書評日記  パペッティア通信

書評日記  パペッティア通信

PR

Calendar

Comments

山本22@ ブランド時計コピー 最高等級時計 世界の一流ブランド品N級の…
山本11@ 最高等級時計 店舗URL: <small> <a href="http://www.c…
よしはー@ Re:★ 小島毅 『近代日本の陽明学』 講談社選書メチエ (新刊)(09/26) 作者の独善性、非客観性をバッサリ切り捨…

Archives

Nov , 2025
Oct , 2025
Sep , 2025
Aug , 2025
Jul , 2025
Jun , 2025
May , 2025
Apr , 2025
Mar , 2025
Feb , 2025

Freepage List

Keyword Search

▼キーワード検索

Mar 24, 2006
XML
カテゴリ: 歴史


ピープルパワー
その姿を恐れ、今月初頭、戒厳令を出した、アロヨ政権

少し年配の方なら、「ニュースステーション」で、若き日の安藤優子アナが実況していた、1986年のマルコス大統領打倒の様子を思い出される方もいるかもしれません。ほとんど知られていない、「近いけど遠い国」フィリピン。フィリピンとは、いかなる国なのか。本日ご紹介するのは、そんなフィリピン500年の歴史をまとめた概説書です。ほとんど知らない国であるだけに、これがなかなか素晴らしい。

スペイン到来以前、海上交易などに従事していた、フィリピンの民。イスラムだけでなく、仏教が伝来していた形跡があるようです。有名なトルデシリアス条約で、スペインの領域に入れられてしまうものの、マゼランを戦死させたラプラプ王を初めとして、誇り高きフィリピン人は執拗な抵抗を続けたという。とはいえ、推定人口は50万人前後で国家といえるものもない。ムスリムの楽園は失われ、 新大陸と同様のエンコミエンダ制 が導入され、過酷な搾取に苦しんだという。税金を払うため首長から金を借りねばならず、そのため首長の奴隷となるものが続出。強制労働も、さかんにおこなわれた。その支配の鍵となったのは、ご存じ、カトリック。カトリックは、強固な宗教や社会組織をもたないフィリピンに、土着信仰を取り入れながら瞬く間に浸透、布教と支配のための集住化政策がとられ、 聖俗両面における強大な修道会支配が行われた らしい。原住民の経済とは無関係のガレオン貿易―――アカプルコ~マニラ間の1年1航海で往復する交易。1航海で400万ペソの法外な利益―――などに対しても、教会は盛んに投資をおこなった。教会は、 地方政治、貿易、政治、通商まで支配 していたという。

18世紀以降、スペイン支配への反乱が頻発するのだが、これが実にまどろっこしい。なにせ、 外国勢力と手を結んでの反乱で、失敗だらけ 公教育を英語でおこなう「友愛的同化」政策の実施 によって、「アメリカ的」なものが、指導者層・庶民を問わず、どんどん受け入れられてゆく。

とはいえ、1930年代になると、アメリカに無関税で輸出できるため、砂糖・タバコなどの 大農園換金作物栽培がすすんだ。そのため、「地主-小作」のパトロンクライアント関係が崩壊 してしまい、フィリピンは農地紛争の頻発する社会混乱期に突入してしまう。この情勢下、フィリピンでは共産主義運動が高揚、社会党・共産党が合同して、フィリピン共産党が結成される。初代フィリピン大統領(35年以降、自治領)ケソン政権は、「容共」路線に転換して、日本侵略に備え、左翼勢力と足並みをそろえる。そこへ訪れたのが、ご存じ、太平洋戦争。 フィリピン共産党は、フィリピン抗日ゲリラの中核「フク団」を形成し、親米勢力は「米比軍ゲリラ」を結成 。一方、反米的愛国者が日本とむすんでつくった、日本軍政下の傀儡政権も実にしぶとい。彼らは、「日本の圧政の盾になる」「アメリカより先に独立を手に入れる」などを理由に政権に参加。1943年11月、フィリピン独立を達成してしまう。それも、 日本側の参戦要求を頑として拒んだまま、「戦争状態が存在する」との声明を独立後1年もたって出しただけ 、という始末。汪兆銘政権、ビルマなどと比べても、そのしぶとさには驚く他はない。


1946年に発足した、フィリピン第三共和制以降は、コラソン・アキノ大統領の夫、暗殺された殉国者、ニノイ・アキノの伝説を軸として描かれていて、これまたたいへん面白い。マッカーサーの命令に背き、祖国解放のため闘った反日ゲリラ「フク団」。戦後、彼らは 傀儡政権首脳の赦免 、という我が目を疑うような事態を目撃することになったという。 彼らの戦いは、米国の再占領を可能にして、エリート支配を復活させただけだった のである。米軍は手のひらをかえして大弾圧。そんな中、ひとりの若者、ニノイ・アキノが登場する。マグサイサイ政権の誕生に、若干21歳でありながら、記者として大きく関与。最年少町長を振り出しに、砂糖業経営者、大統領補佐官、最年少上院議員…上院議員となって以後、ニノイは、 ハンチントンの立憲的権威主義をモデルに、社会改革の断行を唱え戒厳令を施行した、マルコス独裁政権に激しく抵抗 。病気治療先の米国からマニラ空港に到着直後、「 フィリピン人のためなら死ぬ価値がある 」の言葉通り、暗殺されてしまうのだ。その後の激しい民主化運動。コラソン・アキノが、国軍改革派・カトリック教会・アメリカ…すべての勢力が受け入れ可能な、マルコス対抗馬として擁立された。不正選挙、人民の勝利集会、国軍の決起、戦車隊を取り囲む群衆、そしてアキノ大統領誕生…ただ、輿望をになって登場した アキノ政権は、マルコス政権同様、農地改革に失敗 してしまう。また、国語改革も進んでいない。フィリピンは、今も国際的地位の向上のため英語とタガログ語の2言語教育をとり、政府文書にはなお英語が使われているが、小学校教育の現場では生徒に大きな負担になっているという。


碑文・古文書の類がまったく出土しなかった らしい。スペイン征服の正当化にも使われた屈辱的な「野蛮な民」の汚名を晴らす機会が、今まさに訪れているという。とはいえ、スペイン到来以前は、中国の史書などに頼らざるを得ない状況が続き、 「スペイン~米国史観」の呪縛 から解き放たれてはいない。たとえば、 聖書を読めないフィリピン人が作った独自の聖書『パシヨン』 。この民衆長編叙事詩『パシヨン』が、フィリピンのカトリック教会に受け入れられていないように、「反米」または「親日」というだけで、正統な評価を受けられない嫌いがあるらしい。「スペイン~米国」を評価軸とする風潮が、今も幅を利かせるフィリピン。フィリピン史を「抵抗の歴史」として位置づけ直そう!歴史の再評価を!!筆者の提言は、胸を打ちます。

とかく、定評のある『物語 ○○史』のシリーズの1冊だけあって、フィリピン史にまつわる逸話がちりばめられていて飽きさせない。世界最初に地球を一周した人物は、何あろう、マゼラン船団唯一のアジア人で通訳を務めた、フィリピン人エンリケ・デ・マラッカ。意外や、スペイン統治初期、フィリピンは 倭寇の襲撃を受けていたらしく、植民地政庁は豊臣秀吉の情報を綿密 に分析していたという。マルコス大統領は、今でこそイメルダ婦人の冴えない旦那のイメージしかないものの、「抜群の頭脳」を誇り、法学部時代は「ナンバーワン」と言われていたというから、驚かされるではないか。



総じて、現在のフィリピン分析そのものには問題があるものの、その前史を考えるには、お役にたてる新書のひとつといえるでしょう。ぜひ、探しもとめください。

なお、本当に久しぶりの更新になってしまいました。
ご愛読いただいてる皆様、申し訳ありませんでした。


評価 ★★★☆
価格: ¥882 (税込)


←このブログを応援してくれる方は、クリックして頂ければ幸いです 





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  May 16, 2006 03:08:34 PM
コメント(1) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: