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最近、彼岸花をよく見かける。鮮やかな赤がきれいで、まっすぐな茎と、大きく開いた花が目立つ。この彼岸花、毒があるので、犬の散歩には要注意。庭に出て、夏の毛虫にやられた葉を落としていたら、大きな赤とんぼを見つけた。 こうして、じわじわっと秋は来るのね。義母のことも落ち着き始め、私のことをよく知っている友達たちが「看護ご苦労様だったね」と、食事に誘ってくれる。見晴らしのよい高台にある和食レストラン。もう量を売りにしている店には入ることなく、みんなコレステロールや糖分や油分や、血圧や目いっぱい気にしながら、食べることより話すことに重きをおきながら、ひとときを過ごすのである。景色の素晴らしく良い席で、景色に浸ることなく、家のリフォームや法要や更年期の話題で盛り上がる思い切り庶民なマダム達?^^;5か月間義母の看護で皆さんとはご無沙汰していて、こうしてねぎらってくれる地元の友人たちに感謝。パパが定年を迎え、無事に地元に引き上げてくる日まで、皆さん待っていてくださいね^^お互い、手押し車を持つ身まで。
2012.10.01
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広島に戻る日。東京は晴れていた。少し夕立ような天気であったけど、洗濯物を外に干していても困らない程度。さて、引っ越し前までは、横浜市に居たので、新幹線は「新横浜駅」を利用したが、引っ越ししてからは、西側の都内にいるので、「品川駅」から新幹線に乗ることになった。しかし、改札口に向かうと運転見合わせ、停止中。岐阜~米原間で大雨により。米原あたりは、いつも天候不良による運転中止が多い。よりによって今日。雨女復活・・それでも、運転再開になると、びゅんびゅん新幹線が到着し、20分遅れできていたのが、10分遅れになり、広島到着には7分遅れに挽回していたよ。今回はJRカードの特典でグリーン車利用。斜め前に芸能人ポイ二人の男性がいたのだけど、おばちゃんゆえ誰だかわからない。大阪で降りて行った。家に帰って、1時間後に愛犬も帰ってきた。長い間預けていたので、狂喜乱舞して、私から離れない。やはり、かわいいよね。13歳になっても、子犬の時と一緒。年寄りになり14キロを切った愛犬は軽々抱っこできるようになった.小柄なハスキー犬、30分くらい抱っこしてやった。東京でパパと行った近所の中華料理屋さんのランチ、土日祝日ランチ1500円癖のない中華の味。平日は1050円ランチがあるらしい。少しずつ、東京のマンションの周りも散策していかなくちゃね。
2012.09.19
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ホスピス(緩和ケアセンター)に入院中の義母は、体調が思わしくないという中、東京の引っ越しに出かけた私を待っていてくれた。義母のいる病室に、東京から帰ってすぐ行った時、「ただいま、お義母さん、帰りましたよ。待っていてくれたんですね」という私に、「お帰り、長かったね、ずいぶん待ったよ」と弱った声で返した。一度私の留守中に体調が少し戻り、危篤状態は脱したが、私が戻った翌日から、容態が急に悪くなった。私の留守中に逝ってはいけないと、義母は頑張っていたのだと思うと、とてもありがたく申し訳なかった。それでも私は、「もうすぐカレンダーが変わりますよ。9月までもう少し頑張りましょう」と言い、9月上旬にドイツに語学留学している次兄の大学生の娘が帰国する日を待とうとした。けれど、それは叶うことはなく、9月の暦に変わると、義母は息を引き取ってしまった。私は義父とパパと義兄と病室にいて、東京から来てくれた義兄の奥さんが病室に着いて1時間もなかった時だった。義姉(年下だけど)と義母の腕をさすりながら、会話している時に、弱弱しく息をしていたのが止まった。義母は、私との5か月間のふたりの生活がとても楽しかったと言ってくれたので、いろいろな事情があったが、義母を預かってよかったと思っている。私は仕事に出かけ、愛犬と留守番をしてもらうことも多かったけど、病気と闘いながらも、和やかな穏やかな貴重な毎日を過ごしてもらうことができたし、なによりも義母が私を信頼して頼ってくれていたことに感謝している。乳癌を患って8年、細々と長生きしていれば、どんどん癌治療に効果的な薬や療法が開発され、痛くて辛くて生きているだけという癌患者の生活はもう今や無い。義母に寄り添って私も治療を見守ってきた8年間だったが、本当にこの8年でどんどん医療は進歩した。葬儀も終わり、我が家の義母の残した洋服や雑貨類を片づけたり、留守をしている義宅のとんでもなく多い散らばった物やため込んだゴミをどのように処分しようかと悩んでいる最中である。忌引の休暇が終わり、パパも東京に戻ったら、以前のように、私と愛犬の生活がスタートする。きっと、毎日の何気ないことで、ふと義母のことを思い出すに違いないと思う。お義母さん、ありがとうございました。
2012.09.04
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先週、義兄の一周忌法要、初盆法要を済ませ、パパは法要で早めに帰省した分、盆休みには上京して仕事に戻った。外資系企業ゆえ日本の盆休みなどはないが、13日~16日に夏休みを取る社員は多い。私の故郷は瀬戸内海の島、車で1時間半~2時間、ふたつの橋を渡り、少し早目の墓参りに両親を連れて行った。広島の浄土真宗は東部と西部に分かれて、安芸門徒の風習が違う。パパは東部なので、西部の私の実家の風習とは異なる。私のお墓参りに欠かせない盆灯篭。最近は長い丈の竿部分がコンパクトに2つに分かれ、車に乗せやすくなった。真っ白い盆灯篭は初盆を迎える方がいるお墓。カラフルな灯篭が一般的だが、お供えした菊などを抑えてしまうカラフルさで、お盆のお墓は大賑わいになるのである。私が子供の頃は、この灯篭にジャガイモを半分にして釘を差しこみ、ろうそくを立てて火を灯したものだが、昨今、風などで火事が多く発生したりするため、禁止になった。島のお墓は海を向く。もちろん私の家のお墓も小高いところにあり、海が見える。小さな頃島に住んでいた私は祖父と、毎日のように墓参りに、お花とお水とお線香を持って、コツコツと丘に登ったものだった。その大好きだった優しい祖父の眠るお墓に、今年もカラフルな盆灯篭を備え、持ってきた菊と墓の前に植えているケイトウの花を供えてきた。嫁いでいる私であるが、私もこの海の見えるお墓に、祖父母と並んで入りたいなとひそかに願うのである。画像はすべてお借りしました。ありがとうございました。昨年までは、お盆は、パパの里で大汗かきながら、大人数のご飯支度をしてきた嫁の私も、今年は病院と老人ホームの往復に変わった。明日は息子が帰省予定。二人で焼肉でも行こっか!(笑)さきほど、息子からメールあり、東京の大学の友人を連れて帰ると・・・(@@;)は~いっ???
2012.08.13
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真夏の涼しいお話になりますが・・・末期癌にて、現在ホスピスに入院中の義母。三男の我が家に引き取っている時も、「ベッドで目が覚めたら、目の前に「〇〇」が立っていたが、名前を呼ぶと消えた。」という。〇〇とは、昨年夏肝硬変で亡くなった59歳の長男の名前。義母が61年居た田舎の家でも、うちに来る前に、階段で義兄に会っていたという。話はしていない、ただ顔を合わすだけだし、すぐに消えると言う。それでも私は、なんだか薄気味悪くて、ひとりで家に帰り、夜など電気を付ける時なんか、怖いじゃないですか・・だから、天井に向かって、時々義兄に「まだ、お迎えにくるには早いですから!!」と叫んでいる。私はまだ会ったことないけど、絶対会いたくないよ愛犬が家で留守番していることが、今回程、とてもありがたく思ったことはないよ。それでも義母は犬も義兄が分かって時々天井に吠えるというけど、私はその現場に居合わせたことがないので、よかった。怖いじゃん!!そして、昨日、ホスピスに居る義母に、久しぶりに「義兄は最近来ない??」と聞いた。義母は、「最近会いに来てくれないよ」というので、「まだお迎えには早いと思います。もう少しこの世で生きましょう!」と言って、ホッとしていたら、義母は、「〇〇は、来ないけど、最近知らない人がたくさん来るよ~」と言った。ここは最期を迎えるためのホスピス。もちろんこの病室で最期を迎えた患者さんがたくさんあっただろう。でも、まだお迎えは早いと思うし、どうせお迎え来るなら、ここで亡くなられた他人より、義兄の方が安心というものだと思う私。それにしても、私は毎日怖くて仕方ない。PS:義母の霊感のことを先日義父に話すと、「わしには、〇〇は会いに来たことがない!なぜ会いにこないのだ、オカシイ!」と憤慨した。「お義父さん、まだ長生きできますよ」と90歳の義父に心で言った。
2012.07.29
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義母を地元の我が家に引き取り、私と二人で生活し始めて3か月近くになった。(+犬1匹)末期癌患者なので、緩和ケア科から処方してもらった投薬が何種類もある。食後に毎回6種くらいの錠剤と水溶液1種類を服用するが、飲み忘れは困るので、私が毎回の薬を管理している。錠剤やカプセルは、分包してもらったから、飲み忘れはないんだけど、水薬については、毎回コップの水にスポイドで2ミリを落とす。最近暑くなってきて、私も義母も冷たいお茶を飲むことが多い。夕飯を終えて、お決まりの水薬をコップに入れたのはいいけど、並べて自分のコップを置いていたため、テレビに気を取られて、間違えて私が薬の入った方を飲んでしまった。飲んだ瞬間、なんだか苦く、「あれっ??」と思い気が付いたが、すべて飲み干した後であった。実はこの水薬は、痛み止め薬で、院外処方ができない麻薬系(まだモルヒネ系ではない)のものだった。あわてて、薬の説明書を読むと。「服用中、興奮や錯乱が出た場合はただちに連絡ください」とあり、もしかして、私が錯乱状態になると、大柄の私を病気の義母が抑えることはできないじゃないか??いざという時のために精神科の友人宅に電話しておこうか??「どうしよう・・・」と思いながらも数時間様子を見たが、少し体がほてるかな程度で、錯乱状態にならなかったので、ホッとした。少し遅い時間まで起きていたが、普通に寝ることができた。あ~うっかりが何事もなくてよかった。これからは気をつけなくちゃね・・私は妄想癖があるので、自分の錯乱状態を2PMのダンスでイメージしてしまい、意外と楽しいかもと思う反面、誰も私を止められないわと心配した。↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓「ミッチゲッタ」くらい2PMのメンバーと踊り狂いたい衝動にかられることもあるが・・「キダリダガ、チッチンダ」くらい祈っていた娘(院2)と息子(大4)の就活もなんとか終わり、ホッとしている最近。
2012.06.23
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義母が我が家に来て、2か月近くになった。リビングの隣の和室にベッドを置き、テレビや新聞や本や、ゴロゴロ、うたた寝で、日々過ごしているが、5月はツツジ園にも行けたし、美容院にカラーリングにも行き、車いす散歩も数回できた。私が買い物や仕事など用事で外出する時はひとりで留守番する義母だが、我が家には13歳の高齢ハスキー犬が、これまた、隣のリビングでまった~りしているので、厳密には留守番は一人ではない。愛犬は義母になついてる感じでもなく、心許している風には見えないが、突然我が家にやってきた危なくない人くらいには理解している。義母が食べかけのチョコドーナッツとかケンタッキーチキンとかベッドの上から愛犬に投げているのを目撃し、厳重注意した。私には危ない人だ。義母「私が部屋でごそごそしたり、音をさせてしていたら、 隣の部屋から戸(引き戸)を開けて、心配してみてくれるよ」私の愛犬予想「もしかしてあなた、私に内緒でなんか美味しい物食べてんじゃないでしょね?」義母「静かなので、何してるのか覗いたら、横になってても首揚げて答えてくれるよ」私の愛犬予想「何??何よ?寝てるじゃん!」義母「夕方はさびしくてクンクン言うことがあるよ」私の愛犬予想「あ~~~こんな時間だ、おなかすいたよ~~」私が帰宅すると、うれしくてきゃいんきゃいん鳴くことがあるが、これも、いつもより遅い散歩時間の督促だと思っているが、義母にはよほど私が好きなのかと映るらしい。まぁ動物病院の先生も「人の癒しの効果大」と言いますし、確かに私もこの子のお世話が超大変でも、この子中心で考えてるし、本当は犬より猫が好きなんだけども、結構かわいがってやって、お返しに癒されてる。犬を飼ったことのない義母にもこの子がうちにいて正解だったかもしれない。ひたすら何も言わずに見つめる愛犬の強面の瞳でも、好意的に見る者にとっては、癒しになっていて、こういうのがアニマルセラピーなんだろう。ひとりはベッド、一匹は床に転がって、お互いを見つめあって暮らす日々。最近、愛犬が私に用事がある時(水入れが空っぽだよ、とか、おしっこいきたいとか)座っている私の背後に来て、前足で私の肩をたたくんだよね(^^;9、最近薄着なもんで、結構痛いんだ・・
2012.06.02
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週に2回、義父の入居している有料老人ホームに片道40分、自転車に乗って様子を見にいく。毎日田畑に出かけて農作業していた義父は、ホームの生活が暇で超退屈。私が訪ねる午後には、いつも個室のベッドで転がってテレビ観ていたり、新聞や本読んでたり。「暇過ぎて覇気がなくなる~~」と私に訴えるが、持って行ったおやつは完食する。リビングでも行って、ほかの入居者とコミュニケーションを取ろうとせず、頑固に個室にひきこもる手のかかる爺さんである。ホームも、いろいろ退屈しのぎのイベントを考えていてくれて、「陶芸教室」「書道教室」「フラワーアレンジメント」「腰痛克服体操教室」など、お知らせのチラシが置いてある。しかし、脳梗塞を克服したとはいえ、義父は小刻みに震える両手は治らず、陶芸や書道は向かない。今日、老人ホームを訪れたら、月に2回映画鑑賞会を始めたというチラシを見つけた。早速義父に持っていった映画鑑賞会のチラシ、初回は「ローマの休日」二回目は「シュルブールの雨傘」・・・・大正生まれで、地方でひたすら生きてきた義父に洋画はどうだろう??古い映画も昔観たことがあるわけでなく、映画館もない田舎の農村で生きてきた義父。もちろん有名な外国の女優さんも知るわけもなく、行ったことがある海外は、中国だけ。ちょっとおしゃれな老人ホーム、おしゃれなおばあちゃんのための選択のような気配?これからうちの義父に向くような邦画の上映をしてくれたらいいんだけどな。たとえば、「寅さんシリーズ」や「伊豆の踊子」「七人の侍」など、どうかな?私的には、高齢者向けの映画では、「八甲田山」や「幸せの黄色いハンカチ」・・高倉健さんなど出てくる映画や吉永小百合さん主演映画とかもうすぐおとずれる「おくりびと」のような、または「「楢山節考」のような、これからの現実に参考になるような映画はいかがなもんだろうか?クレームくるかな?なにか良いリクエストありますか?
2012.05.31
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4月後半より、義母を我が家で引き受けて、さらに有料老人ホームにいる義父の買い出しや様子を伺いに行く毎日である。ゴールデンウィークも東京から娘が帰省していて、なにかと忙しく過ぎていく連休。さて、連休の一日、私の故郷、瀬戸内海にある島へ、実家の両親を連れて墓参りした。私の島は、本土とつながったとはいえ、1時間半くらいかかって、橋を二つ越していかなくてはいけないが、最初のひとつが音戸大橋。まさにツツジが満開で、この音戸大橋を目的に来る観光客が多い。トイレの近い父のために、いつも寄るのが音戸大橋パーキング。青い空と静かな海と鮮やかなツツジが、きれいだった。桜の次には、もうこんなきれいな花が待ち構えているのね。日本の四季は、本当にきれいだな。NHK大河ドラマ「平清盛」に当て込んで、「平清盛ドラマ館」というものが、橋のそばにできていた。しかし、ドラマ不調と聞くので、観光客はどんなものだろうか?それより、呉の海上自衛隊の潜水艦桟橋の方が面白いと思う私だ。
2012.05.04
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先週からホスピス(緩和ケアセンター)に入院していた義母が、体調が良くなり、退院できることになったが、60年住んでいた家にひとりや高齢の義父と二人で住むのは無理なので、思い切って、三男家庭の我が家に引き取ることになった。私が食事さえ作れば、ひとりで食べることができるのだけど、お風呂の介助は必要。最近我が家は、お風呂とトイレをリフォームしたので、間に合った感じになった。義母の入院に合わせて有料老人ホームに入居した90歳の義父のところにも、毎日通っているんだけど、足腰の弱ったふたりのために、社会福祉協議会から無料で車いすを借りてきた。厳しい審査もなく借りられたので、とてもありがたい。2階にある娘のベッドを1階の和室に下し、義母の部屋を作るつもり。そのためにパパは東京から明日夜戻る。義父も老人ホームを外出し、田舎の築90年の家に日帰りするつもり。しばらく毎月上京していた私も、地元でさらに忙しい日々となる。こうなったら、余命宣告の日よりさらに生き延びましょう、お義母さん。
2012.04.19
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いつもなら、桜がきれいな時期なのに、今年は昨日も強風だったり、残念なお天気が多い。前から予約していた平和公園前のホテルの高層階にあるイタリアンレストラン、公園の桜並木と川を眺めながらのランチのはずが、青い桜でガマンした。花見弁当は美味しいから、満足!集まったメンバーは町内会の同年代の仲良し達。老人会の事務係をしたり、子供会のおみこし手伝ったり、お葬式の帳場したり、町内会のお世話する女性人。もう10年、20年、同じ町内会で活躍できたらいいねと思う。あ~私は婦人会の盆踊りだけは勘弁してほしい。(^^;)
2012.04.04
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連日、車で1時間半の山の中の義父母宅へ。前回植えたじゃがいも畑は、イノシシに掘られた跡があり、今後の対策が必要になりそう。前回収穫した秋じゃがいもを料理に使うため、倉庫に行って台所に戻ると・・・。義母が倉庫のネズミ捕りにかなりネズミが引っ掛かっていたと言う。尾の異常に長いネズミ系はニガテなので、もう倉庫に行く気がしなくなった。高齢の義母は素足で農家の敵、ネズミをすばやく踏むことができる。(圧死・・)以前目撃してショーゲキだった!山里の梅が満開。今年の春は遅い。畑に蕗を取りに出たが、生育が遅く丈が短いが、蕗の葉をゆでると柔らかい。蕗と椎茸と筍とこんにゃくを炊き合そう!そして畑のそばで見つけた春の気配。蕨はあまり見つからなかったが、ススキのように一面に出ているツクシ!パパと二人でとにかく手当たり次第ちぎり取り、早速ハカマを取り炒めて食べた。玉子閉じもおすすめ。里の春、実は今年が最後。東京で公認会計士の義兄はほぼ一生戻り住むことはないはずだし、辞令で動くサラリーマンのうちのパパは定年までは東京暮らしの予定、今、家族が住む横浜・東京にも行かないといけないし、地元でも離れたところにいて仕事もある私もこの里に来ることが容易じゃない。義母は私の街にあるホスピスへ来ることになるだろう。90歳の義父も山里でひとりでは暮らせないので、やはり私の近くの老人ホームに入ることを考えている。それなのに、義父は今、何を思ったのか、必死で椎茸の菌を植えている。300個の菌を購入・・椎茸が生えてくるのは2年後というじゃない!!お義父さん、私は2年後の収穫に自信がありませんからね!!静かに毎日が過ぎていき、今年の春もこうしていつも通りに過ぎ去るだろうが、今年はどうかゆっくりと、少しでも山里で穏やかに過ごす日々が長くなればいいと祈る。
2012.04.01
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東京に住む義兄の指令を受けて、地元の私の家の近くに義父ひとりで居てもらう介護付き老人ホームを探している。東京から、ネットなどで見て、適当なところを言われるが、実際私が義父、義母の身元引受人になるのだよね。最近急にあちこち、こういうホームが建築オープンされ、パンフレットではわからない雰囲気をひとりで見学しに行っている。リフォームの合間を見て、自転車で30分くらいのところを数件回った。オープン1~2年というみんな新しい老人ホームなんだけど、先ず、電話を掛けた時の応対の仕方のムードが、行ってみても同じということが分かってきた。施設は新しく最新だが、絶望感に陥るような暗いムードのホームがあると思うと、食堂に集まる入居者たちの表情が明るくて、見学している私もニコニコしそうなホームもあった。食堂テーブルに対面で座っているおばあちゃん、「私は甘いお菓子が食べたいわ」「あら、私も食べたい」「あら、私も食べたい!」と私もうっかりお返事をしたくなるような、小柄なかわいいおばあちゃんたちだ。毎日お菓子を食べたいという話題で過ごしているんだろうな^^きっと私もこうなるな~と思ったよ。見学して思ったのは、新しく豪華な施設ではなくて、そこで働く職員さんのムードや、入居者の明るさが一番のポイント。ぜひ義父に!と思ったホームは、予約待ち人数が多くて、なかなか入れそうにない。みんな、明るく過ごせるホームに家族を!と思うのは同じ!!もうしばらく見学会は続く・・・
2012.03.28
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地元の築26年の狭い土地に建てた3階建ての家が、だんだん古くなってきて、あちこち修理が必要になってきた。転勤族で、子供も進学で家を出たから、目いっぱい家族が住んでいなかったので、今まで手を入れずにいたが、もう限界になった。家族がみんな東京にいるから、むしろ修理しやすいというお話だ。もう4年したら家の長期ローンも終わるのに、今度は重ねてリフォーム資金が必要になるという現実にがっくりだ。こうして定年になっても、相変わらずリフォームローンを払っていくのねと思うと、「定年後はゴルフ三昧だ」とその日を待ち焦がれているパパの夢はムナシくなるね。先ず、少ない資金でリフォーム始めた風呂、洗面所、トイレ1つ。次はいつになるんだろうか、教育費との折り合いをつけて、定年前にはリフォーム完成したいものだ。そして、元気でいなくちゃ、リフォームしても住めないんじゃね・・・定年延長なんかあれば、元気で働けるにはいいが東京が長くなり、この新しいお風呂に、いつゆっくり入れるのか、むしろ悲しいかも。 今までより広くなったお風呂の分、洗面所が狭くなるが仕方ない。半身浴できるという最新バスユニット。私ら夫婦も若くないので、なんかあったら家族を呼べるブザーまでつけちゃったよ(笑)ただ私一人住まいじゃ意味ないけど。暖房乾燥機もつけて真冬のお風呂も快適に。韓国語の先生にリフォームしてると話したら、「韓国ではリフォームと言わず、リモデルと言います」と言われた。最近リノベーションという間取り自体を変える工事が流行っていて、我が家もいつかは夫婦ふたり暮らし用に間取りも変える予定。工事の終わるまで、徒歩5分の実家に風呂入りに行く毎日。夜は帰り道が寒くて困る。
2012.03.26
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3月過ぎて、地元の友人たちが忙しくしている。我が家の娘や息子の学校や幼稚園つながりから知り合って、もう15年~20年近く付き合っている長い友人たちだ。東京進学組、東京就職決定の子供のいる母達は、子供たちの就職、また大学のキャンパスが変わるので転居で、引っ越しの手伝いに上京していく。残念ながら、私は今東京から戻り地元に居るので、その友人たちと東京でお茶をする事ができない。子供の大学卒業式出席して、会社の近くや独身寮に入る引っ越しを手伝いに行くという予定の人たちが多い。大学の卒業式は、親たちも「けじめ」のひとつ。長く家計を圧迫してきた教育費用や仕送りを負担し続けて、肩の荷を下ろせる瞬間。我が家は昨年卒業式を終えてまた入学式をした娘がいるので、その日はしばらくお預けで、パパの肩の荷はさらに重くなった。地元の母達の一番の上京目的は、子供の住んでいるマンションを、きれいに掃除して退去させること。ゴミも捨て去り、床も窓も拭いて、学生生活を過ごした部屋に感謝して心もすっきりさせて出るということが大切。就職したら帰省もままならない子供と久しぶりの東京で美味しい物でもという予定も。母達が上京してすぐ、「足の踏み場のないとんでもない部屋で、どこから片づけていいかわからない」という怒りの電話をもらったが、どの子も同じだ。親子でめまいがするほど片づけて、きちんと引っ越しできた様子。不動産業者の人が、「最近は手伝いに来る親は減り、子供に任せるので、転居した後が酷く、修繕費もかなりかかるから、敷金は返せないことが多いんですよ」という。敷金もばっちり返ってくることも母達の大きな目的。引っ越し作業でボロボロになった母たちが地元に帰る時、「ありがとう」「助かりました」「お世話になりました」という子供たちの言葉で、「来てよかった」と思い、疲れも癒されるというものなのだ。学費の足しにと始めた仕事も今度は結婚費用にと目標を変え、健気に地元で働く母達になんかご褒美が欲しいと思うよ~。
2012.03.18
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東京から戻って、R君に会った。中国人学生R君22歳は、春休みもお弁当工場で深夜のアルバイトに励んでいる。彼は中国にいる親と弟のことを思い、自分の学費をすべてアルバイトで賄うことが優先で、こうして1年を過ごして、日本語能力がはたして身につくか、分からない。なるべく日本語を使うようには言っているんだけど。さて、R君が居候している中国人の叔母さんには、日中ハーフの幼稚園の子供がいるらしい。働いている叔母さんのために、料理の好きなR君は、その子の幼稚園のお弁当を毎日作っているという。R君も学校に自分の作ったお弁当を持っていくから、学校のある時は、二つ作ることになる。私が「おべんとうの時間」という日本のお弁当の写真エッセイの本を持っていて、それを見ながら日本語の勉強していたら、「お弁当作る勉強になります」と喜んでいた(笑)。それじゃ、その幼稚園の子のお弁当って、どう?白いご飯(中国ではおにぎりにはしない)ウィンナー、中華スパイス牛肉炒め、豚肉ショウガ炒め、小エビ甘辛炒め玉子と中華野菜炒めピータン、手作り餃子、臭豆腐切り身の魚焼き・・など・・・だそうだ。日本の玉子焼きは作れない。お弁当の材料も中華材料輸入店に行くらしい。幼稚園児には、かなりクールなお弁当だ。もはや、私が食べたい中華弁当になってるよ~カニウィンナー、タコウィンナーを入れてあげてほしいから、説明しておいた。生野菜も入れないようなので、ミニトマトなどおすすめしておいた。白いご飯にふりかけ、ゴマなども提案してみた。少しは日本の幼稚園児ぽいお弁当になるかな? R君、紅ショウガ、きんぴらごぼうに興味津々だったが・・(笑)R君はきちんと時間は守るし、挨拶も丁寧にできる。予定変更もきちんと早めにメールしてくるし、私に自販機でコーヒーも買ってくれたり、中国マーマの送ってきたお菓子も分けてくれる。私は、優しいいい子に当たったと思っている。東京タワーで買ったお土産、あげなくちゃ!!
2012.03.12
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さっさと地元に帰り、3月10日、待ちに待った「IL DIVO」の公演に行ってきた。観客はやはり中高年多し!!テレビやYOU TUBUにはない臨場感、迫力が、夢心地の一言に尽きる。2時間の公演は、高いチケットを払っても、こうして彼らの顔や声をそばで聴けたことへの感動で、家に帰っても興奮冷めやらず。片言の日本語も、一生懸命さが伝わり、3月11日を前にして彼らの特別の歌、日本語で「ふるさと」を聴いた。ニュースの記事には(抜粋)コンサートの後半では、セバスチャンが「今から1年前に日本で悲しい出来事がありました。僕たち4人にとって日本は大切な国なので、まるで自分たちの身に起きたように悲しみを感じました。しかし、驚いたのは日本の皆さんの強い精神力です。大変な状況でも前に向かって進んでいくことを僕たちは日本の方から多くのことを学びました。そして、今夜は日本の皆さまに敬意を表して特別な曲をお送りしたいと思います」と紹介し、唱歌「ふるさと」を日本語で披露。イル・ディーヴォが日本の名曲を日本語で歌うことは初めてのことで、歌い終わったあと、観客からはスタンディング・オベーションで、「ありがとう」の声と拍手がわき起こった。とある。彼らは世界ツアーの最中。ヨーロッパもアメリカもアジアも、世界共通のIL DIVOになる。 公演会場で買ったパンフレットの、整形韓流スターも太刀打ちできないかっこよさの彼らを今日もにんまり眺める。3月11日、震災から1年、ご冥福をお祈りするとともに、これからも被災者の皆さんとともに、東北地方のいち早い復興を祈り、より良い日本を築けますように!
2012.03.12
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2008年アルバムを買って以来、それはそれは、彼らの大ファンだ。陽気なパフォーマー、スペイン人カルロスを筆頭に、フランス人セバスチャン、スイス人ウルス、アメリカ人ディビット。国際的な4人の歌声は、もう感動の嵐で3月、来日。il divo彼らにもうすぐ会える。チケットを、冷蔵庫に貼って、毎日見てたもんね^^あ~~観客席から受け取ってもらえるなら、お花でも買うのにな^^いくらなんでもおばちゃんからもらう「もみじまんじゅう」じゃ、ウルスもびっくりだろな(笑)ただいま、韓流も太刀打ちできないくらい、ハートはil divoがいっぱいですTHANKS!地方で生まれ育ち、平凡で穏やかな私の人生、せめて最期は、豪華に堂々と、カルロスやセバの歌声を、私のお葬式の出棺のBGMにぜひ!!DXlinhさんよりお借りしました。ありがとうございます。あ~私の名前が「アンジェリーナ」だったら、よかったのに・・(笑)
2012.02.29
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病気が進み農業ができないほど弱った義母のたっての望みは、「春じゃがいもを植えたい」ということ。農家の嫁になった私と東京より戻った農家の三男のパパと、90歳近い義父の指導の元(それが結構いいかげんだけど^^;)義母の望み通りに春じゃがいもを植えた。それでも今までほどの量は無理だから、とりあえず半日で植えられる量だけという条件で。耕した土地に畦を作り、種イモを植え、土をかけ、肥料をやり、藁をかけ、土をかける。結構手間がかるし、畑は広い!午前中の曇り空がだんだんと晴れていき、さっさと植えないと日焼けする!!私は農家の女性のよくかぶるあの花柄の帽子をかぶっているけれど。そしてゴム長靴と軍手!畑仕事がようやく終わり、一息つく間もなく畑から農家の家へ戻り、昼食は昨晩から作っておいて鍋ごと自宅から持ってきた「おでん」を食べ、片づけを急いで夕飯用のハンバーグを作って、義宅の冷蔵庫へ入れた。車で1時間半かけて自宅に戻り、お風呂へ入り、義母の作ったお赤飯と簡単なおかずを作り、急いで夕飯を済ませて、夕方発の新幹線で、東京に戻っていったパパと、張り切りすぎたせいかどっと疲れて、いつもより短い愛犬の散歩で家に戻り、ホットカーペットに愛犬と並んで転がって休養している私であった。義母は、この初夏になるじゃがいもの収穫係は私だと言う(--;)もし、鹿やイノシシにやられたり、芋が病気にならなかったら、ラッキー!ゴールデンウィークは雑草抜いて土を掛けなくちゃいけない。三人兄弟、三人嫁がいるはずなんだけど、どうやら「農家の嫁」は私だけみたいだ・・私は農業体験皆無でお嫁にきたが、収穫だけは面白い。運よく収穫できることを祈っておいてくださいね、yanpaさん!
