BRASILの独り言

外国かぶれの子供時代





* 子供の頃から 百科事典の外国の写真ばかりを 追い見つめていた。


* 小学4年生、初めて歌謡曲というものの存在を知る。(ちょっと遅すぎ)

 友達が 「たのきんトリオ」(歳バレバレ)に熱くなっている中、どうも入っていけないものを感じた。


* 中学生の時、初めて 洋楽デビュー & 洋画デビュー。(遅い?)

初洋楽は 映画「フットルース」のサントラ。映画は 観ていないのに。
洋画は 「ネバー・エンデイング・ストーリー」。(ガキッ)
未知の世界に惹かれて 次々と 開拓。といっても 当時は貧乏中学生、レンタルCDもビデオもなかったため、興味のある先輩に借りまくり。 

 が、いつも通学していた友達は シブがき命。
洋楽の話をしても分かってもらえず、

「ごめんけど、全然興味ない!」

と ずばり言われ、黙り込むワタシ…。
彼女のフッ君情報を毎日三年間聞かされた!(よく耐えたな、ワタシ)


 また「トップ・ガン」のトム・クルーズにしびれて ピンナップを下敷きにはさんでいたら、他の友達に

「鼻が 赤い、凍傷男。」
「どこが いいん?あの凍傷男。」

と けなされた。クラス中が笑っていた。
主張しても分かってもらえないなと悟り、黙っていた。



* 話の通じない田舎はもう嫌じゃ!話の分かる友達ゲット!

とそれだけのために 市内の商業高校へ入学。
普通高校だと地域枠の関係で行けなかったから。

 それが結果的にはよくて、同じ高校生でも いろんな興味や考え方の人がいるってことが分かって、
「素直なわたしのままで いいんだ。」
と 自信をもつことができた。


 きっとあのまま田舎の学校へ行っていたら、村社会の中で 大勢に合わせて、自分を殺して、自信がなくなっていたと思う。 


* そこで 「ポップ仲間」ができる。


 すぐに「ポップ」から「ハードロック仲間」に移行したが。
皆それぞれお気に入りバンドは違ったが 共通の趣味を通して コンサートやら 外国映画鑑賞、バーゲンツアー等々で 共に行動。楽しかったなあ。


* 卒業後も 相変わらずハードロックを聞き続けたが、歌詞の内容が分からないことに苛立ち始め、英会話学校へ 通い始める。

 そこで知り合った外国人先生たちと 友達になり、毎週末 遊び呆けた。
英語を使う楽しさを覚え始め、もっと使えるように、もっといろいろ知り合うために 市が募集していた「国際交流ボランテイア」に参加した。

 「国際交流ボランテイア」で 市内に住む外国人が住みやすいように、いろんな日本人と交流ができるようにいろいろなイベントを催したり、一緒に観光したり、外国の料理を一緒に作ったり、市内レジャーガイドを 作ったりした。

* そのとある交流パーティで 一人のブラジル人と出会う。

その突拍子もないほどの明るさに惹かれて、ブラジル人たちとの交流が始まる。
何度もブラジル人パーテイに招かれ、その度に ジョークの連発、笑い声、音楽がかかるとすぐ踊り始める といった陽気さに引き込まれる。



 そうしたなか、ダンナと出会うのでした。

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: