書評日記  パペッティア通信

書評日記  パペッティア通信

PR

Calendar

Comments

山本22@ ブランド時計コピー 最高等級時計 世界の一流ブランド品N級の…
山本11@ 最高等級時計 店舗URL: <small> <a href="http://www.c…
よしはー@ Re:★ 小島毅 『近代日本の陽明学』 講談社選書メチエ (新刊)(09/26) 作者の独善性、非客観性をバッサリ切り捨…

Archives

Nov , 2025
Oct , 2025
Sep , 2025
Aug , 2025
Jul , 2025
Jun , 2025
May , 2025
Apr , 2025
Mar , 2025
Feb , 2025

Freepage List

Keyword Search

▼キーワード検索

Mar 13, 2005
XML
カテゴリ: 歴史
1


ひさしぶりに、力作の新書を読ませていただきました。昨年度、佐藤卓己『言論統制』(中公新書)以来の感動ですね。つつしんで、吉見俊哉氏に感謝したい。あたまのいい人の本って、やっぱりどこか違う。

開発主義的政治体制を担保するため、大衆の願望を「所得倍増=地域開発」で掬いあげることを必要としていた戦後日本。その大衆の願望を体感させてくれるシンボルとして、高度成長の時代がおわっても各地で再演され続けた、万博というイデオロギー装置。ここでは、このたびの愛知万博でも最大の問題になった、「開発と自然」というテーマが、とりあげられるだけではありません。知識人は、テーマや理念などの策定を通して万博にかかわりながら、なぜかくも無力で挫折しなければならなかったのか。市民は、メディア媒体の発達の中で、国家の開発政治にいかに向きあっていったのか。つらぬかれている視角は、知識人と国家、市民と国家のかかわり。そして、讃えられるべきは、「万博」という場にはたらく「政治的力学」の丁寧な解明をとおして、そこからすかしてみえてくる、この国の政治そのものを透視しようとする意思でしょう。なんと意欲的な構想の書であることか。さすがは、カルチュラル・スタディーズです。

内容をおさらいすると、「花と緑の博覧会」をのぞいた、4つの日本の万博がとりあげられています。日本万国博覧会こと大阪万博。沖縄海洋博。つくば科学博。そして、大阪万博につづいて2回目の一般博である、愛知万博。

大阪万博は、1940年、延期された東京万博の計画の実現であり、1930年代に構想された新幹線やオリンピックといった国家的イヴェントの1つであった、という指摘にはうならされるものがありました。中央エリート官僚が、産業界・メディア・地域社会を引っぱる、総力戦体制の延長としての万博。「人類の進歩と調和」というテーマには、「不調和」をかかえながらも、それでも多様な人類の智慧を信頼しようとする、知識人の強烈な理念がこめられていたのです。しかし、お祭りと企業広告と未来都市のイメージが氾濫する陰で、展示にいかされることのない、ただのお題目と化しました。来場者6400万人という大衆の欲望の波に、マスメディアはイラク戦争報道のときのように足場を見失い、市民と国家、知識人と国家における対話と意思形成の回路はとざされ、竹林の里山はあとかたもなく壊されていったのです。

あとの3つは、この大阪万博の「くりかえし」と「ちがい」として、本書では整理されていきます。1975年沖縄海洋博は、72年の沖縄返還にともなう、本土経済にくみこみ基地依存から開発依存への転換として機能したこと。知識人の考えた海洋「文明博」・「環境」博の理念は、海洋フロンティアと海底都市のイメージが乱舞する、海洋リゾート「開発」博へ、さらには沖縄北部開発のための公共投資誘致事業へと変質させられます。1985年のつくば科学万博は、さらに悲惨でした。新官庁都市計画が後退して、研究学園都市となったつくば周辺への、あらたな公共投資誘致のみが先立った万博。そこでは、居住・環境と人類というテーマは後退し、大阪万博のリバイバルとしての「情報」と「映像」の祭典へと変質し、興行的に大失敗したのです。ただ、このくりかえしの中で、万博反対運動のテーマは、反戦から環境へ、担い手は労働組合から市民団体へとかわっていくのです。

