アオイネイロ

不思議の国と闇の支配者 参




~♪

「こ、のぉぉ!! コイツがここまでお前に従順だったとはなっ! だがどうする? 少女の身体はもうすぐで完全に私のモノとなるのだぞっ!?」
女王様が目を血走らせてそう叫ぶ。
瞳は血のように赤く染まり、体は黒く変色し始め、それはもはや人と呼べる存在では無かった。
「そう、私達は戻れませんが。あるいは、アリスぐらいは・・・」
疾風がそう言った時、地面から小さな草が生えてきた。
それはしゅるしゅると伸びて行き、疾風の頭くらいの大きさの蕾をつける。
「では、アリス・・・。いえ、我が主。気をつけて」
クスッと笑みを零して疾風がそう言った瞬間、蕾が強烈な光と共に爆発した。
辺りが靄に包まれて、それが晴れた時にはそこには疾風・沙ゞ・時歌の三人だけしかいなかった。

「他のみんなは帰れたんだね。・・・良かった」
「おや、お嬢さん。貴女は諦めるのですか? 大切なものを失う事になるというのに」

沙ゞの明らかに安堵したような声に、疾風が眉を上げてそう尋ねる。
沙ゞは落ち着いた表情でゆるゆると首を横に振った。
 諦めるように、自分に言い聞かせるように・・・。
「だって、もう無理だよ。後は、私が消滅して時歌を助ける」
沙ゞが、疾風の瞳を見据えてきっぱりとそう宣言した。
「・・・・・消滅とは、死とは必ずしも守る為とイコールではありませんよ。『死』とは逃げることでもあるのですからね。第一、残された者がそれで喜ぶとでもお思いで? 貴女には、貴女を想ってくれる方がいるでしょう」
疾風が、沙ゞに対してちょっぴり不満げな顔をしながらそう説いた。

「でも、だからってどうすればいいの? 私1人が死ぬことで時歌を助けられるなら私は・・・」
「沙ゞっ! 一緒に帰ろう? 大丈夫だよ。望みはまだ絶たれてないから、ね♪」

今まで黙ってそのやりとりを聞いていた時歌が、沙ゞにぎゅうっと抱きついて笑顔でそう言った。
しかし沙ゞはただただ困惑するばかりである。

「望みは絶たれてないって・・・。でも、さ。やっぱり私はそうやって頑張って助からないよりも、もう無理なんてしなくていいから。傷付かなくていいからみんなに助かって欲しいなぁって」
「な~に言ってんの沙ゞ。生きてるから足掻くんじゃん! だってまだ生きてる。私も沙ゞも、まだ消滅えてはいないんだよ。だからこそ、必死になって生きなくちゃいけないんだよ!」

ニヤッと笑ってそう言った時歌が、沙ゞの肩にぽんと手を置いた。
疾風も後ろで薄く微笑む。
まだ、可能性がある・・・。
「時歌・・・。そう、だね。私はまだ蜻羅を1人にすることなんて出来ないよ! だから、だから疾風も絶対生きて、帰ろうね」
沙ゞの瞳に、微かに希望の光が宿った。
「ええ、分かりました。では早く行って下さい。大丈夫、道標が無くとも貴女なら行けます。そう、記憶の海を辿って辿って・・・泳げなくとも辿り着けますから」
疾風はそう言うと、女王様へと剣を向けた。
沙ゞの後ろにいた時歌が、その手を掴んで走り出す。

「行くよ沙ゞ! 大丈夫、道なら行けば沙ゞなら作れるから☆」
「え、作れるって!? ま、待って時歌!」

笑顔でそう言う時歌に、沙ゞが困ったように留めようとするが時歌は聞いちゃあいない。
「ハハッ、まあ・・・頑張って下さい」
後ろから疾風のそんな声が聞こえたと思ったら、沙ゞの視界がぐにゃりと歪んだ。

「え・・・? 疾風に沙ゞに時歌は!?」
いつの間にか古びた屋敷に戻ってきた皆が、キョロキョロと辺りを見渡す。

「いない。ど、どうしようっ!?」
「落ち着けって、ウチ等が無駄に焦ったってしょうがないだろ! あの三人を信じて、ウチ等も出来る限りの事をしよう!」

焦る苺夢に、葵が一括するとそう言った。
「う、うん。そうだね・・・・でも、どうすれば」
苺夢の言葉に、籟琉・蜻羅・るか・凜が歩き出す。

「みんな着いて来て。まだ私達の配役の役目は、終わってないよ」
「そうですね。主達の為にも、私達が出来る限りの助力をしなくてななりませんね」

籟琉の言葉に、蜻羅が微笑んで頷く。

「絶対みんなでまた旅をするんだからね。その為に早く沙ゞ達を迎えに行こう」
「はい、また皆さんで色々なところへと行きましょう?」

るかも凜も、そう言って微笑った。
「よしっ! みんなで脱出だな!!」
葵が拳を上げてそう言う。
まだ、どこまでも行ける気がした。

~♪

沙ゞと時歌の二人が去ってから、疾風は女王様と睨み合っていた。
と言っても、女王様が一方的に疾風に敵意の眼差しを向けているだけで、疾風の方はそれを涼しい顔で受け流している。
「お前の大切な仲間の身体は、もう直ぐ私の物となるのだぞ?悠長だが良いのか?そして、貴様の記憶も私の手にある!」
「やはり女王様が持っていましたか・・・。私が貴女を殺しても、意味は無さそうですね」
勝ち誇って言う女王様に、疾風は渋い顔をしてそう言った。
「そう、私の本体は此処には無い。早く行かないとあの二人の少女が危ないのでは無いか?」
女王様が、含んだような笑みを湛えてそう言う。


第八章 闇に飲まれた少女達

「此処は・・・?」
「暗い、暗い場所。灯りが無いとなぁんにも見えないね」

たどりついた場所はしかし、どこもかしこも真っ暗だった。
沙ゞの呟く声に応じて時歌の声が聞こえ、そのまま手をぎゅっと握られた。
すぐ近くにいる時歌の顔さえも見えない。
「灯り、かぁ・・・。ウチ等灯り担当では無いからなぁ」
時歌の言葉に沙ゞが考え込んでいると、不意に何処からか誰かの声がした。
不思議に思って、時歌の手を引きながら声がした方へと歩き出す。
「・・・ざ、・・・す・・て。こ・・あけ・・。た・・・て」
段々とその声がはっきりしてきた時、その声の主が分かった。
いつも聞いている、その声。

「苺夢?」
「沙ゞ、どうかしたの?」

ぽつり、その名を呟くと隣から時歌の不思議そうな声が返ってくる。

「え、声がしない?」
「声・・・?しない、かなぁ~~」

沙ゞのそんな問いかけに、時歌が暗闇の中で首を傾げてそう答えたのが分かった。

「いさざ・・・すけて・・・!」
「苺夢!?どこー?」

苺夢の声を頼りに、沙ゞが走り出す。
直ぐ近くにいそうなのに、見えない。
「苺夢、ウチはここにいるよ?どこにいんのさーー!」
叫んで手を伸ばした瞬間、その手をがしっと誰かに掴まれた。勿論時歌では無い。時歌とはもう片方の手を繋いでいる。

「イサザ・・・おィテかナイで・・・ココにズットいテ・・・」
「――っ!!?」

苺夢の声が、ドロリと崩れるようにして別のモノへと変わった。
沙ゞの手を掴んでいる手は細く、骨と皮しか無い。
「やっ・・・離して!!」
叫んだ瞬間、その手は幻だったかのように消え去った。
「沙ゞ、精神で負けないで・・・・。魂に直接攻撃する事はできないから、心を追い込もうとするんだよ」
沙ゞの手をぎゅうっと握って、時歌がそう説明する。
「ごめん時歌。ありがと・・・・じゃあ、行こうか?」
そう言って歩き出した時、今の今まで握っていた時歌の手がするりと抜けて離れた。

「時歌?どうしたのさ」
「消え、身体が・・・。無くな・・・。ゃだっ!
まだ、今消えたら・・・!」

沙ゞが振り返って尋ねると、時歌が殆ど叫ぶようにそう言う。

「ちょ、時歌!? 落ち着いて! 大丈夫だから」
「人形が、沢山・・・。鎖に縛られて。魂が、沙ゞ・・が危ない・・・。白ウサギの心が、砕ける前にっ!」

沙ゞが必死に声をかけると、時歌がばっと顔を上げたのが気配で分かった。

「時歌?どうし・・・」
「はや、く! 鏡の内に!!」

沙ゞが再度声をかけようとした時、時歌が焦ったようにそう叫ぶ。その時、周りの空間はピシピシというヒビでも入るような音をたてた。

「え・・?」
「沙ゞ、危ないよっ!」

呆然としている沙ゞの手を、時歌が強く引くと駆け出す。
瞬間、今まで沙ゞがいた場所に黒い獣の影が噛み付いたのが分かった。その黒い獣の影が、沙ゞ達の周りでじわじわと増えていくのが嫌でも分かる。

「沙ゞ、逃げるよ!」
「えっ? でもこんな暗い場所でどこに・・・」

ぐいぐいと沙ゞの手を引く時歌にそう尋ねる。

「鏡を、黒い鏡をイメージして! 沙ゞが道を作って!!」
「黒い、鏡・・・?」

時歌の言葉に、沙ゞが頭の中に鏡を思い描く。
その時、目の前に沙ゞが想像したモノと全く同じ形の鏡が現れた。
そのまま時歌と沙ゞは、その鏡の中へと飲み込まれていく・・・。
少し遅れて、闇に紛れた黒い獣の影も、闇の中へと飛び込んだ。

                                †

「ね、どこ行くの?」
「鏡は媒介。だから最初に通った場所意外にある鏡を探すの。今ちーちゃんが探ってるから」

苺夢の問いかけに、るかがそう答える。
「あった・・・!」
千歳が、琥珀色の双眸をぱっちりと開くと走り出した。
皆が慌ててそれに続いて走り出す。

「鏡を媒介って言ったって、普通にあっちのセカイまで行けるのか!?」
「それは分からないケド、あるいは千歳なら開けられるかも知れない」

葵の言葉に、紅亜がいつに無く真剣な表情でそう返した。その時、目の前に突如として巨大な鏡が現れた。
蜻羅が、一瞬躊躇したもののその鏡に触れる。
しかし鏡はぴくりともせずに、壁のようにそこに立ちはだかっている。
「・・・ちがう、これじゃないの。あっちに行くかがみは、黒いから・・」
千歳がその鏡を見上げて、そう呟く。

「黒い? その鏡はどこに?」
「このかがみの、奥に・・・あるよ」

天音の問いかけに、千歳が鏡におでこをくっつけて瞳を閉じると、そう答えた。

「これ、壊すか?」
「どうやって壊す気だよ御主人は」

葵の言葉に、紅亜が嘆息すると尋ねてくる。

「え、普通に壊せないの?」
「無理だと思うよ」

苺夢の問いかけに、天音がそう答えた。
それに応じて、るかが音も無くハンマーをその手に出現させると、目の前の鏡に向かって思いっきり振り下ろした。
鏡は、ヒビが入ったかと思うと瞬く間に元へと戻る。

「うそ、どうしたらいいの?」
「こんな反則気味の鏡どうやって壊すんだよ!」

気ばかりが焦って、葵が鏡を拳で思いっきり叩いた。
鏡は静かにそこに佇んでいる。

「破壊する。選ばれた者のみが鏡を壊す事が許されましょう」
「この場合は破壊者、だね」

蜻羅の言葉に、籟琉がそう言って腕を組んだ。

「破壊者が誰だか分からないとダメじゃん! 僕か葵なんでしょ?」
「え? 確かコノカちゃんがアオイちゃんは傍観者だと言ってませんでした
か?」

天音の言葉に、凜がきょとんとしてそう言う。
そう、葵が鏡に拒まれた時に時歌は確かに葵に向かって「君は、多分傍観者』だと言っていた。

「ってことは・・・」
「半、強制的に破壊者は天音ちゃんだよね」

苺夢の言葉を引き継いで、るかがきっぱりとそう言いきった。
天音が、無言で空中に手をかざして杖を出現させる。
そしてそれをトン・・・と地面につけてから、勢いをつけて杖で鏡を打っ叩いた。
ピシピシと鏡に亀裂が入り、次の瞬間にはそれが粉々に砕け散る。
そして鏡が砕けた先には、先程砕け散ったのと同じ大きさの、黒い鏡が壁のように佇んでいた・・・。

                                †

疾風を睨みつけていた女王様が、口中で何事かを呟いた。
瞬間、疾風の体から力が抜け、そのままガグンと床に倒れこんだ。

「な・・・?」
「お忘れで?白ウサギ。此のセカイは私のもの。私の思い通りにならないモノ
等、何ひとつ無いのだわ」

驚愕の表情で目を見開く疾風に、女王様がゆっくりと歩み寄りながら静かにそう言う。

「記憶を失くした玩具等、容易く操れるわよ」
「な、ぁぐ・・・っ!!」

女王様の言葉と共に、疾風の顔が苦痛に歪んだ。
女王様が必死で唇を噛む疾風の傍にしゃがみ込むと、その顎を掴んで自分の方へと向ける。
そんな女王様を、疾風がきっと睨んだ。

「ふふ・・・。アナタは私の可愛い可愛い玩具でしか無いわ。
あの子達と同じように、お人形にして差し上げましょうか?」
「あの少女達を、あまり見くびらない方が良いですよ。女王様」

女王様の言葉に、疾風がニヤリと笑ってそう言った。その瞬間、疾風の体に激痛が走った。

「ぐっ・・・あぁぁっ!!」
「あまり、私を怒らせない方が良いのではないかしら?」

あまりの痛みに、思わず叫んで体を強張らせる疾風に向かって、女王様が口を歪めて笑うとそう言う。
疾風はもう何も喋らず、そんな余裕も無いのか微かに開いた口からは音など発せられない。そして唯、前髪のかかって伺えない表情の中、肩で息をしていた。
「あら、もう動けないかしら?大丈夫、まだ壊しはしないわよ」
微かに痙攣さえしている疾風を、うっすらと笑みを浮かべて見つめながらそう言う女王様。
「あ、るじ・・・・」
前髪がさら・・・と流れて伺えるようになったぼんやりとした瞳で、疾風が虚空を見つめながら掠れた声でそう呟いた。
「まだ抗いもがくのかしら? アリスの少女はもうこのセカイにはいないというのに、可愛いのねぇ」
クスクスと邪悪な笑いを漏らし、女王様は疾風の前髪を梳きながら静かにそう言った。疾風はぐったりとしてそれに抗う事さえしない。否、できないのだ。

「アリスの少女は、白ウサギ。アナタを助けに来るのかしらねぇ?
もうすぐ時間がやって来るわ、そうしたらアナタは閉じ込められて、もう出られないわ」
「・・・、っ・・・」

女王様のそんな言葉に反応して、疾風がのろのろと瞳だけ動かして女王様を見つめた。唇が微かに動くが、それは声になる事無く消えてゆく。
「さあ、舞台の幕がもうすぐ閉じる。アリスの少女も、あの邪魔な者達も、白ウサギを盾にされてどう攻撃をするのかしらねぇ?」
疾風の前髪を梳いていた女王様が、その手を止めて空を仰ぐとそう呟いた。
たおやかな風が微かに吹いて、そこに低い鐘の音がひとつ、響き渡った。

                               †

沙ゞと時歌が鏡の中に入って、そこから別の空間へと飛び出した。
「ここは?」
そこは二つの扉がある、白い広い部屋だった。

「扉を開けて、中の記憶を・・・」
「記憶って、この中に? でも、私の記憶は戻ってるのに何で扉がふたつもあるのさ?」

時歌の言葉に沙ゞがそう尋ねるが、時歌も分からないらしく小首を傾げる。

「で、どっちに入ればいいのかね」
「う~ん。どうだろうね? 沙ゞ、お好きな方にどうぞぉ♪」

沙ゞの言葉に、時歌が扉を手で示してにっこりとそう言った。
「え、じゃあ・・・右」
突然言われたその言葉に若干戸惑いつつも右の扉を指差した沙ゞに、時歌は軽く頷くと左の扉へと向かった。

「じゃあ沙ゞ、時が満つる前に扉の外へ」
「うん。時歌も頑張ってね」

時歌の言葉に、沙ゞもそう答えて右の扉へと向かう。
二つの扉がぱたんと音をたてて閉まった時、空中から音も無く無く葵達が現れた。
次の瞬間、葵達が出てきた場所の隣の空間が歪むと、そこから真っ黒な狼のような獣達が次々に現れて来た。

「え?」
「ちょ、ご主人! 危ないよっ!」

それを見て呆然とする苺夢を強く押すと、天音がそう叫ぶ。今まで苺夢が立っていた場所に、獣達が喰らいついた。
「いきなり何なんだよっ!?」
剣を持ってその獣達に応戦しながら葵がそう叫ぶ。しかしその獣達は、斬っても堪える様子も無くすぐに襲い掛かってくる。
その中で唯一効くのが、蜻羅の作り出したツルギのみだ。
流石に蜻羅一人でこんな大量の敵を排除する事は出来ない。皆の顔に、焦りと疲れの表情が目立ってきた。

「・・・仕方無いですね。皆さん、私の後ろの壁になるべくくっ付いていて下さいませんか?」
「は?何言って・・・」

蜻羅の言葉に、葵が額から溢れ出る汗を拭いながら不可解そうな顔をする。

「説明は後でいいですから早く。紅亜もですよ」
「ん、分かった」

蜻羅の言葉に、前で戦っていた紅亜がトン・・と後ろに跳んだ。皆が自分の後ろに行ったのを確認すると、蜻羅がすっと目を細める。
獣達の標的が、一番近くにいる蜻羅へと向かう。
「――開放状態・舞扇。昇華、夢からの目覚め!」
蜻羅の声と共に、蜻羅の手の中にあったツルギが消え、変わりにひとつの美しい舞扇が現れた。
「武の舞、平調・管絃舞楽の曲――倍櫨破陣楽・青海波・・・」
呪文詠唱と共に、蜻羅が舞扇をすっと前に出す。
瞬間、どこから現れたのか、無数の蝶達が蜻羅の周りに集まり飛び交い始めた。
そんな中で、蜻羅がゆっくりと舞い始める。蝶達がひらひらとその周りに集まり、色鮮やかな羽をはばたかせて飛んでいる。
その光景は美しく幻想的で、そして綺麗で儚かった。
蜻羅は、その場から消えてしまうのでは無いかと思うくらいに哀しく切なく、綺麗に舞い踊る。それは攻撃と呼べる荒々しさは無く、ただただ儚く美しくあった。

「これは・・・?」
「青海波と言う、舞の中で一番美しいと呼ばれる舞ですよ。これを本当に美しく舞える方など、殆ど居ないと言われてますね」

感嘆の声を漏らしながら呟く苺夢に、凜が小さな声でそう説明する。
蜻羅は静かに舞い続ける。舞扇が揺れるたびに、蝶がひらひらと現れて蜻羅の傍に寄り添うようにひっそりとはばたいた。
「・・・目覚めの時がやって来た。夢から目覚める無情の世界が、その目の前に・・」
蜻羅の菫色の双眸が長い銀のまつげの中から垣間見えて、冷たい瞳が獣達へと注がれる。
「さあ、目覚めなさい。そしてもう一度永久の眠りへと誘(いざな)って差し上げましょう」
クスッと小さな笑いを零して、蜻羅がそう言うと舞扇を獣達へと向けた。
「この様な闇の魔力の非ではありませんよ。さあ、彼等を亡き者に・・・。行きなさい、近之重蝶達」
蜻羅のその言葉と共に、周りに飛んでいた蝶達が一斉にその獣の元へと飛んで行く。
鮮やかな蝶達の羽から、鮮やかで美しく輝く鱗粉が落ちて獣達へと降り注いだ。
瞬間、獣達が淡い光に包まれて、その黒い姿がゆっくりと透明に変わってゆく。

「この術は?」
「敵を具現化しましたので、これで皆さんの攻撃が通じます。まあ、その必要も御座いませんが、ね・・・」

天音の問いかけにそう答えた蜻羅は、小さく微笑っていた。ハズなのだが天音には何故だかその背中に竜がいたように見えた。
ごしごしと目を擦ってみるが、そんなものは見えない。
変わりに、蜻羅の後ろでズタズタに引き裂かれて倒れる獣達の姿が見えた。

「え?」
「近之重蝶の鱗粉ですよ。触れた物体の皮膚を裂き、細胞を壊す技です。驚きましたか?」

唖然としている皆に、蜻羅は素晴らしく美しい極上の微笑みをその顔に浮かべて、そう説明する。

「いや、驚いたっていうか」
「さあ、早く先に進みましょう」

微妙に顔を引き攣らせている皆にそっと微笑みかけると、蜻羅はそう言って皆から視線を外し後ろに立ち並ぶ二つの扉を見た。
その手足が微かに震えていて、皆から伺えなくなった蜻羅の表情は苦痛に歪んでいた。
千歳が、そんな蜻羅の背中を心配気な表情でじっと見つめていたが、何も言わずにただ俯いた・・・。

                               †

沙ゞが右の扉に入って中を見た。そこは真っ黒な空間で、上も下も右も左も無い奇妙な場所だった。
自分が立っている場所さえ、存在するのか疑わしくなるような場所。
少し進むと、その空間の真ん中に一人の少女がいるのが見えた。
「私・・・?」
その少女は確かに沙ゞだった。
同じ姿、同じ顔、その少女が不適な笑みを浮かべて立っている。
「遅かったね」
少女が、口を開く。
「折角白ウサギが助けてくれたのに。自身を犠牲にしてまで助けてくれたのに・・・。もう、間に合わないんじゃない?」
沙ゞと同じ顔をした少女は、あははっと声をたてて笑うと沙ゞへと近寄ってきた。

「な、に言ってんのさ。疾風はそんなに弱くないよ」
「へぇ、そう思う? 記憶無いのに頑張ってはいたけど、そろそろ限界じゃないかね。一緒に来たあの少女も」

沙ゞの言葉に、そっくりな顔を近づけてそう言うと、少女は何も無い空間を叩いた。
黒かった場所が急に透明化して、そこに疾風の姿が映し出される。
全身傷だらけで、ぐったりと床に倒れている疾風の瞳は閉じられ、呼吸さえ心許ないのが遠目でも分かった。
呆然と目を見開きそれを見つめる沙ゞを、隣に立ってクスクスと笑いを漏らしながら見つめる少女。

「ほら、ね? この白ウサギ、もう死んじゃうんじゃない?」
「な・・・っ!」

その言葉に、沙ゞが怒りを露にして少女の方を振り返った。
しかし沙ゞが見たのは、冷たい瞳で沙ゞの事を見つめる少女の姿だった。
自分と同じ顔なのに、何もかもが違う、恐怖され感じる少女の瞳。
「白ウサギだけじゃないよ・・・ほら」
少女の言葉と共に、今まで疾風の事を映し出していた透明な空間が崩れ去り、新たなものが映し出された。
そこには、薔薇の荊で身体を縛られて固く目を閉ざしている時歌の姿がある。
「彼女、折角記憶を取り戻したのに・・・残念だったね。時間切れだよ」
少女が淡々とそう話すが、それはもう沙ゞの耳に届いてなどいなかった。

「時歌は、どうなったの?」
「記憶を取り戻したのに、魂が喰われたんだよ。もうじきに侵喰も完全に終わる。
間に合わなかった哀れな少女。アナタもいずれは・・・」

沙ゞが掠れた声で尋ねると、少女は沙ゞの目の前に来てそう言った。
そして、先程までとは違う幾分か柔らかい笑みをその顔に浮かべて、沙ゞの胸に手を当てる。
「白ウサギの記憶もキミに託すよ。さあ、もう時が満ちるから」
少女がそう言うと共に、その場からすうっと掻き消えた。
その時、空に響き渡るようにして鐘の音が響き渡る。
「あと鐘ひとつ。それまでに辿り着けるかね?」
その言葉と共に、少女の気配が完全に消えてなくなった。
その時、沙ゞが入ってきた扉がばあぁぁんっ!!と物凄い音をたてて開いた。
「ー―っ!!?」
声も出ずに扉を振り返る沙ゞの目に、葵達が驚いた表情でこちらを見ているのが見えた。

「何だ、沙ゞか・・・びっくりした。ま、無事そうでよかったよ。時歌と疾風は?」
「・・・・」

籟琉の問いかけに、沙ゞは黙ったまま俯いた。
辺りに沈黙が流れる。

「主?」
「ごめん、私のせいだ」

蜻羅の問いかけに、沙ゞが俯いたままぽつりとそう言う。

「え、まさか・・・」
「まだ、もしかしたら助かるかも・・・しれない」

るかが呆然とした声で呟くのに対してそう答えると、沙ゞはくるっと身を翻して走り出した。
そう、沙ゞはまだこの部屋の外には出ていない。絶対に生きて帰ると誓った。
まだ、望みはあると・・・助けられると信じたかった。
 そう考えながら、沙ゞは入ってきた方向とは逆にあった扉へと飛び込んだ。
「ちょ、沙ゞ!?」
それに驚きながらも、葵達は慌ててその後を追って扉へと駆けて行く。
扉を抜けて皆が見たのは、ファンシーな人形やぬいぐるみ達が床を埋め尽くさんばかりにあふれ、転がっている光景だった。
その奥に、人形達に囲まれた。薔薇の蔦が絡みついた大きな鳥篭が置いてあるのが見える。
その鳥篭の中に、薔薇の蔦に縛られるようにして眠っている時歌と沙ゞの姿があった。
「マスター!?」
千歳がそれを見て、慌てて鳥篭へと駆け寄る。
「これは、私達の身体?」
沙ゞがそう呟いて鳥篭へと近付いた時だった。
時歌が微かに身じろぎして、ゆっくりと瞳を開く。

