013年6月までは同社の社長を務めた。なおDVD化にあたり、番組内の音楽はOA版のヴァンゲリス(アルバム「天国と地獄」より)から全部差し替えられた。
また、この作品がきっかけで山際とNHKの縁ができ、山際は1988年にはメジャーリーグ紹介番組『大リーグアワー』、晩年の1994年4月3日から1995年5月14日まで[28]NHKのスポーツ情報番組『サンデースポーツ』のキャスターを務めた。
2018年10月28日にNHK総合「あの日あの時あの番組」でこの番組が再放送された。ゲストは江夏と大野豊(NHKプロ野球解説者)。

Wikipedia:江夏のオールスター9連続奪三振
背景
日本プロ野球、セントラル・リーグの阪神タイガースに所属していた江夏豊は1971年5月5日に先発投手として登板していたが、3回1死後に脈拍数が160を超え、降板した[1]。当時の球団は江夏に対してこれを秘密にしていたが「何万人に1人」の心臓病だと言われていた。また江夏は酒は飲まないが、タバコを多い時で1日あたり最大で約80本吸い(後に同約20本に減らした)、不規則・不摂生の生活を送っていた[1]。それだけではなく、前年に起こった黒い霧事件にも巻き込まれていた[1]。
7月に入ってからの江夏は「何でか知らんが、今年はコントロールが悪いねん」と自分の投球内容に対しての不満を述べていたという[1]。この年のオールスターゲーム前の成績は防御率3.12で6勝9敗と負け越していたが、7月9日に結果が発表されたオールスターのファン投票では、セントラル・リーグの投手部門で見事1位に輝いた[1]。
江夏は日刊スポーツ紙の取材で、日本プロ野球どころか過去のメジャーリーグベースボールでも1度も達成されていない9連続奪三振の達成を予告したが、「江夏は九人全部、三振にとったるワ…とジョークも言った」と2面のほんの片隅に、わずか一行記事で片付けられた[2]。

—私の履歴書 江夏豊(日本経済新聞、2017年12月20日)
7月17日に西宮球場で開催されたオールスターゲーム第1戦の全セの先発バッテリーは江夏と田淵幸一。この年の田淵は腎炎を罹った影響で捕手としてほとんど試合に出ておらず(主に右翼手として出場。捕手は辻恭彦が務めていた。)、シーズン中にはまだ一度も組まれていないバッテリーだった[2]。

Wikipedia:江夏豊
オールスター9者連続奪三振
詳細は「江夏のオールスター9連続奪三振」を参照
1971年7月17日、阪急西宮球場で行われたオールスターゲーム第1戦で、速球と正確なコントロールで打者のバットにことごとく空を切らせ、初の9者連続奪三振を記録した。オールスターゲームは、投手は規定で3イニングまでしか登板できないため、これは1試合における事実上最高の奪三振数であり[注 2]、現在でもオールスターにおける単独記録である。この後全セは、江夏の後を受けて登板した渡辺秀武、高橋一三、水谷寿伸、小谷正勝の継投で全パを1四球1失策16奪三振で無安打に抑えて、継投によるノーヒットノーランを達成している[11]。

この試合で、キャッチャーフライを追った田淵幸一に「捕るな!」と叫んだとされているが、実際には、スタンドに入るだろうしテンポ良く投げたかったため「追うな!」と叫んだものであると、江夏は著書の中で語っている。
この9連続奪三振を達成した時のボールは、江夏の手元にはない。これはこの時キャッチャーを務めていた田淵が、三振のコールを聞くと同時に無意識にボールを放り投げてしまい、そのために行方が判らなくなったためとされている。当時の映像でも、田淵がコールの確認直後に立ち上がり、ベンチ方向へと歩き出しながらボールを後方に放り投げる様子が確認できる。ただ、後年江夏が番組で王理恵と共演した際には、「(三振のあと)田淵というキャッチャーはボールを放り投げてしまった。でも君のお父さん(王貞治)が拾ってくれてスっと渡してくれたんだよ」とも述べている。







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Last updated  2025.03.04 01:37:43
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