2005年愛知万博は、そのために色々な面で「過渡期」にあたるものとなりました。名古屋オリンピック=地域開発の夢の挫折、とリベンジ。しかし、「環境」をテーマにしなければならない万博が、会場となる里山を破壊しなければならない不条理は、とうとうここで爆発してしまいました。環境運動のもりあがり。市民ネットワークのひろがり。そして、市民参加が実現するまさにその頂点で、自然の叡智から従来型のお祭りへ、環境博の理念がそのものが後退してしまうというパラドクスがおきてしまいます。ここの分析は、もっとも面白い部分。ぜひ、本書を読んで確認して欲しい。

一貫してながれる、市民はいかに国家のかかわっていけるのかへのこだわり。ただ、いささか鼻につくのが、安易なグランド・セオリー(大理論)とのなれあいでしょうか。

ミクロの分析が、安易にグランド・セオリーに支えられ、繁茂することはよく見られます。ここでは、さまざまな既存の理論を参照しながら、話がすすめられてました。しかし、1980年代以降、「公共領域の解体(本書150頁)」とされましたが、公共領域の解体とは何でしょう。この書で行われた、「市民社会の成熟」という議論とは、すこしばかり齟齬していませんか? また、グローバリズムとは何でしょうか。官主導の終焉ののち、市民的公共性に反するものとしてグローバリズムがあるのでしょうか。この書では、愛知万博におけるトヨタのはたした役割を、グローバリズムに位置づけています。しかしそれが、愛知財界における関与という、ローカルではないとされる理由は、なにも提示されません。それどころか、トヨタの万博における役割が、何も検討されないまま、なぜか批判されてしまいます。トヨタは、「三菱未来館」になどの企業パビリオン出展にみられる、従来型の万博へのかかわりと、どのように違っていたのか。この質的な差異にふれないで論をすすめるのは、ただの妄想でしかないでしょう。ミクロの万博という事象を通して、ミドル・セオリーをつくり、グランド・セオリーの再考をせまりうる力量を秘めた作品だけに、いささか残念でなりません。



とはいえ、本年刊行される新書の中では、指折りの名著となることが決まったも同然の力作でしょう。ぜひ、ご覧ください。

評価 ★★★★☆
価格: ¥903 (税込)

人気ランキング順位





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  Jan 2, 2006 12:35:15 AM
コメント(10) | コメントを書く


■コメント

お名前
タイトル
メッセージ
画像認証
上の画像で表示されている数字を入力して下さい。


利用規約 に同意してコメントを
※コメントに関するよくある質問は、 こちら をご確認ください。


Re:1  
macoko  さん
すみません、私は頭が悪いので、本著を読んでおりませんし、著者がどういうスタンスに立つ人間か知りませんが、ちょこっとだけ。

>万博反対運動のテーマは、反戦から環境へ、担い手は労働組合から市民団体へとかわっていくのです。
>しかし、「環境」をテーマにしなければならない万博が、会場となる里山を破壊しなければならない不条理は、とうとうここで爆発してしまいました。環境運動のもりあがり。市民ネットワークのひろがり。そして、市民参加が実現するまさにその頂点で、自然の叡智から従来型のお祭りへ、環境博の理念がそのものが後退してしまうというパラドクスがおきてしまいます。

この部分なのですが、私には非常に根深い疑惑があるのです。
反対運動をする「市民」団体が、グリンピースのように有りがちなエキセントリックでファナティックなものになるのは、宿命なのかもしれませんが、少なくとも私は愛TOYOTA博に賛成でもなかったのですが、「市民」運動を見て、万博が愛知に決まったのを中継で見て、ザマミロと思ったものでした。 (Mar 13, 2005 08:32:22 PM)

