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『辻邦生作品 全六巻――3』昨年から読み継いで、やっと読了した。この巻は、中編『北の岬』がメインで、初期の短編8作「空の王座」「献身」「洪水の終わり」「見知らぬ町にて」「叢林の果て」「夜」「ある告別」「風塵」が収録されている。短編それぞれ硬質で端正なのだが、そのなかの1篇「ある告別」が印象的だった。辻邦生の「時の魔法」ワールドの真髄かなと思う。あるいは始まり?*****中年の書き手がギリシャの旅をしている。旅の始め、ギリシャ行きの船がでるイタリアのブリンディジ港で出会った頑固な老エジプト人。これから古代ギリシャの跡を見ようとする書き手に「古代ギリシャ文明なぞ、ないのだ」「なぜって、文明は当方古代から来たのだから」と否定する書き手は打ちのめされ、旅の疲れもあり、倒れそうになる。そしてギリシャへの船上で元気な若者たち。アテネのパルテノンで、デルフォイのアクロポリスの神殿跡で、文明の墓碑銘の悲しみをたどっているときに、出会う若者たちの華やぎのすがたが輝くように眩しい。ひとことふたこと楽しい会話を交わしただけの人々。若者たちにも老エジプト人にも二度と会えないだろう...。*****「旅愁ですか?」って言ってしまえば「なあんだ」ですが、さすがは辻邦夫たるゆえん、しっかりと答えが...。おそらく大切なことは、最も見事な充実をもって、その《時》を通り過ぎることだ。若さから決定的に、しかも決意をもって、離れることだ。熟した果実がそうであるように、新しいときにみたされるために、若さからきっぱりと遠ざかることだ。ただこのように若さをみたし若さから決定的にはなれることができた人だけが、はじめて若さを永遠の形象としてーーすべての人がそこに来たり、そこをすぎてゆく若さのイデアとしてーー造形することができるにちがいない。まあ、ちょっとわかりにくいですが、時を大切に味わいましょうということで。で、このブログのタイトルがなんで『時の扉』なのか。むかしむかし頃知人に「今、女子大生に人気の作家の」といって貸してくれた『時の扉』当時、読んでもさっぱりわからなかったのでありました本の題名です。画像はネットで、短編「ある告別」の雰囲気があるようで
2024年06月23日
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『とめどなく囁く』桐野夏生年の離れた資産家の男と再婚、贅沢な邸宅での穏やかで豊かな暮らしを、手にした41歳のヒロイン早樹。男と女のそれぞれの前婚の事情がよみがえり、得体の知れないところからの中傷的囁きに翻弄される物語。はじめは昔読んだデュ・モーリアの『レベッカ』やアガサ・クリスティーの『春にして君を離れ』を思い起こさせられた。が、母衣山(〇露山がモデルですね)は「マンダレイ」のお城とまではいかなく、クリスティーのは意識の流れのなかでのミステリーで、それを現代に持ってくるとSNSでの外野も加わり、ラインやスマホを駆使してのスピーディーな展開は、超現代的で目まぐるしい。やはりヒロインのそくそくとした不安や苦しみは変わらないのだけども。思うに、昔のロマンチックな物語と違うところは、自己成長や確立を自主的に行うところを、より強く強調されているところだろう。運命に流されて行くっていう方が、どんなに楽だか!
2023年12月21日
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『十二単を着た悪魔』内館牧子源氏物語にワープしてしまった若者といえば、光源氏の関係者の頭中将か、源氏付き人の惟光の近辺にいる人にするのか、と想像するのは平凡。陰陽師を持ってきた作者の発想は、ヒロインが弘徽殿女御であるからなるほどと思う。なにしろ弘徽殿女御は超オカルトチックに、政的の恋人に憑りついて殺人までするのだから、陰陽師という現代から見るといかがわしくも怪しい職業なのでさもありなんと、一応は源氏物語を知っているのでわくわくする。その若者「雷」君はトリップする前に現代社会では、大学卒業したけれど受けた全社落ち、フリーターになってしまい、行き場を探している青年というわけで、古文の文芸の世界で何を得るのかが興深い。このエンターテインメントが幕開は、雷青年の現世では兄が容姿端麗・頭脳明晰とちょうど光源氏のようで、光源氏の兄に当たる弘徽殿女御の息子一宮という、皇太子候補なのに影薄い君に味方するのは、出来すぎの兄弟を持ったよしみで、同情したので助けることになった。源氏物語の筋をたどり、そう来るかと、むふふふと作者の機知を楽しんだ。けれど、あれぇ?須磨の巻までなの?落ちがそれ!と思いがけなくて、脱落したのでありましたが。
2023年12月19日
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『家族じまい』桜木紫乃最終章の「登美子」のたたずまいが好きだなあ。わたしもそうなりたく、努力しているんだけど、思惑通りに行くもんか。なるほど、家族とは思い通りに動かないんだよね、収まるところに決着しないの。和気あいあいの、すべてに順調、幸せな一家でしたってのは、ウソが混じっているものなの。桜木紫乃氏の凝った文章にはめまいがするほどだが、「智代、乃里の姉妹」「父猛夫、母サトミの両親」のていねいに辿った軌跡は、印象奥深い。その創作は悪魔的。そう、人はみんな波風立てずに普通の生活を、し切れているわけではない。
2023年12月07日
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吉田修一『湖の女たち』感想を思いめぐらしていたら、もう一度始めからしっかり読んでしまった一冊。感想書きプロではないのに間を置かずに再読するなどと、長い読書人生初めてのこと。社会派ミステリーに属する内容と思われるのだが、登場する刑事たちがなにしろ悪徳者そのもの。でも、なぜか排除できないものもあるのだ。罪ありきの過酷な取り調べ、冤罪になりそうな筋書きを作る刑事たち。おまけに聴取している参考人との不徳な関係は何なんだと思う。その警察官圭介と事件関係者佳代との不倫関係は、強烈なサディズムとマゾヒズムの関係。不道徳極まりないと嫌悪するも、なんと生き生きと描かれていることか。そしてその陰に隠れるように、もみ消される近年の薬害禍、戦前の細菌戦人体実験が揺曳する内容。読後自分に問いかける、そんな現実もある、そういう現世を過ごしてもいるのじゃないかと。「清張刑事もの」とは真逆だ。思いついて松本清張作品の刑事ものを読みたくなり、『砂の器』を再読してみて(これも超特急で再読!!)登場する刑事さんたちの汗水たらし、体を張って苦労して一歩一歩地道に捜査する姿に、なにか心静まる気がしてくるのだった。けれどもいい人ばかりいて、社会の悪を成敗するなんて、おとぎ話なのかもしれない。もう一度、琵琶湖に行ってみたくもなった、琵琶湖の景色描写が印象的。
2023年12月03日
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原田ひ香『三千円の使いかた』このごろなんとない「おばあさんたちの」おしゃべりが楽しい。ほんと、つまんないようなこと思い出しても何喋ったか忘れてしまうようなことばかりなんだがこれって、とても健康にいい!「どこどこのメロンパンがおいしかったよ」「あそこのスーパーの魚売り場は充実している」という食物情報やさいきんはやりの「帯状疱疹の知識」罹った人の苦しみばなしや効果があるらしいワクチン接種の費用は4万円~!だけども、わが区は2万円補助があるらしいよ、とか(調べたら50歳以上に助成金とのこと)長く歩んできた道々の出来事(思い出、昔話、ね)はては「息子が離婚して戻ってきた」などの人生模様だいたいもう何を聴いてもびっくりしなくなったなあもちろん、ウクライナや中東情勢など社会情勢も話題になるけど、読んだ本、感想の話題はなかなか出ないんだよねでもね、これ、原田ひ香さん『三千円の使いかた』は絶対ウケると思うよお金の使い方、日常の身近な話をしながら、深い人生の機微を掘り下げて、最後にうるりとさせるの、素晴らしい~!三千円の使いかた (中公文庫 は74-1) [ 原田 ひ香 ]
2023年11月21日
