書評日記  パペッティア通信

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Aug 24, 2006
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カテゴリ: 社会
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▼  簡単にまとめておきます。


▼  英米の対立(中華人民共和国を英は承認)によって、 大陸と台湾、双方とも参加が認められなかったサンフランシスコ対日講和条約は、冷戦下、米国主導の下、中国・ソ連包囲網の最前線の役割を担わせる ためのものだった。市場としての中国を求める日本財界。しかし、米国の日中分断戦略から阻まれ、1950年代以降、両国とも中国のかわりに東南アジアへ進出先をもとめてゆく。そのため、日本にとってアジアとは、市場、もしくは日本が主導権を握って束ねる「客体」であるにすぎず、今にいたる日本とアジアの疎遠な関係の遠因にもなったという。「以怨報恩」で知られる蒋介石の対日賠償要求放棄も、日華条約調印直前まで、賠償要求をおこなうつもりだったらしい。当初は中国も、党レベル、政府レベル双方で、具体的政策をもたずに、日本に対応したものの、 1953年頃には今日まで続く対日外交の大原則、日本軍国主義と日本人民を分ける、いわゆる「2分論」が出現 するようになる。対日賠償放棄方針も、1964年頃には定まっていた。


▼  1973年10月、田中角栄と周恩来のわずか4日間の交渉によって、劇的に展開した「日中国交回復」。それまで積み重ねられてきた、超党派&民間レベルでの「日中貿易推進」の積み上げの成果であるという。1969年頃から始まった米中の接近。ベトナム宥和・対ソカードに使いたいニクソンの アメリカは、「台湾独立を支持しない」「対中国交正常化確約」など、かなりの譲歩 をおこない、上海コミュニケに結びつけたという。72年7月の「竹入義勝・周恩来」会談で、中国側は台湾問題の口頭約束で処理、対日賠償放棄、日米安保の容認など、日本側にとってかなり有利な条件を提示していた。にもかかわらず、日本側は「中国は請求権を放棄する」という原文から「権」を削り、「戦争の終結」ではなく「不正常な状態の終了」という表現をのませるなど、さらなる譲歩を「 中国側が日本の主張を理解する形で 」勝ち取ることに成功したという。


▼  ただ、この日中国交正常化の過程では、日本側には「 戦略の欠如」「国内政治の延長としての外交」「外交感覚や歴史的センスの貧しさ 中国側にも「国際政治の戦略性過多」「道義にもとづく大原則 (日本国民の負担になる賠償請求はできない) あって、具体的政策なし」「国内世論無視 」という、方法論的に致命的な欠点を抱えていたという。どんなに、日本側が日中戦争の問題、いわゆる「歴史問題」に決着がついたと考えたとしても、一枚の紙切れによって、決着がつくはずがない。 対日賠償請求放棄は、日本が台湾との政治関係を切ることに使われた という指摘には、江沢民が執拗に「歴史認識をとりあげよ!」と言った背景とも連なっていて、「そうだったのか!」とあらためて驚かされるだろう。


▼  この 「72年体制」が、台湾民主化による「一つの中国論」の破綻、主要敵ソ連の崩壊、日本の政治構造の変化、対外開放とインターネットによる中国における世論の強大化によって綻び を見せ始めたこと。これが、日中関係の難しさを生んでいるという。もはや日本側は、大平首相時代のように、「強くて安定した中国」を望み、ODA借款を供与することはない。ただ中国側は、日本のように「環境保護」「国際的相互依存」「人道主義」としてODAを捉えず、「国家利益の最大化」としてODAを捉えるものの、賠償放棄したのだからODA供与は当たり前、という言動は見せたことがないらしい。1990年代初頭には、天安門事件に対する日本側の穏和な姿勢、「日本がアジアに帰ってきた」「日本の再アジア化」と、日本がアジアにおいて地域安全保障に関して役割をはたすことに対して、賛意をしめす動きさえあった。それが、1996年の台湾海峡危機や、日米安保再定義、中国の急激な台頭によって、日中関係は構造的大変動をとげてゆく。


▼  ポスト冷戦期である現在は、無制限な経済的相互もたれあい、政治的・経済的・戦略的競合関係へのシフトの中で、両国国民とも感情的な関係に入りながらも、日本は強大化する中国にどう対応していいか分からず、 中国は軍事力&日米同盟を強化する日本にどう対応していいのか分からない 、不透明な時代であるという。今や、周恩来・毛沢東の2分法が、インターネットで「奇談怪論」呼ばわりされる一方、「戦後は終わった」意識の日本では、対外的には反省と謝罪する「外の顔」と、A級戦犯を祭る靖国神社にお参りする「内の顔」、≪両者の使い分け≫が陰を潜め、かつての「内の顔」が「外の顔」になり、密教が顕教化するようになる。この変容を、中韓は許容できない。しかも、日中のナショナリズムは質的な違いがある。日本では、政界における、伝統的日本主義に回帰する動きだけが突出しているが、 中国では「自己愛」「大国意識」「不平等感」によって、大衆的・情緒的ラディカリズムが出現する一方で、冷静な「対日新思考」外交の提唱などの、≪思潮の多様化≫と≪社会の多元化≫が特質 であるという。靖国神社問題は、「内政問題」「文化の問題」「文化相対主義の問題」では片付けられない、「国際政治の問題」と一刀両断されていて、右派結集の軸「台湾との接近=歴史の見直し」についても手厳しい。 日中ともに、アジアを軽視 してきたことを指摘。日中関係再構築には、関係の理性化、リーダーの定期的接触、歴史問題の公的機関の設置、レベル毎に異なるチャンネルを形成して「利益」をシェアすること、多国間レジームの形成(東アジア共同体)とならんで、日中による共同事業が提唱されて、本書は締めくくられる。 


▼  1995年頃、日本人は戦後が終わったと考えた。しかし、中国は考えていない… 何よりも 日中国交回復に参与できなかった中国人にとって、戦後はやっと90年代から始まったのだ …  靖国神社参拝とは、中国政府の提示した、日中戦争の解決の方法、「2分法」のシンボルであるが故に絶対に譲れない


▼  これらの見解には、近年、 韓国ですすむ歴史の見直し とも重なっていて、目の覚めるような思いさえさせられる人が多いのではないだろうか。日中国交回復以前、中国側は政経不可分、日本側は政経分離を原則にしていたものの、政経分離の交流など「長崎国旗事件」でもろくも崩れてしまった………安倍晋三首相候補の対中外交が失敗におわることは、どうやら歴史的にみても明らかのようだ。また、ニクソンやキッシンジャーは、米軍の撤退にともなう「日本軍国主義復活」を懸念する周恩来に、「日米安保ビンのフタ」論による日本「封じ込め」を確約しただけではない。周もキッシンジャーも、「日本=島国集団」論で意気投合していたことなど、興味深い内容が盛りだくさん。とくに、日華条約は「台湾が範囲」と定めてあるため、日中戦争の終戦処理は終わっていない。村山談話は談話であって、「立法措置」ではない、という批判もあるらしい。 「72年体制」を軽々しく変えることを主張することが、日本にとってどれほど不利益か 、他にも 中国共産党が、民族主義で権力を奪い取った政権 といった常識に類することが、実に適切にまとめられていていて心地よい。


▼  これまで日本は、 戦後和解の枠組の精神にもっとも忠実だった中国


▼  「美しくない」「学歴詐称男」安倍晋三首相には、途方もない宿題が、求められていることだけは確かであろう。日中と靖国問題を考えるなら、ぜひお買い求めいただきたい新書になっています。



評価 ★★★★
価格: ¥777 (税込)

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Last updated  Oct 1, 2006 01:07:20 AM
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