2012.02.27
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今日、近所の友達の愛犬ビーグルが、14歳で亡くなった。10歳から内臓疾患で通院しながら、何度も危篤を乗り越えてきたが、とうとう寿命を全うしたのだ。家族に見守られて、最期まで幸せな犬だった。先日散歩の途中に友達の家に寄った時は、自分で歩いてきたので、元気だったのに、あの日が最後の姿になってしまった。うちの愛犬シベリアンハスキーも今年の春13歳になる。昨年は、後ろ足前十字靭帯断裂で両足にチタン製のインプラントを入れる大手術をした。原因は老化だろうと思われるが、術後、大金ハタイタ甲斐あり、ありがたいことに、今はすごく元気に散歩している。ただ、チタンインプラントを米国から輸入したり、両足の手術で回復に時間がかかり、家で安静にしておくのに甘やかせたため、すっかりベタベタ甘えるようになり、一匹で長時間留守番が苦手になってしまった。笑われそうだが、ハスキーをテレビ観ながら抱っこしてやったりしてる・・・時には、「川」の字ではなく、「り」の字で寝転んでみたり。私が東京いる間は、10年以上いきつけのペット美容院が宿泊させてくれるので、慣れているから安心して預けているが、そこでもベタベタ甘えているらしい。実家にいる時は、高校生の甥が散歩係だ。しかし、散歩で出会うワンコたちもだんだん顔ぶれが変わってきていて、昔から馴染みのあるワンコは、みんな10歳以上になった。仲良しだった、フラットコーテットレトリーバーのオスは、3年前に癌で10歳で亡くなった。うちの子より半年早く生まれているバーニーズマウンテンドックは、ヘルニアで、今は外に出ることはなく闘病中。うちの子より1年後に生まれた子たちは結構老けたけど、元気に散歩していて、心強い。うちの子が一番仲良しなのは、いつも柴犬。この犬種が好きみたい。そして相性が悪いのが、スタンダードプードル。向こうから攻撃的なのが気に入らないらしい。このプードルを飼われる前は、そこにも12歳になるハスキーがいて、毎日散歩のときには顔を見に行き、とて仲がよかったんだけど。大型犬を飼う家庭は、やはり、いつも大型犬をチョイスするみたいだ。我が家は、虐待に近い状態で飼われていた母犬が、元気がなくてお乳もやれず、行き場のなかった生まれたばかりのハスキーを預かったまま、結局飼うことになったのだけど、もしこの子がほかの犬種だったら、どうだっただろう。とにかく我が家に来てくれて幸せだったと、最期に言ってやりたいと思う。今、家族のいる東京に、この子を連れて行くことを考えていて、犬を飼えるマンションを探しているんだけど、最近は愛犬というと、かわいいチワワやトイプードルなど小犬のイメージ強いから、この子の顔みたら、引くだろうな・・・散歩で出会うワンコたちの犬種 (写真はネットでお借りしました、ありがとうございます)フラットコーテットレトリーバー・バーニーズマウンテンドッグ・柴犬・ダルメシアン・ビーグルなど。基本的に我が家の愛犬は、チワワやシーズーなど、小犬には無関心。そして一番好きなのは、やはりシベリアンハスキー!散歩で会うワンコ達の名前は覚えているが、飼い主のお名前は知らないことが多い。散歩中、繋がれているワンコを見て、あら、ここがおうちだったの?とワンコに語りかける。みんな、元気で長生きしようね^^
2012.02.22
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今日は、中国人R君と、マンツーマン日本語レッスン。語学学校は、もう4月に入るまでお休みだけど、帰国せずに、語学学校の中国人友達たちと、週3日バイトしているという。アルバイトは、お弁当工場で弁当作りの夜勤。夜勤が時給いいもんね。先日2月2日の夜勤は超忙しかったので、疲れたという。そう、2月3日は節分ゆえ、R君たち中国人は、弁当工場でひたすら巻き寿司(恵方巻きと彼は言う)を巻いていた。「中に野菜や玉子や魚(たぶん穴子)を入れました」という。普段は夕方5時から11時や12時までなのに、2月2日は間に合わず、朝方まで巻き巻きしていたらしい。私「日本の巻き寿司、食べてみた?」と聞いたら、R君「少し食べたけど、中国人は冷たいご飯は食べません」と言った。そうか、冷たいご飯だよね・・・韓国はキンパブあるし、冷たいご飯どころか冷たい麺類もあるから、食文化は日本に近いところがあるが、中国はいろいろ違うようだ。中国で魚というと、海のものより、川や湖のものを指すことが多い。そして、今や、中国人はどんなものかもわからないまま、食べない巻き寿司を巻くバイトをして、私たち日本人が、買って美味しくいただくというストーリーなのね(@_@;)なんだか時代は、いつからかこうなっちゃった。巻き寿司は母の味、祖母の味ってのがなくなり、今や中国人が巻いてくれてる現実。我が家の義母は、いまだに干ぴょうを煮付けて、自家製ホウレンソウを入れて、自家製巻き寿司を作る。ありがたいよ。さて、先月あった旧正月、本来中国で餃子を食べているはずが、帰国しなかったので、食べなかったというのが、さびしいね。R君は、料理が好きなので、毎日自分の夕飯を中国食材で作り、(日本の料理がなかなか合わない・・?)学校があるときは、毎日中国料理のお弁当を持っていったそうだ。あれ?お弁当はご飯が冷たくなるけど、どうしたんだろう??@@香港などではおかゆを買いにジャーみたいなのがあるから、お弁当箱も保温できるジャーなのかな?月に3度、河南省のお母さんに電話するという、優しい22歳の青年である。
2012.02.05
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実家の親の用事で山口市へ高速道路で送迎。2時間の空き時間、夫婦で山口市を観光した。以前火事で全焼したザビエル教会は、最新な教会に建て替えられていた。クリスマス頃だともっときれいだったかも。 次に、常栄寺、雪舟庭へ。雪舟の作ったお庭は、家屋の方から、またお庭の方から、山の方から、どこからも風情があり、これが理解できるのは、やはり日本人なんだろうな。庭を眺めて、しばし休息。ここの家屋は室町時代のそのまま。 瑠璃光寺五重塔は、池から眺めてみると、美しい。桜の木がそばにあり、景色は春が一番なんだろう。 山口市、昔の街が残るスポット。街並みは静かで、活気があるものではないが、高いマンションも多くない分、落ち着きがある。若い子には、人気のない街かもしれないが、私には居心地いい。日頃東京のあわただしい毎日のパパにも、こちらの山口の環境がお似合いだ。やはり都会は似合わないもんね。余裕なく回った山口市、歴史の街、もっと歩いてゆっくりしたらいいかもしれない。湯田温泉に泊まるのもいいな。
2012.01.07
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2012年始まりました。新年おめでとうございます。今年もなかよくしてくださいね。比較的穏やかなお正月。地元の氏神様へ初もうで。去年の破魔矢を奉納し、今年の干支の破魔矢を買う。おみくじは大吉だったから、今年の平穏を祈るばかり。 初詣した神社は、家から徒歩15分くらい。3年前に火事があり、全焼、町内で寄付を集めたり、いろいろ集金に苦労して、新しく境内、神社宝物殿が建つ。そして、最近の神社には、こういうものがあるのかと、驚いたものが、ペット用。ペット連れの家族が確かに多いけど、こういうものができるなんて、ホント、びっくりしたわ~~!!まさか、ペットの七五三とか、来ないよね??@@;
2012.01.03
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義父母宅にて、年末恒例餅つき・・・昨年は大変な思いをして、7升搗いたので、今年は減らそうと義母に提案したら、「去年は一斗4升だった」と新事実(@@;)で、今年は少し減らして、1斗搗くということに。@@;朝、義父母宅に着くと、すでに餡子は炊いて丸めてあり、2升もち米を蒸してる最中。普通の家で食べる量じゃない・・・蒸し器をフル活動、1斗のもち米を蒸す。 大豆を練りこんで豆餅紫芋を練りこんで、紫のお餅にする。餡子も包む。関西は丸もち。熱くて、丸めるにも辛い。そして、義母・私・パパの3人で1斗の餅作り、頑張った!途中、昼ご飯にスペアリブと豚汁を作り食べたので、餅作りは朝9時から午後3時までかかってしまった。最後に東京の親戚に搗きたて餅を送るこん包をして郵便局へ。カマを持って、畑に大根・白菜など収穫に行くと、青梗菜が何やら食い散らかされていて、イノシシかと義母に聞くと、最近大きな鹿が数頭荒らしにくるらしい・・・なんてサバイバルな生活なんでしょね・・・田舎の嫁は夕方疲れて帰路へ。途中、丸亀製麺釜揚げうどんを食べて帰宅して、夜7時過ぎ、留守番していた愛犬と1時間散歩へ出かけた。長い一日だったわ・・来年は餅を買ってみたいわ・・・
2011.12.28
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12月2回目の仕事に行ってきた。気候やお天気のいい時は、自転車通勤なんだけど、今日は雨降り予想であったので、バス2本利用して通う通勤路。しかし、たちまち雨が降るようでもなく、バス乗換しないで少し歩いてみたら、自転車では通り過ごしていた秋の終わりの風景が気になり、携帯で写真を収めてみた。道路の落ち葉は、いつも市の清掃員さんがきれいにしてくれる。毎年同じなんでもない風景も、立ち止まって見上げてしまう私は、それだけ時間を惜しむように、歳を重ねたのかもしれない。今年は私の家族も環境もいろいろ変化があったので、特にそうかもしれない。もう勤務10年過ぎて、辞めたいと何年も言っているが、「都合のいい時だけでも来てよ」と言われるのはありがたいよね。 左のブロック塀は「拘置所」の塀。鯉の絵などペイントしている。時々、アニキや子弟に面会に来る黒塗りの車あり・・・掘りの向こうも銀杏のきれいな黄色が見えるだろうな。 後ろは市営住宅、高層アパート群。在日中国人急増し、中国人棟があるという。 東京にはお城がないなぁ・・・お城は桜の季節が素晴らしい。お城のお堀の道をのんびり歩いているとランニング中の高校生が私をどんどん追い越していった。
2011.12.07
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<朝鮮新報>より抜粋崔承喜生誕100周年を記念する華やかな行事時を超えて輝く、崔承喜の舞 今も世界中の人々を魅 了する崔承喜 圧制と過酷な受難に打ちひしがれていた暗黒の時代、同胞たちに生きる希望と勇気を与えた不世出の舞姫・崔承喜。今年、その生誕100周年を迎えて、平壌はもとより、日本各地で多彩な催しが開かれる。 日本にも多くのファンを持つ崔承喜の舞 一連の行事には、朝鮮の舞踊芸術部門創作指導員および創作家、芸術家、崔承喜の遺族、総連はじめ海外同胞代表団が参加するという。 東京、広島で公演 日本では、崔承喜生誕100周年記念と銘打って、任秋子民族舞踊団特別公演が東京で開催される(12月5日、王子・北とぴあ)。ここでは、崔承喜が振り付けし、自ら踊った「牧童と乙女」など代表的な作品が上演される。 この日に向けて、朝鮮舞踊振り付けの草分けで人民俳優の任秋子さん率いる同舞踊団メンバーたちが、金剛山歌劇団や神奈川県川崎市にある「アリランの家」のホールで猛レッスンを続けている。 練習に励む任秋子民族舞踊団 60年近い舞踊家人生を刻んできた任さんは、遠い日の記憶を手繰り寄せながら、常に輝かしい目標であり続けた崔承喜の生誕100周年を深い感謝を込めて迎えたかったと話す。 「今日のように異国・日本で朝鮮舞踊が開花し、人々からなくてはならない存在として愛されるようになったのは、伝統的な朝鮮舞踊を、現代的で粋な芸術に昇華させ、私たちに伝習してくれた崔承喜のおかげ。だからこそ、いまもウリハッキョの初級部から朝鮮大学校までの舞踊部に連綿と受け継がれ、地域の舞踊サークルから歌劇団まで幅広い舞踊家を網羅しながら、隆盛発展を遂げていると思う」 今度の舞台は、そうした「朝鮮舞踊の母」への恩返しの公演にしたいと力強く話す任さん。12月4日には、「朝鮮半島と日本の心をつなぐ」として「崔承喜生誕100年記念公演―朝鮮舞踊祭典」が、広島ALSOKホールで開かれる。さらに12月21日には、「崔承喜讃フェスティバル」が、東京・文京シビックホールで開催される。ここでは、崔承喜の貴重なフィルムが初めて公開される。なかでも、崔承喜按舞・群舞「バラ」、崔承喜按舞・独舞「長鼓の舞」、崔承喜按舞・群舞「扇の舞」など、朝鮮に帰国したあとに制作された貴重なフィルムが上映される。ファンにとって垂涎の的となるお宝映像とも言える。 ******************************************というわけで、朝鮮舞踊祭典、チケットが回ってきて、行ってきた。崔承喜(チェ・スンヒ)という舞踊家は今回初めて知った。1911年生まれ韓国京城、両班の出身1926年舞踊に魅せられ東京石井獏舞踊団入団。1930年20歳の時早稲田大学生、安獏と結婚。モダンバレエにオリジナルな朝鮮舞踊を取り入れ、米国、ヨーロッパで公演し名を馳せる。1946年朝鮮民主主義人民共和国に家族で渡り、平壌に舞踊研究所を設立。1956年「人民俳優称号」を授与。2003年2月他界。平壌市内愛国烈士陵に眠る。と、経歴がある。日本にいる時代に川端康成、菊池寛など著名人との交流多し。舞台は若い女性ダンサーの豪華な民族衣装と優雅な舞で本当にきれいだった。モダンバレエを取り入れたというのが、身のこなしにも分かるような、基本は古典的な朝鮮舞踊にもかかわらず、さらりと優しい風のように流れる舞踊だった。古くは伎生舞踊から発生しているのだろう、ドラマ「ファンジニ」が思い浮かんだ。流れる曲もファンジニで聴いたことがあるものだった。2時間の公演も、美しいダンサーと舞に食い入りながらあっという間に過ぎていった。幕の間にきれいなチマチョゴリ姿の女性がマイクを持って出てきた。舞踊解説する女性が、「日韓」と言わず、「朝鮮と日本」と言うに馴染めなかった。朝鮮と国交がないことを哀しみ、「日朝国交正常化」を願うという在日北朝鮮人の女性だ。「崔承喜は在日の誇り」と言ったが、華やかな舞台に立ち、著名人とつきあう崔承喜は憧れだったであろう。日本の支配下にあって、国籍を越えて輝いた女性だったのは確かだと思う。解説の女性は、「北」という言葉を一言も出さず、「朝鮮」と言い切る。彼らにしたら、韓国は「南朝鮮」にすぎないから。(反対に韓国は北韓というよね)朝鮮半島が分断され、北朝鮮に渡った後、崔承喜は、日本や韓国で公演することはあったのだろうか、平壌で本当に幸せに暮らせたのかと、舞踊とは離れたことをふと考えた。実際、今回の女性の解説にもパンフレットにも書いてないけれど、検索してみたら、1967年、崔承喜は、北朝鮮国内で「ブルジョワおよび修正主義分子」とし粛清され同年以降夫の安漠・娘の安聖姫とともに消息不明となっていて、2003年に突然北朝鮮側が1969年の死亡を公表している。消息不明の2年間、なにがあったのか、この一方的な発表も真実なのか、分からない。ソウル両班出身なのに北に渡ったのは夫の安獏が政治活動家だったせいかと思われる。この夏、JSA観光ツアーに行き、北のすごさを見てきたし、10年前小さな潜水艦で侵入した韓国江陵の夜や明け方の海に行き、また、延坪島に落とした北の砲弾を見てきた私には、今の現状さえこうなのに、はたして幸せな解決方法で民族統一できるのか、解説者の在日女性が願う日朝親善・日朝国交を、拉致問題の未解決も含め、北朝鮮が自ずから遠くにしているように思えてならない。華やかな素晴らしい舞踊を見せてもらい、気持ちもさわやかなはずなのに、解説者女性の優等生的な挨拶が、心に引っ掛かりながら帰宅した。しかし、今回出演していた朝鮮学校の生徒たちは、この日のために、どれだけ練習したのかと思うと、素直に大きな拍手を送りたい。本当の意味で、平和な幸せな生活が朝鮮半島に訪れることを祈るばかりだ。参考文献があり。さすらいの舞姫 北の闇に消えた伝説のバレリーナ・崔承喜(西木正明著、光文社、2010年) をゆっくり読んでみようと思う。
2011.12.06
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東京から福岡へ往路は飛行機で出張していたパパが帰り道、新幹線で広島で降りて帰ってきた。あわてて近所の馴染みの魚屋へ走る。そして新鮮なお魚を買う。アジとマグロの握りずし(3個+3個) 480円赤ナマコ 380円 すり大根を入れて美味しくする。 夜は魚を煮付ける予定。殻つき牡蠣は大きくてひとつ250円という高値だった・・・年末には車で1時間かかる養殖元に新鮮で美味しい牡蠣を買いに行くのが恒例。牡蠣は生食用と加熱用があるけど、断然加熱用が美味しい。加熱用は取れたてですぐ出荷できるけど、生食用は殺菌するからコクが消えていく気がする。今、娘は授業の関係で上海に行っているが、就活始まった息子が気になり電話しても、相変わらず出ない。まったく・・・
2011.12.03
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毎月上京するのに、新幹線や、飛行機やその時々の状況で使うのだけど、今回はこれに乗るしかないでしょう。だって、唯一、ANA11月から、広島・岡山ー羽田という路線運航で、まさにチャンスです。本当はプレミアムクラスに乗りたいですがすでに満席。ボーイング787ドリームライナーいってきます!! ANAさんからお借りしました。ありがとうございます。
2011.11.17
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先週、急にチケットが手に入り、地元の公演に行ってきた。 松竹花形歌舞伎中村獅童主演演目1 瞼の母演目2 お祭りやはり、獅童さんは若くて華があり、ひきつけるものがある。最近は、邦画や中国映画の大作にも出演して、その存在感は作品になくてはならない人になってきているが、舞台はなおさら、そういうオーラがある。観客は、まさに歌舞伎ファンと思われる着物姿のおば様方、老年夫婦、年老いた母連れの娘、私も母を連れて行った仲間。母も私も歌舞伎にはとんと知識がないけど、興味を持つには、まず観るというチャンスが必要なのよね。地方でも、こうしていろいろな文化を楽しめる時代になったことがうれしい。 松竹の歌舞伎HPからお借りしました^^演歌歌手公演や和物の公演には欠かせない当日売りの「きなこ豆」大好きっス
2011.11.09
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遊歩道から駐車場に戻り、上帝釈峡から下帝釈峡に車で移動した。ここは神石高原町。有名な神石牛の産地なのである。で、やはり、神石牛定食を食す。柔らかくてジューシーで美味しい!!オホホホ、自然と笑みが・・(#^.^#)日頃から神石牛は食べられないもんね(^^;) ここには、遊覧船があり、S字になっている人口湖で下から紅葉の風景を眺めることができる。ゆっくりと40分、遊覧船で紅葉と輝く水面を眺めることができた。 ここには、こんなものも生息しているという。駐車場の横の水槽で公開されていた、天然記念物! オオサンショウウオ体長1メートルはある!顔を水面から出したり入れたり、そしてブクブク水泡を吹く。かわいい!!
2011.11.08
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11月3日、地元に戻ってきたパパと、私の両親を連れて、久しぶりに、広島県北東部、庄原市東城町、神石高原の帝釈峡(たいしゃくきょう)へ行ってきた。広島市内から車で2時間というところにある。紅葉の宮島は有名だけど、少し早い時期に紅葉ピークを迎える山間部にある帝釈峡は、11月上旬がピークで、今月下旬に宮島が紅葉ピークを迎えるだろう。心臓と足と目の悪い父を連れてなので、車で峡谷そばまで行かれる帝釈峡が便利がいい。まずは上帝釈峡に車を止めて、15分くらい遊歩道を歩いたところで父と母を残し、夫婦でもうさらに30分くらい奥まで散策した。本当はもっと奥まで行きたいが、父母を待たすこともできず。木々は赤や黄色になり、小川のせせらぎと、大きな渓谷の美しさを鑑賞してきた。日光とは違い、木漏れ日の中に埋まるように過ごせる遊歩道は、冷たい空気と優しい光とせせらぎの音ととても癒される要素あり。 父母と分かれた場所に戻ると姿はなく、遊歩道入口まで戻ると、土産物店で試食の地元の柿をパクパク食べている二人を目撃した。(@@)
2011.11.06
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6月から放射線治療を始めていた義母も最終回の治療が終わった。、義母は今週退院して、次の外来治療がまた始まる。今まで付き添いがあった私は、ちょっと東京の家族の元へ様子を見に行くことにした。往路は飛行機、復路は新幹線。空から、車窓から、秋の風景が楽しめるだろうか?動画「東京」前回はマイペースの「東京」今回は。 you tubu,LGT99REさんよりお借りしました。ありがとうございます。この方はとてもシブい!かっこいい62歳!私の好きな曲「東京」矢沢永吉PS、独身会社員時代、東京生まれの上司とカラオケで毎回付き合わされた曲。ムード歌謡全盛期だった懐かしい時代で育った私。まさか、この歌詞の地名が身近になろうとは思いもしなかったよ。
2011.10.26
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前回日本語レッスンで会った河南省から来たR君の弟。今日、詳しく聞いたら、本当の弟じゃなかった・・・本当の弟は中国の親と一緒に住んでいた。前回見た弟というのは、やはり中国に住む、お母さんの妹(叔母さん)の息子だった。R君のいとこってわけね。日本人と結婚した妹の家に中国に住む姉たちがそれぞれ息子を送り込んだというわけ。そして、前回の私の疑問(子供だけでも日本に送り、当たり前に中国人が中国で教育を受けず、日本の教育を中学生から受けさせる理由を、いつかR君のご両親に聞いてみたい)をR君に聞いてみた。その答えは・・・日本で中学・高校と過ごし、大学は中国に帰る予定であること。中国の大学受験する時に、帰国子女枠があり、通常より入学が簡単だから。もちろん狙うのは、北京大学、清華大学、復旦大学、上海交通大学など、名門大学ばかり。そして、日本では日本語の習得が未熟なので、学年を1~2年下がり、16歳でも中学2年や3年に通う。中国ではすでに中学で英語・数学分野は勉強して来ていて、日本の高校受験は問題ない。ひたすら日本語の勉強をして、国語・社会などの分野を強化するという算入らしい。まぁ、どちらにしても、中国でも白熱するエリート教育に参戦できる家庭ならではのこと。戸籍も作ってもらえない、学校にも通わせてもらえない中国人の子供たちもいる中で、いかに名門大学に入学させるかという親の策略の元、こうして日本で過ごしている中国の子供たちが多数いることも事実。私も子供たちを結構教育には注意して育てた方だが、それを上回る手をどんどん見せてくれる中国も韓国も、本当に驚くばかりだ。いや、日本にもそういう子はいるかもしれないが、私の周りにはいなかっただけか?やはり、R君といると、まわり中国人に囲まれる。(笑)それも10代~20代。韓国語なんて聞こえない。中国語の嵐だ。(笑)まったく意味わからない(--;)「かっぱえびせん、おいし~~い!」とぽりぽり食べるW君も、中国人の中学生。家族で日本で暮らしているそうだが、中学生にしてかなりおしゃれな服装で、もちろん、スマートフォン。蘇州で見かけた物乞いを日課とさせられていた子供たちを思い出しながら、今日も新しい中国パワーを感じた日だった。
2011.10.22
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土曜日は久しぶりに、中国人河南省から来ているR君(23歳)と日本語個人レッスン!7月~9月は夏休みということで3か月レッスンを休んでいた。夏休みの申し出をしたのはR君で、私は語学学校が休みの時こそ、日本語上達、挽回のチャンスだと思ったが、R君には事情があったことが、昨日分かった。@@7月夏休みから彼は学校が始まっても9月中旬まで市内の食品工場でアルバイトをしていた。同じ語学学校の中国人友達と食品工場に行くと、従業員の多くが中国人だったというエピソード。中国人研修生という名の出稼ぎ中国人、在日中国人妻、大学の中国人留学生そして彼らも中国人学生。で、何を作っていたのかと聞くと、「ラーメン」だそうだ。(笑)夜勤のほうが時給がいいので、23時~7時まで週5日勤務。時給1000円。中国でのアルバイトは時給200円くらいなので、中国に帰省してバイトするよりは断然いい。これは韓国人も同じ。前に顔なじみの韓国人留学生が早朝からバイトしていた弁当工場は、同じ仕事をする日本人学生へのバイト代に比べ、日本語堪能な韓国人学生なのに時給をかなり低く払っていたのを知り、(たぶん1時間200円くらい低かった)ちょっと工場側に悪意が感じられ、別のバイト先を探させたということがあった。夏休みは家とバイト先の往復で過ごし、学校の始まったあとは、授業の終わる16時くらいから寝ていたそうで、若いとはいえ、体力的にきつい日々だったと言った。今は食品工場はやめて、週2~3回夜、ビルの掃除のバイトを始めたという。そのバイト代はすべて語学学校の学費にするらしく、バイト代で友達と遊んだりするのんきな日本人のうちの息子と大違い!!そして、急にバイトを始めたR君の事情が分かるのはすぐだった。レッスンする私たちのところに、体格はいいけど、かわいらしい顔の男の子がやってきて、R君に中国語で親しく声をかけた。「私の弟です」え~~~!!!R君の中学生の弟も9月から中国を離れ、R君と一緒に叔母さん(日本人と結婚している中国人)の家に同居し始めたらしい。R君のご両親は中国から彼らに必死に送金するのね。弟もこれから日本の高校~大学と進むだろう。R君もこれから日本の大学に進むつもりだし。だから、自分の学費を稼ごうと頑張っているR君。子供だけでも日本に送り、当たり前に中国人が中国で教育を受けず、日本の教育を中学生から受けさせる理由を、いつかR君のご両親に聞いてみたい。しかし、R君の弟、外国人が勉強しているフロアには中国人が多いせいか、あちこちの中国人の間をふらふらし、中国語で楽しそうにおしゃべりしている。見るからに真面目なR君と比べ、このテキトーなR君の弟、本当は一人っ子政策で生まれてくることはなかったのだろうが、いかにもいわゆる二男という感じがして面白かった。R君はチェックのフランネル長袖シャツを一番上までボタンを留めて着ているに、弟は白い半袖Tシャツに薄い綿の半パン姿、サンダルだった。寒くないのか・・(笑)you tubuで中国語をどうぞ!懐かしい東方神起5人の動画。娘が高麗大学にいるころの新曲。中国語もかわいらしく聴こえ、ちょっとお気に入り^^you tubu harumitanさんからお借りしました。ありがとうございます。
2011.10.16
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今は東京やら福岡やらうろうろしている私だが、広島生まれ広島育ちなので、お好み焼きは関西風の混ぜ混ぜよりは絶対広島風!!ましてや、東京のもんじゃ焼きときたら、「なんじゃこりゃ~~!」に近い粉もん。さて、東のお方、yanpaアジョッシにお好み焼きの元なるものを送らせてもらったが、器用なお方のアジョッシなのに、やはり広島風には手を焼かれたようだ。というわけで、THE広島お好み焼きと思う動画をあわてて探してきた。お店の鉄板じゃなくても、家のホットプレートを中火や弱火にしてうまくすれば、引けを取らないものができるはず。ソースは「おたふくソース」が有名だけど、我が家は「カープソース」を愛用してる。トッピングにネギは美味しいよ。そして、少しニンニクパウダーをかけると美味!!麺はソバでなくてもうどんでもいいよ。でも讃岐うどんのようなコシのあるのはダメで細麺が適してる。動画の中で、お好み焼きを小さなヘラで食べてる人が映ってるけど、広島では鉄板でアツアツを食べる用のヘラで切りながらのせながら食べるのが基本。でも私は猫舌なのでいつもお皿に入れてもらうけどね。この動画のお店は、有名なお店で、放課後の時間は高校生がわんさかいるよ^^それぞれお店はオリジナルなお好み焼きだけど、豚の三枚肉、油はラードは外せない!アジョッシ!いかがでしょう??はんらさん、次回プリンセス会はお好み焼きましょうか?^^
2011.10.02
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先週のお話になりましたが。やはり、私は雨女みたいだ。先月のミスチル屋外コンサートもレインコートが重宝したし、今日は屋内コンサートだけども、昼ごろから雨足がひどくなり、傘をさしてコンサートに出かけた。「浜田省吾 コンサート」9月17日土曜日午後6時開演広島公演チケットのため、上京していた私もパパも東京から戻った。18時開演~~21時45分終了の長いコンサートだった。浜田省吾デビュー35年という。広島出身。メディアには登場することは少ないけど、いつもコンサートチケット売り切れ。ちょっと年上だけど、同じ時代を過ごしてきた人だ。私よりもパパがファン。男性が好きな男性歌手って、こんなタイプかな。「JBOY」「路地裏の少年」「マネー」など、バブル崩壊の前の、前へ進め進め時代の歌。でも、今は、バブル崩壊、金融危機、そして東北地方震災で、足踏みしてるか、後退している世の中。今度は、次世代の子供たちにメッセージを残そうと語り歌う。一曲一曲終わる度に、観客にお辞儀をする省吾、その姿勢が素敵だった。 minmin1967murさんよりお借りしました。ありがとうございます。 観客は40~50代中心。(演奏者も全員50代)やはりペンライトなど持たず、両手の拳を振り上げて、口ずさむ人多数。昨今の中高年、まだまだイケルと実感!!皆さん、上の動画の通りなテンション。懐かしい歌の数々、とても楽しい4時間だった。でも4時間立ちっぱなしは、しばらく足が痛かった・・・
2011.09.23
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午前中、友達から連絡あり、九州にいる娘さんと一緒に行く予定のコンサート、急に娘さんが広島に戻ることができなくなり、突然私がピンチヒッターで、行ってきた。ところが、朝から小雨。なのに市内から1時間のところにある山の上の大きな野外コンサート・・いつもの雨にめげないで、雨合羽を買う。「Mr.Children STADIUM TOUR 2011 SENSE ]8月20日 広島から始まり、8月27日熊本 9月3・4日神奈川 9月10・11日愛知 9月18.19日大阪そして最後は 宮城9月24.25日17時半開始で最初は明るい場内も、終わるころにはいい具合に暗くなった。広島が最初だったよ@@。5万人のコンサートは、人が多すぎて、どこも行列。グッツ売り場もトイレもだいたい入場も退場も行列すぎて、若くないので疲れたよ。20代~30代が多かった。平均的な若者で、ファンキーな子は見かけなかった。次回行く浜田省吾コンサートはぐっと年齢が上がるんだろうな(笑)トルコブルーのパンツをはいて、ボーカル・ギターの桜井さん登場。初めて行くミスチルの公演。公演中のカメラ撮影、携帯禁止とともに、「ペンライト禁止」のアナウンス。では、応援は??と観察したら、両手を人差し指立てて上げるんですね(^^;)上げるポイントもあるようで・・特別にファンじゃないけど、知らない曲もあったけど、エネルギッシュに歌う桜井さんはスタンド席からはかなり小さかったけど、じゅうぶん楽しめるコンサートだった。公演中は、小雨もやんでいたけど、アンコールには少し降り始め、合羽は活躍した。一応、公演中はずっと立っていたのでおなかがすいた友達と二人、帰り道にスペイン料理を食べて帰宅深夜12時。雨足はひどくなっていった。 triplanefirstfightさんよりお借りしました。ありがとうございます。
2011.08.20
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東京に戻る娘を送りに駅に行き、駅前のデパートでランチをしたら、偶然今日が最終日の「バービー展」目撃アニバーサリー50、私の人生とともに!!(笑)懐かしいバービー人形300体集合。コレクター関口泰宏さん。私の子供時代、1ドル360円の頃、3ドルのバービー。グラマーなつり目のバービーは、日本に輸入されても、初めは馴染めなかった記憶。その後、胸の薄い目の大きなリカちゃんが発売され、世の中のお母さん方はセクシーバービーより、リカちゃんを娘に買い与えたのよね。私の頃は初代バービーに近い。スタンドも足の裏に突き刺して立たせていたが、しばらくして、腰にあてがわれたワイヤーで立たせるタイプになった。棒立ちだったバービーもツイストバービーが発売されて、腰が動き、イキイキしたバービーになった。手足が動き始めるのは、まだもう少しかかったような気がする。バービーのボーイフレンド、ケンは、当時なんて日本的な名前だと思っていた。私的には「健」、「賢」、「謙」(笑)しかし今回、このバービー展で、バービーは2004年にケンとは破局し、新しい恋人がいることがわかった。今はいいお友達関係らしい・・・バービーの顔も時代により変化していったが、ハイセンスなセレブなバービーは、いまだに健在。小物もセンスよくて、銀のパーティバッグや、ロングな白い手袋、豪華なファーの襟巻やら、つばの大きな帽子、真っ赤なハイヒール等。どれもいまだに現実の私は所有していないな(笑)もう何十年も前なことなのに、人形たちをしっかり覚えている自分がいて、いまだにこのバービーで幼馴染と遊んだ記憶が鮮明に蘇る。バービーはキャビンアテンダントで、ケンはアーミーだったな。そして、バービーの本名は「バーバラ・ミリセント・ロバーツ」だということをかすかに思い出した。日本でも婦人服や洋品でバービーイメージの「barbie」ブランドがあるが、人形のイメージより、ピンクやレースやミニスカートの幼くかわいいデザインが多い。ターゲットはティーンから20代なのだろうな。しかし、うちの娘はスレンダーじゃないから、ここの洋服は着ることがない。でも、本当のバービーは、ジバンシーとか着ちゃうんだよね。私の子供時代、アメリカの玩具がどんどん輸入されて、人形の服が洗える洗濯機、水の出るキッチンセットもアメリカ製を買ってもらって、それが長年壊れずに使えて、娘の幼い頃も私のその玩具を出して遊んだ。トイザラスで最近も見かけたけど、今の玩具も昔とさほど変わりないのがすごい。狂喜乱舞で写真を撮らなくて、ほかのブロガーさんより拝借しました。ありがとうございます。
2011.08.17
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渡韓まで、あと2週間切った。今回は急に決まったので、あわてて手配するエアチケット高め(涙)1年ぶりの韓国6日間。昨年は続けて釜山に行ったから、ソウルには1年以上行ってない。楽しみにしているんだけど、でも今、あの日本の政治家の訪韓騒動で日本への緊張が高まり、ウルルン島付近が物騒。(8月15日も近いしね・・)ウォンへの両替は最低にして、韓国の銀行のインターナショナルATMで現地通貨を下す予定。今回の韓国の旅は、娘の研究のための旅に同行。仁川空港からすぐ高速バスで4時間くらいの場所から始まる予定。渋滞がなければいいけど。今回、成田空港から出るので、初日はかなり交通機関に縛られる。お盆の準備もしながら、ネットでエアとホテルだけは予約完了。8月、学校は夏休み中だというのに、私の仕事は忙しいので、なかなか旅の準備が進まないが、スーツケースは小さくまとめるつもりでいる。その前に東京へ飛ばなくちゃ!!待っててね、韓国!!(本当はグアムに行く予定だったのに・・でも本当は杭州に行きたい私) 噂のウルルン島
2011.08.10
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癌治療の放射線治療を受けていた義母の経過が良くて、予定より1週間早く治療を終えて退院した。退院の日、90歳近い義父も義兄について病院に迎えにきたが、大きな病院の通路は、足腰の悪い義父には辛そうだった。おまけに、義母と並んで話しながら昼食をとっている私に、義父が、「あなたは、どちら様ですか?」とマジに聞いてきたので、仰天した。2週間前も1か月前も会ってるじゃないの・・・もしかしたら、近いうちに新たな試練が訪れるのだろうか・・・さて、付き添いもひと段落して、ネット注文していたものが今日、届いた。私の大好きな韓国の歌手シン・ヘソンの新曲アルバム。この大好きな声が、疲れを溶かすように、身体と心に染み入って、酔いしれておりますぽわん~shinhwaluvshcjさんからお借りしました。カムサハムニダ!LIVEをrkscpさんからお借りしました。カムサヘヨ!ついでに一緒に購入したこれ! 大きなポスターも悲しいかな、折って入ってたけど、家には貼るとこないし・・ FICTIONの歌は、ついついあのダンスの内股ステップをマネしちゃいそう~~!! 内股ステップ、足をひねりそうです・・・
2011.08.02
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晴天、いつもの上京。予定通りに羽田空港に着くと思っていたら、着陸滑走路でトラブル(鳥同士の衝突で滑走路に・・という説明だった)があり、着陸できず、千葉の房総半島まで飛んでしまった上空から眺めたら、このあたり、なんてゴルフ場が多いんでしょう@@夏休みのため、空港ロビーも機内もリュックを背負う小学生、幼稚園の親子連れが多くなった。もう子供の手を引いてうろうろしなくてもいい私には懐かしい光景。夏休みの思い出作りのお父さんお母さんたち、本当にご苦労様。いつもANA機内で楽しみにしている機内誌「翼の王国」特に写真付エッセイ「おべんとうの時間」が一番好き。全国のいろいろな人を取材し、その人のお弁当の写真と取材記が書いてある。お弁当の作り方はまったくないけど、そのお弁当の写真だけでも、いろいろな人生が見えるし、家族の愛情が見えて、私的には、とても癒される。結構、励まされたりする。それをまとめて一冊にして発行されたと書いてあったので、羽田空港から横浜の家に帰る途中、本屋に寄り、早速買って帰った。どのお弁当も美味しそうで、愛情いっぱい。私のお気に入りの一冊になった。写真もエッセイもとてもいいので、おすすめしたい。 ただし、料理本ではないので、レシピはどこにもないよ。 また、真夏の暑い時期には、小池真理子さんのサスペンス本が、おすすめ、一緒に2冊買ったので、暑い時期をこの本で乗り切ろう!!
