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地元に帰って少し時間ができたので、前にやっていた在広外国人の日本語学習支援ボランティアを再開しようと再登録したら、すぐ打診があった。 ほかの日本人とペアだった中国語を母語とする30代の女性は、その日本人ボランティアが問題でペアを解消して、改めてセンター担当者から私に相談があったわけだ。 最近、日本語能力テストN2に合格して、ほかの日本語学習支援ボランティアにも行っているようだが、日本語を話すチャンスをより多くしたいようだった。 自分で日本名を付けたと言うので(笑)はるさんと呼ぶことにした。 実は最近病院に行って、来春、初産でベビーが生まれる予定だ。ご主人は日本人で来日1年という。 結局よろず相談になり、出産に向けての相談や説明を日本語で会話している。ここには書きにくいマニアックな出産風景や、出産準備品まで。 ご主人は遠方の出身で両親も遠方、はるさんの家族は誰も来日しない予定のため、毎日不安が強く、私とレッスンの時も彼女の不安を聞きながら、少し解決していっている。 先日は戌の日について説明したが、はるさんはあらかじめ検索していて、神社に腹帯を持っていきたいんだって。私は娘の時には神社祈願したけど息子の時はどうしたんだろー。笑 初めて病院で見たお腹のベビーのエコー画像を動画にして携帯に入れて私に見せてくれた。すごく感動したのって。あー、私も30年くらい前の自分に戻って、その気持ちを共感できたよ。 無事に日本で母となったはるさんが楽しく子育てできることを祈って、ネットで買ったかわいい母子手帳ケースをプレゼントした。 8月の半ば、東京のバングラデシュ青年からメールあり、私が書いた、彼のイミグレに出す外国人の在留許可申請書がパスし、在留期間が3年もらえたと嬉しいニュースがあった。 毎年毎年1年しかもらえなかった在留許可、今回は彼は安定して住民税も健康保険も払っているので、認めてもらえたのだと考えている。一安心。 では、また3年後って、私がまた書くの?笑 来年あたり、きっと彼らはうちに遊びに来るだろう。笑
2019.09.15
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帰る人とは、私や夫のこと。 夫は、ついに念願の早期退職を果たして、地元に帰ってきた。ただしリフォーム中につき、我が家に帰るのは、あと一か月後。 さて、後一か月を待たずに、去る人は、地元で仲良くしていただいた、私より10歳上くらいの奥さん。新宿生まれ新宿育ちで、広島生まれの長男だったご主人と結婚して東京から私の地元に40年住んだのだが、この度、ご主人の両親と同居していた広い土地家屋を売却して、夫婦で東京に戻られるそうだ。心臓の悪いご主人のためにも、東京暮らしがいいのかもしれない。 田舎のしがらみというのは、ありがたいようで面倒くさい。私も東京に住んで味わう、「誰にも名前を呼ばれないお気楽さ」 郵便局や銀行で忘れ物をしていてもポストに届けられることや、うっかりお財布を忘れてもツケてもらえる便利さより、どんな服やどんなところでどんな時間であっても、人の目を気にしない都会の暮らし。 旧家で周りに親戚筋の多いお家であればあるほど、口うるさい人がいるものだから、地元の40年は縛られた感があったのだろう。 タクシーも自宅前から乗らないで、一目を避けていたような風だった。毎日どこかに出かけるなんて親戚筋から叱言を言われたりするのは、面倒くさい。 「これからは夫婦でスッキリ暮らしたいの」 と、ご主人もしがらみを切るのを楽しみにしてるって。 私はお話ができなくなって寂しくなりますが。 地方のその小さなしがらみの中に、戻ってきた私ら夫婦。 通っていた魚屋さん、お肉屋さん、花屋さんも店主は高齢化したが頑張っている。 内科や歯科は世代交代して、息子さんの院長となった。勤務医だった隣家のご主人が昨年開業されて、これからはそこでお世話になるつもり。 でも、お気楽に前に住んだ福岡とか、どこかの便利のいい温泉地を終の住処にするって選択もあったかもしれない。三男の夫はどこに住んでもOKな運命だったわけだし。もしかしたら、10年後、まだ元気だったら、仏壇を持って、どこか違う場所に居るってのもありか。 実際、定年して広島の家を売って、関東の温泉地鬼怒川温泉に移住した知り合い夫婦がいる。温泉旅館でたまにバイトしながら、平日ゴルフをして過ごすことを聞いて、夫がかなり羨ましがる。笑 毎日咲くハイビスカスが、お帰り!と言ってくれている。 リフォーム終えた我が家に戻るのもあと一か月、家電家具も買い、カーテンもオーダーし、着々と準備は進んでいる。
2019.09.01
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10月リフォームが終わった家に新しい家電や家具を買い足さないといけないのだが、 消費税が10パーセントになる9月末までに買えばいいかなと思いながら、家具屋のセールに行ってみた。もう最後の家具の購入にしたい。買いたいのはダイニングセット。今までは子供達が小学生の頃に買ったL型ベンチ式の8人掛けの大きな食卓だったのだけど、東京には持っていかず、地元の家に置いていた。これからは夫婦二人の毎日になるので、部屋を狭くする大きなダイニングセットは思い切って捨ててしまった。(夫は思い切りが良すぎると大ブーイングだったが、私は重くて一人で持ち上げられないテーブルが嫌いだった。) 結構東京でも参考に家具屋に行ったのだけど、最後の家具となると、気に入ったフォルムのテーブルが欲しい。気に入った家具は予算をかなりオーバーだから無職夫婦には思い切れなかった。 で、今回、気に入ったテーブルセットを見つけた。徳島県の家具製造会社のものだった。(友人の中には飛騨家具を愛する人がいるが。) で、テーブルの色とか椅子のカバーの色とか選んで、納期について話したら、なんと!! 4か月待ちだったわけである!!12月末に納入だってよ!! しかし、ここで諦めて、また新しく探す気力が失せたので、このまま注文することにした。 さて、前のテーブルは廃棄してしまったし、単身赴任用に買ったニトリの卓袱台を4ヶ月使うのかと憂鬱になっていた。ずっとテーブルと椅子に慣れていたからね。東京も二人掛けダイニングセットを使っていたが、今は息子の一人暮らしマンションへ。 そうしたら、家具屋さんが困った私を見かねてか会社にある中古のダイニングセットを貸してくださるという提案を出してくれた。 但し、真っ白なダイニングセットらしい。笑 今まで真っ白なダイニングなんか使ったことがないので、それも結構面白いかも。プリンセス仕様か。笑 但し友人を招く時には、他のインテリアと違和感あるから、ちょっとクロスを掛けたいかも。 で、クロスも買わなきゃ。笑 消費税が上がるので高い買い物を皆さん急いでしているみたい。住宅もそうだが、そういう家具家電も受注が増えて納期が通常1か月なのに、どんどん間に合わなくなり、今や4か月後。多分9月注文なら半年待ちか。恐ろしい。 慌てて家電も見に行った。 しかし、マイカーは、リフォーム代等清算してからにしなくちゃね。お財布次第。
2019.08.25
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東京で川と言ったら、身近では、多摩川、目黒川だった。桜シーズンの目黒川には行かれないとなると寂しい。 さて、地元でも、川と橋が見えるホテルレストランで友人とランチ。平和公園前あたり。 彼女は乳がん手術後5年目、今月の検診で大丈夫だったと友人が言った。良かったね。 義母は乳がん手術して5年後の再発だったことを思い出していた。再手術するには、肺と骨への転移で仕方なかったんだよね。 友人は足の静脈瘤の手術もしたらしい。来春、モロッコ8日間ツアーで旅行する予定らしく、万全を期して。癌を患ってから特に旅行にたくさん出かけているように思う。私とは韓国、ベトナム、ハワイに一緒に出かけた旅好きな友人だ。 しかし、遠くに旅行に行ける体力気力、金力も羨ましい。 私は、夫の退職後、プールしていた預金がリフォームに関することでドンドン減っていく。それに合わせて気力まで奪われるように思う。笑 夏休みなので、平日でも原爆ドームあたりに人が多い。 雨が続いて、少し涼しいのは良いのだが、湿度はなんとかしてほしいな。 20代の頃から通っていた美容院の馴染みの美容師さんが退職していて、ガッカリ。東京が長くなり通わなくなって、今回久しぶりに電話をかけて聞いたら、もういなかった。私と同じくらいの年齢だったから、そりゃそうだよな。 あー、新しい美容院を探さなきゃな。
2019.08.21
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私がひどい肩こりで通う整骨院の心優しい先生は、30代後半独身で、お盆休みに友人と、今や日韓関係がひどく悪化した韓国ソウルに、初めての旅をした。 激安パックで、福岡発LCCと格安ホテル、フリー。 整骨院に通いながら、私の経験と知識で、あれはどうこれはどうと話した。忠武路駅近くのビジネスホテルに泊まるようだった。 初日、忠武路駅近くのデジカルビ屋さんで、韓国語がわからない初心者日本人だからかどうか、店員にぞんざいに扱われて、回りと比べて明らかにオーダーに来なかったり、食器も乱暴に扱われたりしたが、会計は問題なかったらしい。でもやはり、NO JAPANなのかと思ったって。 ソウル市内観光はコネスト予約で回り、楽しんだらしい。 旅の最終日、最後だからと思い切って地元の人たちがたくさんの韓国食堂に入ったが、メニューは韓国語だけで困っていたら、日本に少し居たというおじさんがテーブルに来てメニューを説明しようとしてくれたが、あまり日本語がわからなくて伝わらず、結局その人がおススメだというマニアックなつまみばかり食べたらしい。笑 しばらくして、少し席の離れたところで飲み食いしていた中年男性が、カタコト日本語で、「日本人ですか」と聞いてきて、初日のことがあり、ちょっとカマエテいたら、「こんな時によく韓国に旅行にきてくださいましたね」と言ってくれたそうだ。 お店を出ようとしたら、会計はその人が先に帰る時払ってくれていたそうで、お礼も言えなかったと言っていた。「ごちそうしてもらっていたんですよ。」 私は「じゃあ、次はあなたが、もし日本で困っていた韓国人を見かけたら、ためらわず何かお手伝いしたらいいよ」と言っておいた。 こういうやりとりが小さいながらお互いの誤解を解いたりするものだと思っている。 さて、オチがあって、最初にメニューを教えてくれようとしたおじさんの会計は、日本人のテーブル会計にいつのまにか付いていたような気配があるみたい。笑 だから、そのおじさんもごちそうになったわけなのであった。笑
2019.08.19
