秋に咲くヒマワリ・・なのかもね。

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2020.01.31
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カテゴリ: 宗教
アマゾンkindle Unlimitedで閲覧。

先日、上皇様が意識を失って倒れられたとのニュースを見てびっくりしましたが、大事に至らず、お元気になられたと知り、安心しました。そのニュースの中で3月までに高輪に引っ越されるのを知りました。

たまたま、島田裕巳先生の「天皇は今でも仏教徒である」を先日読み終わりましたが、538年の仏教伝道以来、国家守護の役割を果たす仏教を天皇や皇族が保護してきた歴史、それが明治時代に入り欧米ではキリスト教が国家の基軸になっているのに日本の宗教にはそれだけの力がなく代わりになるのは皇室以外にないとして、政府が天皇を神聖な存在として祀り上げることにことになったが、神聖な天皇の上に仏教の仏が君臨するのはまずということで、宮中から仏教が排斥されたとの解説はなるほどと思いました。

また上皇様の被災地ご訪問の背景にあるのは仏教的な菩薩行の考えや、ミッションスクールの聖心女子大学を首席で卒業された上皇后美智子様のキリスト教精神があるのではないかとの推測は同感するとともに宗教のルーツは一緒だなと思いました。

上皇様が模索されて形作られた象徴天皇を令和の新天皇陛下が如何に発展させていかれるのか、注目したいと思います。

お勧めの1冊です。




■参考リンク
陛下、声震わせ「象徴の旅」回顧 最後の記者会見全文2018/12/23 0:00 日本経済新聞
抜粋
 憲法が定める「国民統合の象徴」として初めて即位された天皇陛下。その在り方を追い求め、災害など困難に直面する国民に心を寄せ続けられてきた。

ちなみに私が初めて被災地を訪問したのは、昭和34年(1959年)、昭和天皇の名代として、伊勢湾台風の被害を受けた地域を訪れた時のことでした。
今年も暮れようとしており、来年春の私の譲位の日も近づいてきています。
私は即位以来、日本国憲法の下で象徴と位置付けられた天皇の望ましい在り方を求めながらその務めを行い、今日までを過ごしてきました。譲位の日を迎えるまで、引き続きその在り方を求めながら、日々の務めを行っていきたいと思います。


【iRONNA発】被災地ご訪問 「同じ目線」両陛下の思い 小田部雄次氏2019.3.11 09:00社会地震・災害
抜粋
受け入れ側にご配慮
 今上陛下の被災地訪問は、皇太子時代の昭和34年、昭和天皇の名代として伊勢湾台風の被害地域を訪れたのが始まりだった。このとき、被災地は歓迎の声ばかりではなかった。むしろ、救助活動などで忙しい現場から批判の声も上がった。
 伊勢湾台風の際、美智子妃殿下は妊娠中で同行できなかったが、その後は、ご夫妻での被災地訪問が続いた。61年には、三原山の大噴火で東京に避難していた住民たちを見舞い、ご夫妻で床に膝をついて一人一人に言葉をかけた。被災者と同じ目線で接する「励まし」の始まりでもあった。
天皇としての務め
 平成は災害が多い時代であった。東日本大震災後も、各地で地震や集中豪雨などの災害が続いた。だが、天皇の公務は被災地慰問だけではない。憲法で定められた国事行為のほか、外国への親善訪問や三大行幸啓(国民体育大会、全国植樹祭、全国豊かな海づくり大会)などの公的行為や、宮中儀式などの私的行為も含めると相当な数になる。
 こうした公務のうち、憲法に規定されていないものまで行う必要はないとの声や、国事行為以外は伝統を維持するための宮中儀式だけでいいとの指摘もある。しかし、陛下自身も述べられているように、天皇としての務めとは、人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なのである。その意味で、被災地訪問は天皇にとって重要な務めと言えよう。
 次代の天皇、皇后以後も、被災地の現状に無理をかけず、それでいてできるだけ早急に現地に向かい、被災者の心を受け止める心を持って対等に接し一人一人を励ましていく努力が大切なものとなろう。

上皇さま、意識失い倒れる 一夜明けて美智子さまと朝食長谷文、中田絢子2020年1月30日 19時27分 朝日新聞

 同庁によると、上皇さまは29日夕、私的な外出から戻った約1時間後に御所内で倒れた。そばにいた上皇后美智子さまが上皇さまの体を支えながら、緊急用ブザーで侍医を呼んだ。上皇さまはいびきのような息づかいをしていたが、侍医が診察を始めた直後に意識は回復。担架で寝室に運ばれ、夕食はとらずに休んだ。
 翌30日朝は、上皇さまは普段と変わらない時間帯に起床し、美智子さまとともに朝食をとった。病院で検査を受けた後は、御所内で静かに過ごした。脳梗塞(のうこうそく)などの病気が疑われるような所見は認められなかったという。
 上皇さまは86歳。昨年7月には強い脳貧血の症状がみられ、立っているのが難しくなりかがみ込むことがあった。天皇、皇后両陛下も上皇さまの体調を案じ、大事に過ごすよう願っているという。
 上皇ご夫妻は今年3月末までに高輪仙洞仮御所(東京都港区)に転居する予定で準備を進めているが、現時点でスケジュールに変更はないという。(長谷文、中田絢子)

神仏分離
抜粋

明治元年(1868年)、明治新政府は「王政復古」「祭政一致」の理想実現のため、神道国教化の方針を採用し、それまで広く行われてきた神仏習合(神仏混淆)を禁止するため、神仏分離令を発した[4]。
神道国教化のため神仏習合を禁止する必要があるとしたのは、平田派国学者の影響であった[5]。政府は、神仏分離令により、神社と寺院を分離してそれぞれ独立させ、神社に奉仕していた僧侶には還俗を命じたほか、神道の神に仏具を供えることや、「御神体」を仏像とすることも禁じた[5]。
神仏分離令は「仏教排斥」を意図したものではなかったが、これをきっかけに全国各地で廃仏毀釈運動がおこり、各地の寺院や仏具の破壊が行なわれた。地方の神官や国学者が扇動し、寺請制度のもとで寺院に反感を持った民衆がこれに加わった。 これにより、歴史的・文化的に価値のある多くの文物が失われた。






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Last updated  2020.02.02 15:53:00


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