世界平和とお金のない世界 知恵の輪

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マー坊の職歴


初めて入った会社は生命保険会社です。
卒業式の前から仕事を始めました。
たしか・・・2月5日くらいからだと思います。

初任給は1万8千円でした。
いろんな仕事を経験したのは何か意味があると思うけど。
職歴を書いてみます。


     (初めての職場)

「会社はいつまでもあるとは限らない」

高校卒業して初めて入った会社は日産生命保険会社。
18歳になったばかりの社会人でしたね。
昭和41年2月の卒業式前から勤めました。

小さな営業所だったから男3人女2人の正社員。
僕は外務員の給料計算や書類をチェックする仕事。

事務所はエアコンの無い時代だから冬は石油ストーブです。
車を持つ人はまだ少ない時代だから移動は自転車。
遠くへ行くときは電車やバスです。

月末の締切日は書類に不備があると大変ですよ。
会社のルールって勝手なもんでね。
一日か二日は待ってくれるんです。(笑)

日祭日はもちろん休みだけど。
土曜日は半ドンでした。
昼から休みって言うことです。

夏の土曜日はうれしかったですよ。
仕事仲間で昼遊んで夕方からビアガーデンです。

ある日の土曜日みんなで会社を出るとき
僕が会社のビルを振り返って見た。
なぜかなつかしさを感じた。

まだここで働いているのに
何年も前に辞めて久しぶりに来た時のような気持ち。
その半年後にその会社を辞めました。
勤続年数は3年半でした。

その会社の名前はとっくに無くなっています。(笑)


      (二つ目の職場)

   「漠然と働くと心が病んでくる」

社会人になって二つ目の職場は運送会社でした。
父親の紹介で入ったんですけどね。
必要とされて入ったわけではないので・・・
所属が中途半端なんです。(笑)

請求書を作るための仕事だけど
発送も到着も集配も頼まれれば何でもやる。
おまけに事務員だから当番で夜勤もやる。

最初の結婚は入社して二年目の23歳の時。
その頃の残業は一ヶ月130時間くらいやってました。
おかげで坐骨神経痛で苦しみましたね。
結局3年半で辞めました。

やはり二つ目の職場も経験しましたよ。
仕事中に運送会社のトラックを見て・・・
「あ!なつかしい」って。

まだ辞めていないのに辞めたあとのなつかしさ。
予感です。

勤続中の3年半の間悩んでいたんです。
「必要とされて働いているんじゃない」って。
父親に頼まれて入社したんだから。

結婚はするし子供は出来るしお金は要るし
勤務時間は長いし体は壊れるし・・・

親に内緒で新しい職場探しです。
新聞の中に募集広告があったんですよ。
「自動車教習所 指導員募集中」って。

25歳の時だったけどね
自動車免許は22歳の時取ったばかりだけど
僕にふさわしい仕事だと思って応募しました。

親に内緒だったけど・・・
自動車学校と警察の交通課はつながってますよね。
父親にはばればれでした。(笑)

でも
運送会社にいる時より楽しく働けるようになった。


     (三つ目の職場)

「したくない仕事よりしたい仕事がいい」

三度目の仕事は自動車学校でした。
25歳から約16年間です。
朝9時から夜9時までの仕事だったけど
居心地が良かったんですね。

今の車はエアコンもパワステも付いてるけど
昭和48年頃はエアコンもパワステもないです。
車はセドリックで大きな車でした。

幅寄せや切り返しの練習は大変でしたよ。
オートマじゃないから半クラッチが必要です。
ジワ~っと動きながらハンドルを回すんですよ。
夏は窓全開でも汗びっしょりです。
背中が白く塩が出来るほどですから。

冬はその反対で窓を閉めて暖房を効かせるんです。
車の中は体臭で・・・・すごいです。(笑)

知らなかったことを知り
出来なかったことが出来
不安だったことが自信となる。
目に見えて成長するのがわかるんですよ。
喜ぶ姿が嬉しいんです。

教えることは難しいけど
教えることで多くを学ぶんですよね。

自動車学校では18歳以上が対象者です。
それを考えると子供たちを教える小中学校は大変です。
僕には勤まらないですね。

教える仕事はしたい仕事ではあるんですけどね。
同僚が定年退職したとき退職金の額を聞いたんです。
70万円くらいでした。
僕より20歳年上なのに勤続年数は同じだったんです。
「こりゃあ老後のことも考えなきゃ」って思いましたよ。

結果的にはその頃環境運動を始めたので
脱サラして環境運動を仕事として取り組むことになりました。
退職願を出す時・・・
「自動車学校の仕事はやりがいがあります。
でも環境運動の仕事は生きがいを感じています。
僕は生きがいの仕事を選ぶことにします」って言いました。

生きがいの仕事は魂が喜んでくれるんだけどね。
ほとんど収入にならないから・・・
またまた転職を始めることになりました。(涙)


     (四つ目の職場)

  「お金がないと幸せになれない」

三つ目の職場では離婚と再婚を経験しました。
出会いが多いことが良いことなのかどうか?
人の心次第なんだけどね。

朝9時から夜9時までの仕事は辛くはなかったけど
自分には趣味は無いことが辛かったです。
単純計算で一日24時間で12時間労働。
残りが12時間で睡眠が8時間だとすると残り4時間。
通勤時間や食事の時間を引くと・・・無いです。(笑)

そこで考えたのが・・・
睡眠時間を少なくして夜の時間を利用した趣味です。
何か?
星を見ること。(笑)

27歳で初めて望遠鏡を買いカメラを買い・・・
天体写真を撮ることにしました。
天文協会にも参加し天文雑誌に天体写真を投稿し
多くの写真が雑誌に載ったりグラビアに掲載されたり
天体写真でカレンダーを作ったりテレビにも出たり。
趣味ってけっこうお金がかかりますよ。
車も乗用車からジープに変えましたからね。

ところで・・・
ジープはフルオープンに出来るんです。
屋根もドアもすべて布で出来ていて外せるんです。
真夏はオープンカーにして白いつなぎを着て
目にはゴーグルを付けて・・・・
山道も海岸も階段も普通の道路も。
信号待ちなんかは周りの人から見られてね。(笑)

星の趣味は6年くらいで終了しました。
やるだけのことをやると飽きちゃうんです。(笑)
趣味が出来るのもお金があるから出来るんですね。

自動車学校を辞めて環境運動を仕事にしても収入は無く
貯金を全て使い果たしてしまいました。

四つ目の仕事は損害保険の営業でした。
将来代理店として独立するための仕事です。
僕は代理店になるつもりはなかったですよ。
本当はね。
お金が欲しかっただけです。
基本給が30万円ですよ。
朝9時から夕方5時まで。
週休二日で。

それでも環境運動は辞めませんでした。
県外でも知り合いを頼りに説明や勉強会をします。

お金が無いと何も出来ないんですね。
この頃は女房も機嫌が良かったです。
収入が良かったから。

この仕事も2年で終了します。
代理店として独立できるだけの成績が上がらなかったから。
そして
次の職場は?


     (五つ目の職場)

「頑張るのはお金のため?社会のため?」

五つ目の職場は広告代理店の集金人でした。
新聞広告の広告料の請求書発行と集金です。

営業は大変ですね。
毎日が締め切りなんだから。
ほとんど電話攻勢ですよ。
電話なのに何度も何度も頭を下げてね。

挙句の果てには・・・
「広告料の支払いはいつでもいいから」って
適当な言葉で注文をとるんです。

それを知らずに集金に行くと・・・
「あれ?もう集金に来たの?
お金はいつでもいいって言ったじゃないか」って。
しぶしぶ支払うときはまた一言あるんです。
「消費税は広告料じゃないから払わんよ」って。
困るよね~。
「消費税は国に納めるんで・・・すみません」
それでもらいます。(笑)

振込みで入金するのが一番いいんだけどね。
集金でも入らない広告料もあります。
夜逃げもあれば倒産もあれば・・
わざと払わない人も。
取立て屋みたいな気持ちになることもあるしね。

会社の軽四を使って毎日集金に回ります。
一人で自由に動き回れるから道を覚えましたよ。
地図を書けるくらいに。(笑)

集金して思ったんだけどね。
広告主はお金儲けのために広告を出す。
でも誰もお金は出来るだけ出したくない。
それを営業マンは何とか出させようと努力する。
みんなお金を得るために頑張っているんですね。
もっと社会のために頑張ればいいのにって。

広告代理店も約二年で辞めました。
不景気で支社が廃止され遠くの支社に統合されたんです。
平成6年9月のことでした。

みんな何のために働いているんだろうね。
またしばらく環境運動だけになりました。
次の仕事は・・・?


     (六つ目の職場)

   「利益を上げるために働く」

六つ目の職場は商工会議所の保険会社でした。
商売をする人たちの生命保険の管理です。

新しい保険を勧誘することも
現在の保険を見直してもらうのも
有利な保険を提供するために働きます。

聞こえはいいけどね。
本当は保険会社が儲けるために働くんです。
詳しいことは書かないけど
変換なんかはお客さんが損する感じです。

保険会社の仕事は初めてじゃないけど
助け合いの基本を考えさせられる仕事です。
お金が無いと助け合いが出来ない社会なんて
困ったもんですよ。

出来るだけ多くの保険料を集め
保険会社で働く人は多くの給料をもらい
資産運用してお金を増やす。
良いことだと教わっても
罪悪感が無くならないんです。

保険を勧めるとき
節税のための保険を勧めます。
儲かれば税金を多く払います。
税金を払うくらいなら保険を勧めて
少しでも自分の利益になるように勧めるんです。

税金は報酬に見合った社会への恩返しです。
節税は?
聞こえはいいけどね。
僕に言わせると合法的な脱税ですよ。(笑)