「時歌!?」
「やっほ・・・遅かったじゃん、沙ゞ」

沙ゞが驚いて声をかけると、時歌は薄ら笑いを浮かべてそう言った。

「ばっか、時歌が早いんだよ」
「そうだっけ? そっかぁ。ハハ・・・」

沙ゞの言葉に、時歌が小さく笑いを漏らす。
しかし大分目線が空を彷徨っていてぼんやりとしている。意識も心許ないようだった。
「時歌、大丈夫?今この籠あけるからね」
苺夢がそう言って鳥篭の扉に手をかける。が、その鳥篭の扉は押しても引いてもびくともしない。
「どうしよう。開かないよ!?」
焦ったようにそう言って、扉をガシャガシャと揺らす苺夢。
それを籠の中でぼんやりと見つめていた時歌が、小さく口を開いた。

「開けられないなら先に、白ウサギを助けてあげて・・・」
「くっそ、こんなもん!!」

時歌の言葉に、葵がイラついた声を出して髪留めを武器に変えると、鳥篭に向かって思いっきり振り下ろした。
鳥籠は金属がぶつかり合う高い音を立てただけでびくともしない。
「っち・・・。開けられないの?」
それを見ていた籟琉が軽い舌打ちと共にそう尋ねるが、葵は軽く首を横に振って否定を表すと剣を髪留めへと戻した。
「何とかして開けられないのかな」
るかが呟いてその鳥篭に触れるが、扉は頑として開こうとはしない。
その時、今までじっと鳥籠を見つめていた千歳が、両手で包み込むようにして錠前を握った。
「あける、ね・・・?」
千歳の言葉と共に、その手の中でカチリと音がした。
次に千歳が両手を開いた時には、今までびくともしなかったその鍵が外れて、扉が軋んだ音をたてて開いた。
「沙ゞ、自分の身体に触れて。気をつけて、ね?」
時歌がゆっくりと身を起こしながらそう言う。
沙ゞが、その言葉に従って眠っているように動かない自分の身体にそっと触れた。
瞬間、光が瞬いて自分が逆さにぶら下げられたような感覚になった。激しい眩暈に襲われて、沙ゞは思わず目を閉じる。
その感覚が収まると、沙ゞはゆっくりと瞳を開いて前を見つめた。見ると、沙ゞは鳥篭の中に横たわっていて、それを葵達がじっと見つめている。
「これで後は疾風だけだ。早く行かないと!」
沙ゞがそう言って立ち上がろうとしたが、足に全くと言っていい程に力が入らずそのままぐらりと傾き地面に倒れこんだ。

「主!?」
「だ、いじょぶ・・・ってか、痛くは無いんだけど・・・立てない」

慌てて駆け寄ってくる蜻羅に笑いかけてから、沙ゞは立ち上がろうと足に力を込めながらそう言う。
「身体が蝕まれてて、もう殆ど機能しないんだってさ」
隣に座っていた時歌がそう言いながら鳥篭を掴んで支えにすると立ち上がる。
沙ゞも同じようにして立ち上がったが、二人共足元がおぼつかず、傍から見てて上手く歩けるかどうかさえ不安だった。
それを見ていた紅亜が軽くため息をついて二人の事を担ぎ上げた。

「え!?」
「早く疾風のトコに行くんでしょ? 静かにしててくれる?」

唖然として目を見開く二人に、紅亜はそう言うとさっさと歩き出した。

「それで、肝心の疾風はどこにいるんですかね?」
「鏡は歪んだセカイだから、どこにだって行けるよね」

凜の最もな疑問に、時歌がそう答える。
「だね、私が記憶を持ってるし・・・誘ってくれるんじゃん?紅亜~、あそこの鏡入ってー」
時歌の言葉に同意しながら、沙ゞが目の前にあったぬいぐるみに囲まれている古ぼけた鏡を指差した。
「・・・分かった」
一瞬躊躇はしたものの、紅亜は短くそう返事をするとその鏡に飛び込んだ。
視界が反転して、気持ち悪いぐらいに何かに引っ張られるような感覚に陥る。
そして皆の歪みが無くなったかと思うと、そこはもう先程の大量の人形やぬいぐるみが置かれている部屋ではなくなっていた。
「あら、遅かったのねぇ・・・もう諦めたのかと思ったわ」
皆に向かって、よく通る声がそう言う。
ばっと振り返るとそこには悠然と佇む女王様と、その傍に倒れている疾風の姿があった。
「疾風!?」
籟琉が悲鳴を上げて近寄ろうとするのを、女王様が手で制した。
「あまりおかしな事はしない方が良いんじゃないかしら?
この子が大切なら、ね・・・」
女王様はそう言うとドレスの袖から短刀を取り出し、ほどけてバラバラに散らばった疾風の髪を掴んで引っ張りそれを疾風の喉元へと突きつけた。
「な・・? 疾風!!」
籟琉がぴたりと止まって叫ぶと、疾風が微かに身じろいでうっすらと目を開いた。
「ぁ・・・る、じ?」
掠れた声で呟く疾風の髪をぐいと引いて、女王様が疾風の事を黙らせる。
「紅亜、下ろしていいよ」
沙ゞと時歌が揃ってそう言い、紅亜が二人をそっと地面へ下ろした。