2011.07.27
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癌治療で入院中の義母は、今日、81歳の誕生日だった。毎年、家で迎える誕生日は、自分で作ったお赤飯に好きなお刺身で義父と祝うらしい。うちとは高速道路を車で1時間半かかるので、今まで一緒に祝う機会がなかったが、今年は私の家の近くの病院に入院してもらっているので、美味しいと評判なショートケーキをバスに乗って買いに行き、1食分のお赤飯も買って病室に持っていった。日頃洋菓子は買わない義母なので、生クリームたっぷりのケーキは珍しくて美味しいと言って食べた。そして、うれしいことに、今日のお昼ご飯、義母がいつも通りに、病院の食堂に行くと、個人のお盆に、誕生日カードとプチケーキが付いていたらしい。バースディカードには、病院栄養部からのおめでとうメッセージ。色鉛筆でかわいく塗られた一枚のカードでも、こうして、大きな病院で単調な入院の日々を送る患者の誕生日を把握してくれて、とてもありがたいと思う。同じテーブルで食事をとる患者さんたちが、ケーキに気づき、食堂にいるパジャマ姿のみなさんで「ハッピーバースディ」と歌ってくれたという。「こんなに大勢に歌ってもらったことは初めてだった」と、義母もうれしそうに、私にカードを見せた。小さなケーキもテーブルの横と前の人に分けて、幸せのおすそ分けをしたそうだ。「生きる」ということにとびきり敏感なみなさんからの心のこもった「ハッピーバースディ」次の土曜日は、近くで花火大会があり、高層階の大きなガラス窓の病室から、大きな花火がきれいに見えるらしい。本日、回復して晴れて退院の病室の人も花火が見られずに残念だと言い残して去った。私も花火のその時間に病室に行って義母と見てみようと思っている。義母の入院はお盆前まで続く。
2011.07.20
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毎日、暑い!!!入院中の義母が、連休中の外泊許可をもらえたので、自宅(義父母宅)へ連れて帰った。義母が一番気にしていたのは、急な入院で投げてきた畑の野菜たち。35度という真夏の昼間にもかかわらず、家にも寄らず、一番に畑に車を止めて、様子を見に行く。3週間以上畑の管理をしていないと、作物も、カラスにやられたり、虫に食べられたり、炎天下で熟して腐ったりと、思った以上にがっかりする義母であった。豆類は全滅・・・それでも、真夏の収穫に精を出し、頑張ってみた。 ミニトマトは「アイコ」皮は固めだけど、甘くて美味しい。10個くらいは一度に食べられる。スイカはまだ収穫には早いようだけど、畑を飛び出し、道端で実を大きくしているものもあり、びっくり。 小玉スイカをひとつ採って、切ってみたら、黄色い果肉のものだった。でも、少し早かったようで、甘くない。スイカは焦らないことが大事だけど、カラス対策が要るようだ。マクワ瓜は畑いっぱいできていて、腐っていくものもあり、急いで収穫。さっそく切ってみたら美味しくさっぱり!!韓国でもチャメがあり、みなさん買って食べているけど、日本のチャメだって、負けないよ 畑仕事に昼食準備に夕食準備に、すっかり農家の嫁の一日だった。 今日は、おかげで、顔も手も一段と日に焼けた・・・トホホ
2011.07.16
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夏のバーゲンが始まり、去年も一昨年もサンダル買わなかったから、今年は買ってみた。買ったサンダルを履いて、入院中の義母のところに行くと、「まぁ、そりゃ、娘のサンダルを履いてるんかね?」と言われ、「いえ、私のサンダルです。バーゲンで」と答えると、「派手なサンダルじゃね~~」とマジマジ見つめられから、「私は人間地味だし、地味な人生でここまできましたから、 この際、サンダルくらいは派手でもいいんじゃないかと思って買いました」と答えておいた。 さて、昨日は愛犬の手術後の抜糸で、動物病院へ。これで、やっと両足の靭帯再生手術のチタンのインプラント手術が終わり、あと数回経過観察で通院のみになって安心できた。先生は、初めての新しい方法での手術で学会にも参加されているようなので、術後の歩行観察で、動画を撮りたいと言われた。あまり意識しないで、私がリードを付けて愛犬を1分間歩かせて、先生が犬の歩行を動画に収めた。あとで、気づいたのだけど、この動画を、ほかの先生にみてもらったり、学会で公開することがあるのかもしれない。しまった!!私は太い素足にバーゲンで買ったこの派手なサンダルを履いている。どうか、大きな画面で私のお見苦しい足を公開することがありませんように。祈ってますよ。トホホ・・・
2011.07.13
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久しぶりにコンサート情報を見かけたので、チケット抽選申し込みしていたら、見事当たり。5年ぶり??に夫婦で行こうと思うが、広島なので、東京からこのために戻らないといけないコンサートはアンコール含めたら3時間以上あるから、お客さんも若くない人が多いし、体力勝負。韓国の歌手応援は、絶対ペンライト必要だけど、彼の場合は、お客さんのコブシだということに、前回驚いたよ彼は広島出身。年齢は違うけど、海沿いの町で過ごした子供時代は、私と重なるわ^^私の父とも高校が一緒(笑)いろいろ私とも接点があり、パパも大好きな懐かしい歌が多い。屋内でもサングラス。その奥の目は・・・・・細かった!(笑)9月のコンサート、楽しみにしよう!!忘れずにチケット買いにいかなくちゃね浜田省吾 私の友達も熱狂的ファン。(私はその域までは行けないけど)herven1さんよりお借りしました。ありがとうございます^^
2011.07.07
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両後ろ足前十字靭帯断裂していた愛犬も片足ずつ手術して、やっと両足の手術を終え、昨日退院した。まだ、安静6週間なので、家の中で安静にしないといけない。昨夜は、やっと帰宅できた興奮と安堵感と、また首にカラーを巻いている不自由さとか、雨音とともに、夜中1時間くらいごとにクンクン鳴いて、私はその度に起きて、声をかけていたので、今日はかなり寝不足だ。ムシムシしている気候なので、傷口が化膿しやすいから、エアコン除湿をかけてやると、カラーで寝にくいながらも、座布団を枕にして、今朝からぐっすり眠っているようだ。12歳、こうなったら、元気になり、あと3年でも5年でも一緒に散歩してほしいな。 さて、昨日お昼ご飯は、近所の友達と、古くからある、ひとりしゃぶしゃぶのお店に行った。向かい合って座ったテーブルに、それぞれ一人用の材料とお鍋が出てくる。一緒にひとつのお鍋をつついてこそ親しくと思う韓国ではこういうのは、ありえないと思うかもしれない。でも、ひとりでふらりと一人前を食べることができるので、サラリーマンなど、一人客が多い。お肉もやわらかくて美味しい。タレは特製ゴマダレ。肉の味の出たお鍋から煮汁をスープにして。1200円のランチで元気が出た感じ^^
2011.07.05
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いろいろ日常が忙しく、今年になって韓国旅行も行ってなくて、最近特に韓国の話題がない。韓国旅行のブロガーさんの記事を読んで、ANAマイレージもあることだし、また行きたいけど、入院中の義母と手術した犬を抱えてるので、我慢我慢。中国人学生R君。第二回日本語レッスンだった。私に、中国から持ってきた切り絵をくれた。前回、「切り絵は好きですか?」と聞かれて、中国の手工芸大好きだから、なんとなく「好きですよ」と答えていたからね、私にくれようとしたんだね。謝謝 雑談中 R君 「日本人は、カラスは食べますか?」 私 「カラスは食べませんよ@@;」 「中国は食べるの??」 R君 「今は保護してるから、食べません」(食べてたってこと?) 「すずめは美味しいですが、日本であまり見ません。 日本人は、すずめは食べますか?」 私 「普通、日本人はすずめも食べませんよ@@;」 R君 「カエルは美味しいです」 私 「食用カエルもあるけど、カエルも食べません@@;」 ハトやカエルは中国人は食べるには知っていたが・・・前に、香港からアグネス・チャンが来日まもなく、公園にハトがたくさんいて、まるまる太って美味しそうでたまらなかったと言っていたのも聞いたことがあった。香港で食材、漢方薬屋さんに寄った時、カエルやトカゲや蛇、雀、猿、熊の手などが売られていたのは見たことがあるけど、さすがにカラスはいなかったな。中国、本当に大きい国なので、いろいろな部族によって、食文化も違うんだと思う。私は、一度、雲南省に行ってみたいけど、日本からだと、とりあえず昆明空港まで行かなくちゃならなくて、遠いから実現難しい。R君のご両親は二人とも調理師でお店をしてるらしい。「料理人」という単語の発音が、中国人には難しい。ラ行ナ行が難関なのだ。これからも、ゆっくり丁寧に練習していこう。レッスンの1時間前に来て、勉強している真面目な子だ。再見!!
2011.07.03
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ジメジメ、ムシムシ、洗濯物も室内干し、息子のいない部屋は物干し部屋となった。汗をぬぐうタオルが増えるばかりなので、とうとうエアコンを除湿設定した。雨の中、義母の病院と、新しく始まった日本語個人レッスン(ボランティア)に出かけた。河南省出身中国人、22歳になるという日本語語学学校の学生R君。今年4月に来日。2年間で日本語を学び、日本の大学に正規入学したいと希望している。中国の大学は卒業を待たずに退学し、本土で日本語の勉強を始めたらしいので、来日3か月にしては、きれいな発音は無理でも意志の疎通はじゅうぶんできる。ただ学校の初級クラス14人中11人は中国人で、授業以外は中国語で友達と話し、家は日本人と結婚来日している叔母さんの家に住んでいるそうで、叔母さんとも、また日本人のおじさんも中国語が堪能で、家でも中国語。毎月東京にも行く私との月3回のレッスンで、どれだけ補てんできるかわからないけど、努力してみることにした。せっかくなら、学校の中国人友達たちとは差をつけたいな丸顔で中国人らしい顔は21歳の息子より幼く思えたが、どんどん一生懸命日本語で話そうとするので、私も頑張らなくちゃね。さて、「もちろん一人っ子でしょ?」と聞くと、中学生の弟がいるという。「罰金を払ってます」と答えた。この一人っ子政策の罰金はかなりの額で一生払い続けると聞いている。前に、上海の観光会社の男の子は、日本の大学医学部に通う姉と中国の大学医学部に通う弟がいるといい、親はともに医者で罰金を払い続けていると聞いた。中国の富裕層は一人っ子政策に関係なく産んでいるというし、少数民族は規制がないから、人口比率が変わってきているとも聞く。またこの罰金が国の収入源として欠かせないものになってるとも聞く。罰金も払えず、ゆえに戸籍ももらえず、人権もなく夢もなく育つ中国の子供たちもかなりいるはずだけど。それにしても、R君のパーパもマーマも、彼のこれからの教育費たいへんだなぁと妙に親近感(笑)。さて、日本語の書く勉強として、携帯メールをすることにした。まず、私が励ましの言葉をメールにして送ると、しばらくして、漢字混じりの短い文字が返ってきた。そして、最後に、「ありがとうございます。おばさん」とあり、ちょっとこれは、直球過ぎて、笑えた。
2011.06.26
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東京からあわてて地元に帰らなくてはいけなかったのは、義母の検査の付き添いが予定されたから。市内にふたつしかないPET検査のできる病院。義母のPET検査は10時から3時間かかるというので、私は1時間くらいは、近くでコーヒーを飲んで待つことにした。眺めのいい場所にスターバックスがある。広島で「電車」というのは、決まって、市内路面電車のことだ。いろいろなデザインの路面電車の往来が、緑の多い街に映える。オフィス街にしては結構静かだなと思っていたのもつかの間、近くでボヤがあったのか、サイレンとともに消防車、救急車が何台もやってきた。最近の癌治療、いろいろ治療方法も進み、癌細胞発見も画期的な検査でできる。PETでは、まだ確認できていない小さな癌細胞をも見逃さないようになった。ただ、その結果を聞きに行く時が、一番怖い時間になるのは、永久に慣れないだろうな。スタバで義母の好きなチャイラテを買い、病院に戻った。
2011.06.23
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昨夜からの雨で、本日も一日中雨の天気予報。前からチケットを用意して、今年初めてのプロ野球カープのナイター観戦予定だった。小雨なので、どうなんだろうとカープ球団に電話してみたら、、音声回答は「試合はある」ということで。GO!!私の妹の子の高校生の甥と行くことにしていた、カープ対楽天の交流戦。雨女のおばちゃんでごめんね・・とほほ。妹の家族は、スポーツに全く関心がない。それでも、甥は普通に試合をテレビを観ることもあるが、野球、カープ大好きな我が家のように球場まで行かないから、久しぶりに甥を連れて行くことにしていた。平日の夜ということもあり、雨のせいもあり、観戦者は少ないが、カープの連敗を止める試合になってよかった。最近は中国地方の学校の団体(修学旅行とか)の観戦が多い。雨で中止にならなくてよかったね。今回は屋根のないところの席だったので、傘は後ろの人に見えにくくなり申し訳ないので、ポンチョ購入で観戦した。席のまわりの人は多くの人が赤いこのポンチョで応援。そのおかげか、8-6で勝ち。しかし、前健、もう少し頑張ってほしいなぁ~~(><)
2011.06.16
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