Re:2  
macoko  さん
私が、果たして愛知県民かどうかすら怪しい「市民」団体に疑惑と嫌悪を持つのは、その胡散臭さです。具体的に言えば、愛知万博に反対する彼らは、その手段として、対抗都市のカルガリー万博誘致に協力したのです。???? 「市民」団体は、万博反対なのではなかったの?
会場となる場所の「環境破壊」を理由に反対するのであれば、人家を破壊して開催しない限り、全ての万博に反対すべきなのではないか? カルガリーだって、自然を破壊して開催するんじゃないの?
そもそも論として、「市民」団体と、パビリオンを出展する企業や自治体と、どちらがヨリ環境に配慮する実績を上げているのか? という疑問もあるのですが、それはおくとして、その「市民」団体の理念の程度を『カルガリー誘致運動』で見たような気がしました。
「市民」運動の「カルガリー誘致」は、戦術としてはセカンドベストを狙った失敗に終わったと言えるかも知れませんが、戦略としては最悪な失敗に終わったというべきだと思います。まぁ結果論ですが。

私が不勉強なだけで、「市民」団体の全ては地元住民で、あるいは「カルガリー誘致」には、環境に全く負荷をかけない画期的な万博だったのかもしれませんが。 (Mar 13, 2005 08:32:43 PM)

Re[1]:2(03/13)  
春秋子  さん
macokoさん
>私が、果たして愛知県民かどうかすら怪しい「市民」団体に疑惑と嫌悪を持つのは、その胡散臭さです。具体的に言えば、愛知万博に反対する彼らは、その手段として、対抗都市のカルガリー万博誘致に協力したのです。???? 「市民」団体は、万博反対なのではなかったの?

あ。そういえば、そんなこともありました、ありました!!たしかカルガリーを応援していた人、いましたよね。懐かしい。

ただ、どうでしょうか。この本でとりあげられる人は、反対派から、万博に協力して環境博にしたい人まで、さまざまな人々がいたことが記されているのです。県外の人も県内の人もいます。というか、吉見さんは東大の人ですから県外の人です。しかも万博の理念とかの策定に関わった人なんですよ。

市民団体のネットワークは、否定しさるものではないと思いますけど。ていうか、国家相手に戦うのに、「住民」に限定されたらとても戦えないでしょう??なんで、重量級ボクサーと軽量ボクサーの試合なのに、ハンデをさらに軽量ボクサーの方につけなきゃならないのかな、と思うんですけど。どうでしょう。

>そもそも論として、「市民」団体と、パビリオンを出展する企業や自治体と、どちらがヨリ環境に配慮する実績を上げているのか? という疑問もあるのですが、それはおくとして、その「市民」団体の理念の程度を『カルガリー誘致運動』で見たような気がしました。

「そういう人もいた」でいいのでは?市民団体はあまりにも多様です。たしかに私も忘れていました(笑) (Mar 14, 2005 01:49:30 AM)

Re:吉見俊哉 『万博幻想 戦後政治の呪縛』 ちくま新書(03/13)  
cyan さん
市民はいかに国家のかかわって→市民はいかに国家にかかわって
「三菱未来館」になどの→「三菱未来館」などの

***
本を読んではいないのですが…

愛知万博って、そういえば、あと10日後にオープンなんですね。

ーーーーーーー
「こくら日記」236 ■ 04 Nov 2003
スタードームを世界へ  万博の”市民プロジェクト”に「宇宙船地球号」として参加予定。
ーーーーー http://www.apa-apa.net/

当初、大介さんは冷ややかだったのですが、打診されたことがきっかけで参加することになったケースです。 (Mar 14, 2005 09:15:00 PM)

Re[2]:2(03/13)  
macoko  さん
>「住民」に限定されたらとても戦えないでしょう??なんで、重量級ボクサーと軽量ボクサーの試合なのに、ハンデをさらに軽量ボクサーの方につけなきゃならないのかな、と思うんですけど。どうでしょう。