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都会のお盆期間は、道も空いていたけど、反対に地方のお盆はとても混雑。 墓園付近は狭い道路の場合は渋滞がひどくて、10分のところ50分とか、かかってしまった。 軽自動車にもぎゅうぎゅうにも乗っていて、花やら盆灯籠やらのせている。 晴天、晴天過ぎて、気温40度超えの体感。 父の墓参りと母方の墓参りと伯母伯父の墓参りと広島市内を囲む山々を渋滞の中、お参り。 お昼はどこのレストランも駐車場まで車が列になっていて、なかなか駐車場さえ入れず。 私はあまりファンじゃない近くのCocosは、こんな時穴場なのでCocosでランチにした。 駐車場も空いていて、ラッキー。 Cocosの二色丼1200円、結構頑張っていた。 でもメニュー写真のようにはね、、、。 台風が接近しているので、15日はうちから出ない日にしたい。 数年前から私よりかなり年の若い従兄弟がカフェを始めているので、暑さが和らいだら、ランチに行きたい。
2019.08.13
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地元に帰ってローカル番組に、町並み保存地区に高級古民家ホテルがオープンの話題が出た。 それに加えて、6月からのJALのCMのロケ地みたいだった。 もう墓参りしか来なくなったので、久しぶりに夫のふるさとの竹原市観光地を歩いてみることにしたが、暑い昼間で、帽子を持たずに来たものだから、夕方うちに帰ってお風呂に入った時、手足や顔がすごく黒くなっていてガックリきた。笑 小さな路地が多いが、メインな道は整備されていた。 話題のホテルみつけた! 古民家リフォームで、部屋は広めな洋室ベッドルームのようだ。最近、古民家カフェとかあちこちに出てきた。 映画ロケによく使われるお寺の階段。 原田知世さんも登ったのね。 嵐も登っていたな。 記憶に新しい朝ドラ「まっさん」のお二人。 竹鶴酒造。 JAL CMにて、大野君の見つけた、 幸せのハートは、、、 古民家ホテル経営の古民家レストランは、 ランチは2900円(°▽°)らしい。 地元民には気軽に行けないレストランだ。 私たちのお昼ごはんは通りがかった民家で始めたようなカフェに入ってみたら、おばちゃん一人がやっていて、カツランチ注文からテーブルに出るまで30分以上かかるという事態となり、うちからのレンタカー返却時間もあり、慌てて駐車場に戻った。 実は来週、有志の小さな小学校同窓会に呼ばれ、またふるさとに来る予定の夫だった。 私は結婚してからずっと盆暮れは、嫁は帰ってこない長男二男家族含めて15人分の食事作りばかりして、田畑の手伝い含めまわりの観光地にも全く行ったことがなかった。そして私は家事労働でヘトヘトで盆暮れが終わったらいち早くこの地を去りたかったのだ。それでも義母から地域だけの郷土料理を教えてもらったので、夫には我が家で母の味を作ってあげられる。東京にいる義兄はもう義母の味は食べられないだろう。
2019.08.11
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お盆最中は道が混むので、早めに、夫方の墓参りに出かけた。 長年(450年前から)のお付き合いのお寺に寄ると、 ご住職も奥様もいらっしゃった。 今年秋に檀家の皆さんとスリランカに行く予定が、テロで旅行中止になったのだが、来年インドの巡礼の旅に変えたと言われた。 インドは、今やヒンドゥー教信者が大半だけど。 いや、お腹を壊しかねないから、参加は辞退したいと伝えると、「大丈夫、みんなお腹を壊すから足並み揃うから」だって。 相変わらず、ずらーっと並んだご先祖様のお墓は20。 石に刻まれた文字も消えかけた墓石も多いから、なんとかしたい。 天保12年に嘉永5年に、安政2年やら明治は最近のお墓。多分ある中で一番古い元号は、万治だと思う。 ペリー来航って時からあるご先祖様たちから、 ずーっと田畑を守って農家なんだろう。 どこにも移り住むことなく誰かが受け継いでってのがすごい。世界を知らず、ペリーとかも知らずにひたすら米を作っていたのではないか。 残念ながら、令和では、お墓はもう増えない。 お天気がよく、暑いけど、久しぶりにかすかながら海が見えた。 さて帰り道、道の駅へ。 大好きなマクワウリを農家が搬入してあり、何個も買った。義母の思い出が深い。 ついでに、名産ぶどうもお盆に来る姪一家にあげよう。 ちょっとまた寄り道をしよう。
2019.08.10
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8時15分、1分間サイレンが鳴るのは毎年当たり前だった。黙祷1分間の合図は、たぶん地域の消防団とかが役目をしているように思う。 ところが、夫の赴任先の福岡で8時15分に何の合図もなかったし、東京生活でも、いつも通りに時間は過ぎた。 そうだ、あの合図のサイレンは、被爆地広島だけだったのだと気づくのは、転勤で広島を出た時だった。娘も進学先でサイレンが鳴らないことに気づいた。 もちろん、広島は、長崎の原爆投下のあった8月9日11時2分にもサイレンが鳴る。毎年二回あの日を忘れないようにと哀悼と教訓のサイレンに思えるのだ。 東京生活にて、8月6日、9日は、パタパタしている家事の合間でも気には止めていたが、やはりうっかり時間が過ぎてしまったりした。 さて、広島に戻り、やはりサイレンは鳴った。 テレビも祈念式典が流されて、私の広島の生活はこれでやっと元に戻った気がした。 女学生で被爆して、ずーっと原爆症で悩まされて、甲状腺癌、舌癌、肺癌と手術を繰り返して亡くなった伯母が小さな頃のうちの娘に作ってくれた布袋が、リフォームする家の片付けで見つかった。 私は伯母からの形見で喪服の着物の反物をもらったのだが、さて誂えることがあるだろうか。 呉の坂道の上にあった伯母の家や毎日散歩に連れていくのに、全く懐かない伯母の飼い犬雑種犬リキ。 夏休みは一か月、家が商売をしていた都合でなんのイベントもなく、島から子供のいない伯母の家に預けられながらも、毎日焼きたてパンを買いに坂を下っておつかいに行ったこと、隣のアパートの子と毎日ぶらんこに乗りに坂の上の公園に行くのが楽しみだったあの頃はいい思い出だ。そのぶらんこに連れ立った女の子は今は東京に住んでいる。お互い、おばさんになってしまったけど。
2019.08.06
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地元に引き上げて暑い毎日が続いているが、友人がランチに誘ってくれたので、久しぶりに暑さにめげずに繁華街に出かけた。夫には行きつけ魚屋のちらし寿司弁当を置いていった。 東京と違い、バスは15分〜20分に1本。 うっかり逃したら、屋根のないバス停でガンガン日差しの中、立って待つしかないのが辛い。湿度の多い地元では、ハンドタオルどころかフェイスタオルを持ち歩く毎日だ。 地元で長く通ったホテルレストランのシェフが数ヶ月前に独立したとのこと。 東京じゃなくても、地方都市でも、イタメシ、フレンチは、じゅうぶん美味しいものは食べられる。二千円ランチだ。 また、住宅街に美味しいベトナム料理もできたそうで、友人が車で連れて行ってくれるそうだ。 娘の友人のママ友歴25年、出来事がいろいろあったけど、人生短いと感じる。 バスでの帰り道、何本も橋を渡って帰る。地元ならではの風景。 そして、どこでもカープ。 夕飯は、ギザミの酢漬け。地元ギザミ4匹440円也。 地元の魚が東京に比べて激安なのは嬉しい。 こちらでは魚中心メニュー、 小イワシ、メバル、キスゴ、タチウオ、小鯛、ギザミ、アユ、アジ、カレイなど。 ギザミ 関東では、ベラ らしい。
2019.08.02
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地元の我が家をリフォームのため、せっかく東京を引き上げたが、我が家に戻れず、実家に居候中。 梅雨明け宣言はあったが、その直前、長雨、大雨の中、引越し作業と引越し当日となり、引越し業者の作業員の皆さんは、ホント、申し訳ないほどずぶ濡れだった。それでも荷物が濡れないよう努力していただき、ありがとうございました。 今回、エアコンや家電は、ほとんど処分するため、運び出しはなかったのだけど、いわゆる婚礼家具のタンス三点を二階の部屋に置いていたため、狭い階段からの運び出しが大変だった。 反対に荷物を入れるだけのマンションはエレベーター有りの3LDKなので、楽ちんだった。 最近の若い人は婚礼家具なんていらない気がする。クローゼットはだいたい最近の賃貸マンションでも付いているし、和服は需要ないなら和ダンスはいらない。 引越し業者さんも最近婚礼家具はないうちが多いというから、特に転勤族にはいらない。 まだ、廃棄する家具、家電類、残っている物の廃棄のためにゴミ分別作業があり、毎日忙しく、そしてエアコンが全滅の中の作業は身体にキツイ。 12年以上後回しにしてきた押入れの整理を今回一度にしたが、結局、そんなには捨てられてない気もする。 マンションのダンボール部屋、たぶん50箱以上あると思う。 10月、リフォーム後最後の引越しは、今回と同じ業者さんの同じメンバーが来てくれるはずだが、東京の荷物も増えているので、さらに大変な予想。 夫が「荷物みてウンザリでしょう。」と聞いてみたら、「リフォームして綺麗なお宅に引越しなら私たちも楽しみですよ」と言ってくれたみたい。 最近は引越し料金だけ払えばいいみたいなんだけど、私は引越しには気持ちばかりの飲み物おやつ代を渡している。ちょっとでも仕事の癒しになれば。 毎日朝8時から暑い中作業して、夕方実家に帰宅して、夕飯作りをしている。 昨日も、実家に疲れて帰るとすぐ、母が近所の人の話を終わりなくしゃべってくるので、 「今疲れていてもすることがあるから、急がない話は後にして。」と言ったら、 スネてしまった。 実家の2ヶ月間もやれやれ。
2019.07.26
