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カテゴリ: カテゴリ未分類
・2013、1、1、火
夕べ遅くにドイツの友人から電話があり、A先生(女性)が他界されたという報告を受けた。
享年87歳であった。
まだまだお元気であるだろうから今のうちにドイツに行き、先生を訪ねてもう一度歌を聴いてもらいたいと強く思っていたので、少なからずショックを受けた。
しかし実のところ3年ほど前から痴呆が進み、先生は夜となく昼となく家内の階段を上がったり下がったりされていたという。
最後はホームに入られて、そこで息を引き取られたということである。
その報告を聞く受話器を持ちながら、瞼の裏に残っている幾つもの先生の残像を見ていた。
家のチャイムを鳴らすと、ドアが開いて見える先生の笑顔。
レッスン場の広い部屋で、何人もの生徒に囲まれて足を組んで座を占める先生の姿。

そんな断片的な映像が浮かんでは消えた。

28歳の1月ごろ僕はドイツへのフライトを決心してから、何人かの知り合いに電話を掛けてコネクションを模索した。
何人かへの電話の最後に京都芸大のある先生に電話を掛け、僕がドイツで指示すべき先生を紹介して欲しいと頼んだ。
するとその先生の娘さんがケルンにもう10年以上住んでおられるとのことで、とにかくその人を訪ねることとなった。
昔「茶木の音楽紀行」に書いた直子さんがその人である。
しかし直子さんも今から6年ほど前に55歳の若さで他界された。
僕は観光ビザの三ヶ月で何とか落ち着き先を決めようなんて甘い考えで、見えない恐怖と戦いながら生まれて初めての飛行機に乗ったのだ。
苦労して一人でケルンに辿り着き、直子さんに会ってケルン大学のメンザで食事し、これからのことを相談した。
ケルン音楽大学を受験することを念頭に考えていた僕は、彼女の伝で大学内の幾つかのレッスンを見学させてもらうことになった。
しかしどれ一つ心引かれるレッスンはなく、がっかりしてケルンを去ることも考えていた。
そこで直子さん自身が通っておられたレッスンに付いて行く機会があり、そこが僕の腰を落ち着ける勉強先となったのだ。

10人ほど円を描いて座るドイツ人たちの前で、僕はフィガロの結婚から「もう飛ぶまいぞこの蝶々」のアリアを歌った。
その日から「明日も来なさい・明日も来なさい」とA先生に言われ、とうとう一週間が過ぎた。
その間いろんな曲を歌わされ、いろんなことをやらされて、最後に先生は僕の手を取って言われた。
「貴方はバリトンではありません、テノールです」と。
僕はその時頭からA先生を信じてはいなかった。

その時点で僕は学生から舞台活動まで10年以上ずっとバリトンで歩んで来ていたのだ。
それに女性である先生が男性の声を深く聞き分けられるはずもないとも思っていた。
後で先生の耳がそのような性別も超えた技術を持ったものだと分かったのだが。
そこでA先生は続けた。
「私に2年間の時間をいただけませんか?
貴方をテノールにしてみせます」と。
僕はその言葉に胸打たれた。
もし自分の楽器が本当にテノールであり、今が偽りならば、おそらく僕自身の可能性も解き放たれるかもしれないとも考えた。
そしてこの先生にすべてを預けてみようという気になったのだ。
もちろん結果2年間ではどうにもならなかったのだけれど。
ただ先生の見立ては的を得ていた。
今思えば僕の楽器は確実にテノールなのだ。
僕の声はそれほどやっかいで特殊な声なのだ。
それを見抜ける人はA先生以外に存在しなかった。
それを考えると怖くもなる。
僕は僕なりに行動を起こしてその結果A先生に辿り着いた。
辿り着けなければ今でも偽りのバリトンで歌っていたことだろう。
先生はベルリン音楽大学で学ばれた歌い手であったが、いわゆる歌い手ではなくトレーナーの道を選ばれた。
先生が育てた世界的に活躍する歌い手も多く居る。
声を研究し、多くの経験と知識で自分なりのトレーニング方法を模索し、0から自分の手で優れた歌手を育て上げる野望に燃えておられた。
僕が最初先生に出会った時は60代最後ぐらい。
今から思えば、その先生の声への情熱は目を見張るものであった。
先生はいつも言われた。
「声楽教師だからと言って歌えなくてもよいということは決してない。
いつでも舞台で活躍する歌い手と同じだけ歌える力を持ってトレーニングに当たらねばならない」と。   つづく





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最終更新日  2013.05.13 11:53:04
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