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宮殿のような映画館は、テーマパークと同様、非日常の空間
に他ならない。もはや「ニッケル・オディオン」期のような、外国語が話されたり、黒人・低所得層によって分化しているような、多様な空間ではない。とはいえ 観客は、人種的、階級的、イデオロギー的に均質化されてしまうものの、「序曲」「行進曲(ニュース映画)」「本編」などにはオーケストラが伴奏でつくなど、音楽会と見まごうような多様な音楽が奏でられた
という。ところが、トーキーの登場と世界恐慌に、このピクチュアル・パレスは対応できなかった。1930年代以降、 中規模サイズのトーキー映画館経営に転換していく中で、音楽会的興行プログラムは変容するものの、生演奏自体は続いた
。いったんは静粛になった映画館は、途中入退館と観客が自分で座席を探す(以前はボーイが案内)ため、再びうるさくなったという。
▼ なによりも、1933年ニュージャーシー州に誕生した、「ドライブ・イン・シアター」なるものには、日本人ならば、驚く他はない。広大な駐車場で、車を降りることなく、巨大スクリーンと駐車場脇にある音源によって、映画と楽しんでいたんだとか。排ガスで曇るし見えにくいという欠点があるものの、赤ん坊が泣いても、周囲に迷惑をかけない、プライバシー空間であった。 「ドライブ・イン・シアター」は、喫煙、うたた寝、ダンス、飲酒、SEXなどがおこなわれた空間であり、「テレビと居間」や、今でいえばDVDプレイヤー・モニターを車に乗せる行為の先取り
をしていたという。1957年頃、この「ドライブ・イン・シアター」は最盛期をむかえ、普通の映画館よりも観客動員は多かったらしい。ただし、それは、映画のテレビ化プロセスと重なっており、テレビ保有率が8割に達したときだったという。夜、映画をみる以外には、昼には、教会の屋外説教にも使われた。「ドライブ・イン・シアター」が衰退して、その跡地に建てられたのが、ショッピング・モールであり、シネマ・コンプレックスなのだとか。
▼ 1980年代以降、ショッピング・モール内に展開する シネマ・コンプレックスの登場とは、テレビの多チャンネル化に完全に敗北した証拠であるが、その「社交的交際」の性格ゆえに、今もなおテレビと競争することが可能になっている、
のだという。一本の映画の製作と宣伝に可能な限り予算を投入して、可能な限り高収益をねらう、1970年代登場したスタイル、「ブロック・バスター映画」。「ブロックバスター映画」は、「収容能力の異なる複数の劇場をもつ映画館」にとっては、ヒットの大小にあわせて収容能力の違う劇場を自在に変更できることから、たいへん都合がいい。そのため、 シネコンによる全国同時放映のスタイルが生まれてしまい、「2番館」「3番館」制度はビデオ・レンタルやDVD販売によって無意味化
、「映画等級付け」制度の崩壊を招いてしまったらしい。「ブロック・バスター映画」の興隆は、万人受けする内容でなければならないので、ハイコスト・ハイテク・ハイスピードの世俗的均質の坩堝のような映画の横行、ならびにアート・シアターの廃館と外国映画上映の機会を剥奪をもたらしてしまう。その結果、 「外国映画の再映画権の売買」なる、価値の高い外国映画がしばしばハリウッド映画として再映画化されて世界のシネコンに輸出するビジネスが生まれた
というのだから、驚く他はない。
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