2~3歳

40
2歳から3歳のようくん

総合病院に検査をしに行く。
結果は脳・脳波(てんかん)・耳すべて異常なしと出た。

検査の際には眠り薬なんか飲まされて
(もちろん飲めないので無理矢理、口にスポイドを入れられた。)
ほんとにかわいそうなことをした。

取りあえず、その病院内の言語教室に通うことを薦められ従う。
車で50分程掛け1ヶ月に1度通う。

この時期から私は2人目の不妊治療を始めた。

その教室で私の話すようの様子と
いろいろな玩具・カードなどを使った診断方法で
1年から1年半の遅れと言われる。

その後も通ったが何の変化もなくすっきりしないでいると
言語教室の先生はそんな私に気づいたようで
「そんなに心配なら紹介状書きますので
障害者コロニーの中の児童精神科へ行きますか?」
と切り出した。

私はすっきりしたいという、今思えば軽い気持ちで行くことにした。

予約をして6ヶ月後そこでO医師に自閉症と診断される。

私の問診と助手の先生とようの遊ぶ様子で診断。
たった30分という短い時間での診断だった。

大まかな診断理由

*目が合わない
*言葉が遅い
*こだわり(食のこだわりが強かった)
*コミュニケーションが苦手
*興味範囲が狭い
*クレーン現象

自閉症と言う障害について無知だった私は頭真っ白・・。

先生が一生懸命話してくださることを聞かなくてはと
必死に平静を装っていたが目からは涙が流れ続けていた。

その話の内容も私にとっては過酷な物だった。

「これから先まず幼稚園は無理。
 まずは親子のコミュニケーションから始めて下さい。」

「小学校も普通級は無理でしょう。」

「冗談も理解できません。」

「自立は難しい。」等々。

その後も医療費の免除の手続き・障害者手帳の交付の話までしてくれた・・。
嘘のようなほんとの話です。

診断室から出てようの手を握りしめて号泣したことは一生忘れない。

その前日に下の娘の妊娠を診断され大喜びしたばかり。
まさに天国から地獄・・。

病院から家までどうやって車で2時間走ったか覚えていないくらいのでした。
流産しなくてよかったよ。
その後もお腹の中にいた娘には本当に救われた。

次の日から自閉症に関しての資料集めに奔走した。
図書館には古い物か洋書しかなかったため全く参考にならなかった。
結局購入した。

NHK・教育テレビ・民放で”自閉症”とタイトルにあればすべて録画した。

一度見落としたテレビ東京の番組などはテレビ局に再放送の予定まで確認。
(予定がないと言われら落胆しているとなんと
その録画テープを送って下さった。
横浜の中学校が舞台で阿部君が主人公のドキュメント。
ご覧になった方もいらっしゃるかも・・。)

どんなに頑張ってもはっきり”自閉症”という障害が理解できずにいた。

それは本を読んでいるとように当てはまることと
そうでないことがあった。

そして信じたくないと言う気持ちがそう思わせたのか
こんな大変な障害を一つの病院に任せてしまっていい物か・・と。

その後気持ちが収まらず結局某大学病院へ行く。
ところがそこにはO医師が出向いていた。
何とも恥ずかしいような気持ちになったことを覚えている。

結局O医師には当たらなかったが担当医師は
”O医師が診断したならそうでしょう”
と全く検査をしてくれなかった。

私も執念深く今度は自閉症協会の発行する新聞にコメントを載せていた
I先生のクリニックヘ行くことにする。

自閉症専門の神経科の小さな(ごめんなさい。)個人病院。
そしてそこで引っ越しをするまでお世話になる事になった。

そこでのようの診断は軽度の自閉的傾向・発達性言語障害とのことでした。

I先生はO医師のことをよくご存じで言葉が足りないと批判されていた。
II先生はとても穏やかで優しく私の疑問・不安などすべて
取り除いてくださった。
素晴らしい先生でした。
ようも大好きでした。



車をずっと並べて遊ぶ。
並べた車を寝そべって見ている。

トムとジェリーのビデオがお気に入り。
終わるとパニックになり何度も巻き戻して見ていた。

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