「主、大丈夫ですか?」
「うん。ありがと蜻羅」

心配そうに手を貸す蜻羅に、沙ゞ笑顔を浮かべて頷いてみせる。

「疾風、大丈夫!?」
「っ・・・ああ」

沙ゞの問いかけに、疾風が小さく頷く。

「黙りなさい、白ウサギ」
「はいはい。女王様の仰せのままに」

女王様の言葉に、苦痛の為か若干顔を引き攣らせながらも軽口でそう答える疾風。

「全く、生意気ね」
「ご存知でしたでしょう?」

女王様の言葉に疾風がそう返すと、女王様は掴んでいた疾風の髪を離した。
疾風は支えを失って、そのまま床へと倒れこむ。
「女王、アンタ人の使い魔に良い度胸だね」
籟琉が冷めた瞳で女王様を見つめると、吐き捨てるようにそう言った。
「あら怖いわね。私を攻撃するなら、その大切なあなたの使い魔も共に傷付くのよ?」
つつ・・・と疾風の喉元に指を当てて滑らせながら、女王様が確認させるようにそう言う。
その言葉に、籟琉がぐっと詰まった。
「大切なこの白ウサギを傷つけたくは無いでしょう?
身体を取り戻したその少女達も同じ事。力はもう貰ったわ・・・そして二人の身体には私の力の片鱗がある」
その言葉と共に、女王様は沙ゞと時歌に向かって手を差し出すと指をくいと引いた。
瞬間、二人が何かで引っ張られたかのようにバランスを失って床へ崩れ落ちる。
「な・・・沙ゞ、時歌!?」
籟琉が驚きの声を上げて駆け寄ろうとした時、女王様がさらに見えない糸でも掴んでいるかのように手を自分の方へと引き寄せた。
二人は殆ど引きずられるようにして女王様の元へと行く。
「ほら、これで3人。そうね、皆さんには遊んで貰いましょうか」
唖然としている皆に向かってそう言い放つと、女王様が二人の額に軽く触れた。
すると二人の額に小さな逆十字架(さかさじゅうじか)の印が現れ、立つ事もままならなかったはずの二人が突如として立ち上がった。
「え・・・?」
沙ゞも時歌も、身体が勝手に動くかのように呆然と自分の足を見つめている。
「ちょ、待っ・・・疾風! 手、貸して!!」
沙ゞが焦った様にそう叫んで疾風に手を伸ばした。
疾風は一瞬不可解そうに眉を顰めたが、自らも手を伸ばして沙ゞの手に触れる。
瞬間、沙ゞの胸に淡い光が宿った。その光が、触れた手を通して沙ゞから疾風へと移動する。

「これ、は・・!」
「ふん。今更記憶を取り戻したとて遅い事。
私の玩具である事に変わりは無いわ」

驚いて瞠目する疾風に対し、女王様がそう言って疾風の胸に短刀を突き刺した。
「―――っ!?」
名前を、叫んでいたのだろう。
籟琉が殆ど聞こえない声で何事か叫んでいた。
皆が唖然としてその光景を見つめる中、疾風の体がぐらりと傾いだ。何故だか、その時間がとてつもなく長く感じた・・・。

一陣の風が吹いて、瞬く間にそれが巨大なものへと変化する。嵐よりも強く、激しい風が籟琉の周りを取り巻いた。
籟琉は顔を抑えてその場に立ち尽くしている。
泣いているのかさえ分からない中で風がさらに強くなって、皆は思わずその場にしゃがみ込んだ。
でなければ吹き飛ばされそうな程に、その風は強かった。
「魔力が暴走してるっ!?」
るかが焦ったような声色でそう言って籟琉に駆け寄ろうとするが、風が強すぎて近付く事すら叶わない。
籟琉は小さな声でぶつぶつと何かを呟いていて、皆の声など届いていないようだった。
唯ひたすらに、風が全てを壊すように吹き荒れる。
「ライ! よけてぇっ!!」
沙ゞの切羽詰った様な叫び声が聞こえてそちらを見ると、沙ゞが自分の武器である鋏を手に、籟琉に切りかかっているのが見えた。
「・・・・」
無言で振り返ろうともしない籟琉の周りで空気が渦巻いて、強く弾けた。
沙ゞの体が思いっきり吹き飛ばされて地面に叩きつけられる。

「いっ・・!」
「沙ゞ!?」

痛みに顔を顰める沙ゞに、苺夢が慌てて駆け寄る。その瞬間、沙ゞの鋏が苺夢の顔の真横を通った。
頬がそこに手をあてて、血が出ているのを見ると信じられないものを見るような目で沙ゞの事を見つめる。
「苺夢、早くウチから離れて!」
焦ったようにそう言いながらも、沙ゞは更に苺夢へと鋏を向けた。
鋏の刃が、ジャキっという鋭い音をたてて苺夢を襲う。
「苺夢っ!」
葵が苺夢の名を呼んで慌てて駆け寄ろうとし、瞬時に後ろへと跳んだ。
今まさに葵が行こうとしていた場所に、鎌が突き刺さっている。
「残念、葵・・・私も、みたい」
床に突き刺さった鎌を引き抜いてその切っ先を葵に向けながら、時歌がそう言って引き攣った笑みを浮かべた。その額には、冷や汗が浮いている。
「な! 止める方法は無いの?」
るかが葵の横に立って、誰にとも無く尋ねるようにそう言った。
「分かんない。私等を気絶させるか、あるいは殺すかすれば・・・止まると思う」
葵に切りかかっている時歌が、るかにそう返す。

「そんな・・・」
「うっ、ああぁぁぁぁぁっ!!!」

言葉を失くす皆の耳に、籟琉の悲鳴とも叫び声ともつかない声が聞こえてきて皆は慌ててそちらを振り返った。見れば籟琉が、頭を押さえてその場にしゃがみ込んでいる。
「ふふ・・・あははははっ! 可哀想ねぇ、でも大切な人に殺されるなら、それでもいいんじゃないの?
アリスの少女も、この白ウサギが随分と大切だったようねぇ」
女王様が、倒れている疾風としゃがみ込む籟琉を見比べてさも可笑しそうにそう言って笑った。

「――っこの!!」
「落ち着けよ、御主人。
私等が無意味に焦ったところで事態は悪化するだけだと思うケド・・・?」

激昂する葵の前に、紅亜がすっと手を出して静かにそう言った。
しかしその瞳は怒りに溢れていて、女王様を睨み付ける紅亜からは痛いくらいの殺気が出ていた。
そうでなければ、葵も簡単には静まらなかっただろう。

「でも、どうするの?」
「まずは疾風を助けた方が宜しいでしょう。
まだ命はある筈ですから」

天音の問いかけに、蜻羅が小さな声でそう言った。
しかし、瞳は心配そうに沙ゞの事を見つけている。
「っ、蜻羅ちゃん! 沙ゞは私が止めとくから大丈夫だよ。
傷付けたりしないし、私だって防御なら得意なんだから!」
沙ゞの鋏を銀槍で防いでいた苺夢が、小さく笑顔を作ってそう言った。
それを聞いた蜻羅が、クスリと微笑んで小さく頷く。

「苺夢、随分言うようになったね」
「当たり前だよ。ボクだってみんなを守るんだからっ!」

ギリギリと押し合いながら、沙ゞと苺夢がそう話して互いに不適な笑みを浮かべた。
「ちょ、苺夢ー! お願い、避けてぇぇっ!!」
その時、不意に苺夢の後ろから時歌の叫び声が聞こえた。
「え? あ、わ・・・」
わたわたと焦って後ろを振り返ろうとした苺夢の背中で、金属の擦れ合う高く鋭い音がする。
夢の視界に、微かに金色の髪が見えた。
「コノカちゃんは私が抑えていますので、マユちゃんはイサザちゃんの方に集中して下さい」
夢の耳に、暖かく力強い・・・優しい声が聞こえて来る。

「凜ちゃん、ありがとう」
「いえ、大したことはありませんよ」

夢が小さくお礼を言うと、後ろで凜がにっこりと笑うのが分かって何となく安心した。
それは時歌も同じだったようで、ほっと息をつくのが気配で分かった。
「助け合って庇い会って、何て愚かしいのかしらね。
まあいいわ、どうせすぐにっ・・・!?」
女王様が喋っている途中で、地面に亀裂が走ってピシピシと音をたてた。
それを聞いた女王様が、ぎょっとしたように目を剥く。
「やっぱり、破壊者ならこのセカイのものを壊す事ができるんだね」
絶句する女王様に向かって、るかがそう言った。
その隣で、天音が杖を持って立っている。
「疾風を、返してもらおうか?」
葵と紅亜がほぼ同時に、凄みのある声でそう言った。
「ふ、ふふ・・・いいわっ! 返してあげるわよ、こんなガラクタ!!
もういらないもの」
女王様が口元を歪めて笑うと、倒れている疾風を引きずり起こして葵達へと投げつけた。

「わっ、と・・・疾風、大丈夫?」
「っああ。紅亜、すまなかったな」

ぐったりとなされるがままに倒れてきた疾風を、紅亜が慌てて受け止めて軽く声をかけると、疾風はうっすらと目を開いてそう返す。
その後、紅亜の手を借りて立った疾風は、キョロキョロと辺りを見回し、巨大な風巻き起こしながらしゃがみ込んでいる籟琉に目を止めた。
「ああ、我がやられすぎたからか。
主には悪い事をしたな・・・こんなモノにここまでやられるとは」
女王様に刺された胸を押さえて、疾風はそう呟いた。
そのまま、まだおぼつかない足取りで籟琉の元へと歩き出す疾風。

「は、疾風・・・胸の、傷は?」
「全て幻想に過ぎない。痛みはあるが、大事では無いから大丈夫だ。
迷惑をかけたな」

千歳の問いかけに疾風は微笑むと頷いた。
~♪
辺りは真っ暗だった。
真っ暗で真っ黒で、自分はただ独り取り残されている。
「体が、痛い・・」
ぽつりと呟いた言葉さえ、闇に溶けて消えてしまう。
何が本当で何が嘘なのだかも分からない、透明で不確かなセカイ。
けれど確かに、全身を刺すような痛みが断続的に続いていた。
「ここは?」
自分は何をしていのだろうか?
何か、大切なものを傷つけた気がする。
大切な・・・・。

「主!」
「はや、て?」

呼ばれて振り返った瞬間、誰かの腕で強く抱きしめられた。

「すまない。我の力が足りないばかりに」
「疾風、無事だったんだね。よかった」

何故だか懐かしいとさえ思えるその声に、籟琉はふわりと微笑む。
「ああ、もう大丈夫だ。あとは、女王を倒すだけだ」
疾風も籟琉から体を離すと、真剣な眼差しでそう言う。

「疾風、ごめん。私がもっと強ければ疾風を守ってあげられたのに」
「主に守られるようでは我がいる意味が無い」

籟琉の言葉に、疾風が苦笑しながらそう返した。

「じゃあ、もうやられないでよ」
「・・・努力する」

籟琉の言葉に、疾風は困った様にそう言う。
そして、籟琉の手をとった。

「・・・?」
「皆の所へ帰るのだろう?」

きょとんとする籟琉の手を引き、疾風がそう言った。
「そう、だね」
そう答えた瞬間、ふわりと小さく風が舞って、籟琉の意識が途切れた。


第九章 悲劇の人形劇

葵達が見守る中で、風が少しずつ静かになってゆき、やがて途絶えた。
その中心に立っていた籟琉が疾風にもたれかかるようにして倒れる。

「蜻羅、助かった」
「い、え・・・大丈夫です」

疾風の言葉に対して、蜻羅が胸を押さえながらそう返した。
しかしそんな蜻羅の顔色は誰が見ても明らかに悪く、苦しそうに肩で息をしている。

「蜻羅? どうしたんですか?」
「い、いえ・・・。何でも、何でも御座いません」

凜が心配そうに尋ねるが、蜻羅はがんとして『大丈夫』だと言い張った。
「だけどさ、蜻羅の夢を通して籟琉の暴走を止められたのはいいけど、沙ゞと時歌はどうするのさ?」
天音が不可解そうな表情でそう聞く。
その時、皆の上から硝子の破片が降り注いだ。

「えっ・・・?」
「みんな、息止めて!!」
呆然とする皆の耳朶に、沙ゞの声が響いた。
「まずいっ! 雷砲、茜架!!」
るかが、焦ったようにそう叫ぶ。
瞬間、辺りでバチバチと物凄い電気の音が響き、弾けた。
辺りに散らばっていた硝子の破片が目に見える電流に囲まれる。
「炎卦、派刃陣(はとうじん)!」
葵が続けざまにそう叫び、硝子の欠片が、ドロリ・・とその形を失った。
そのまま硝子は床に落ち、こびり付いて動かなくなる。
・・・と、
「あっつ!! あつい、葵~~!!!」
空に大量に散らばった硝子と共に、集中力が削がれたのか苺夢の洋服に炎が燃え移っている。
「ぎゃーー!! 助けてぇぇ!!」
喚いてバタバタと走る苺夢の服を、天音がぽんと手で叩く。
もともと弱くなっていた炎は、それによって完全に消えた。
「ご主人、魔法で消しなよ・・・」
少し赤くなった手をぷらぷらと振りながら、呆れたようにそういう天音。
「そ、だね。ありがとう・・・天音」
ぜぇぜぇと息をしながらお礼を言った苺夢の声に被るように、女王が舌打ちした。
「っち、使えないのね・・・なら、あっちでいいわ」
女王はそう言うと、時歌を顧みた。
その瞳に、呪印が現れる。

「まさかっ・・・・!」
「行きなさい、我が傀儡よ!!」

「え・・・?」
時歌の呟きが皆の耳に響く前に、辺りで魔力が膨張したのが分かった。

――水ノ響キハ清ラカカ、蒼イ炎ヲ掻キ消シタマヘ。静カニ闇ヘト引キズリ込メバ、意識ヲ奪ッテ永久ヘト返ス。サア取巻イテ・・・・・彼ノ者達ヲ深キ追憶ノ奥底ヘト堕トシタマヘ――

「なっ、この詠唱はどっから!?」
時歌の声で紡がれるその呪文詠唱は、しかし時歌の口から響いているものでは無かった。
辺りに、時歌のモノでは無い膨大な魔力が終結してゆく。
「・・・アナタ、マスターのこと傷つけた。・・・許さない」
千歳が、女王様をきっと睨んでそう言った。
「だからどうするというの? 大した力も魔力も持ち合わせていないくせに、私に対して許さないですって?
あははははっ! いいわよ。じゃあアナタには特別、目の前でその大切なマスターを殺してあげるわっ!」
女王様がそう言った瞬間、時歌のものであってそうでは無い魔力が一際強くなった。
瞬間、沙ゞと時歌の悲鳴とも叫び声ともつかない声が、辺りの空気を引き裂いた。

「っうあぁぁぁぁ!!」
「沙ゞ! 時歌!」

きっとあの膨大な魔力のせいであろう。いつの間にか目を覚ました籟琉が、疾風の腕の中から抜け出して慌てて二人に駆け寄った。
次の瞬間、その籟琉の足に沙ゞの鋏が深々と突き刺る。
「―――っ!?」
一瞬何が起こったのか分からなかったらしく呆然としていた籟琉の表情が、すぐに激痛に歪められた。
「ああ、あ・・・・・」
沙ゞの鋏を持つ手がカタカタと震え、そして愕然とした表情で籟琉の顔と、その足に突き立てられた鋏を見る。
「ちが、や・・・こんなの。
ライ・・・・・ご、ごめ・・・」
ガチガチと震えて殆ど半泣きになりながら、何とか言葉を紡ごうとする沙ゞの頭を籟琉が軽くぽんぽんと撫でた。

「沙ゞ、私は大丈夫だから落ち着いて?」
「――っ! ライ、ごめんなさいごめんなさい!!
こんな、こんな事・・・。ライを傷つけるなんてっ!」

籟琉の言葉に、沙ゞが必死にそう言う。
籟琉はただ黙って頷いた。
「分かってるから、沙ゞのせいじゃないから・・・」
優しくそう言う籟琉は、しかし顔色が真っ青で冷や汗がだらだらと流れていて、明らかに大丈夫そうでは無い。
そんな沙ゞと籟琉の上に、ふっと影が落ちた。
不審に思って振り返った籟琉の瞳に、無表情で鎌を振り下ろす時歌の姿が映って・・・・。
ズシャ・・・と肉を裂く音が、辺りに響いた。

                                 †

深い、深い闇に堕ちて。ああ、もう戻れないんだと感じた。
闇の中で蠢く者達が、自分の身体に一斉に群がってくる。
自分を喰い尽くそうと、おぞましい姿で群がる気配がする。
闇を使い、闇に犯される悲しき一族の末路。
それが今は、そんなモノとは絶対的に無関係なハズの自分の身に降りかかっていた。
―・・・あー、何だかなぁ。もう面倒くさいし、いっかなぁ・・・。
不思議と恐怖は感じない。暗闇のせいで、自分を喰い荒そうとするモノの姿が見えないせいだろうか? 笑いさえ漏れてきそうだった。
『オマエにはまだ、大切なモノがあるんだろ? それを残して消えていいのか?』
どこからか、懐かしい男の声は響いてきた。
―うるさいなぁ。誰だよ、折角もう眠れると思ったのに。
でも、ここにずっといるのも退屈だろうし・・・しょーがない、戻ろっかね。
そんな気分になって身を起こすと、辺りにいたモノがザワザワとさざめいて離れていった。
立ち上がりパタパタと服の裾を払って歩き出す、と後ろから急に腕を強く掴まれた。
あまりにも突然だったので、心臓が跳ね上がる。
ドクドクと痛いくらいに鼓動を刻む心臓を落ち着けて、ゆっくりと振り替える。
細い、本当にか細い骨しか無いような腕が、強い力で自分の腕を掴んでいた。
視線をずらすと、その腕の主の顔が目に入る。ぽっかりと開いて落ち窪んだ瞳は暗く、何も映していないようだったが、目線はしっかりとこちらを向いていた。
「オ、オマエノ力ヲ私ニィィッ・・!!」
―ごめん、やだ。ってか無理。
力なんて持ってたって良い事なんてないぞ。早く成仏しなさい。
驚く程冷静な自分に、何となく笑えてくる。
この状況下で何でこんな事が言えるんだろうと不思議だった。
「力、力ガアレバ戻レル。アッチの世界ヘ・・・私モ連レテ行ッ・・・」
ガシャ。と腐敗物が崩れるようにしてソレが崩れ落ち、灰と化した。
それでも直その手だけは残り、自分の腕を掴んで離さない。
―やれやれ、あっちの世界ねぇ。
その手を剥ぎ取って打ち捨てると、また歩き出す。
空気が重い。
早く此処から出たかった。
早く、早く元の場所に戻らないと・・・。
強くそう思った瞬間、目の前に籟琉が見えた。
「え・・・?」
鎌が振り下ろされる。
自分の持つ鎌だ。
自分の武器。
いつ手にしたのだろうか?
そして、その鎌の切っ先には、呆然と目を見開き時歌を見つめている籟琉がいた。
「――なっ!?」
咄嗟に軌道をずらそうとしたが、遅かった。
ズシャ・・・という肉が裂ける音と共に、自らの手に生々しい感触が残る。
血が跳ね飛んで、顔に、服にかかって自身を赤く染め上げた。
そのまま、ズルリと地面に倒れたのは・・・籟琉を庇って前に飛び出した、沙ゞだった。

「沙ゞ!?」
「ライ、へぃき・・・?」

悲鳴を上げる籟琉に、沙ゞが微かに瞳を開いてそう尋ねる。
その口から、一筋の血が流れ落ちた。

「私は大丈夫だけど、沙ゞ・・・!」
「ぅん。ライがだぃじょうぶならいぃや・・・。
良かった」

籟琉の言葉に、軽く微笑む沙ゞ。
「ぁ・・・な・・に、これ・・・?」
カラン、と鎌を落として呟く時歌の声に、今まで黙っていた女王様が笑い出した。

「おかしいわねぇ・・・助け合って庇い合って、最後にはみんな死んじゃうわよぉ?」
「なっ!!」

女王様の言葉に皆が口を開きかけた時、籟琉が無言のまま自身の足に刺さっている鋏を引き抜いた。
止血の役割を果たしていたモノがなくなり、籟琉の足からは大量の血が流れ出す。
「・・・・・アンタ、死刑決定だね」
籟琉がぽつり、小さな声でそう呟くと共に辺りに『風』が取り巻いた。
籟琉の長髪がさわさわと揺れ、その中で垣間見えた籟琉の瞳は、怒りを超えて奇妙な程に静かで凪いでいた。
「ヒルド・アロウ、ショルリオガント・・・ファビアント(風よ天よ、私の元に・・・集いし力を我がものに)!
ヴァンセラドレーン(月砕ク翠ノ嵐)!!」
その言葉と共に、辺りの空気が振動した。
エメラルドグリーンの光が、辺りに広がって・・・瞬間、風の刃が女王様に向かって放たれた。

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