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引越し作業は果てしない。引越しできるような状態ではなく、先が見えず、連日の雨で家中、エアコンも壊れていて、蒸し暑さや湿気て作業が辛い。 そんな中押入れの箱から見つけた懐かしい島暮らしの幼い私と猫の写真。 写真は2代目チビ(交通事故で亡くなった)で、保育園時代に3代目チビとなる。3代目チビは私に一番懐き、最期は明け方私の布団の近くまで来て10歳だったか亡くなった。祖父とみかん山の木のそばに埋葬したのだが、町の道路拡張に伴い、今はみかん山はなくなった。しばらくして、ペルシャだと思う洋猫が迷い込んできて、飼い主が分かるまで1年うちで飼っていたが、すごく気位が高くて、代々我が家のチビは野良猫の子だから、全く付き合うのが難しい猫だった。しばらくしてうちに遊びに来た知人が米軍アメリカ人が本土から連れてきた猫を探していると言って、やっと飼い主の元に帰っていった。なるほど、日本語がわからなかったのか。笑 美味しいエサをもらっていただろうに、我が家では、ウズラマメの煮物を好んで食べていたけど。笑 アルバムは、父も若く、母も若く、祖父祖母は昭和後半にもかかわらず、和装が多かった。明治36年生まれの祖母、80歳くらいまでいつも和装だった。猫好きの祖母はうちで撮った写真にいつも猫を抱いていた。 こうして懐かしいものを見つけては眺めていては、引越し作業が進まない。 肩こりひどくて、首が回らない。笑 2歳 女の子なのに髪型のせいか「通称 ボクちゃん」 だった頃。爆 3歳頃 錦帯橋へ。 お出かけには、「よそいき」という服があった時代。 地獄の片づけから早く抜けたいが、引越し日に間に合うか。夫は片づけそこそこで、夕方からはカープの試合を見ている。 最近、夜は実家で寝ているが、一人暮らしだった母が近所の人の話など止まらなく話してくるので、引越し作業で心身疲れているのに加えて、愛想する気力がなくて、相槌さえ打てない。
2019.07.23
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広島のうちの引越し業者見積もりも終わり、ダンボールも届いた。一度に2軒分の引越しは辛いから、だんだん朝が起き上がりにくい。 頭を悩ますのは、広島市のゴミの分別。 東京のゴミ収集がありがたく思えるほど、分別が厳しい。 ○可燃ゴミ ○ペットボトル ○リサイクルプラ ○その他プラ ○不燃ゴミ ○資源ゴミ ○有害ゴミ ○大型ゴミ 各項目、分別して、収集日も違うから大変なんだよ。不要な物を手に取りながら、何のゴミか悩んで、ネットで検索確認していたら、全く作業が進まない。 さて、なぞなぞ。 これは何のゴミでしょう? ○ 革財布は? 答え 不燃ゴミ ○革靴は? 答え その他プラ (悩ませたゴミ) ○植木の土は? 答え 不燃ゴミ ○押しピンは? 答え 不燃ゴミ ○押しピンのケースは? 答え その他プラ ○カーテンは? 答え 資源ゴミ ○スキー靴は? 答え 不燃ゴミ ○ゴルフボールは? 答え その他プラ ○シーツは? 答え 資源ゴミ ○敷パッドは? 答え 大型ゴミ ○ストッキングは? 答え 資源ゴミ (なんだかわけわからない) ○金属タワシは? 答え 資源ゴミ などなど、難解なものもあり、作業が進まないのと、頭を悩ますのとで、毎日、すごく疲れている。 おまけに母が作業を見に来て、私が捨てるものがもったいないから欲しいというのが、子供の学習机や本棚、ホットカーペットなど、床板が見えないくらいに絨毯を敷き詰めている上、本棚はすでに二つ大きなものがあるから断った。机もあるのに、それを処分したらあげるというと、毎日古い机をノコギリで小さくしている85歳である。 私の疲れは体力より気力かも。
2019.07.04
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地元なう。 引越し三昧の7月。恐ろしい7月がとうとうやってきた。 地元の戸建の家と荷物を入れるマンションの片付け、リフォーム打ち合わせ等で一時、帰省。あと2週間もすれば完全引き上げ。 頻繁に乗った羽田ー広島間のJALやらANAも、いつか懐かしくなるだろう。頻繁に乗ったのは父が階段から落ちてからだ。 ホスピスに行ったり来たりした義母と広島の我が家で同居して、月に一度上京していた頃は、ANAのプレミアムシートでランチや夕食食べながらの1時間、至福のひとときだったのが懐かしく思えた。笑 もう乗ることがないなと搭乗した羽田空港JAL便の歓迎はしまじろう。 広島に着いても。 でも、やはり、おかえりなさいは、 カープ坊や。
2019.07.01
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うちの中を早く片付けたいから、とにかく不要なものを早く処分したい。で、市のごみ処理施設まで、レンタカーのワゴン車マツダボンゴで、持ち込みした。 しかし、部屋の中から車に乗せるだけでもひと仕事だった。 座卓2、石油ファンヒーター2、オイルヒーター1、スタンドミラー1、食卓椅子2、肘つきビジネスチェア1、布団4組、こたつ布団1組、パソコン机1、ロースター1、ゴルフバッグとゴルフクラブ、スーツケース大1、照明1等。 ほかにプラスチックゴミ、リサイクルゴミなどの処理施設を三か所回った後、またブックオフに本やバーベキューセットなど売りに行った。 すごーく疲れたが、後にリフォーム打ち合わせがあり、リフォーム変更箇所打ち合わせして、夕方6時半まで、ハードな1日だった。 来月はTOTOショールームに行かなくてはいけない。 で、体力回復に夜は歩いて10分の焼き肉屋さんに行った。この場所の焼き肉屋はよく経営が変わるから、初めて行く新しいお店。 今日は29(肉)の日! でも、29の日なのにサービスなどないので、別に29の日って言わなくてもいいんじゃない? むしろ29の日でなんにもしないのなら、ポスターいらないんじゃない? 退社後のビジネスマングループが続々とやってきたが、それほどスタッフが愛想があるわけでもなく、元気があるわけでもないので、東京でよく行く焼き肉トラジのスタッフはかなり優秀なんだと分かったよ。 そんないまひとつなスタッフをかかえる焼き肉屋なんだけど、今年新宿に新宿店を出したとポスターが貼ってある。 お肉は美味しいのに、やはりお客様のハートを掴みたいなら接客だよねと伝えたい。笑 飲み放題90分のうち、30分も残して退店。 すごーく疲れた一日だったから早く休みたかった。まだ片付けは1割くらい。すごーく憂鬱。
2019.05.29
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地元なう。東京は晴天だったのに、広島空港は相変わらず雨になっていた。それから止むことなく、夜は土砂降りだった。ため息。 家の片付けを始めた。一番の問題は、家をそのままにして東京で暮らしたから、家の中は不要なものが多い。家電も古いし、子供達の物もそのままなので、全て捨てるものだ。 広島市のゴミの捨て方は非常に難しい。仕分けが大変で、いったいどうしたらいいかというゴミがたくさん出てきて、その都度分別をチェックするから時間かかりすぎる。 その点、東京のゴミの捨て方はとてもシンプルで、最初住み始めた時に楽ちんすぎると驚いた。 雨の中、うちにあったコミックや単行本、着ない服をブックオフに持って行った。250冊あったので、夫婦でヒーヒー言いながら運んだよ。しかし、買取価格が1500円しかならなかったよ。涙 かなり古い本だからね、仕方ないのかね。 夫が大きくなりすぎて着れなくなったラルフローレンの綿シャツは300円だったのに、私のレリアンの4万円で買ったサマーセーターが50円でショック。笑 まだ本が200冊以上あるんだよね。フー。 今朝の小学生たちが襲われた登戸の事件、 なぜかわいい将来のある小さな子を狙うのか、辛い事件。痛かっただろう。かわいそうすぎる。 でも東京に住んでいるから分かる地名。 登戸は、小田急成城学園前駅に用事がある時に乗り換える駅で、利用者はかなり多い。 加害者の住所も親戚が何軒もある地区で、とても静かな住宅地なんだよね。 なんだか知っている地名だと、より辛く感じてしまうんだな。 家から100メートルない銀行にいくだけなのに、「あら、帰ってるの?」なんて近所のお馴染みさんから声をかけられて、少々立ち話したもんだから、100メートルが30分もかかってしまった。 地元に帰ってきたって感じがしたよ。
2019.05.28
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地元のリフォームする家は、築12年くらいの中古住宅を買ったものだ。二人が働いても安いお給料の30代でお金がなかったので、入居する時に畳くらいしか新しく出来なくて、システムキッチンのガスコンロ部分はのちに買い替えたくらいだ。だから今回のクロス張替え、和室を洋室に変更による天井や戸の変更、トイレ、キッチン、洗面台等の取り替えなど、築35年に一番お金がかかるリフォームになった。8年前義母を引き取って看護していた時に、お風呂と洗面台と一階トイレはリフォームして綺麗にしたので、義母にも綺麗なお風呂を使ってもらえて良かった。ちょうど雨漏りが見つかり外壁も工事したので、その時の預貯金を使い果たした。 さて、私ら夫婦はこの家を買う前に共同名義でマンションを買っていた。バブル前に建てた60世帯のマンションの1室が売れ残っていて、お給料の範囲内でローンが支払えるようだったから。ずっと賃貸アパートに住んでも家賃補助のない会社だったからね。固定資産税は痛かったけど。 で、話は変わり、このマンションは賃貸に出していて、入れ替わりはあったものの、だいたい2〜5年の転勤族ファミリーが住んでくれていた。 今回転勤なのか6月で退去することになり、また室内を綺麗にして貸し出しするのもいろいろあり、中古マンション物件で売り出すことにした。 ちょうど地元に帰ることだし。何よりこのマンションも築35年でいろいろメンテナンスやリフォームがあり、管理費積み立て金が最初の3倍くらいになっているのだ。やはり居住人も入れ替わり、マンション管理規定もどんどん変わり、すごーく面倒くさくなったからね。賃貸料があっても管理費と修繕積立金、固定資産税、部屋のいろいろなメンテナンス、人件費で赤字の年も多かった。地方では分譲マンション3LDKも高い家賃は取れなくて、息子の東京一人暮らしの賃貸マンション1DK家賃と同額という驚きよ。 で、実は最近流行りのリノベーションとやらで、お洒落な間取り、室内に変えて高く売り出すという話もある。うちのリフォームも頼んでいる叔父の会社だから。笑 でも、7月8月は、地元の家リフォームに伴う片付けと東京マンション引越し、実家での仮住まい、島の家の解体に加えて、マンション売却まで用事が増えてしまい、燃えるような夏の気候と重なって、私の脳が溶けるのではないかと悩んでいる。とにかく消費税10パーセントになる前に!! ストレスMAXで、やたらに温泉地を検索しているわ。湯で身体が溶けるのはOK。笑
2019.05.25
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ゴールデンウィーク後半は地元で、片付けばかり。庭の草むしりも。 島の家の必要なものを持ち帰るのに、マツダボンゴをレンタカーして、祖父の形見の長い大きな一枚板のテーブルを持ち帰ってきた。 音戸大橋のツツジは終わりかけかな。 片付けても片付けても終わらない。捨てる荷物の多いこと。 リフォーム打ち合わせをしたら、和室を洋室に変更に伴いかかる経費、キッチンの大幅間取り変更、床暖房設置、三階までのクロス全て張替えなど、人件費を入れて、少なく見積もって、800万円くらいかかるという。新しくエアコン5機、冷蔵庫、家具など買うとやはり経費は1千万円になりそう。 リフォームしたら、少しでも快適に住みたいが、一人暮らしの母もどうなるか。 退職金の行方は決まりそう。 マイカーを買いたい夫、クラスを落とさなければいけなくなりそう。 地元の友人がイタリアンレストランを予約してくれてランチしてきた。 みんな私が帰ってくるのを待っていてくれる。 リフォームしたらお茶でも来てもらわないとね。この秋かな。
2019.05.03
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娘と息子が使ったピアノは、家族で東京に移ってからは調律もせずに15年間、地元のうちに放置していた。リフォーム前に、場所を取るピアノは業者に引き取ってもらおうかどうか悩んでいた。 と、思い出したのは、町内会子供会で親しくしていたNさん。第二子を43歳で高齢出産したNさんには、ダウン症の女の子Mちゃんが家族となった。ベビーのために勉強会とか病院とか療育センターとか母業が忙しくなったNさんなので、当時私は仕事をしていたが、小学校の下校時間や夕方の短時間ならとNさんの上の男の子を預かったり、またMちゃんを預かったりしていた。Mちゃんはうちの愛犬が好きだった。 Mちゃんをうちで預かっていた時、彼女は必ず我が家のピアノの蓋を開けていたのを思い出して、Nさんに電話をかけた。Mちゃんは17歳になっていた。 「もし、まだピアノに興味があって、習ったりしていたら、もし、まだピアノを持ってなかったら、うちの子供達がひいたピアノをもらってくれない?」 というわけで、ピアノの行き先が決まったのだ。 業者に引き取ってもらうより、Mちゃんに使ってもらうほうが、数倍嬉しいし、父に買ってもらったピアノが生かせるように思った。 ライティングビューローの引き出しを整理していたら、なんと、息子の高校の最悪の最低の成績表が出てきた。そう思うと、東京で大学はなんとか四年で卒業して、ブラックながら自分が好きな仕事についているので、あの成績表を見て息子のやる気の無さに怒りマックスになっていた当時の私に向けて、心配は無用と言ってみたい。笑 ところが、息子が中学卒業時に学校で無理に書かされた母への感謝の手紙も出てきて、「いつも自分のことを心配して怒ってくれるお母さん、自分の好きなようにさせてくれ!」とあり、今更ながらに怒りが湧いてきた。今も変わらずなのだ。
2019.03.19
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地元なう。父の一周忌法要につき帰省中。 お墓にお参りに行ったら、桜並木の蕾が膨れ始めていた。 今月末は満開だろう。 太田川は晴れ。夫はカープオープン戦に行き、焼肉食べながら観戦というシートで、新井選手のインタビューを聞く。 ヤンパさんが絵本のことを書いていたので、本棚をのぞくと、子供達と何度も読んだ絵本が並んでいる。 リフォームする予定のため、昨日も見積もりに来てもらったのだが、家具やら家電やら一掃するつもり。本棚も処分しようと思う。 さて、本棚のこの絵本たちもどうするかだ。 絵本は妹の子にかなり分けたはずだが、気に入った絵本だけは残していたのだ。 近くの保育園に持っていこうかな。 私の好きな絵本の中に、林明子さんのものが多い。時代を越えて、子供らしさが溢れる本だ。 外国の絵本も好きだが、長い名前は覚えにくい。笑 ざっと100冊くらいあった絵本。手元にはまだ40冊はあった。 長崎の絵本屋さんから、年齢に合わせて毎月定期的に取り寄せていたのだが、どの本も魅力的だった。 リフォームにあたり、ピアノも処分しようと思っている。うちの子はピアノを小学4年生まで習っていたが、全く上達しなかった。あまり興味がなくて、娘は水泳やら運動の方が好きだった。息子も不思議なことに習字には熱心に通った。そうしているうちに中学受験となり、ピアノはリビングに置いているだけになってしまった。私も昔習って以来、指は動かず、ピアノの蓋を開けることもなく。 亡き父が買ってくれたピアノだった。 一軒家に引っ越してきて買った食卓も六人がけできるベンチ椅子の大きなものだが、夫婦二人のこじんまりとしたものに買い替えるつもり。 リフォームにあたり、いろいろな思い出も片付けて、再スタートするつもり。 それにしても、要らないものが多すぎる。 娘と息子の部屋はそのままなので、学習机とベッドを捨てるのはいいが、机の引き出しにあるあふれた文房具を捨てるには惜しくて、こんなことに躊躇している。100色の色鉛筆とか持っておきたいとか。 退職金がどんどん無くなっていきそうな気配。
2019.03.17
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2019年が始まり、「平成」は最後を迎えることになった。 娘は昭和63年生まれで若いのに、3つ目の年号になるわけだ。 次の世もみんなが平和で穏やかな日々になりますように。 父の喪中に付き、しめ飾りもなく、シンプルなお正月がスタートしたが、来年も再来年も何事もなくてもごくシンプルでもいいんじゃないかと感じた。私たちも退職して無職や年金暮らしのシュミレーションだ。 広島牡蠣さえあれば、OK!笑 養殖元で殻付き牡蠣1個110円が130円に値上がりしていたけど、 お店で食べると、500円はするらしい。 元旦朝、氏神様へ初詣。 長い階段か坂道を上るので、母はもうこの神社には行かないという。破魔矢を買って帰った。 年末は夫の方の檀家のお寺に、清酒代をカンパしてきた。 日本人は寺にお宮に忙しいよね。 混雑を避けて、早々に東京に戻ることにしていた。元旦のフライトは、激安。1万円しないのだよ。有難い。 空港内レストランで早めに夕食。 市内で有名な牡蠣屋の店だが、やはり行きつけの養殖元にはかなわないな。 牡蠣チゲうどん。 もらって帰った災害復興支援の獺祭島耕作。 購入額から200円を支援に回すという。 災害時樽で熟成中だったお酒は、ブランド品質から市場に出せないが、かなりの損失となるので、ファンの要望と出身地の漫画家により、ラベルを変えて販売することになったらしい。 さて、一晩明けて、東京のお台場近くのホテル28階で、新春ランチ。 獅子舞が来るっていうので。 朝から箱根駅伝見ていたから、遅めの2時からのランチ。 お天気良し。 良い一年となりますように。 でも、私って、来年は東京にいるのだろうか? 引っ越し、体力的に、もう辛いなあ。
2019.01.02
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とりあえず、地元の味。 島の味 大豆うどん 祖母の生まれた地域の大豆うどん。 小さな頃から祖母の打ったうどん麺と共に食べていた味。 島の牡蠣 いつもの養殖元に寄ると、各地へ発送に大忙し。 メディアでよく出てくるのは、廿日市の養殖元だが、 私は断然島の流れの綺麗な音戸の瀬戸地域の牡蠣が好きだ。 子供の頃、同級生のお母さん達は、この時期みんな養殖元で牡蠣の打ち子(牡蠣殻から身を出す)をしていて、友人は下校時にお母さんの元に寄っていた。うちは商売だったから、祖父の同級生のうちから牡蠣をいつも頂いた。 夫が昔食べたという尾道風ラーメン。 私は今ひとつ。 ガタイのいいお客様多し。 東京ではあまり見かけないナマコ 地元では普通に切りナマコに酢醤油。 定番お好み焼きは、近くのおばちゃんがやっている店から持ち帰って。 年末、実家やら留守の我が家の窓拭きやら。 行きつけの魚屋に行くと、午前中で穴子が売り切れていたから、 明日、焼き穴子にしてもらったのを予約した。 お正月は、仁多米のお餅を頼んでいたから届いている。 行きつけのお花屋さんが私を見かけ、声をかけてきたが、今年は喪中ゆえ、しめ飾りもなし、地味な年越しにすると話したよ。 せわしい年末。
2018.12.30
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地元なう。やはり雨になるが、暖かなのでコート要らず。 母の様子を伺うのと、年末に向け、冬支度に帰省している。 自宅で寝具など冬支度は、いつも私より早く帰省する夫に合わせて。 84歳の母は膝が痛いのと、中耳炎がなかなか治らないので通院中。 少し性能の良さ気な膝サポーターを買って渡した。 妹がピンクのシクラメンの鉢を持って来ていた。 我が家の庭の南天も実をたくさん付けて、山茶花も咲いていた。 枯れた椿の木を切ったので、冬の庭はかなり寂しくなった。 久しぶりに友人とランチをした。 小さなイタリアンレストランやフレンチレストランのある界隈に出たのだが、この忘年会シーズンで、予約無しで入れる店がなくて、6軒目でやっと入れてホッとした。 友人は90歳を過ぎたご両親がお姉さん夫婦と同居で健在だが、認知症が進み、夫婦で老人施設に入れるところを探しているらしい。 最近は老人施設が増えて、自分の希望に合わせて探すことができるのでありがたい。 レストランでは久しぶりの再会で写真も撮ることなく話していたが、最後のコーヒーについてきたお菓子が可愛すぎてパチリ。 母と来年の計画を相談していて、誰も住まなくなった島の家は、来年消費税が増税する前に壊すことに決めた。 固定資産税は上がるかもしれないが、光熱費を払い続けなくてもいいし、何より古い家がどうなっているか、年に4〜5回帰っていたのも不要になるので、母も私も安心するのだ。 ただ、父の思い出のある生家を壊すことと、明治生まれの祖母の大事にしてきた黒檀の家具を廃棄することに寂しさを感じるだけだ。 来年壊すまでに、友人と橋を渡ってドライブして、島の家でお茶でもしようと話しした。
2018.12.07
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地元の家の庭のお気に入り、シンボルツリーは、3メートルくらいに大きくなった椿だった。住んでいる時は手入れをしていたから、毛虫もいなくて、ピンクの花が長い間咲いて楽しませてくれていた。 東京転勤12年、私は地元に居て、義母を引き取って看取って、14歳の愛犬も看取って、遅れて東京に移って6年。 放置していた椿は、毛虫に蝕まれながらそれでも花を咲かしていたので、冬は帰省したら椿に癒されていた。 ところが今年、猛暑もひどくて、留守ゆえじゅうぶんに水もやれないでいたら、とうとう椿が枯れてしまってショック。 私が島の木を切っている間に、我が家の庭は馴染みの庭師さんに剪定してもらっていた。 椿はばっさり切られた。涙 紅葉も葉が落ちて、息絶え絶えだが、なんとか生きかえると言ってくれた。 椿が枯れたことがショックだと話したら、庭師さんは、 「お父さんが亡くなられたでしょ、家の人や身内が亡くなったら、大切にしていた木がなぜか枯れたって事をよく聞きますよ。」 まあ、それはまた不思議なことだね。 視覚障害の父も、たくさん咲いている椿のピンクは見えていた。 さて、広島はやはりお好み焼きを食べなくちゃ!