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村田喜代子『新古事記』あるアメリカ人女性(フィリス・K・フィッシャー)の『ロスアラモスからヒロシマへ 米原爆開発科学者の妻の手記』を村田喜代子氏が小説にされた作品。読み始めから「文明の行く末」に嫌な気持ちの不安を感じながら進みます。語り手若い女性の語り口が明るい(作者の手腕)のがちょっと救いだが、日系であることを秘めていることにされたのが、またぞろ不安を増しながらの読書...。場所はニューメキシコ、アルバカーキやサンタ・フェ近郊のロス・アラモス。ちゃんと地図にありました。それがまた恐ろしい。いえ、もう起こったことです。科学者の若い妻も知らされていなかったでしょうが、わたしたち幼児だった日本人も知らなかった事実。しかし、しかし、小学生のころ、日本人漁業者が被ばくしてしまう、ビキニ環礁での水爆実験はものすごく印象が強い。冷戦...その後も実験を続けていって...。そしていまは核弾頭を多く持っている国が連なっている。ロシア、アメリカ、フランス、イギリス、パキスタン、インド、イスラエル、北朝鮮......。新古事記 [ 村田 喜代子 ]*****リンク友の読後感に読もうと思った小説です。わたくし事情ですが、9月に図書館に予約、やっと順番が回って来ました。いつもは遅れ気味読書のわたし、かなり読みこんだよれよれの本を借りて、そのことに気分落ち込みますが、今回は真新しく(今年8月発刊故)本は気持ちよかったのです。でも、この図書館本が読み込まれ、年期が入るとよいですね。
2023年11月20日
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『いつか陽のあたる場所で』乃南アサ音道貴子シリーズ以来、しばらくぶりでの乃南アサさん小説。これもシリーズということですが、警察に捕まってしまったほうが主人公の二人とは、意表を突かれます。ひとりは殺人、他は昏睡泥棒の罪!!しかも刑期を全うして社会復帰中という設定。逮捕歴を他人に秘して、谷中という古き良き時代の下町風情での生活。ぶっちゃけ更生生活…。どうなることか、でも、そんな緊張感ある日々をさらりとまじめかつ、哀愁をこめ、ユーモアぶくみによく描けていますので、二人に感情移入バリバリです。乃南アサさん、ほんとうまいですね。シリーズ2~3が楽しみに。こういう時、遅れて読むのは利点があります。すぐ続きを読めますから。*****11月になって次々と面白い読書をしています。これも月初めに読み終わったのですが、なかなかブログに出来ませんでした。というか、このブログ20年目を今日迎えるのですが、こういうスタイル、ほんとにもうマンネリで(飽きて)どうしようかな~と、悩みに悩んでいます。本は読めばみんな面白い、楽しい。だからもう、それだけでいいんじゃないかと。
2023年11月13日
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『開幕ベルは華やかに』有吉佐和子そうだろうなあと想像、難くなかった演劇界のあれこれが広がった。いやいやいや、有吉佐和子さんの古びていない小説力だからこそだと思う。中心が俳優「八重垣光子」と「中村勘十郎」って、記憶ではモデル問題も出たような(?)誰それと舞台俳優の名前をあてはめてしまうのだが、もちろん巧み構成力と筆運びのフィクション。そしてシテの演出家と、その別れた妻の脚本家のからみあいが微妙。しかもミステリー仕立てで、読むのに興深いのである。すごい作家だった。その有吉佐和子さんのような小説を書きたい、とおっしゃる原田ひ香さんの作品を初めて読んだのです。『人生オークション』原田ひ香おもしろい。うまい。知らなかった!特に中編二つ目の「あめよび」が人生の機微溢れまくりで、切なくていい。調べるともうすでにすごい著書、作品の量。わらわら。
2023年11月01日
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『横道世之介』吉田修一このごろ、人生を俯瞰的にみるようになった。だからこの小説が世之介の青春を、鳥が空を飛んで下の景色を見るように追いかけているのは興深い。が肝心の主人公世之介のぼやんとした性格がいいのかどうか。(ま、わたしが好きか、嫌いかなんだけど)憎めない性格、お人好し、ちょっとだらしないような、流れゆくままに、生きていく。争わないという人は好かれるだろう。だが、なんだか何に対しても責任を持たない、ように思える世之介。結局、皮肉にも周りの人の人生を張りあるものにして、本人はほんわかと人生を送るということになる。ただ、ネタばれになる部分をどう考えるかにもよるが。現代こんなふうな作品も多いような。このほんわかが苦手なのかも。(これ、ゼネレーションギャップ?)続いて『おかえり 横道世之介』も読み。もしかして『悪人』の作者の異の方面であるかな、と思った次第。 続きをお書きになってた!
2023年10月26日
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『青い壺』有吉佐和子この作品もうまい文章、巧みな構成。さながら青い壺から、アラジンの魔王が飛び出して語ってくれるような、磁器の青い花瓶をめぐる人間模様、あるあると思いながら微苦笑。作者がわたしの同時代作家だから、そのころ話題の作品は昔に読んでいるつもりだったが、究めていなかったらしい。『恍惚の人』を再読してそれに気が付いたのだが、『非色』『青い壺』と未読作品を読み進めるにつけ確認。作者のこの傾向は『悪女について』や『不信の時』にあったのはもちろん、きっと既読の『紀ノ川』や『有田川』も牧歌風の小説ではなかった(?)のだと思えてきた。出版界の不振が古き作品を復刻してくれる、本好きには良きことかな。
2023年10月24日
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『侍女の物語』マーガレット・アトウッドある権力を維持するには、立場の弱い者から順番に「閉じ込めて、監視し、統制」していくのが常道だ。弱い立場にさせられるのが女性の女性性、幼年男女、人種差別される男女、職業の貴賎、等々。その女性がターゲットになったデストピアの世界を描いたのが、この小説の主題。読んでいて、むかむか吐き気が止まらなかった。これは未来の世界ではないからと気が付く、今まさに現実だからだ。フェミニスト的な立場としてだけではなく。そして、唯々諾々としている自分がいるからだ。書かれたのが1985年、今2023年。
2023年10月18日
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『人質カノン』宮部みゆきデビュー作『我らが隣人の犯罪』はわたしの初読み宮部みゆき。その後、数々の力強い長編を面白く読んできた。こういう短編小説もいいなあ、と改めて確認。90年代半ばの作品なのだけど、内容は古びていない。今だってこう。たとえば短編の一つ「過去のない手帳」電車の中に置き忘れられていた一冊の手帳。拾った大学生と、紆余曲折の末見つけた持ち主の女性の、両者とも深い悩みがあった。学生は「5月病のやるせなさ」かたや「離婚後の虚脱感」がなんとも胸を撃つ。ひとは「しっかりせよ」というが、しっかりしていたらそうはならなかった。つまり、自分のことがわからないのだろうね。短編ゆえ結末はないが、答えはわかっている。
2023年10月07日
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『橋を渡る』吉田修一ネタバレになるけれど、2015年から70年後の世界が描かれていて、構成といい、文章といい、とても面白かったけども、わたしが経験した70年後の世界はもっと面白いのかも。つまり今、82だから12の時から、現在70年後の世界にいるってこと。12歳の時(1953年)は今普通に使っているものは無かったか、初期段階。例えば、テレビジョンの放送が始まって、ブラウン管のでかい箱を駅頭で見上げた記憶。電話は黒いダイヤル式、冷蔵庫は氷で冷やし、たらいで洗濯(14歳ころ一層式洗濯機ハンドル絞りつきになった)などなど...人間関係の世界はっていうと、それも変遷だ。社会機構、体制様変わり。LGBTSなど無いような世界、いや闇の中か忖度の世界だった。セクハラはあった、けど、それも闇の中か忖度の世界だった。離婚が少なかったけど、夫婦関係も問題が内包してだけ、などなど...。しかし、ゆっくりと浸かってきているので、自分がどの位置にいるか自覚しないだけ。そう、すっかり慣れている自分にびっくりだ!
