Book of Days

Book of Days

自己紹介的な


自己紹介というか、自分を客観視してみた観察記録みたいな、そういうニュアンスも含まれる。

【名前】vaticivy(vaty)
旧名goras。
このHNは中学のとき、友達(親しさLv.C)とじゃれあっていた時にでた言葉から。
万能言語でこれひとつ使えば「おはよう」だろうが「今日の会議は6時からです。遅刻しないでください」だろうが表現できる。
という設定だった。
今では略称vatyが自分のHNとして定着。
ただ高校卒業とともに改名しようと思案中。
変える名前も決めてある。

【自分】
なんだろう。
いろんな一面、いろんな部分があって一概にはくくりきれていない。

【目指す自分】
・口の巧い人であること。
それは同時に頭がよく回る人で、かっこいい人。
そのためにもボキャブラリーは必要だし、応用力が必要。
日常生活でこつこつと磨いていくしかない。
・冷静で客観的で多角的であること。
この3つがつまり物事を考えられるということ。
物事を直視できて(冷静)
物事をちゃんと捉えられて(客観的)
あらゆる場合を考えられる(多角的)
これは必要な能力。

【自分史】
自分という人間を知る(知ってもらう)にはそのバックグラウンドを知らねばなるまいと思って書き綴る。
自分さえわかればいいという感じなんで見易さ度外視。
・誕生
日本某所で生まれる。
はっきりいってこれ以上の記憶はない。
というより誕生も聞かされた話だから、誕生したのかどうかも謎。
・インドネシア時代
2歳ぐらいのときにいったらしい。
自分最古の夢もこの時代の記憶。
深い森の中でアンパンマン等そのとき気に入っていたぬいぐるみたちとともに古びた洋館を攻略しようという夢だった。
また、最初(で最後)の母親への抵抗もこのとき。
何かで叱られてその報復に家事をする母親に背後から近づき、ふくらはぎを噛んだ。
よくよく考えると人でもっとも固い(=武器となる)器官を無意識に使っていたということらしい。
我ながら恐ろしい。
とはいってもその後大事になった記憶もなし、また叱られたかどうかの記憶もない。
残っているのはこの記憶と、何かしらの罪悪感だけだ。
・幼少関西時代
4歳ぐらいの時に日本に帰ってくる。
母方の祖父母の家から幼稚園に通う日々だった。
そのときは祖父も健在で毎日自転車に乗っけてくれていたらしい。
それもあやふやにしか残っていない。
幼稚園で覚えているのは「オズの魔法使い」を演じたことだ。
そのころから自分は積極的な人間で、いわゆる優等生だった。
北の魔法使い(本当は女性らしいが)と大王の2役を演じた。
大王はお調子者と組んで演じた。
卒園証書を代表して壇上まで取りに行ったのも俺だった。
・関東神奈川時代
父が仕事の関係で転々とするなかでさらなる引越し。
父は別に貿易とかをしているわけではないが、よくわからん。
とにかく小学校入学を目前にキリがいいということで神奈川に引っ越した。
B1にスーパーがあって、はじめてのお使いもこのスーパーだった。
その店先にたこ焼きやさんがでて、そこのお兄ちゃんと話して6時に帰って怒られたこともあった。
そのころから親はとにかく門限に煩かったのだ。
大別して夏季は6時まで、冬季は5時半までだった。
一度門限を大きく破って帰宅して、家に入れてもらえないということがあった。
そのときは泣く泣く扉を開けてもらったが、今から思えばそのときから既に親に実権があったのだろう。
今でも親にいい印象があまりないのは残念なことだ。
・タイバンコク時代
小学校2年、夏休み前にタイへいく事となる。
はじめはタイは未開のジャングルのイメージしかなく、どこに飛行機を止めるのだろうと不安に思ったものだが、予想を大きく裏切る発展ぶりに驚かされることとなった。
タイは過ごしやすく、日本ほど苦労した記憶はない。
タイでの生活は日本との違いの連続だった。
そもそも小学生の生活の半分を占める学校から違った。
バンコクの日本人学校は他国のそれと比べても異様にでかいマンモス校で、小学校は1学年平均7クラス、さらにはそれに中学校も付随するという巨大さである。
毎年のクラス替えで同じクラスになるのは2,3人でそこは少し悲しくもあった。
クラスというコミュニティーの人間は常に変わっていくものだった。
だから自分が特に仲良くしていた人も変わって、その数は2人と決まっていた。
なぜかはわからないが、とにかく3人組で行動するのが好きだった。
それは今でも続いている(高校に入って幾分か緩和されているが)。
それがクラスの話。
もうひとつはマンションというコミュニティーだ。
タイの日本人街はかなりそれ相応になっていて、他の地域と一線を画するものであったが、それでもやはり発展途上国のそれに過ぎず、異国の小学生が出歩く街ではなかった。
だからマンションの違うクラスの友達と遊ぶなんていうのは親の同伴が絶対で、さらにタクシー(またはシーローというトラックを改造したような簡易タクシー。むしろこちらの方が一般的)に乗らなければならないから手間のかかるものだった。
必然、マンションの友達との付き合いは増える。
そんなわけでマンションの友達は学校の友達とは違うまた特別な存在だった。
遊ぶのは6時まで。
マンションの“内線”を使ったり、直接家まで呼びにいったりして何とか遊んでいた。
遊ぶのは主に7階。
6階までは駐車場でこの7階こそが子どもたちの遊べるフロアだった。
プールがあって、ちっちゃな公園があって、卓球台、ビリヤード、テニスコート……
思えば日本よりもある意味贅沢な場所だった。
まぁそこでいろいろと遊んでいたわけ。
主にはドロケイ(ケイドロと呼ぶ地域もあるらしい。よくわからん)。
普通に卓球したり、サッカーもしたし、その時々の流行り廃りもあった(TCGとか)。
あの時代は楽しかった。
マンションでもうひとつ重要な場所が屋上。
この場合はA棟の屋上で、実質40階に相当する高さである。
ここがなんとも簡単に入れる場所で、小学生でも入れるから驚きだ。
しかもヘリポートまで上がれば柵がないときている。
少し頭を出せば40階分下の地上が覗けるのね。
あの場所に行ったこと、それが自分が体験した「死ぬ思い出」の最古だろう。
あそこは開放感があって、だけれどもちょっとでもへまをすれば死ぬという恐怖の鎖もあった。
そのないまぜの感情が今も自分を生かしているのかもしれない。
・オオサカ中学時代以降
日記をぽつぽつ書いているのでもう話すことはないかと。
あるかもしれないけど、それは自分だけのものだから。

【このHP(ブログ)】
相当嫌いじゃない。
ネットを巡回し終えるとまた戻ってくる。
それから巡回してまた戻ってきて以下略。
日記の更新もかなりまめ。
理由は自分でもわからない。
なんか嫌いになれない。
中学の時以上に。

【読書】
苦ではない。
読もうと思ったら徹夜してでも読み続ける。
最長はゼロの使い魔*9冊朝5時まで←ちょっと自慢
ファンタジーとかを好んでいたけど最近はリアリティも求めるようになってきた。
ファンタジーが「幻想」から「虚構」に変わった感じ。
それでもまだ嫌いではない。

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