2018.10.27
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久米島から一転、瀬戸内海の島の家なう! 9月の台風が続いて、誰も住んでいない島の家が心配だと東京に電話してきた母を連れて、父の生家へ帰ってきた。 20年近く前の安芸灘地震の時は、瓦が落ちてしまい、留守中続いた雨でかなり雨漏りして、押入れの布団から畳から全滅したので、小さなリフォームをしたが、だいたい亡き父の生家なんだから、90年以上は経っている木造住宅は、シロアリにやられている模様。 なんとか瓦などは無事であったが、庭の木が夏の間に、枝が屋根を越えてしまって、母が思い切って枝や幹を切り落としたいという。 83歳の母を木に登らすわけにはいかず、私が枝をノコギリで落とすこと、1時間、すっごく疲れた。笑 で、切り落とした枝などは、島のシルバーセンターに頼んで、撤去してもらうという。ならば、枝切りなどもシルバーセンターに頼んだら良かったのでは?と思うのである。 前に蜂の巣落としに頼んだシルバーセンター、費用が一人500円で二人で1000円というとても有り難い場所なのであった。 しかし、過疎化した島は、ほとんどの商店は高齢化で廃業、後継は島にいない。 祖父、父、私が通った小学校は廃校になった。地域にスーパーがなくなり、頼るのは農協だけ。散髪屋や美容院だって、あっても高齢店主が息続く限りやるよって感じ。 親戚の内科医院は先生が高齢で閉めてしまったが、息子も外科医なんだけど、島には帰らず、都会では心臓外科医で活躍中。 親戚のタクシー会社も親戚のガソリンスタンドも親戚の質屋も親戚の薬屋も、親戚のミカン農家も、親戚の造船業も、みーんななくなった。 そして、私のように、子供達は島を離れ、年に数度親の様子を見に帰るか、自分のところに親をよんで、島の家は空き家となるのである。 小学校がなくなり、遠くの統一された小学校に通うのに、スクールバスか来るという。 島のこれからはどうなるのだろう。 そして、この島の家はどうしたら、いいのでしょう。 島の反対の対岸は、呉市。 土砂崩れや断水や大変だったけど、復旧は進んで、前の生活に戻りつつある。 呉市は造船業が盛ん。伯父も定年まで勤めたIHIがある。 広島の桟橋に着いたら昼1時半、簡単に桟橋内にある食堂で、昼食として天ぷらうどんを食べた。 勤めていた高校の学食と同じ値段の天ぷらうどんは、内容も学食と同じだった。薄ーいかまぼこ1枚、入れて欲しかった。笑 380円。
2018.10.25
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私は雨女である。とことん雨やら災害まで困ったもんだ。 広島は、3日間、土砂降りに雷雨に川の氾濫に警報が出ていたが、私はJALを予約していて、母と出かける予定もあった。 飛行機って前回の豪雨の時も平常運行なので、いいか悪いか。 で、羽田空港から地元に戻ってきた。雨の広島空港は寒かった。 昨夜母が「今日は22度」と言ってたけど、昼過ぎに着いたら19度だ。 さて、空港から広島市内に戻ろうと思っていたら、アナウンス。 まさかの高速バス、渋滞による運行中止って。 どうするんだと思っていたら、空港から臨時バスで、白市駅へ輸送するという。なんと、今日から白市駅が運行し始めたらしく、ラッキー?? 15分で390円というド高い運賃で駅まで。そこまでも渋滞で、15分じゃなくて30分かかってしまう。 で、白市駅、なんと、1時間に2本便で、山陽本線の終着点。 広島駅まで1時間はかかる。 まあ、何時間かかろうと、母の待つ実家にたどり着ければいい。 明日も雨らしいけど、 私は母と少し遠出をする予定で、バスチケットも宿も予約済み。 どうなるかなあ。 きっと東京の夫は、「またか、雨女」なんて思いながら、ラーメンをすすっているだろう。 19度なのにJRはバンバン、エアコンきかせている。風邪気味なんだよ、私。
2018.09.09
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夫の生家は「まっさん」のふるさとだ。広島から車で1時間半から2時間。JRでいうと呉線だけど、7月の豪雨災害で呉線はいまだ復旧しておらず。生家付近の豪雨災害状況は、義兄やお寺のご住職から聞いてはいたけど、今回墓参りに行ったら、今まで見たことない荒れようだった。父母亡き後、うちには誰も住んでいないのだけど、田畑まで瓦礫の山で、道は助けを得てなんとか通行できる程度に戻っていた。そんな中、両脇は土砂でえぐられているのに、墓所はそのまま残っていたので、びっくりしたよ。お墓の中のご先祖様もさぞかしびっくりだろう。土砂がかかったうちもあるが、もう今は電気も復旧して、住んでいるようだった。皆さん、ご無事で良かった。山の中に450年以上同じ場所に住んでいた夫のご先祖様、何度か土砂崩れにあったのに、なぜに同じところに住んできたのだろうか。写真にあるうちは、村の集会所。被災免れた。しかし、繁栄していた村も今は不便さから10軒もなくて、瓦礫の片付けはどうなるのだろうか。うちの山も大きく崩れてるけど。相続の時に、義兄が田畑、家屋、アパート、山など不動産を全て自分名義にしたので、もう親のうちや土地ではなく義兄のもの。義父の株券や預金も生前に名義変更していたので、すごいよね。今考えたら、私らにはもう関係なくなったから、それはそれで良かったのかも。しかし、東京に住む義兄は、どうするんでしょう。明日は義母の七回忌法要だ。皆さんに状況を聞いてみなくちゃ。夫の親戚は農家か多いから、みんな山のそばに住んでいるんだよね。広島から向かう途中も土砂崩れ箇所がたくさんあった。かって、こんなにひどい豪雨災害は見たことない。早く復旧しますように。
2018.08.18
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私は瀬戸内海の島育ちだが、もうひとつ家族でよく行った島が、山口県周防大島だった。年に一度は行ったかも。今回夏休みに帰省した家族の2歳になったばかりの坊やの行方不明事件で、全国に名前が知れ渡った。無事見つかったので、本当に良かった。ボランティアの方のパワーはすごいね。こういう方がいるのは感謝の言葉しかない。住宅なんか点在しているから、誰にも目撃されずに山に入ってしまったのだろうが、坊やも三日間よく頑張ったね。2歳になったばかりだもんね。周防大島、早いうちに島への橋がかかり、一応観光はあるけれど、漁村とみかんののどかな島なのだ。商船高専があったはず。島にはいくつかは宿泊施設があり、私が小学生の頃から、家族でドライブして、プールや海で泳いで、海の見渡せる宿に毎回泊まった。父と伝馬船を漕いで、沖に出て、釣りをして、半パンの足が火傷みたいに日焼けして辛かった思い出まである。魚釣り、結構釣れる有名な場所なんだ。この島から見渡せる海に、戦艦陸奥が沈没して、長い間かかって、深田サルベージが引き上げた。深田サルベージは、私の島や呉市に作業所や会社があり、私の友人の親とか勤めていたんだよね。私の親戚の同じ歳の女の子の父親は潜水夫で、事故で潜水病で亡くなったりね。陸奥記念館も周防大島にあるみたい。私にとって、戦艦大和より戦艦陸奥の方がすごく身近。て、私、いくつよ!笑夫の親友もこの島の出身で、36歳で病気で亡くなったから、島にお墓があるだろう。妹の夫も父親がこの島の出身と聞いた。あ、浜田省吾さんの父親もこの島出身のはず。きっと、のどかさは昔と変わらないでいるのだろう。でも最近人口減少対策で若い人の移住に力を入れているそうだ。地元の鯛が獲れてみかんが出来て、私の幼少の頃の思い出が蘇る地名だった。近くに柳井市があり、有名な金魚ちょうちんが、実家にたくさん下がっている。周防大島のお菓子、みかんサブレがとても美味しかったのを思い出した!!柳井市の「鳩子の海」饅頭も思い出した!斎藤こず恵さん主演のNHK連続ドラマゆかりのお菓子なんだけど、いつもこの饅頭をねだった思い出。笑マニアックな話題は、住人さんにはお分かりかなあ。
2018.08.15
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地元の、我が家なう。暑さは東京以上かも。庭に立ってるだけで、汗が流れて、背中と頭が焼けて熱い。夕方も凪があり、空気が動かないので、夕涼みは地獄だ。そんな真夏の暑さに参った広島の我が家のリビングのエアコンが壊れたみたいだ。風量風力全開に温度20度設定なのに、なぜか28度。仕方なく、扇風機の風全力で回している。考えたら、エアコン購入したのは、15年前。5年前に私がさいごにうちを放置して全員が東京に行ってからは稼働するのは、7月8月の10日間くらいだけど。あと、4台エアコンのある部屋があるけど、どこも同じの15年〜20年使用品。何年も使ってないものもあるから、フィルター掃除しても動かないかも。うーん、このお盆をなんとか過ごせたら、ゆっくり買えるのだけどねー。実家に泊まろうかな。夫にはまだ言っていない。帰ってこなくなりそうだから。笑で、夫の方の法要には、ホテルを予約した。笑少し早いけど、母と妹と墓参り。初盆があるうちは、白い盆灯籠。大きな霊園だから、お花や灯篭は休憩所前で売っているのだけど、かき氷やみたらし団子まで売っていて、夜店みたいだった。笑
2018.08.11
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この度の広島の災害、土砂崩れなどあった地域に友人が数人住んでいる。広島市内通勤は車や電車で40分〜60分の開発団地が多い。私が連絡した時、「携帯の警報や町のサイレンがひっきりなしに鳴るけど、避難はどうしようか」と言っている。「いや、せめて貴重品や避難に必要なものをまとめておいた方がいいよ」と言ったが、結局家の前には土砂は来ず避難はしなかったようだ。でも同じ団地に土砂崩れがあり亡くなられた方が。ニュースを見るとあっという間に水や土砂がやってきていたから、とにかく早めに避難した方がいい。命はとっさの判断が左右する。仕事先から帰宅するにも道路が遮断され、ご主人が戻れず、ずっと市内ホテルに泊まっているらしい。我が家は幸いに安全な場所にあるので、また別の、1歳の孫がいる友人には、娘さん家族と我が家を使ってもいいよと言ってあったが、避難勧告は出ずにすんだ。しかし、呉市、東広島市方面に実家のある友人達は、道路が遮断されていて、高齢の親の様子を見に行けないらしい。早く元どおりになることを祈っています。地元新聞が、ホームページ開放していて、大変な時に助け合う皆さんの様子が伺えて、心があつくなった。
2018.07.10
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東京なう。広島帰省中、豪雨で土砂崩れや川の氾濫で、かなりあちこち被害があった。今日はお天気だというが、一早い復興をお祈りいたします。亡くなられた方々のご冥福と行方不明になっている方々が早く見つかりますように。金曜日、こんな豪雨にも関係なく飛行機は定期運航していたことに驚いたが、上京する日、すでに土砂崩れなど発生していて、広島駅と広島空港を結ぶ直行リムジンバスは運行中止になった。あと、手段としては、JRなんだけど、途中駅付近で線路に土砂が入ったとかで運休。とりあえず行けるところまでJRで行ったら、唯一一本だけ、空港近くの駅止まりで発車したので危機一髪乗り込めた。駅からは臨時バスが空港まで送ってくれたから、私はなんとか予定通りに東京に戻ってきた。だけど、空港に行く公共機関がなくて、高速道路不通なら、どうやって空港に行くのか途方にくれる。今日も、リムジンバス運休、JR運休のままなのに、飛行機は定期運航みたいだ。私の住む地域は旧市内と言われているフラットな地域で、特に大きな河川もなく、崖がある地域でもなく、どちらかというと海が近い。比較的安心なところなので、近くに住む一人暮らしの母も安心である。広島は川の街、中洲の街ではあるが、それを囲む地域は小さな山が迫っていて、そういう地域を開発して団地にしているので、被害にあったところはそういうところだ。地盤が柔らかいのかもしれない。急な坂道も多い団地なので、土砂崩れや川の氾濫の速度はかなり早いと思われる。団地になった地域の地主は、もともと農家で山を崩して農地として使っていた土地に家がどんどんできたのだ。大きな団地ができても、広島市内に通勤する道路は狭いままの国道一本しかない場合もあり、今回道路に土砂崩れがあれば、もう車は使えなくなっている。広島は大きな川と支流がたくさんあるので、イメージ的には好きな街なのだけど、今回はひどいことになってしまった。近くのコンビニや自動販売機もすっからかんだよとそんな地域に住む友人からメールがあった。早く解決しますように。また、消防署勤務のご主人がずっと帰宅出来なくて、着替えを届けたという友人は、緊急時には自分一人で解決しなくてはならないと言っていた。皆さんありがとうございます。広島空港ばかり考えていたら、そういえば、岩国空港というのもJRで1時間山口方面に向かえばよくて、山口は平常運行らしく、今後、岩国から帰省するのもありだと気づいた。
2018.07.09
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地元なう。雨の日に帰省して、ずっと雨。それでも友達と家から10分歩いてカフェランチに行って、靴やら服やら大濡れ。大雨洪水警報発令中。私の家は河川敷そばじゃないし、山肌あたりでもないから、避難することはほぼないのだけど、前に土砂崩れあった地域からさらに北に向けて、避難勧告があり、また崖の多い尾道なども小学校に避難とある。早く雨が上がるのを祈るばかり。東京は梅雨明け宣言しちゃったのに、日本列島はなかなか難しい。実家で30年前に祖父が亡くなった時に買い揃えたり、いただいたりした盆提灯を出してみた。まだまだじゅうぶん新しく見える。組み立てて、スイッチを入れてみた。柔らかな光を放つ。提灯ていい感じ。亡き父にも買い足すことなく、これでいこう。一人暮らしになった母と父の初盆の準備を早いけど、少しずつ始めた。次は八月しか帰省できないから。浄土真宗安芸門徒のお墓の盆灯籠は、初盆は白。1ヶ月なんてすぐ来てしまう。今年は父の初盆と、義母の七回忌法要がある。 暑い盛りの八月も大忙し。大雨も困るけど。
2018.07.06
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地元なう。父の四十九日法要を終えた翌日に、母と私と夫で納骨をした。昨年移設した墓に納めた。お経をあげにきて頂いた副住職さんは、昨年お寺の娘さんと結婚されたばかりで、市内のことはあまり詳しくない熊本県出身。美声の持ち主で、霊園の丘から読経が響いていた。最近流行りの樹木葬に加えて、さらにガーデニング葬が増えた。「お母さんはガーデニングが好きだった」という家庭向きなのか、うちの墓の下にはガーデニング葬の墓地が新たにできた。花にうもれて一文字入れた小さな墓石。手入れは霊園の方が季節の花を。先日14歳で亡くなった愛犬の合同墓にお参りに行った時、同じように個人のペット墓も花に埋もれていた。「海に撒いてほしい」と言っていた友人は最近ガーデニング葬に興味がある。墓って、亡くなった人の家族のためにあると思うので、海に撒かれたら、船でお参りっていうのはなかなか難しいので、やはり土に戻りたいのは私だけだろうか。天気はいいのに残念ながら島は霞んで見えなかった。父はお墓から毎日生まれ育ったら島を見ることになった。
2018.05.14
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地元の実家と我が家は徒歩で5分の距離にある。私が実家のそばに家を買ったのではなくて、私が買った家のそばに高齢者になった父母が10年後ちょうどいい売家があり、引っ越してきたのだ。前の実家は貸すつもりだったが買い手があり、引っ越してのちに売ってしまった。昨年末、うちから徒歩10分くらいの場所に、家族葬専門の小さな葬祭会館ができた。一階二階で2組の葬儀ができて、一室50名までは入るが、家族葬だとじゅうぶんだ。父の葬儀に間に合わせたような真新しい家族葬専門の葬祭会館の真っ白な内装の部屋で通夜葬儀を行なった。父母の兄弟姉妹と私ら親子だけで甥や姪も近所の方や友人も参列を断ったり、知らせなかったり。帳場さえ、私が受付長机に座り、お香典を預かった。親族控室で母希望の料亭仕出しを取り、通夜後の会食をしてにぎやかに昔話をした。みんな定年になった兄弟姉妹は、よくみんなで旅行に出かけていたから思い出も多い。父の歳の離れた弟にあたる叔父は高次脳機能障害で施設にいて、きっと父が亡くなったことも理解できないでいるだろう。生花は葬祭セットに一対付いているのだが、棺に入れるお花は華やか方がいいので、兄弟名と会社の福利厚生でさらにニ対いただいた。社長は外国人でミドルネームのある長い名前がカタカナで書かれている。笑父の遺影写真は母の兄弟たちと10年前に徳佐(山口県)にリンゴ狩りに行った時、地元で写真家の叔父が撮ってくれた写真にした。父は目が不自由なため、正面を向くのが苦手なのだが、この写真は笑顔で良く撮れていた。但し通夜葬儀最中は一切写真を撮らないでとお願いした。カウンセラーの妹は通夜の昼間も葬儀の翌日からも予約があるとかで勤務した。母と私でだいたいの小さな通夜葬儀を執り行ったが、83歳の母は挨拶をしっかりしたので感心したよ。何度も練習していたものね。家族葬は、本当に親しい者たちで静かにお別れをする。畏まった挨拶もなしにして、母も私も「自分もこれで行こう」と思ったのだった。同じ日に葬祭会館で通夜葬儀があったのだけれど、遺影写真は、大学卒業式に写したと思われる若い女の子で、参列者の若い女の子達が涙していたので、こちらももらい泣き。やはり父の年齢まで生きるということは幸せなのである。
2018.04.04
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例年より早く咲き誇っている桜、川に沿って美しい桜並木を、私は霊柩車の車内から眺めていた。この桜並木を父と母は散歩するのが毎年の楽しみだったのだ。来年の桜は母はひとりだ。父の愛用していた帽子をお棺に入れた。あの世にも桜があったらいいな。目が不自由だった父も治っていて、美しい桜の淡いピンク色も見えたらいいな。広島も桜が満開だ。あちこちで桜の木のそばでお弁当を食べている人がいる。今日はお墓の墓誌に父の院号を記名してもらう注文と、すでに墓に入っている祖父母に「父が行きましたか」と問うために、お花を持って霊園に墓参り。まだいろいろな手続きがあり、高齢の母の代わりに動かなくてはならず、もう少し地元にいるが、前からの約束で地元の友人が上京する時には一度東京に戻る。私の予定と妹は四月からフルで働き始めるので、父は引き際を考えてくれたのか、桜が散る前に命が散ってしまった。叔父が、東京を引き上げる時は、母ひとりで住む実家に戻ってきたらと言うが、親子でもストレスになるのが嫌だから、もう少し考えてみるつもり。線香の匂いが嫌いだと言っていた父なので、仏壇には線香を焚かないつもりだったけど、桜の香りという線香をいただいたので、ちょっと試しに焚かせてもらおうっと!
2018.03.31
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地元なう。昼に母から電話があり、「お父さんの息が止まりそう!」と言ったが、すぐ看護師さんが来て復活したそうだ。こんなあんなで、「危ない」からと今年4回目の帰省。今回は妹が大阪に行っていて、ひとりの母が不安でどうしようと言ったから、とりあえず夕方の新幹線に乗って帰った。飛行機は最終便予約に間に合わなかったし、当日運賃は高いしね。新幹線、いつもは新横浜駅利用だけど、品川駅が乗換えが楽で、久しぶりの新幹線利用は品川駅から。ネットで座席指定するも、窓側がなかなか空いてなくて、やっと一席見つけた。三列シート窓側。もう四時間乗り続けるには、携帯の充電コンセントは必須なので、コンセント獲得するには窓側しかないのが理由。二列席はどの車両も全て埋まっている。三列シートは真ん中の席が空席率高いから、私はむしろ三列シートを選ぶ。ただ富士山を眺めるには二列シート側。久しぶりに乗った新幹線、車掌さんはよく通路を通るけど、個々の切符確認作業がなくなったみたいだ。ネット予約の時は三列シートは真ん中も通路側も予約済みだったのに、結局乗客は来ないままで、ラッキー。東京ー岡山間で結構乗客が降りてしまう。広島まで四時間て、読書タイムも結構持て余し、寝るにも寝過ごす怖さあり。終着博多で泊まるのは避けたい。我が家の子達は寝過ごし乗り越し経験者。笑新幹線の乗客はパソコン作業するサラリーマン風男性が多い。私の後ろは若い女の子で隣の男の子と岡山まで喋り通しだったよ。楽しい旅だったんだな。広島駅に降りると、思ったより寒い。タクシーの運転手さんが言うに昨日から寒さが戻ったそう。天気予報は明日は雨。私が帰省中はずっと雨かもしれないな。
2018.03.19
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土砂降りの日、父の容態は悪くなったり、戻ったり。今日は母の84歳の誕生日だった。「私の誕生日が命日とか、嫌だわ」というので、父はもう少し頑張らないといけない。父の病院の近くのイタリアンレストランで、母と妹とお祝いランチ。胃がんで3分の1しかない母も、オードブル、二種のパスタ、メインの豚肉ロースト、ドルチェ、コーヒーと完食。急に予約したお店だけど、ドルチェもお祝い用に盛り付けしてもらった。日頃離れていて、ゆっくり話せない妹とも久しぶりにいろいろ今後のことを。もしかして、離婚したい?実家にひとりで戻ってもいいらしい。そんなこんなで、父のいないテーブルでご馳走を食べて、病院に戻った。
2018.03.05
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諸々を予定してきた。いざという時が来たら、私が帰省していなくても、電話一本でOKだから。高齢だし、家族だけの小さなお別れ式にしたいというので、母の希望通りに。なぜか母はお通夜の饅頭が気になるようで、饅頭がいるなら、別に買ってきてもいいし。食事も豪華にしたいというから、精進料理はそこそこに。夫の会社からの花輪などもお断り。小さな小さなお別れ式でも、料亭からくる美味しい食事をしながら父のお見送りになるようだ。父の写真も、母が出してきたのは、父の70代前半くらいの写真。元気そうな顔がいいらしい。あー、私も痩せていたずいぶん昔の写真にしたいわ。妹も50代だが、思うところあって今は大学院生。修士論文が忙しくて、父にもう少し待ってほしいとベッドで頼んでいた。
2018.02.20
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私の父には10歳以上離れた弟がいて、私の叔父。父が階段から落ちて入院生活になった翌月、叔父は3度目の脳梗塞を発症して、これまた入院生活になった。まだ74歳。銀行を60歳で定年退職して「男の料理教室」に通い始めた叔父は、料理教室の調理場で最初の脳梗塞で倒れた。幸い病院が隣にあり、元の状態に戻ったが、それから用心して生活するも、数年してまた軽く2度目で入院した。そして今回は自宅で3度目。今回は深刻で、小室哲哉さんがKEIKOさんのことを語られたように、叔父も、「高次脳機能障害」だろう。母が最初病院にお見舞いに行ったが、今までとは全く違っていて、全く言葉を話せないらしい。しかしオムツはつけているものの、食事や排泄やらお風呂は一人でも大丈夫らしく、足取りも普通。その後言葉は出ないまま一時帰宅した時、叔母が台所に立った隙に、玄関の鍵を開けて飛び出してしまい、後を家族が追うも、信号無視で車道の真ん中を走ってしまい、見失うところを近所の方につかまえてもらうと、怪我をしながら暴れて手に負えない。叔父も180センチ以上ある大柄な人。警察と救急車にお世話になり、一時帰宅は1日目で終わった。次に母がお見舞いに行くと、リハビリで小学三年の漢字練習をしていたらしい。文字が書けない、計算もできない。きっと母のことも誰かわからない。だれか必ず見守りがいるような生活ならば、叔父もやはり家には帰れそうにない。だいたい脳梗塞、私の祖父も祖母も発症したのだ。父は心筋梗塞、叔父も脳梗塞ならば、私の死因はきっと脳梗塞か心筋梗塞だと予測している。小室哲哉さんのインタビューを見た。仕事しながらの自宅での看病は、看護士さんがいても精神的に大変だろうなと思った。献身的に尽くすと心に決めて看護を始めても闇の中にいるようだろうなと感じた。何かを諦めていく日々ではないだろうか。父はだんだん弱ってきてしまい、お見舞いに言っても、一言も喋らない。毎日病院に見舞う母にもだ。寒い時期どうか肺炎になりませんように。
2018.01.27
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年末、地元生活、もしかしてと思って、ちょくちょく庭に出たら、もしかしてはやはりになった。毎年年末年始だけにやってくる、ほぼ野良猫、しーちゃんが、今年もやってきたのだ。うちの前の道を歩く猫に「もしかしてしーちゃん?」と声をかけると、ささっと逃げたが、止まって振り向いてやってきた。ニャーと声は大きいから元気そうだ。もう13歳くらいにはなっているはず。やはり、艶のないパサパサの毛並みに、あちこち千切れた耳。しかし、奇跡的にやってくる年末年始、「生きてるよー!」と知らせにくるのか?愛犬が生きている時から頻繁にやってきて、敷地内に侵入するとうるさく吠える愛犬の威嚇もなんのその。今は犬小屋だけになっているのだが、ちゃっかり犬小屋で昼寝なんかしていたのに、愛犬が亡くなったら、そんなこともしない。そして年末ご挨拶しかやって来なくなった。年末年始しかやってこない理由は分からないが、挨拶にくる猫はどんなにブサイクで汚くても、私には可愛いのだ。2017年も僅か。2017年は、父が入院したことで20回帰省した。父もなんとか病院にいてくれて、母もなんとか一人で暮らせている。私はもう少し東京で暮らす予定なんだけど、程々に元気で楽しく来年も過ごせたらいいな。皆さま、和やかで穏やかな年末年始をお迎え下さい。ブログで仲良くしていただきましてありがとうございます。来年も、よろしくお願いしますね。
2017.12.31
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地元なう。JAL搭乗時、「ご出身はどこですか?」を合言葉に機内でCAさんの上着に付けたバッジの都道府県シールをいただいていたのだが、そのキャンペーンが6月に終了し、全都道府県なぞ集められないまま、部屋の隅に溜められたシールも虚しかった。が、この10月から、JAL機内でまた新しいデザインの都道府県シール配布が始まったのだよ。で、早速、広島までの機内で「都道府県シール始まりましたね!」とCAさんに声をかけて、第2弾シールをいただいた。前と違うサイズもデザインもナイス!観光名所が刷り込まれて、なるほどねー。前回、地元出身の人がいなくて手に入らなかった広島県を今回はどうかゲットできますように!毎回CAさんに声かけしなければならなかった私に夫は「それ集めて、どうすんのよ?」と冷ややかであるが、小さな頃から道端の小石やガラスやタイルなど、ビスケットの缶に溜めていた私を思い起こさせて、ただ楽しいだけなのよ。ガラクタコレクターのハートが目覚めたのよ!機内で同じようにシールをもらっているスーツのおじさんを見かけたら、親近感なんだよね。笑隣に座ったおじさんとシール交換なんかしちゃったわよ。笑入院した父の病状も落ち着き、母の癌細胞も活発化していないので、毎月2回の帰省を、来年からは、月1回にして、底をつきつつある交通費を維持したいところ。帰省回数が減れば、シールも集まらないんだけどね。うーむ。
2017.10.12
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相変わらず、帰省のたびにお好み焼きは食べている。だいたいみんな、近くの店に行きつけがあるから、「おばちゃん、帰ってきたよー。」などと挨拶して。4泊5日、墓参りのほかは父の病院、母と買い物、友人とランチ&かき氷結婚して初めて、夫のふるさとでホテルに泊まってみた。マッサンのふるさと。カープやサンフレッチェのスポンサーがやっているビジネスホテルだもんだから、スィートルームは、らしい。眩しくて寝にくいはず。笑で、尾道まで足を伸ばして、尾道ラーメンを食べてきた。厳密に言えば、中華そばの店。カメラ禁止のカウンターだけの古く汚い店は、70代夫婦が長年やっている店。中華そば550円也。今時よ、安いよね。でも、行列で1時間近く並んだよ。もう疲れたから、並ばないかな。道の駅、みはら神明の里で、地元惣菜を買って東京で食べる予定。オコゼって、島の頃、釣れちゃう場合に、「チェッ!」て思う魚なんだけど、実はとても美味しくて、味噌汁にするんだ。だって、トゲトゲであまり身がなくてね。東京では、高級魚なんだけどね。東京では食べたくない魚。笑
2017.08.17
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お盆休みで地元なう。夫は小学校の同窓会とかで、私より数日前に帰省して、自宅のある広島市ではないので近くにホテル予約して出席した。22人クラスで17人集まったそう。で、島の墓参りを終えて、スーパーで食べたいだろう「鱧の湯引き」を買ったら、すでに帰省した日一番にうちの近くのスーパーで買って食べたそうだ。娘も東京で時々、「あー、鱧の湯引き食べたい!」と言っているほど、地元の懐かしい味になっているようだ。なぜ、東京ではスーパーにないのだろう。東京では鱧はなんだか高級感ありそうなものに聞こえるけど、広島では1パック380円580円の庶民の食卓。必ず酢味噌で食べるのだ。京都あたりで梅肉和えとか上品な小鉢で出そうだけどね。広島では酢味噌かけてパクパク食べる。地元広島の味では、お好み焼きに始まり、小イワシの天ぷら、タコの天ぷら、ハマチの刺身、シャコの刺身、穴子飯、穴子寿司とかね。6月までならウチワエビとかあるんだよね。あと数日、私はいつもの店のカレーうどんとか食べたいのだけどねー。あーなんて安上がりなのだ。写真はお借りしました。鱧の湯引き酢味噌和え
2017.08.15
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東京から夫婦で帰省し、母を連れて、小雨の降る中、地元の霊園を5か所回り、なんとか希望に合う場所を見つけた。高台にある霊園からは、市内も海も島も見渡せそう。これなら島の墓にいる祖父母も理解してくれるだろう。それにしても思わぬ市内の霊園探し。結構墓地は高価でビックリする。土地と墓を含めると、ちょっとめまいがするお値段になってしまったが、コツコツ貯めた母のお金を使ってもらう予定。最近は値段から考えると、小さな小さな敷地でその敷地いっぱい墓だけ置くしかできない感じ。島でのびのび海を見ながら大きな墓にお参りしていた私、やはり墓も余裕が欲しい気持ち。春には桜並木らしい。霊園にお弁当を持ってくるのもいいかな。病院の父には頑張ってもらって、来年も再来年も桜を見に行った話を病室でできたらいいなあと願う。