2023年09月27日
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『文豪お墓まいり』山崎ナオコーラ読む本、好きな本は風雪(出版の嵐)に耐えて昔から現在まで残っている本(作品)が多い。つまり文豪と言われている作家の作品ということか。山崎ナオコーラさんの『文豪お墓まいり』の文豪お墓は、わたしの好みの文豪が多々。お墓の前で作家の作品を思い、自身のあれこれを思う作者に親しみを感じた。文豪とは何ぞや、100年も50年も名前が残っている作家?作品が長く読み継がれている作家?たまたま、夕べBSNHKの「西村賢太」のドキュメンタリー映像(再放送?)を観た。一昨年突然死なさったそのお墓は、郷里でもない石川県七尾市の西光寺だという。しかも、西村賢太が晩年「藤沢清三」という永らく埋もれていた作家に「没後弟子」として、私淑したその方のお墓の隣に割り込んだかたち。生前「藤沢清三」のお墓の管理もされているので、無理がきいたのか。(今は番組見ただけでは正確には記憶に残らない詳細もネットで再見できる便利さ!)『文豪お墓まいり』で知ったのだけど、太宰治もあこがれていた森鴎外のお墓の斜め向かいだ。両方とも後世にあまりにも有名で、訪れておまいりするひとも多かろう。西村賢太さんの場合はどうだろうか?それをねらったわけでもないだろうけど、そうかもしれない。
2023年09月23日
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『人のセックスを笑うな』山崎ナオコーラ不思議なペンネームの著者作品を始めて読むのにあたって、わたしには入りやすいと思われた『文豪お墓まいり記』からだったのだ。読み始めると、好きな文章がいっぱい出てくるので、わあ好きと思い、途中だけど受賞デビュー作『人のセックスを笑うな』に移って読む。というのは『文豪お墓まいり記』における著者の考えることが、妙に地味で何とも言えずほのぼのして、わかるわかると、気に入ってしまったから、文豪お墓訪問記エッセイではなく、創作ではどうか?と興味を持って。著者26歳、哀切のある作品。恋とか愛とか名付けられない、ひととの交情がすっきりとした文章で描かれている。視点を男の子に持ってきたのがいい。(解説の高橋源一郎さんも指摘してらっしゃるが)考えてみれば、エッセイ文でも小説のように、創作しても何の問題もないわけで、例えばこんな読後感も創作ふうでもよく、なにかを伝えられればそれでいいよね。
2023年09月22日
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『明日の食卓』椰月美智子トルストイ『アンナ・カレーニナ』の冒頭「幸福な家庭はすべて互いに似通っているが、不幸な家庭はそれぞれその不幸のおもむきが、異なっているもの」は印象深い。その「不幸な家庭」も互いに似通っているのが、この小説での3家庭だった。わたしはその3家庭を追って描写される場面を、ほんとにドキドキしながら「あるかもしれない?いや、ある」と読んだ。子供の虐待死事件のニュース報道が頻繁。家庭での虐待が疑われる現場が多くなったように思われる昨今。これは現代病なのか、昔からこうなのか。この小説から読み取るものはさまざま。たくさんの課題が重なっている現代社会生に生きていくのは、なまなかな覚悟ではいけない。
2023年09月20日
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丸谷才一『忠臣蔵とは何か』暮れには早いが、今年もどこかでやるだろう「忠臣蔵」劇。あらすじは知っている「忠臣蔵」が、何だったのかとは考えたこともなかったが、この本はそれが狙いだ。わたしは歌舞伎も映画もTVドラマも消極的だったのだけれど、積読本の一冊だからという理由で読み、目から鱗。がぜん興味がわいた。1984年発行、当時は話題になった文学史的研究の書。丸谷才一の旧仮名遣いは有名で、名文なのだが構成や表現も少々読みにくいけど。「忠臣蔵」が、単なる事件のお芝居ではなく何か、だったというこの研究文章の趣旨をわたしなりにまとめると*****元禄14年(1701年)に「刃傷沙汰・敵討ち」事件があって、その事件が「仮名手本忠臣蔵」という浄瑠璃、歌舞伎になったのが、約50年近くたった時(寛延元年1748年)である。その人形浄瑠璃や歌舞伎の芝居が江戸時代になぜこんなに流行ったのか?続いたのか?その当時の日本人全体や3都(江戸・大阪・京都)の人々の思いを分析すれば、わかるという。「忠臣蔵」事件のあった時代も天災(地震、大風、洪水、疫病...。あら、現代もそうだ!)が絶え間なくあり、江戸では大火事、加えて圧政(徳川綱吉時代「生類憐みの令」など)に苦しめられていた封建時代、反抗するなどもってのほかであった。もともと太古の昔から人知の及ばないことは、呪術的に祈るしかない、神楽など芝居奉納はその一つであった。魂静めと同時に鬱屈した人々を慰めたのは、身代わりのような登場人物にお芝居させ、それを見て想像力をひらめかし、解消させた。「忠臣蔵」事件はその素材にうってつけだった。ひと時代前の歌舞伎の題材「曽我兄弟の敵討ち」の下地もあって、より芝居が洗練された。両事件のパロディ芝居をやった(怨霊を鎮めるための奉納)後に、「曽我兄弟の敵討ち」は鎌倉の頼朝、「忠臣蔵」は綱吉という暴君の為政者が滅びる(偶然としても)経験をしたので、人々は密かに溜飲が下がって、加えて娯楽としても大いに流行ったのであった。*****まとめてしまうと、丸谷才一氏がたくさんの資料を読みこなして、したためた名文はどこへやらだが、なかなか読みごたえがあってかつ、その推理のような研究に満足した。丸谷氏の研究は研究として、そんなことを頭に入れながら今年の暮は「忠臣蔵」観るかな。
2023年09月17日
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『緑のなかで』椰月美智子解説の斎藤孝さんも書いてらっしゃるが、「青春とは人生のある一つの時期ではなく、一生持ち続ける心の在り方」という、サミュエル・ウルマンの有名なフレーズもあるけれど、やはり青春時代は一時期のもので懐かしくなる。小説では『青い山脈』『青が散る』。古くは『たけくらべ』と読んだものが浮かぶ。その現代版のひとつ。タイトルが青じゃなくて緑濃い季節になっているところ、青は古めかしくて緑が新しいというわけでもないが、清冽な印象であった。「緑のなかで」が大学生生活で、併編されている「おれたちの架け橋」が高校時代。子の側から見た親子の関係と両親の大人事情、学生生活での友達との関わり。わたしから言うとライトノベル風だが、ユーモアも交えてさらりと描く現代風と言おうか。それもいいなあと思う。若き時代の思い出をいつまでも色あせさせないのが、若さの秘訣かも。
2023年09月15日
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大岡昇平『事件』定評のある大御所の有名な裁判もの。大岡昇平の推理小説は『最初の目撃者』を読んで、洒落ているなあと思った記憶がある。最初は新聞連載小説で4回も手入れしたそうだから、作者も力を入れた作品。裁判の場面はもっとさらりとする予定が書いていくうちに、裁判所という仕組みを前面に据えることになったという。裁判の進行や法律用語などちょっとめんどくさい描写もあるが、ぐいぐいと読ませる。若者の殺人事件が、法廷における弁護士の活躍で、意外な事実がわかってくるという、サスペンスの面白さ。時代は高度成長期、東京圏郊外に広がる都市化の波に洗われる土地柄。一時代を追憶するだけではなく、人として、成長して生きていくとは?という普遍性。新聞小説の時は『若草物語』というタイトルだったそうだが、被告の主人公と恋人、その被害者姉が幼なじみであるという設定がこの作品に奥行きを醸す。若さゆえの憂愁。だから、自転車の相乗り(その時代も今もルール違反だね)というキーワードが光ると思う。
2023年09月13日
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夜中の3時までアガサ・クリスティー『春にして君を離れ』一気読みしてしまった。実は再読4度目。読むたびにざわざわするロマンティックミステリー。今回は、自分が正しいと思うことを、良かれと思って家族に尽くすヒロインジョーン・スカダモアが何ともおめでたい人物に思え、家族円満「幸せの星のもとに生れて」と思っているのは、大いなる勘違いなのに、可哀想に~と。旅行中の砂漠での無聊から、自己を見つめるも結局は現実逃避。しかし、夫(家族)のほうもずるい、変えようとしなかったから。見て見ぬふりを決め込んでいるのだから。解説の作家栗本薫氏が「この小説は哀しくて、恐ろしい」と、うまいことおっしゃる。私はこの年齢までに、いろいろな人間とかかわりあい、さまざまな現実逃避や様々な怯懦や怠惰や卑怯、ずる賢さや浅ましさや自己憐憫を見てきた。だが、ただひとつ最終的に私が学んだのは、「それは最終的にはその当人の責任でしかない」ということであった。そしてまた「その前に、だが、それについて思ったことをきちんと伝えない周囲の人間には責任があり、そしてその先にゆけばその人がどう生きるかは当人の問題である」ということつまり勇気をもって現状を変えようとしない家族にも責任があるのだと。なんか身につまされてきたわ。過去の感想2004年1月26日2019年4月24日滴るような甘さだね