ここは誤解をされてしまったようなので、説明しておきますと、
>「市民」団体の全ては地元住民で、あるいは「カルガリー誘致」には、環境に全く負荷をかけない画期的な万博だったのかもしれませんが。
と書きましたように、「あるいは」です。よって、
1. 「環境」に配慮するために「万博」に反対
2. 「地元」を愛する故に「愛知万博」に反対
という、二つのスタンスは理解できるのです。2は、愛するからだけではなく、地元でやられたら迷惑という理由でも当然OKです。
だから住民が「愛知万博」に反対するのも、市民運動屋さんが「万博」全般に反対するのも、どちらでもOKという意味で「あるいは」なのです。
しかし、地元住民以外が、カルガリー誘致に参加するのは、1と2に対してはNGです。
もし、一部の莫迦を
>「そういう人もいた」でいいのでは?
というのであれば、田嶋陽子という「そういう一部の莫迦がいた」という目立つ存在を許して失敗したフェミニズムのように、まさしく
>戦術としてはセカンドベストを狙った失敗に終わったと言えるかも知れませんが、戦略としては最悪な失敗に終わったというべきだと思います。
だと言っているわけでございます。 (Mar 14, 2005 09:16:52 PM)

Re[3]:2(03/13)  
春秋子  さん
macokoさん

>>「市民」団体の全ては地元住民で、あるいは「カルガリー誘致」には、環境に全く負荷をかけない画期的な万博だったのかもしれませんが。
>と書きましたように、「あるいは」です。よって、
>1. 「環境」に配慮するために「万博」に反対
>2. 「地元」を愛する故に「愛知万博」に反対
>という、二つのスタンスは理解できるのです。2は、愛するからだけではなく、地元でやられたら迷惑という理由でも当然OKです。
>だから住民が「愛知万博」に反対するのも、市民運動屋さんが「万博」全般に反対するのも、どちらでもOKという意味で「あるいは」なのです。

なるほど。なるほど。だんだん、意味がわかってまいりました。

>しかし、地元住民以外が、カルガリー誘致に参加するのは、1と2に対してはNGです。

えっと、ここなんですけど、市民運動屋さんが愛知万博に反対してはいけない理由がよくわからんのです。

そもそも住民と市民運動屋さんが対立したカテゴリーにくくられるのが分からなくて。

だって考えてみてください。万博にせよ、廃棄物処理施設にせよ、「住民がいない」から作られるんじゃないのでしょうか。だから、反対運動は厳密にいえば「住民」じゃない人がやるような感じがするのです。

たとえば、諫早湾干拓で「ムツゴロウ」だったかを被告にすることがなされた訳でしょう。スタンドプレーだなあと思いましたが、よく考えれば、「住民がいない」という本質をつかまえている事象だなあと思ったことがありまして。 (Mar 15, 2005 04:38:08 PM)

Re[4]:2  
macoko  さん
地元住民が、いつの間にか、その敷地に該当する土地に住む人という、異常な狭義の「地元」住人になっちゃってませんか? そんな意味の地元住人という使い方は初めて見たので、戸惑ってしまいそうな午後十時。

>えっと、ここなんですけど、市民運動屋さんが愛知万博に反対してはいけない理由がよくわからんのです。
>そもそも住民と市民運動屋さんが対立したカテゴリーにくくられるのが分からなくて。

読んでの如く
>地元住民以外が、カルガリー誘致に参加するのは、1と2に対してはNGです
と書いた通り、
>1. 「環境」に配慮するために「万博」に反対
>2. 「地元」を愛する故に「愛知万博」に反対
この二つに対して、ですよ。
これ以外の、つまり「環境」や「地元」以外の理由で反対するならば、話は別ですが、私は寡聞にして「環境」を旗頭にしていたイメージしかありません。
他の理由だったのならば、私の不勉強もさることながら、メディアの取り上げ方にも問題があったことになると思われます。 (Mar 16, 2005 10:23:51 PM)

Re[5]:2(03/13)  
春秋子  さん
macokoさん
>地元住民が、いつの間にか、その敷地に該当する土地に住む人という、異常な狭義の「地元」住人になっちゃってませんか? そんな意味の地元住人という使い方は初めて見たので、戸惑ってしまいそうな午後十時。

いや、考え方の「ひとつ」として提示してみただけなのです。「住民」と「市民運動屋」は、そもそも対立するものであろうか、と。

ただ、愛知万博を批判できる「住民」って、結構あいまいな感じがしませんか?たとえば、住民=愛知県民だとします。豊橋より多治見の方がずっと近いのに、多治見は抜け落ちてしまいます。東海地方にします。静岡市の人も地元といわれても釈然としない人もいるでしょう。なんとはなしに、それぞれの間で共有できないような気がしたのです。

>これ以外の、つまり「環境」や「地元」以外の理由で反対するならば、話は別ですが、私は寡聞にして「環境」を旗頭にしていたイメージしかありません。

たしかに、カルガリーの方が愛知万博より、破壊しないという証明がない以上、環境保護をとなえながらカルガリー万博を支援するのはおかしいでしょう。

>他の理由だったのならば、私の不勉強もさることながら、メディアの取り上げ方にも問題があったことになると思われます。
-----

わたしも、聞いたことがないので、おっしゃる通りと思われます。
(Mar 17, 2005 09:40:46 PM)

Re[6]:2(03/13)  
macoko  さん
春秋子さん
書評のほうが大切ですので優先順位で切り上げていただいて結構ですが、お返事を。

>「住民」と「市民運動屋」は、そもそも対立するものであろうか、と。

私は、対立概念として提示はしていません。
根拠が「地元」であれば「愛知」万博に、根拠が「環境」であれば「万博」に反対することになるという、根拠と目的の関係性の問題です。
「地元開催に反対するから、カルガリーを含む全ての万博をやめろ」とか「全ての万博は環境を破壊するから、愛知万博をやめてカルガリーで万博を開催しろ」という、根拠と目的がずれた主張をNGと言っているのです。「地元住民」と「市民運動屋」を対立概念とはしていませんよ。

>愛知万博を批判できる「住民」って、結構あいまいな感じがしませんか?たとえば、住民=愛知県民だとします。豊橋より多治見の方がずっと近いのに、多治見は抜け落ちてしまいます。東海地方にします。静岡市の人も地元といわれても釈然としない人もいるでしょう。なんとはなしに、それぞれの間で共有できないような気がしたのです。

普通、と言っていいのかどうか、私の感覚ではモータリゼーションで若干広くなった程度の「共同体」のつもりで「地元」と書いていました。自治体の線引きなどは想定していませんでした。渋滞その他、実質的に被害を被る範囲ぐらいを想定していました。
逆に、愛知県民以外が地元意識で愛知万博を反対し、カルガリーに賛成する場合には、それはもう「市民」運動家ではなくて「国民」運動家と呼ぶべきですね。あるいは「大東亜」運動家かもしれませんが。 (Mar 17, 2005 09:58:33 PM)

原文の引用をお願いします  
黒潮丸 さん
あなたが私のブログにトラックバックして下さったおかげで、あなたの書評サイトを知りました。世界が一つ広がりました。どうも有難うございます。
あなたの精力的な書評に感心します。そして真正面からの取組みに感服します。
どうぞご精進をお続け下さい。

願うらくはあなたの書評に、原著からの引用文を幾つか入れてもらえたらいいなと思います。我々は必ずしも原著を読むわけではありませんので、引用された原文から原著の香気の一端を味わいたい気持ちがあります。また引用を加えることであなたの書評に一層の彩りを添えることになるでしょう。
(Apr 23, 2005 08:25:07 PM)

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: