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お天気も良くとても暑い日でした。
でも私は、心の中で小躍りしてました、 暑い暑い日になあれ、、、
と
(それには深~い訳があります)
歴史の町、堺には見どころ沢山あります。
まずは、 信長も恐れたという
夜泣きの大蘇鉄
に会いに妙国寺へ。
立派な山門。
工事中の部分もありますが、お目当ての大蘇鉄は本堂のお庭の方にあります、受付へ向かいましょう。
残念ながら中は撮影禁止です。
今回ご紹介している蘇鉄の写真は、特別にお庭を見学させていただいて許可を得て撮影しています。(お庭から見せて欲しいと頼めば見せていただける事もあるので、是非頼んでみましょう!)
ここ妙国寺は歴史的逸話満載のお寺なんです。
まず、秀吉や千利休も度々訪れていたそうで、千利休ゆかりの灯篭、手水鉢などが残されています。
また織田信長、伊達政宗や加藤清正、徳川家康やお万の方(徳川家康の側室)も訪れており、それぞれのゆかりの品も見ることができます。
そして、何と言っても必見なのが天然記念物に指定されている 樹齢1100年以上といわれている霊木、
夜泣きの大蘇鉄。
客殿の縁側から見る夜泣きの大蘇鉄、それはそれは見事でした。
この妙国寺が450年前に建てられたと言いますが、この大蘇鉄ははるかそれ以上昔からそこにあったとされています。
なんでも、この妙国寺に宿泊していた信長がその見事な蘇鉄に惚れ込み、1579年(天正7年)に安土城に移植させました。
しかし、それから夜毎「堺に帰りたい、帰りたい」と悲しげに泣く声がどこからか聞こえるようになりました。
その怪しげな声の主を探ってみると、庭先に植えた大蘇鉄がすすり泣いていたそうです。
激怒した信長は蘇鉄を切り倒すよう命じましたが、家来が蘇鉄を切りつけたところ真っ赤な血を吹き出しながら大蛇のようにのたうち回ったのだとか。
その姿を見た信長は恐れおののき、祟りを恐れすぐさま大蘇鉄を妙国寺に返しました。
せっかく妙国寺に帰ってきたものの、蘇鉄はみるみるうちに弱っていき枯れ始めました。
哀れに思った日こう上人は法華経を唱え続けるとある夜、夢枕に蛇身の白髪老人が現れて宇賀徳正龍神であると名乗り、「鉄分のものを与え、仏法の加護で蘇生すれば報恩の為男の険難と女の安産を守ろう」とこの寺の守護神になることを告げたのだそうです。
堺は刀鍛冶の街、、、早速門前の鍛冶屋に鉄屑を集めさせ根元に埋めたところ、大蘇鉄は見事に蘇ったのだそうです。
それ以来、お堂を建て守護神宇賀徳正龍神として祀っています。
大蘇鉄の写真を見ると、鳥居が立ってますよね。
そして周りに埋めてある岩にも意味があります。
亀岩というそうで、龍神様の力が宿っているこの大蘇鉄を亀さんが守っているように長寿、招福の願いを込めていくつもの岩が配置されています。
鳥居の後ろの少し突き出た岩が亀の頭、四方には手足、後ろ側には尻尾もあります。
↑写真左)大蘇鉄の亀岩のしっぽ 中央奥)枯山水庭園 写真右)土蔵
そして、大蘇鉄のシッボ側の奥に白い土蔵が見えますよね。
これは大坂夏の陣でも、第二次世界大戦の空襲でも焼けずに残った当時の土蔵なんだそうです。
この土蔵の中から、数々の貴重なお宝が出てきたのだとか。
また、現在のお庭は平庭平泉回遊式枯山水庭園で、これは(大坂夏の陣や第2次世界大戦で消失しているので)江戸時代の庭を再現してものだそう。
それは、富士山や三保の松原、駿河湾を模したお庭で徳川家康の心を慰める為のお庭でした。
家康に仕えていた小堀遠州が、家康から兼ねてから聞いていたこの妙国寺を訪れ、大蘇鉄を含む庭の美しさに目を奪われたそうです。
そして、寺の許しをもらい石組みの中央に富士山、右側に富士川、左側に大井川が流れ遠州灘に注いでいる景観をとり入れ、見事に蘇鉄の枯山水の庭に駿府の情景を再現したと伝えられています。
三保の松原あたりには、立派な松が植えられているんですよ。
このお庭も是非じっくり鑑賞してください。(客殿縁側から見れます)
時期がよければ、蘇鉄の立派な雄花や雌花も観れるかもしれません。
今回は、大きな雄花が咲いていました。
前述しましたが、この妙国寺、本能寺の変や大阪冬の陣、夏の陣の際には徳川家康が滞在していました。
家康が信長の招きで妙国寺に滞在中、本能寺の変が起こりました。
日こう上人と堺の商人達の機転により、家康は無事寺を脱出し、難を逃れ伊賀を超えて三河に逃げのびることができました。
それから家康は、堺の商人達には恩義があるとして徳川の時代には堺の商いを積極的にバックアップしたそうです。
1614年(慶長19年)大坂冬の陣の際には、灰被の天目茶碗を貰って帰りその返礼として、滞在時に見た蘇鉄の素晴らしさを詠んだ歌と光堂天目茶碗を贈りました。
大阪夏の陣の際には、家康が妙国寺にいると聞いた豊臣方が寺に火を放ち、あの土蔵以外全て焼け落ちてしまいました。
立派な三重塔もあったそうですが、残念ですね。
しかしあの土蔵が奇跡的に残った為、戦国武将ゆかりの品が残っているのです。
織田信長から贈られたという不思議な伝説がある鮑の貝殻(信長が船で航海中、嵐にあい大波で沈没しそうになった時に、念仏を唱えて鮑の貝殻を海に沈めたら、とたんに海が鎮まった、、、だかそんな話だったような・・・でも貝殻を海に沈めたのなら今ここにある貝殻は・・・?)とか、秀吉愛用の硯、家康より送られた天目茶碗、お万の方の化粧箱、加藤清正の宝剣、大正天皇が皇太子時代に座られた玉座、、、などなど。
中でもひときわ目を引くものがありました。
堺事件で切腹した土佐藩士の遺髪と血染めの三方、切腹で使用した短刀です。
ここ、妙国寺は世に言う堺事件の土佐藩士達切腹の地でもあるのです。
すみません、文字制限に引っかかったので前編後編に分けました。続きは 後編
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