2023年09月05日
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『夏の砦』辻邦生著者初の長編という、ういういしい作品。物語性があり、文章も精緻を究め、なおかつ淡麗。芸術の芸術たるところを高めて語っている。構成がちょっとややこしい…(夏目漱石の『こころ』を思いだします)まず、語り手のあるエンジニアが登場。支倉冬子という若き女性と知り合い、つかのまの交流ののち、突然冬子が北の海でヨットに乗ったまま行方不明になってしまった、ところから始まります。彼がエンジニア魂を発揮し、冬子の軌跡を辿って彼女の日記や手記、最後に届いた手紙を見ていく構成です。北の海と言ってもそれは日本ではなく、スカンジナビア半島に近いバルト海らしい。語り手としりあった場所もその周辺と思われる仏独に近い北の国なのです。「デンマーク?」と思うのだが...ま、それは重要ではありません、北欧のある国でいいのでしょう。そういえば物語も「人魚姫のものがたり」を彷彿させるかも。かなわない恋に向かってひたむきなのだけれども、泡となってしまったという。そう、冬子はかなわない恋(芸術性)を求めて、北の国に織物工芸の学生となって、留学していたのでした。語り手と知り合ったころには、彼女の憂愁な様子を見受けます。でも、語り手とは悩みの真実を語らず穏やかに交流。その後行方不明、生死不明になり、語り手の後悔と探求心を刺激したのでした。そして、日記と手記を辿って彼女の生きた物語が明かされていきます。戦前の裕福で文化的な生活が描かれますが、思うに、一時期、それでもいい時代があったのですね、佐藤愛子『血脈』や北杜夫『楡家の人々』の世界ですね。現実わたしなども姑や夫からその生活ぶりをどれだけ聴かされたか。(なんにもない戦後に物心ついたわたしはちょっとうらやましかったのが本音)この冬子の物語も大木クスノキ(樟)の葉のざわめく大きな屋敷を中心に展開します。その物語が流麗に語られて、冬子の人となりを醸し出します。言うなれば贅沢な話ばかりです。それも芸術性に富んで美しく語られるのですから。しかし、喪失の痛みが潜んでいたとは...。さきに読んだ中編『回廊にて』を発展させたものと、作者も言ってます。このわたしが読んだ『辻邦生作品集 2』には大部(2段組100ページ)な作者の「創作ノート」が採録されていて、試行錯誤、小説を紡いだようすがわかり、作者の意気込みが伝わります。ここから「辻邦生」がはじまったのですね。文学の芸術性を求めて。
2023年08月19日
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国木田独歩の短編集『牛肉と馬鈴薯 酒中日記』(新潮文庫)岩波文庫の『運命』という短編集を読んで、その中の「運命論者」が強く印象に残っていた。また、教科書に載っていた「忘れ得ぬ人々」が忘れられなくて、『武蔵野』(新潮文庫)という短編集を読み、その中の「武蔵野」にもひかれた。今回『牛肉と馬鈴薯 酒中日記』で国木田独歩の読み残りの短編を読んだことになるのだが、その中の最後に収録してある「竹の木戸」と「二老人」にまたまたぐっと胸をつかまれてしまった。汲めど尽きせぬ日本の短編名手かな、国木田独歩さん、である。その一つをアップしてみる。「竹の木戸」郊外から都心(京橋)に通勤しているある会社員は真面目を絵に描いたような人柄。妻、実母、七つの娘、妻の妹(離婚して寄宿)、お手伝いさんという家族構成。明治時代だからサラリーマンでもお手伝いさんがいるのは普通のこと。その郊外の家(今の新宿大久保あたりというから時代変遷!)での生活は質素であったが、和気あいあいの家族だ。そこへ、隣の物置小屋のようなボロ家に若夫婦が住みはじめた。井戸がなくて困っていたので、使わしてあげるという親切。それも鷹揚な一家のあるじのはからいがあったからだ。隣とは生垣で仕切られていたが、隣の若夫婦が水くみの便利のため少し開けて木戸を作らしてくれとなり、それが木で作ったのではない、竹で間に合わせた粗末な「竹の木戸」。家族の女どもには大ヒンシュクだが、あるじはあいかわらずの鷹揚。いつの時代も光熱費には苦労する。当時は炭が主な燃料。一家が倹約して使うのは当然だが、隣の若夫婦はなお困っていた。買えないのだ。そして、その竹の木戸を通って水くみする通路に一家の炭俵が置いてあった。減り方が変だと気付いたお手伝いさん。はてさて大騒ぎとなり...。結局のところ若夫婦の妻が自殺するという不幸な結末なのだが、この普通の家庭の一家のあるじの行動が、博愛主義なのか、無関心なのか...。人間は、見て見ぬふりをしても、それが罪を犯すかもしれず、物事を追い詰めて結論を出そうとしても、罪に追いやるかもしれず、淡々とした平明な市民生活の描写(しかも明治の時代性濃い)のうちに、深く深く表された作品だった。たしかに現代では文学上普遍のテーマだろう、明治の小説黎明期にこのような作品を残した国木田独歩はすごい!
2023年08月13日
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『鎌倉駅、徒歩8分、空き室あり』越智月子鎌倉市の隣にあたる区や市の2か所に、随分長い間住んだ。子育てのほとんどの期間を過ごしたといってもいい。だからなじみ深い、思い出深い古都、散歩地なのだ。それもどっぷり昭和、ちょっと前の鎌倉。今や超観光地。でもちょっと道を曲がれば、住人は普通の生活をしているんだけどね。そんな住人たちをシェアハウスなどといった今流行り感覚で描いている。中年以上の女性たち5人の暮らし。シェアハウスのオーナーも、飛び込んできた住人たちの事情も、ことさら珍しくないけど、壊れそうで壊れないようにストーリーが展開していくのがいまどきありそう。ただ、珈琲とカレーライスの薀蓄が饒舌だなあ。さてこの本は小鳥の鳴き声がところどころに、興趣を添えてくれる。「ケキョ、ケキョ、ケキョ…」がウグイスの別鳴き方くらいは知っていたが、「ツツピー、ツツピー…」がヤマガラ「ツピ、ツピ、ツピ…」がシジュウカラそして「チョット、コイ。チョット、コイ…」がコジュケイわたしのなかで鳴き声と鳥の名前が一致した!25年前のスケッチ タワーがまだ前の古いもの。
2023年07月29日
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『廻廊にて』辻邦生♪時の過行くままに♪ 歌詞ではないけれど時の魔術師、辻邦生作品、しっとり読みました。1962年から雑誌に発表、近代文学賞を受けて、読み継がれた古い文学作品。20世紀初頭、大戦と大戦のはざまにパリに留学した画学生が、ロシア人亡命者の娘、同じ画学生「マーシャ」の人生に惹かれ才能があるのに寡作だったマーシャの残された日記や手紙で生きた証を辿っていく。デラシネの行き交うパリ、芸術を成す人は極小、浮かんで消えていく芸術家。しかし、その人の辿ってきた道と心模様の奥深さは、成すとなさざるとにかかわらず、その過程こそ真髄なのだと。いってみれば「いま、ここ」が大事なんだ、という思いは仏教の教えに通じる。ヨーロッパという地形でみれば、国境、人種、言葉のモザイク状態で、権勢によって境目が移動する。その中で翻弄されている人々が、現在でもどんなに多く居ることか。それはウクライナ侵攻のニュースに触発された現在の知覚だけれども100年前とも変わらないのだと、そこに普遍性を見た。成すことが出来なくても、そのたどる道もその人間の本質でもあると、「時のたっていくこと」を言い尽くしているような作品。入り組んだ構成の文学らしい文学作品。30年前、女子学生に人気がある作家と聞いた記憶が…、この作品で納得した。寄宿舎でマーシャの親友となったアンドレの中性的な魅力がなんとも秀逸なので。
2023年07月13日
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もう二月半ば、時の過ぎるのが速いよ。こころを痛めていることは「ウクライナ侵攻」がもう一年経って、つらい人々が大勢いること。トルコ、シリアとんでもない大地震の被災、地被災者のこと。大局がそうでも、まあ日常のことはなんとか、かんとかして暮らしていくしかありません。『贖罪』イアン・マキューアン古典的な作品を好むわたしも、やっと現代的なイアン・マキューアンにはまりました。といっても21世紀初めの作品なので、遅れているといえば遅れてますけどね。で、やっぱり圧倒されました。長年読書をしてきて、本好きなのに、作家になりたいとは思ったことはないのですが、マキューアンの文章を読んで「書きたいなあ」と思わされたことは思いがけないです。まず、ヒロインたちの住む家(お城みたいな館です)の描写がなんともいい魅力。もちろん原文がいいのでしょうか、魅せられてしまいました。そしてプロットも小憎らしい。おとぎ話の要素とミステリーの要素、そしてホラー、ゴシック、、すべて満載。そしてあっけないカタルシスと余韻。「第一次世界大戦時」のルポルタージュ風の章は、現代のウクライナ戦争があるだけに臨場感がありました。大体、ヒロインが作家を目指している、作家になったらしい。というところがなんとも、興深いですかね。つまり小説好きを手玉に取ってまわしてるようなものですよぉ(笑これぞイギリス文学の骨頂かもしれません、と思いましたね。ところで、エピグラフに引いてあるオースティンの『ノーサンガー・アビー』読んでない、読まなくっちゃ。
2023年02月17日
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『聖母の鏡』原田康子あのベストセラー『挽歌』作家の晩年の小説。ひさしぶりにグングン引き込まれたのは、構成力と筆力の確かさだと思う。50代終りの女性と50代半ばのスペイン人男性との恋愛。そうか、『挽歌』の怜子が蠟(老)熟して『聖母の鏡』の顕子(あきこ)に現れたのではなく、新生していたのだった、と。それはそうだ。姉妹編というところもあるが、蠟熟というより、その芯のところは変わらなく、心の叫びを、繰り返しわがままと言えるまでに表現している。やはり『挽歌』があれだけ読まれたのには、うなづける作家の真髄。1997年に上梓されているから、今流行りの「蠟熟女の叫び小説」の走りかとも。この小説に描かれている情緒溢れるスペインの田舎村の情景が美しいこと!今でこそ、日本人も知っている気分になっているよね。
2023年01月22日
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『パルムの僧院』(上)スタンダール上巻を読み終わり、いよいよ佳境の下巻を読んでいるのだが、どうも年を越しそうなので忘れないうちに。主人公のファブリス・ヴァルセラ・デル・ドンゴは北イタリア・パルム公国、デル・ドンゴ侯爵の二男にして、出生の秘密あり。時はナポレオンの遠征時代、フランス軍はミラノに入城、疲労困憊している軍中尉ロベールはデル・ドンゴ侯爵夫人の館に宿泊したというところから始まる。ミラノの郊外コモ湖のほとりグリアンタのデル・ドンゴ侯爵城で、ファブリスは16歳になった。吝嗇な侯爵の父親に冷たくされるのは事情があるからで、ずばりフランスはスタンダールだね。ともかく夢見がちな少年はナポレオンが再び遠征したと聞くと、イタリアの生家をとび出してワーテルローへはせ参じるのである。戦いの場で世間知らずのおぼっちゃん、どうなる?優しいばかりの母デル・ドンゴ侯爵夫人、盲愛の叔母(父の妹)に囲まれて、ファブリスは幸福の追求=冒険談と恋愛遍歴。とどのつまり、やんちゃをやってはしりぬぐいをしてもらい「可愛がられる人生」をゆく。叔母ジーナ(アンジェリーナ=コルネリア=イゾダ・ヴァルセラ・デル・ドンゴ・サンセヴェリーナ公爵夫人)の愛がすごい。だって、そのために金持ちのサンセヴェリーナ公爵と形式的結婚(?)、パルム公国の大臣モスカ伯爵を恋人にしてファブリスを助けるのだよ。また当時のイタリアロンバルジア公国、パルム公国の貴族の生態やら、地勢的事情を書き連ねたストーリーは、ロマンチックに尽きるけれど、ヨーロッパは地続きなんだなあと今さら思わされた。ま、そんな風に上巻は終わる。*****イタリア旅行でミラノに行った時「どこ観光しようか?」と夫から聞かれて、ふとコモ湖が頭に浮かび、だけれどもその時は、昔読んだ『パルムの僧院』ストーリーはうっすらで。それからも30余年、やっと読む気になったというわけで、思い出のコモ湖の写真。ミラノから電車でコモまで行き、船で対岸に渡った場所。ですから、この写真の場所がコモ湖のどこかも、舞台かどうかもわかりません。とても景色の美しいところでした。主人公ファブリスはコモ湖に特別情熱を持っているように書かれてあります。
2022年12月27日
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『みずうみ』川端康成読んでびっくり、ストーカー、未成年者との不純行為、置き引き。しかし、そこは川端康成の佳麗な文章で、書かれたのが昔も昔1954年なので。ま、現代でなくとも警察沙汰になるような、一人の男のモノローグ的な小説。「桃井銀平」それがこの男の名前だからして、なんだかすごいなあ。で、銀平さんが軽井沢の古着屋でズボンやワイシャツ、セーターを、おまけにレイン・コオトまで、置き引きしたハンドバック中のお金で買いこみ、着かえるところから始まる。「置き引き」としたけれども、要は妙齢の気になる女性をストーカーして気味悪がられ、女性が投げつけたハンドバックを持ってきてしまったのだ、ということが明かされていく。女性の後を付けていく趣味(?)の始まりは、教え子との恋愛での戯れに始まったとか。その不道徳きわみない、彼の行動や想いが独白風「意識の流れ」となって綴られていて、だけれども、そんじょそこらのだれかれには書けないだろう、美麗というか、シュールというか、許せねえけども川端康成文学だねえ。
2022年12月14日
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『大地』パール・バック(再読)第一部「大地」は祖父ワン・ロン(王龍)が小農から逞しく賢く、大地主にはい上がっていく物語。広大な中国の大陸的ともいえる強い生命力を感じ取るところが、『大地』の主題として印象に残っていたわたしは、第二部第三部はすっかり忘れてしまっていたのが再読時。記憶漏れの第二部「息子たち」では裕福な大地主になった王龍の3人の息子それぞれの生き方、特に軍人になってある地方を侵略統治する三男ワン・フーの個性的な頑固さを中心に描かれる。第三部「分裂せる家」は孫の世代、ワン・フーの息子ユアン(王淵)が主人公。父親に溺愛されるのだが、子供時代はおとなしくいじけたように成長する。優柔不断ながら、祖父の土に対する愛着を持つ。ひょんな(女性がらみ)ことから国家罪として死刑になりそうになるが、一族からかき集めた賄賂で逃れ、アメリカに6年留学する。農業を学ぶ留学中、そこでもメアリーという恩師の娘との恋愛にも煮え切らない。帰国後も自国の発展途上のあり様(1920~30年ころ)を見て、相変わらず悩み通しのユアンだが、あれよあれよという間にメイリン(美齢)という自国の女性とハッピーエンド、まるでハリウッド映画みたいな終わり方であった。さて、三代にわたる中国男性たちの物語だが、あなどれないのは登場する女性たち。「大地」のワンロンの最初の妻アーラン(阿蘭)の超寡黙で働き者、彼女の功がなければ小農家から脱出できなかったね。でも、大地主となりて第二夫人、第三と手前勝手なワンロンなのであった。しかし、晩年は献身的な第三夫人、リホア(梨花)と土を愛する質素な生活を送るしあわせさ、それも誠実な神様みたいなリホアあってこそ。「息子たち」ワンフー(王虎)の第一夫人もしかり。第二夫人の息子ユアン(王淵)を我が子のようにやさしく包む頼もしさ。彼の恋人メイリン(美齢)もアメリカ時代のメアリーも、頭の良い素晴らしい女性に描かれている。アメリカ人のパール・バックが両親ともども長きにわたって、中国大陸に住み暮らし、深い理解をしたからこそ中国女性の(東洋の)我慢強い誠実さを描きとったのだ。
2022年12月10日
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50幾年かぶりに再読したのは『挽歌』原田康子50幾年前に読んだ時期は、ものすごいベストセラーになってから10年も経っていたのだけど。とにかく若いときに読んで、ベストセラーだからというわけではなく作品が印象深かったことは確か。証拠に、この新潮文庫、昭和平成令和超えて71刷だ、永らく読まれてきているのだから。わたしの好きな桜木紫乃さんが登場して、なお有名になった釧路市がK市ということも、当時は気にしていなかったといってもいい。なにしろ外国の街のように思ったのだから、といおうか、そういう読み方をした。まるでフランスの心象、心理小説を読んでいるようだったから。まず、導入部のところ なんのお祭りなのだろう……。家々の戸口に国境が立っている。国旗の出ていない家のほうが少ない。わたしの家と道路ひとつへだてた小学校の国旗掲揚塔にも、大きな旗があがっている。その大きな、真新しい旗も、軒先や門にくくりつけられた、赤の褪せた旗も風が吹くとかすかに揺れた。わたしはなんとなく、この晴れきった真昼に街中の物音が絶え、幾千の、幾万の旗だけがひそかに鳴りつづけているような気がした。 しかし 、本当はそうではない。繫華街のほうから街のざわめきが聞こえてくる。自動車のクラクション……(後略)ヒロイン怜子が窓から見る街、祝日(お彼岸なんだけど)の旗(国旗)がはためく風景、その描写にシュールさを感じ、見知らぬ外国の街のように思ってしまったのだが、今読み返しても新鮮だ。そしてありふれた三角関係のストーリーの運びが、現実離れしているのが特徴なのだったと思う。*****読み直して面白く思ったのは、桜木紫乃さんのペンネームがヒロイン伶子の相手「桂木(かつらぎ)さん」に似た発音の「さくらぎ」さん。登場する「ホテルロッテ(ロッテ屋敷)」は『ホテルローヤル』を思わせる。それから、TVドラマ倉本聰さんの「北の国から」の「じゅんくん」の印象的な初恋の相手が「れいちゃん」。『挽歌』の怜子も「れいちゃん」と呼ばれていて…おお!と 笑
2022年11月12日
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本に呼ばれているような気がして、未知の本を手に取ることがある、書籍店で、図書館で。読んでみて当たる(おもしろい)ときもあれば、そんなでもないときもあるが、引き込まれて読了した。そんな一冊。『ブラック・リバー』S・M・ハルスアメリカの北モンタナ州で、長年にわたり刑務所で刑務官を務めた60歳のウェズリーの来し方と、現在を交錯する切ない物語。余命いくばくの妻が奏でて欲しいと望む、夫の得意なフィドルが弾けないわけは、刑務所勤めの時の暴動で酷いけがを負ったから。妻が亡くなって5日めに、その勤めていた刑務所のあるブラック・リバーに18年ぶりに戻るウェズリー。そこには妻の連れ子と、その義理の息子に贈与した自分の家がある。なぜ、モンタナから隣のワシントン州に18年も住んでいたのか?なさぬ仲の息子との苦しい行き違い、刑務所での暴動事件の爪痕など、次々と明かされるストーリーが凄まじい。読んでいて苦しくなる。また、武器社会のアメリカならではの暴力なのかとも思い暗澹となる。抑えた語り口。はじめ作者は男性と思っていたが、女性作家だったので驚く。おかしい言い方だがアメリカらしい作品の一つ。
2022年11月08日
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『あした死んでもいい暮らしかた』ごんおばちゃま『フランス人は10着しか服を持たない』ジェニファー・L・スコットわたしとしては珍しくハウツー本。こういう本は本屋さんにて立ち読みで済ませていましたが、図書館から借り入れるという気軽さから。両本とも今流行りのミニマル、シンプルライフ、断捨離などのエッセイ風指南書ですね。そしてブログから本に、というところも同じです。『あした死んでもいい暮らしかた』作者は60代のお方だそうですが昭和の香りが満載で、80代のわたしでも先輩の言かなと思うような風です。ただ「あした死んでもいい」というフレーズがドキッとするのは80代だからでしょうか。1章から3章までの「身辺整理、片づけ、暮らしの整え方」が実利的な方法、4章~6章は暮らし方の指南と心構え」という内容。お決まりの「ものを減らし片付けること」を「ものを抜く」と言ってらっしゃるのが、珍しいというか、独特で「へええ~」と思いました。5章「お金の使い方」=「お金はなるべく使わない」ですが、お金を使わないのが目的ではなく、シンプルに暮らしたら「使わなくなる」の方が素敵です、だってあの世に持っていけませんもの。『フランス人は10着しか服を持たない』こちら執筆当時30代らしい方、アメリカ人。アメリカの大作家ヘミングウェイも『移動祝祭日』でフランスはパリを祭り上げている印象的な文章があります。そりゃ、パリに留学・ホームステイすれば、しかも昔貴族のお家に、シックな大人な生活に。20代のアメリカンガール学生はカルチャーショックでしょうし、あこがれでしょうと想像します。アメリカに帰って学生生活が終わり、本格的に人生を歩み始めたとき、その経験がよみがえり、ふたたびめざめ「シックとはどういうことか」というブログを書き始めたのです。わたしとしては「10着しか服を持たない」に興味津々。それは大げさな表現だったのでしたが、たしかにからだはひとつ、着きれない服はいりませんね。そこにシックなセンスが加わればなおさらです。洋服がからだにまといつくような、伝統と歴史が長い欧州は特にパリ、大人の女性(マダーム)の雰囲気は、わたしのようにちょっとした観光旅行でさえ、見抜きましたもの。書き手の彼女がアメリカに帰って、人生経験しつつ、パリでの生活を消化したからこそ、このエッセイが出来たのでしょう。
2022年10月02日
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『スタッキング可能』松田青子この作品2013年に上梓されているのですけど、まだまだ今どきが「わかる、わかる」「そうなのか」と新鮮だったですね。「スタッキング可能」は会社で働く女子社員の嘆きっぽい独白、オフィス模様。「マーガレットは植える」女の子の不如意な暮らし、昔なら乙女な嘆き。「もうすぐ結婚する女」ずばり、マリッジブルーに絡めた期待と不安の風景。松田青子さんの初期の作品でしょうか、作風が出ています。ぼやいたり嘆いたりなのですが、なんとなくおかしみがあるのです。小品の間に挟まれている「ウオータープルーフ噓ばっかり」の3編が特におもしろいなあ、TVドラマ「家政婦は見た」の家政婦協会の事務所(畳のくつろぎ部屋)での会話が思い出されます。クスクス笑ってしまいました。こういうの好きです。
2022年09月19日
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『持続可能な魂の利用』松田青子一人の女性が子供・少女時代からおとなになるまでの防御的自己確立の軌跡と言おうか。男性たち(作者はそれをおじさんの目と言う)からの幼児時代の小さなセクハラ(例えば写真撮らせてと近ずく)や、混んだ電車中での痴漢経験、夜道の怖い思いなどが、自意識過剰な防御の習い性になり、おとなしめの女性に。派遣社員として働く会社でのある男からの巧妙なセクハラもどきいじめに合い、離職させられ精神を病む。そしてそれから脱出、自立するまでをヒロイン「敬子」を中心に、様々な女性のシーンにことよせて、ファンタスティックに描いている。小説の設定は現代なのに、わたしの昭和時代と変わらないんだね。高校時代の混んだ都電での痴漢(後からわかったのだけど、犯人は母校の先生だった。もちろんうやむやに)夜道で変なもの見せられたり(蹴とばしてやればよかったのに)就職すればしたで、暗黙の27歳定年制、男性たちのある種のうわさばなしで辞めていった人が何人いただろうか。とただ、ただ愚痴っているのではいけない。この世からある一定の男性(作者の言うおじさん)が消えればいいのか、解決策はファンタジーではいけない。言っていくしかないんだね。この世は半分は女性だから。作者は「おばちゃん」という言葉も言う、そう「おばちゃん」は強い、「ばばちゃん」はもっと強いよ。さてさて、ネタバレになるけど小説によると、縮小しなければ成り立たない世界の中で「国をたたむくじ引き」を一番に引き当てたのが日本なのだと。いまの日本のありさまをみていると、作者の皮肉、秀逸だね。(いやいや、そんなこと許せないけど)
2022年09月12日
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『あたしたち、海へ』井上荒野中学からの仲良し三人組が私立女子高でいじめに巻き込まれた。発端は三人のうちのひとりが、正義感から女王様気取りのクラスメイトに反発反抗した。女王様は仲間を募って巧みにいじめてきて、その生徒は転校を余儀なくされる。残った二人はかばいきれず、忸怩たる思い、おまけに身代わりのようにしていじめられるのだった。そして…。井上荒野さん筆の精緻を究めたいじめの描写は読むのがつらいくらい。しかし、構成が三人の高校生、有夢(ゆむ)瑤子(ようこ)海(うみ)の視点や、いじめる張本人(ルエカ)の言い分、母親、父親、担任立場からもみていて、冷静な目で巧みに描かれ「うまいなあ」と小説そのものに好感を持った。読後、「そう来たか!」と心に温かみが広がったのだけれど。
2022年09月07日
