秋に咲くヒマワリ・・なのかもね。

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2022.10.21
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内田あかりさんが活躍されたころはまだ中学生で花の中三トリオに夢中になっていた頃でした。頭にバンダナ巻いて歌ってるなくらいの印象でした。

久しぶりに聴いてみると、よく透き通った声で、昭和へタイムスリップします。オリエンタルな曲調も好きです。カバーの桃色吐息も聴かせます。

いつまでもお元気でご活躍いただきたいです。







■参考リンク
Wikipedia:内田あかり
内田 あかり(うちだ あかり、1947年10月9日 ‐ )は、日本の女優、歌手。本名、大形 久仁子(おおがた くにこ)。大阪府出身。旧芸名、内田 明里(読み同じ)。
来歴・人物
元々は本名の大形久仁子で地元のジャズ喫茶の歌手として活躍。その後、16歳でスカウトされ、1966年にTBSの連続テレビ・ドラマ「土曜日の虎」に藤久仁子の名で出演、1967年東芝レコードより「限りある日を愛に生きて」(この時の名前は本名の大形久仁子)でレコードデビュー。1968年に和田弘とマヒナスターズとデュエットし発売した「私って駄目な女ね」が50万枚[1] のヒット。しかし、ソロとしてはヒットに恵まれなかった。
デビュー7年目の1973年、CBSソニーに移籍。酒井政利プロデュースのもと、芸名を「内田あかり」に改名。この芸名の名付け親は作曲家の佐伯一郎で、霊感と骨相学の両面から考えられたとのこと。歌手はルックスが第一なので顔に重点を置いた上で「彼女の丸い顔に感じが似ている文字なので『内田』、あかりという名前はその丸い顔にいつも光が差しているように」という意味で名づけたという[2]。衣装制作に山本寛斎、ジャケット画に上村一夫を迎え[3]、大プロモーションをかけた「浮世絵の街」が70万枚[1] の大ヒット。その後「浮世絵の街」が映画化された際には主演も務めた。1974年発売の「献身」は同じタイトルの曲が1967年に大形久仁子名義でシングルリリースされているが、これは同一歌手による、全くの同名異曲という、珍しいケースである。
1989年には奇抜な衣装と妖艶さを全面的に表した「好色一代女」が話題を呼び久々のヒットを記録した。同年、この曲は『日本レコード大賞』作詩賞を受賞している。





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Last updated  2022.10.22 19:44:26


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