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2026.08.28
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台湾新幹線の軌道敷設の苦労のお話しです。海外工事でよく経験する現地の人との文化の違いを克服して無事軌道の溶接を完成するまでを描いています。

台湾新幹線は当初欧州系が受注していましたが、台湾大地震による「安全性(耐震性)」の見直し、当時の李登輝総統による政治的決断、 欧州陣営のトラブルといった事情で日本に変更になりました。

一部の欧州系技術者も引き続きプロジェクトにに参加していました。複雑な「日欧ハイブリッド」について興味のある方はテレビ大阪の動画『【#新幹線】台湾加油!「夢」を運んだ #台湾高速鉄道 開業まで1000日に密着。〜知られざる日台鉄道マン友情秘話〜』に詳しいです。


放送日総合8月29日(土) 午後8:07
配信期限9月5日(土) 午後8:52
「従来の2倍のスピードで工事せよ!」日本が誇る新幹線の初の海外輸出は、スタートから前代未聞の難題に直面した。工事の引き受け手が見つからない中、手を挙げたのは巨大プロジェクトを任されたことなどない社員20人ほどの下請け会社。台湾に乗り込み、現地で経験乏しい工員に日本の技術を伝授する。総延長300キロ以上、溶接箇所5万3千。異なる文化の狭間で価値観がぶつかる中、常識破りの建設を成し遂げた人々の物語。


【#新幹線】台湾加油!「夢」を運んだ #台湾高速鉄道 開業まで1000日に密着。〜知られざる日台鉄道マン友情秘話〜


高速鉄道で国土が変わる! 台湾新幹線にみたリニアの未来|ガリレオX第358回

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近年、この建設の裏側にある「日本の2倍のスピード」を要求された過酷な工期と、それを成し遂げた技術者たちのドラマがNHKのドキュメンタリー番組『新プロジェクトX』(2026年8月29日放送)などで改めて注目を集めています。
💡 軌道建設における主要な特徴と難題
前代未聞の超短期決戦通常では考えられない「従来の2倍のスピード」でのレール敷設と溶接工事が要求されました。
5万3千箇所に及ぶレール溶接高速走行時の安定性と静粛性を保つため、総延長300km以上の全線にわたり、緻密な溶接作業が繰り返されました。
日本の技術指導と異文化の壁大鉄工業などの日本の大手・下請け企業が現地へ乗り込み、経験の浅い現地の工員たちと言葉や文化の壁を乗り越えながら、日本の高い軌道建設技術を伝授・一体化させました。
国鉄清算事業団(現JRTT)の支援調査段階の1988年から、軌道や電気系統の長期専門家を多数派遣し、総合試験まで一貫した技術支援が行われました。
🚄 台湾高速鉄道の基本情報と現在の動き
項目内容
開業年2007年1月
最高速度時速300km
主要区間台北(南港駅)〜 高雄(左営駅)

最新の延伸計画現在の終着駅である南港から、北東部の宜蘭(ぎらん)への延伸計画が2026年7月に台湾行政院で正式承認されました(2029年着工、2036年開業を目指す)。

台湾 新幹線 なぜ 日本
台湾の高速鉄道(台湾新幹線)に日本の新幹線技術が採用された理由は、主に「地震への安全性」と「政治的な決断(逆転劇)」の2つが大きく関係しています。
実は、最初から日本が選ばれていたわけではなく、一度はドイツ・フランスの欧州連合に決まりかけた歴史があります。日本の技術が選ばれた3つの主な理由
1. 台湾大地震による「安全性(耐震性)」の見直し

2. 当時の李登輝総統による政治的決断
当時の台湾のトップであった李登輝(りとうき)総統が、親日家であったことも大きく影響しています。李登輝氏は、地震の危険性や将来的な日本との緊密な経済・政治的関係を考慮し、日本連合(JR東海や三菱重工など)の技術を導入する方針を強く後押ししました。
3. 欧州陣営のトラブル
当初優勢だったドイツの高速鉄道(ICE)で、1998年に大規模な脱線事故(エシェデ鉄道事故)が発生し、安全性への信頼が揺らいだことも日本への逆転採用を後押しする形となりました。
💡 複雑な「日欧ハイブリッド」の誕生
日本が逆転勝利したものの、すでにレールや一部のインフラ設計は欧州仕様で進んでいました。そのため、台湾新幹線は「車両や運行システムは日本(新幹線700系ベースの700T型)」でありながら、「線路や一部の設備、思想は欧州式」という、世界でも珍しい日欧混在のシステムとして2007年に開業することになりました。

李登輝
李登輝(り とうき、1923年1月15日 - 2020年7月30日)は、台湾(中華民国)の政治家であり、第4代中華民国総統(在任:1988年 - 2000年)を務めた人物です。台湾で初めての総統直接選挙を実現するなど、独裁体制から民主主義への移行を平和的に成し遂げたことから、「台湾民主化の父」や「哲人王」と称されています。
主な功績と経歴
台湾の民主化(静かなる革命)
蔣経国総統の急逝にともない副総統から総統に昇格し、台湾出身者(本省人)として初めて総統に就任しました。万年国会(解散のない議会)の廃止や憲法改正を進め、1996年には台湾史上初となる総統の直接選挙を実施・当選し、台湾の本土化と民主化を決定づけました。
農業経済学者としての顔
政治家であると同時に優れた学者でもあり、京都帝国大学(現・京都大学)農学部に学び、後にアメリカのコーネル大学で農業経済学の博士号を取得しています。
深い親日性と日本との絆
日本統治時代に育ち、「22歳までは日本人だった」と公言するほどの深い知日・親日家でした。新渡戸稲造の著書『武士道』に強い影響を受け、日本の精神文化を高く評価し、退任後も度々来日して日本の政治家や文化人と交流を結びました。2020年7月30日、多臓器不全のため台北市内の病院にて97歳で逝去しました。彼の遺した民主化への歩みと日台の友好関係は、現在の台湾の基礎として今も深く根づいています。





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Last updated  2026.08.31 01:12:54


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