素盞嗚(スサノオ)の日本古代史

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Jan 18, 2005
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テーマ: 日本の歴史(1093)
カテゴリ: 古代史レポート
今朝の目覚しはジョニーウィンター。

朝一番のややっこしい打ち合せもテキパキこなせました。
明日はエドガーウィターでも聴きたいと思ってます。

さて古代史の話しです。
どうも昔の日本には大和朝廷以外にもうひとつ王朝のあったのではないか、旧唐書と隋書を見るとそう感じます。
もう一つの中国の正史、「宋書」で検証してみましょう。

宋書に出てくる倭国の紹介には、有名な倭の五王があります。
讃・珍・済・興・武と呼ばれた倭国の王が、西暦421年から478年まで、当時の中国との外交を記録したものです。


「自分たちは国家統一するために、周囲の野蛮人をやっつけてきました。そして周りをだいたい平定しました。だから親分である中国から将軍の称号をください。という倭国の要望に対して、それぞれ将軍の称号を与えた」
ざっとこんな内容が書かれています。

それに対して日本の文献である日本書紀ではこの五世紀、どのように書かれているのでしょうか。

日本書紀の五世紀の記事で、讃・珍・済・興・武となどと呼ばれた天皇はいません。
この時代は仁徳天皇や雄略天皇などのことが書かれています。
名前が違うばかりか、その説話にもほとんど共通点はありません。

宋書を読む限りでは、当時の倭王は外に向って戦いに明け暮れていたイメージえすが、日本書紀にある天皇の説話は、内政に力を入れたり、王家内の内紛を書いています。

何の先入観のなく、五世紀のことを書いた宋書と日本書紀を読み比べてみると、まったく別のことが書かれていると感じるはずです。

その文献的事実を定説ではどのように解釈しているのでしょうか。
実は、上記の件についてはまったく言及していません!
(私が知っている限りでは)


研究者がこのことに対して語っていることは、
讃・珍・済・興・武がどの天皇に当てはまるか、
この議論だけです。
しかもこの当てはめ方が実に悲しい・・・
およそ学問とは言いがたい方法なんです。


(事務所にいるのになぜか酔っぱらいです)
明日はまた朝から二本立ての会議。
そろそろ帰らないと。

続きは次回、学者の悲しい方法論を紹介します。
レイナード・スキナードのフリーバードを聴きながら、
SEE YOU NEXT TIME







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Last updated  Jan 18, 2005 10:00:14 PM
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