2017.07.11
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父の希望した島の墓は順調に今月、代々の我が家のご先祖様の墓所の片隅に設置できる予定であった。 が、 国の墓の法律が平成24年に変わり、自治体の条例も発令されて、とんでもないことがわかった。 新設したい墓を自治体に届けなくてはいけないらしい。自分の持つ私有地の墓地であるにもかかわらず、近隣100メートル以内の住宅の承諾書を添付しなければならない。申請書類を出しても審議されて、それでもOKになるかどうかわからない。 実はご先祖様の山に、本家分家それぞれ墓所を設けて墓地にしているのだが、うちの墓地の真上の空いていた土地に遺産相続でもらった親戚の娘(今や80代近いが)が15年前に住宅を建てた。墓地があったのに建てたのだから、家から当たり前に墓が見えるのだ。 それがどうやら気に入らず、回りの親戚の墓にも理不尽なクレームを入れていて、代々ある墓所なのに我が家にも墓を撤去してくれという始末。 今回、その人にも墓を設置するのに承諾をもらわなくてはならず、もちろんNOなのだ。 その人の家の上に墓を立てた方は、このクレーマーに3年以上待たされたらしい。 で、母が悩んで寝られず、とうとう島に墓を設置は断念した。 で、結局、週末広島で霊園巡りをすることになった。 生まれ育った島に眠りたい父は、もう島では眠ることはできなくて、悲しい気持ち。 しかし、マイ土地があるのに、民間霊園を買わなくてはいけない不条理な条例。 石材屋さんにも待ってもらい、早急に永遠の場所を探す。魂が休まらない。 昔は山の中にあった墓なのに、だんだんと造成されて、住宅地になってきた。山は崩され、新しく墓地のそばにやってきた住人に、ずいぶん昔からある墓が疎ましく思われるようになる。 だからと言って、どこに行くのだ。 私も思い出の多い島に別れを告げることになりそうな予感がしてきた。島の家はどうしよう。
2017.07.05
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地元なう。介護付き老人ホームから病院に一時入院している父だが、次は老人ホームが受け入れられない意向。さて、次は療養型病院か、頭がしっかりしている分、ここはあまり入れたくない。ただいま模索中。あちこち、見学に回る予定で帰省した。午後から羽田空港を出て広島空港へ向かったが、雨女の私にしてはかなり良いお天気。富士山を見るには、飛行機の座席は左側。JALのアプリで、航路により富士山が座席のどちら側が分かる。どうせなら富士山眺めたいから。笑広島空港に近づく時は窓からの風景は海。瀬戸内海の島々が本当にたくさん。私はそのひとつでおおらかに育ったが、今は過疎化に悩んでいる島々。通った小学校も廃校になってしまったよ。広島空港に着くと、サイクリング愛好者に今ブームになっている尾道や三原からのサイクリング旅行のために、自転車組み立てステーション、更衣室が設置された模様。レンタサイクルじゃなくマイ自転車で空港からスタートするのね、皆さん。広島駅に着くと、試合があるらしく、広島駅徒歩10分の球場に向かう観戦者の波に飲み込まれそうになったよ。あー、広島に帰ってきたんじゃわ!!反対方向から歩いてくるのは非常に困難!笑しかし、まだ退社時間には早いよ、皆さん!笑東京でカープ帽子をかぶっている小学生を見かけることがあり、オッと振り返ることも昔、最近結構見かける。レッドソックスの帽子をかぶっていることもあるパパも東京でアメリカ人おじさん達に、オッと言われて肩とか叩かれる勢い。笑追記実家のトイレットペーパーは、夏バージョン!笑
2017.06.15
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ゴールデンウィーク、例年は5月に帰省していたのだが、たくさんの用事を片付けるため4月に帰省して、まずは、母と島の墓参りと、母の用事をこなしてきた。明治時代から続いてる島の石材屋さんとうちの墓所で待ち合わせして、石材屋さんが立てたいろいろな墓を見て回り、父の希望通りの墓を決めてきた。島の墓石は大島石、しまなみ海道の先、伊予大島で採れる大島石だ。国会議事堂も大島石らしい。最近、輸入石が安く手に入るらしいが、中国、韓国の石より、やはり、永代きめ細やかな肌の黒っぽい青の国産が良い。信用商売ゆえ、手付け金申し込み金もなく、出来てから引き渡し時でよいという。父の妹は、生後すぐ亡くなったのだが、私の祖父母亡き後、誰も法名を覚えてなくて、島の古い寺に尋ねに行った。はたして、80年も前のこと、分からないなら仕方ないと思いきや、ナント、寺に着いて、15分で法名が分かったのだ。島の住民は浄土真宗信者が多いが、昔からお寺の御説法をよく聞きに行った。小さな島のあちこちに説法所なるものがあった。寺もきちんと記録を残していて、島の暮らしと浄土真宗は密接だった。墓石には、「倶会一処」と刻む。御浄土はひとつ、皆、後から参りますよ、この世の暮らしを問わず、御浄土では皆同じ。少し早く島に帰省したので、音戸大橋のツツジ満開には少し早かった。見晴らしの良いレストランで遅い昼食、地元の鯛の刺身は、久しぶりのプリプリ感で美味しかった。介護ホームからどこにも出られなくなった父に良い報告ができそうだ。
2017.05.01
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今年もゴールデンウィークがやってきたが、介護付き老人ホームに入っている介護認定5になってしまった父には、もうカレンダーは関係なくなってしまった。私はこのGW 帰省して、例年通りだが初めて父無しで母を連れて島に帰り、墓まいりと島の留守の家に戻る。そして今回は、倒れる前からの父の願いであった父の墓を立てるというミッションを達成する予定だ。先日地元であった大規模墓石展示会に出向いた母は、いろいろ勉強してきたらしい。すでに島の石材店に連絡して、待ち合わせをしている。ごくごく普通の墓石でいい。小高い丘の斜面にある墓所は、煌めく海が見えて、お天気なら遠くもない呉市も見える。私が島に住んでいた小さな頃、祖父と毎日庭の花を持って通ったここの祖父母の墓の隣に父母の墓を立てて、そしてのちには私も入るつもりでいる。いずれ地元の我が家を売って、仏壇のある実家に住もうかと思っている。島の家はどうしよう。島の幼馴染も島の墓に入るよと言っていた。島のうちには祖母の黒檀嫁入り箪笥が健在で、小さな引き出しを開け閉めすると、音が鳴るアコーディオン引き出しだ。夫方の墓は、義父が私らにもお金を出させようとして畑を墓所に変えて山から代々の20近くある墓を移したのだけど、広い敷地に三男の夫に墓を立てても良いとは言わなかった。義父亡き後、長男も病死していたので、二男が「義父が自分に全て任せると言ったから」と言い、不動産もお金も全て二男自分名義にして、さらに夫から相続手続き委託料として20万円を取ろうとする強欲さだった。(会うたびに払えという義兄を無視!)義父が建てたアパートの家賃(月50万円はある)も入るだろうに、さらに空き家になった100年の古い家を人に貸したいとかでGW に荷物を片付けてくれとメールしてきた。私は義兄の名義になった家から皿一枚も持って出たくないが、義父母に生前から頼んでいた夫の祖母がお嫁入りに持ってきた金具の素晴らしい長持ちが欲しい。しかし、今や義兄の家になったので、納屋にある長持ちさえ、勝手に持ち出したと言われたくないからそのまま。夫は親の形見も何もない。優しい夫は、家を片付けなくちゃと義兄からのミッションを行う気持ちだったが、私には強欲な義兄と縁を切るチャンス、一切無視したいミッションだ。
2017.04.27
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地元なう。エア+ホテルパックで帰省して、今月から父の入っている介護付き老人ホームに向かう。ホテルは街中にあるので、昔友人と待ち合わせしたり、一人で時間潰したりした繁華街のビル地下にある喫茶店にモーニングセットを食べに行った。私が二十代の頃からレトロな喫茶店、昭和43年から現在まで、全く昔のまま営業している。ウェートレスは昔から黒のブラウス黒のミニスカートに白いエプロンと、メイドカフェ仕様だった。もちろんお年のウェートレスも同じユニフォームだったけど。笑今回は二十歳くらいの可愛いお嬢さんがウェートレスだった。昔からおひとり様中高年客で埋まっていた喫茶店は、今もやはり中高年客多し。おまけに私までその中高年客仲間さ!笑装飾も調度品も全く変わりなく、そして絶対生花が飾ってある風景の懐かしさ。ホント、週3くらい通っていて、友人と尽きぬ話をしたもんだ。今やその友人たちも地元には住んでない。さあ、老人ホームに行きましょうかー。父の老人ホーム、看護士24時間常駐につき毎月基本35万円必要。ほかに雑費で40万円くらいかな。もちろん年金に預貯金を出さねば払えない。私らは老後入れないかな。涙
2017.03.15
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11月階段から落ちて頭を打って以来現在リハビリ病院入院中の84歳の父は、発熱した後だんだん覇気が失せて、リハビリに対する意欲がナッシング。介助あれば、ベッドから降りてトイレに行けるのだが、関節が硬くて、ヨチヨチ歩きに退化した。一番の問題は、骨折による首回りのギブスが取れたのに、嚥下障害が改善されず、むしろ悪化して、今、胃ろうにしたらどうかと医師から言われている。脳梗塞とかで寝たきりなら延命治療だと言われるところなんだけど、視覚障害はあるが誰とも普通に会話して、右手は麻痺しているが左手は特に問題なし。尿意もあり、ヨチヨチながらでも歩けて、病人ながら人間の生活上プライドレベルはキープしているものの、最近夜に鼻に入れた栄養剤用チューブを無意識に自分で抜いてしまい、困っている。これも認知症の1つかもしれない 。そのため、付き添う人がいない時や寝る時にグローブを付ける羽目になったのだが、それが煩わしく嫌でやたら怒鳴り始めて、付き添う母もワガママな父に 嫌気がさしてきた。毎日父の病院に通う母も癌患者だからね。で、胃ろうの相談を父に伝えなくてはならなくなり、母は自分から言いたくないから私に言ってと言い、妹は姉の私が言ってと言う。仕方なく長女の私が機嫌の悪い猫に鈴を付ける役目になるが、損な役回りだ。で、次に今のリハビリ病院を規則で退出しなくてはならなくて、胃ろうにした場合の受け入れ先を打診しているが、なかなか受け入れ先施設がない。たん吸引も発生してきて、24時間医療行為があるけど、寝たきり老人病院ではない老人施設はなかなか地方には見当たらないのだ。唯一あっても、ひと月50万円以上支払いなんて普通の人々なのでかなり無理ポイ。私は今、東京に戻ってしまったので、パソコンでいろいろ調べては、妹に相談中。妹はケアマネに相談しながら父の行き先を探す。以前より高齢者には優しくなった社会ではあるが、やはりハンディのあるものには、なおも生きていくことが困難だ。月に二回帰省しているが、父にも母にもいろんな問題が出始めたので、なんらか決着着くまで私だけ地元に帰ろうかと悩み中。ただ私も月二回通院中の眼科は東京でかかりたいのだ。父の行き先も私の行き先も、あちこち迷走しながら過ごす日々。父がこうなる前、昨年の初秋までに予約した今年の旅の予定を淡々と消化中。笑春からの旅の予定はこんな調子で入れられず。目一杯帰省交通費になりました。
2017.01.27
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