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『戦争は女の顔をしていない』スヴェトラーナ・アレクシェーヴィッチ第二次世界大戦、ナチスドイツとソ連が戦い、ソ連の100万を超える女性が従軍したという事実。それも医師とか看護婦だけではなく、武器を取って男性と同じように戦ったのだ。なのに戦後その事実を隠さなければならないほどに、白い目を向けたソ連という国。戦後3~40年経ってやっと語りだした従軍体験、掘り起こしたのがスヴェトラーナ・アレクシェーヴィッチ。その話し言葉で語る文章の数々を読み終わり、著者の最初の文面に戻ると、胸が迫ってくる。苦しくなる。「女たちの」戦争にはそれなりの色、臭いがあり、光があり、気持ちが入っていた。そこには英雄もなく信じがたいような手柄もない、人間を超えてしまうようなスケールの事に関わっている人がいるだけ。そこでは人間たちだけが苦しんでいるのではなく、土も、小鳥たちも、木々も苦しんでいる。地上にいきているもののすべてが、言葉もなく苦しんでいる。だからなお恐ろしい……女性たちが語る話は、戦争だから、爆撃、壮絶な負傷、死屍累々の凄まじさ、人間の尊厳ぎりぎりの戦争の、のっぴきならない様相。でも感性豊かな語り口に呻吟させられる。加えて、キーフ、クリミア、ドンバスの地名が戦いの場として登場するではないか。ソ連の国として一緒に戦ったウクライナに、ロシアの侵攻がある現在を思い遣れば、暗澹たる気持ちになる。何ということだ!平和ボケさせられていたわたしたちを目覚めさせた、ウクライナ侵攻の遠因がほの見えるようだ。スヴェトラーナ・アレクシェーヴィッチはウクライナ生まれベラルーシ育ち、つまりウクライナ人とベラルーシ人の両親、そして著書はロシア語で書かれている。
2022年08月13日
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『おばちゃんたちのいるところ』松田青子タイトルがなぜ「おばちゃんたち」なのか幽霊は女の人ばかりなの!?ほのぼのがうまいなあ~どれもいいけど、「菊枝の青春」「番町皿屋敷」の本歌取り、青春ものになってる。昭和バブルの頃は近距離なのに、モノレールが盛んに作られた。でも、使わなくなるとお荷物になって、取り壊すのにも時間がかかって、いつまでも橋脚とか残っているのよね。商店街や道路の邪魔、それあるある、だ。「ないとさみしい。でも全部なくなってしまえば、ないことがわからなくなって、きっとさみしくなくなる。」片付けの基本だね。「いちまい~にまい~さんまい~」の声が聞こえる。
2022年07月31日
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柚木麻子『らんたん』明治大正そして昭和の太平洋戦争後まで、キリスト教系女子学園創設にかかわった女性たちの物語。「河井道」という聡明な行動力のある明るい女性を中心として、たどる道筋はなんと健気なんだろう。作者の筆はきら星をちりばめたように、次々と女性たちを紹介していく。親友の「一色ゆり」はもちろん、歴史に名を残した人々を。津田梅子、若松賤子、大山捨松、村岡花子、伊藤野枝、広岡浅子、犬養道子、石井桃子、柳原白蓮、平塚らいてう、神近市子、市川房江、加藤シズエ・・・男性も、新渡戸稲造、有島武郎、徳富蘆花、白洲次郎・・・災害と戦争という中での経験にもかかわらず、ランタンのともしびが灯るような、女子学園で過ごしたことがあるなら、きっと思い当たる雰囲気が、平明で温かい文章でつづられる。今もこうなんだろうか?と懐かしむ。*****この頃の猛烈な暑さと、世の中の閉塞感にぐったりしており(まあ、年齢からくるのかも知れないが)しばらく読後感は後回し、と思っておりましたが、この本はおススメ!と、つとめてアップしました。4回目ワクチンも無事済み(なんで高齢者はいつも副反応がないんでしょ 笑)ホッとしていたら、コロナは攻勢をかけてきて、よけいうっとおしい日々。あちらこちらで具合不都合な友人たちの話(骨折や小さな病気)を聞いて、人生ほんと、「よいなこっちゃ」ないですよ。
2022年07月23日
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『あちらにいる鬼』井上荒野1970年の初め、瀬戸内晴美氏が出家するというころ、『かの子繚乱』やなどの作品を夢中で読んだ頃が懐かしく、面映ゆく読んだ。なぜかと言うと、チャプターに年代がきちんと示されていて、その頃の自分もついでに思い出してしまうからだ。『いづこより』は半自叙伝の作品、中心をなす不倫相手の作家が誰ともわからなくてもどうでもよく、そんなこと詮索しなくても、突き刺さる作品と感じただけでよかった、わたしの30代(主婦子育て真っ盛りを普通に過ごしていての)それから晴美氏が寂聴さんとなり、マスコミをにぎわしても、それは横目で見ていたのだけど、モデルが誰だとか、やはり興味がなかった。井上荒野さんという作家は興味がありつつ未読、いっきにいろいろなことがわかった。井上光晴さんだったのか(でも作品は知らない)と、荒野さんの作家力にますます興味が湧いて、魅せられてしまったことなどだ。この作品の魅力は文庫本解説の川上弘美氏のが秀逸。
2022年06月19日
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『路上のX』桐野夏生いよいよ日本もつけが回ってきたのか。みんなが中流という夢が覚めてみれば、こんななんだよという小説。『OUT』の貧困は女性たちが中年でバイタリティーがあり、まだしも希望をにじませた。負の時代はまだ若かった。ここでは若き女性といっても、高校生くらいの十代が生きていくのに、貧困と破綻のスパイラル。必死さがすさまじい状態なので少しも希望がない、でも絵空事ではない。と、桐野さんの小説は激しくて、ひたひた押し寄せてくるものに脱力感だ。
2022年05月08日
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『今度生まれたら』内館牧子時々吹き出しながら読んだ、この小説の主人公は2017年に70歳となる、わたしの5こ下、まあ似たような時代を生きたわけ。OLが腰掛で25日のクリスマスケーキにならないようにコンカツ(お見合い多し、たまに職場結婚)して寿退職し、専業主婦になるのが一般的でした。振り返ってみれば専業主婦が花の時代だったかも、なんのかの言っても平和な時代に家庭を営んでいたのですね。ヒロイン夏子さん、新聞のインタビューに答えて、コメントが記事になったのを見たら、「佐川夏子さん(70)が…」と載っていて(70)という活字に老いを意識、ショックを受けたという出だし。わかりますう「高齢女性(80)が行方不明…。」という記事を見て「あらあら大変!お年寄りが…」と他人事のように思ってて、しばらくして「あれ?同い年じゃないか」とがっくりしますものね。そんな風に相変わらず筆達者にお書きになっている、柳の下にどじょうの三匹目がいるかもの本でした。
2022年05月07日
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『世界の三大宗教』並木伸一郎「眠れないほどおもしろい」というサブタイトルは陳腐だけど、とても分かり易くためになったことは請け合いです。中学や高校歴史の教科書の副読本にいいのではないでしょうか。キリスト教、イスラム教、そして仏教、が劇的な変遷を経て現在に至るということコンパクトに要領よくまとめてあります。今までに読んだ流布されているそれぞれの解説書もいいけれど、こうして並べられるとよくわかります。違いがということではなく、宗教の寄ってくるところの道が同じなのだなあというのが一つ。それから、私見ですがどうもキリスト教もイスラム教も同じ神の認識を中心に信じているらしいし、仏教の神も姿がない(悟りだから)同じ神と言っていい、ということが分かったのが奥が深いなあ。簡単明瞭に説明されていますが、それぞれの詳しい歴史や名称は忘れても、なんだかすっかり安心して、神社仏閣をせっそうもなく参る日本人ですよかったわ、と思います。
2022年04月30日
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『うつくしが丘の不幸の家』町田そのこ高度経済成長期の集合住宅団地群が一段落すると、今度は一戸建て住宅団地(「なんとかが丘」だの「何とか台」ね)が郊外のあちらこちらに散らばりました。日本では一戸建てでも隣家とぴったりくっついているのが普通。「隣の芝生は青く見える」というTVドラマが流行りました。そう‼いわゆる「ダンチ」と呼ばれている集合住宅群よりも、隣のことが気になる世界でもありました。わたくしも横浜の外れのそういう住宅地で子育てをしましたから、にやにゃしながら読みました。町田そのこさん、うまいですねえ、その一戸の家に住む人たちの変遷、まつわる幸不幸がよく活写されています。幸不幸といっても実に平和な世界だったのですねえ、とつくづく思います。
2022年04月27日
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「だれも信じていないはずの出来事が起きる。」昨日読み終わった町屋良平さんの最新作『ほんのこども』の一節です。(P237)なんとなく近々の「ロシアのウクライナ侵攻」の驚愕?憂慮?を想起してしまいます。予言的ととってしまいそうです。まあ、文学は普遍性が感動を与えるものですから。その続きの文章はこうですだれも信じていないはずの出来事が起きる。出来事が世界を圧倒し、信じるためのフィクションが戸惑う。物語の現実性が、現実の物語性とぶつかって、ありえてはいけない場が山脈のようにうるうる浮きあがる。こんなのは物語の空中交換が孕んだ悪辣の延命というか、そののびた大地で果たされる妄言の現実化といった、フィクション化された現実の間隙をつく自暴自棄と憎悪のまざった歴史的忘我なのでは?なんだかわかりにくい文章で、ほとんど全編このようでしたから読むのに苦労(時間がかかり、図書館借り出し期間ギリギリ)でしたが、妙に惹かれてもいくんです。わたしは文間から立ち上るものを読むのが好きですが、そんな余裕がないくらいびっしりと書かれた文面、よーし読みこなしてやれって! 笑ストーリ展開は、語り手の友人あべくん(主人公?)は成長過程に虐待児だったので、長じて暴力的に生きるのですが、そのあべくんの志向(嗜好)がホロコースト関係の書を読むのを好み、語り手も彼を知りたくて同じように読んでいき、哲学するように、あべくんを読み解いていくのです。しかも、私小説にして書きたいという、書き手(小説家)という設定ですからややこしいのでした。傑作なのかどうか、わかりません、でも、ぼんやりわかればいいんじゃありません!?ところでこの本の前に深緑野分さんの『ベルリンは晴れているか』を読んだのですが、それぞれの本のカバーイラストを描いたのが同じ小山義人さん。何とも言えないぞわっとした印象をうけます。何を読んでも「現況」を連想してしまうループにはいってしまったのか!と思っています。
2022年04月26日
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『ベルリンは晴れているか』深緑野分昔読んだ中村正軌氏の『元首の謀叛』 以来の日本人が書いた「東西時代のドイツもの」。あれは東西の壁が崩れるころの話。これはその前も前、第二次世界大戦後のドイツはベルリンでの連合軍統治(米ソ英仏)時代が舞台の歴史ミステリー。その後ドイツが二つにベルリンが二つになったわけだけれど。まず評判通り、資料読みこなしの想像力と活力にあふれた本だった。それはいいのだが、ヒロインのドイツ少女アウグステの冒険活躍を単純に楽しめないように、ミステリーの背景のドイツ敗戦処理に暗躍するソ連赤軍(秘密警察)情報局が、なんだか今現在を彷彿させるようで、ロシアのウクライナ侵攻状況を身近にしている時も時、妙な納得で読んだ。しかしこと、ヨーロッパばかりではない。地球上どこでも、人間が何世紀にも辿って生きていく歴史は、なんと複雑にして怪奇、縺れにねじれてほどけないのは趨勢なんだ。
2022年04月24日
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『湖畔亭事件』と『影男』乱歩ものを15年ぶりに読む。傑作と言われているものは読んでいますけど、未読作品を2冊図書館で借りてきました。『湖畔亭事件』「湖畔亭事件」大正15年(1925年)と「一寸法師」昭和2年(1927年)が収録されていて、「湖畔亭事件」は「H山中A湖」(というから箱根・芦ノ湖ね)が舞台の温泉地ミステリー。語り手の覗き趣味が高じて殺人事件に巻き込まれ、最後はお定まりの謎解き。そこはまあ普通だけど、当時の温泉宿描写がレトロでおもしろい。「一寸法師」の方が有名ですね、「へんてこ」という表現がお好きらしい。これ昭和初期にだからスルーされたのか。何回も映画になったそうだから、興味的に見てしまう人間の側面なのだろう。謎解きはともかく、おどろおどろしい描き方は乱歩ならではのもの。『影男』昭和30年(1955年)作者60代の作という。あれやこれやと奇想天外な話のてんこ盛り、初期の作品の焼き直し感もあるが、乱歩世界の手練れた描写で再び浮かびあがる、地中の楽園大ジオラマ。現代のガラス張り水族館などが真っ青じゃないかしら。いつの時代も好きなんだな、こういうのがね。いまやAIつきのゴーグルで自由自在にバーチャルな別世界へ行けますもんね。
2022年04月02日
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『ノートル=ダム・ド・パリ』(下)ユゴー邪恋やら暴動やら、そして可憐な乙女の運命。フランス版時代物、大ロマン小説。ジプシーゆえに魔女狩りというのか、死刑を宣告されるエスメラルダ。その美しい娘はストーカー的に恋する中年の聖職者に追いかけられ、死刑から救ってくれた醜い背むし男にも純愛をささげられるが、娘は娘でちゃらんぽらん美男に恋焦がれるその行き違いの皮肉さ、どうしようもなさ。まあまあと、笑って楽しめたはずなんだけど、今は悠長に物語をたどっていく気がしないリアルの世界情勢。従って感想も何がなし滞ってしまってた。悪夢を見ているようだ、いえ、現実がフィクションを超えてしまった。人間の文明はどこに向かうのだろうか!この『ノートル=ダム・ド・パリ』の結末も救いがないとも言えるし、人間の業の深さは果てしがない。なんか、感想ももうやめたいよ…。
2022年03月28日
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『ぎょらん』町田そのこ読み始め、苦手なファンタジーか?とちょっと引いておりました。亡くなった後に残るその人の思いが「イクラのようなふにゃふにゃした赤い玉」に隠されているそうなのだという。だから「ぎょらん=魚卵」正直、気持ち悪い~~!!ところが、4章の「糸を渡す」にさしかかるとそんなこと吹っ飛んでしまいました。グループホーム利用者の「茂子さん」とスタッフの「七瀬さん」に、ボランティア学生の「菅原美生」がからみ、その母親「佐保子」が登場する場面がなんとも印象的だったのです。内容ははぶきますが、身寄りのない孤独な「茂子さん」の遺品、バラバラになって壊れていたビーズの首飾りをつなぎ直すのが誰か?が感動です。そこで、第1章「ぎょらん」のニート兄「御舟朱鷺」を心配する妹「華子」と母親の様子の唐突さが和らいだのでした。そして2章「夜明けのはて」で「朱鷺」のニート脱出物語に、夫の葬儀でかかわった元保育士「喜代」の事情がまたストーリーを繋げていくのです。3章「冬越しのさくら」5章「あおい落葉」それから6章「玉の向こう側」人と人のつながりのなんとも複雑に、凝り過ぎぐらいからみあう作品です。読み終われば結ぼれている糸の謎がするすると解け、町田そのこという作家の妙味なんだなあと思います。章立ての短編として読んでもいいし「ぎょらん」という「赤い玉の物語」として読んでもいいと思う。そしてこの「玉」は「魂」と読み替えてもいいのではないでしょうか。
2022年03月21日
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『黄昏の彼女たち』(上)1920年代、第一次世界大戦後と第二次世界大戦の間のイギリスが舞台。戦後の喪失と未来への希望が見えない世界への不安。まして西欧といえども女性の地位が低かった。女性の選挙権もまともになかったようだな時代が舞台。戦争で逝ってしまった兄や弟。そして父も借金を残してなくなってしまった、古い大きなお屋敷に母と暮らせば、維持するために、部屋を貸していくしかなかった。お嬢様だった「フランシス」、なのに屋敷を管理するのは当然、お手伝いさんも雇えないので、自分で掃除も何もかもしなければならない変化。26歳の独身、鬱々たる毎日になる。しかも過去に女性問題事件を起こしている秘密があった。貸室に来たのは若いご夫婦。その妻はちょっと変わっていて魅力的だった。自然と親しくなり…。と、ミステリアスというより、危なっかしい展開になる。独特の雰囲気だった『半身』や『荊の城』に続く、サラ・ウォーターズ節なるか?時代背景が前世紀の初め、女性の地位思想は抑えられている。解説にもあるが、ヴァージニア・ウルフの小説と同傾向と思うとうなづけるものがある。上巻はやや普通だね、というところかな。そして下巻事件は起こる。いや。レズビアンの関係がわかってしまったというのではない。三角関係には邪魔者はいなくなってほしいが必須。殺人事件が起こるのか?と思っていたら、その通りになった、さて…ここからが読みどころなのだと思うが、わたしには息詰まるおもしろさというより、息苦しさのほうが強かった。でも、それがサラ・ウォーターズの真骨頂かもしれない。時代背景が前世紀の初め、女性の地位思想は抑えられている。解説にもあるが、ヴァージニア・ウルフの小説と同傾向と思うとうなづけるものがある。
2022年03月10日
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