保険会社は「相互扶助(そうごふじょ)」の精神で作られました。
相互扶助とは?
互いに助け合うこと。互助。
やはり助け合いにお金は必要なんですね。

本当は人の心と人の行動で助け合いは出来るのに。

生保は一年間がタイムリミットでした。
わずかな期間だったけどお金の裏側を学んだ気がします。

会社に利益を与えられない社員は辞めさせられます。
誰かの役に立つだけではダメなんです。
それが資本主義社会です。
一年間で辞めました。


     (七つ目の職場)

     「縁の下の力持ち」

七つ目の職場は代行運転です。
昼間は環境運動をやって深夜は代行で働く。
軽い仕事だと思っていたんだけどね。
甘くはなかったです。(笑)

夜7時から朝3時までです。
二人一組で一台の車に乗って
無線でどこそこへ行けって連絡があるんです。
ほとんどが飲み屋さんなんだけどね。

僕は新人だったからお客さんの車に乗ります。
無線機を持って飲み屋さんへ。
お客さんと一緒にお客さんの車に乗り
お客さんの代わりに運転してお客さんの自宅まで。

いろんな車に乗りましたよ。
時には外車にもね。
普通乗れなかった車に乗れてけっこう楽しかったです。

深夜の仕事は辛いです。
おまけに他人の車の運転は気を使います。

この仕事は2ヶ月くらいで辞めましたよ。
昼間は活動出来ると思っていたんだけどね。
ほとんど睡眠に時間を取られてしまいました。(笑)

自分がお酒を飲んだら代行運転は使いません。
すべて女房に迎えに来てもらいます。
代行運転は無くてはならない仕事だと思うけどね。

世の中で本当に必要な仕事って
縁の下の力持ちだと思った。


     (八つ目の職場)

   「高齢者社会を身近に感じる」

八つ目の職場は温泉旅館でした。
ハローワークで募集を見て決めたんですけどね。
駅までの送迎バスの運転手でした。

入ってみてわかることは多いですよね。
送迎バスの運転だけではなく
大浴場の掃除、各部屋の掃除、生ゴミの回収、
敷地の草取り、屋上のペンキ塗り、駐車場で車の誘導。
ちょうど寒い一月二月の頃だから厳しかったです。

でもね
うれしいこともあるんですよ。
仕事が終わると大浴場に入って帰るんです。
毎日タダで入れるんですよ。
地元では有名な温泉だから体にはいいです。

温泉旅館ってお客さんは年寄りが多いんです。
旅館内のトイレは普通より汚いですよ。
便器はもちろん便器に行くまでの所で・・・
けっこうお漏らしがあるんです。
トイレ掃除も辛かった仕事の一つでしたね。

時には高齢者の団体を観光地まで送ります。
観光地では車椅子を押して園まで入ります。
健常者にはわからなかったことがいっぱいですね。
段差があると車椅子での移動は難しいです。

日頃考えなかったことも考えますよ。
いろんな意味で多くの経験は必要ですね。

でもその仕事も三ヶ月くらいで辞めました。
辞めた原因は・・・
僕の上司の行動でした。
詳細は書かないけど・・・
独裁者みたいな人でした。

さあ
次の仕事は?


     (九つ目の職場)

   「公共工事で生きる零細企業」

九つ目の職場は水道工事屋さんです。
これもハローワークで見つけました。
働く気持ちになったのは?
水道工事の技術を覚えようと思ったんですよ。
でも
覚えるほど長くは勤めませんでした。(笑)
三ヶ月くらいでやめました。

思い出は多かったですよ。
田舎の小学校の校舎の下水道の設備の設置や配管です。
外ではツルハシやスコップを持って穴掘り。
セメントをねったり道具を運んだり下働きです。

田舎の民家ではポットントイレを水洗トイレに変更。
古い便器をはずす時肥溜めを運ぶのが大変でした。
臭いの何のってね~。

台風シーズンだったから道路が土砂崩れにあってね
市の要請で道路の土砂を取り除き水路をきれいにする。
雨が降るからカッパを着ているんだけどね
汗が出てカッパの意味がない。(笑)

市から公共工事をもらうために頼まれれば何でもやる。
一番辛いのは下っ端ですよ。

たまの肉体労働は嫌いじゃないけど。
毎日の肉体労働は持続不可能でした。
マイペースでやることが出来ないからね。

大きな建物も小さな建物も
多くの人が関わって作るんですね~。
大工さんも電気工事屋さんも水道工事屋さんも・・・
けっこう連係プレーが必要ですよ。

工事には技術は必要です。
せっかく持ってる技術でも使わないともったいない。
景気で左右される社会って・・
やっぱり変だと思う。


     (十個目の職場)

    「資源はゴミとなる社会」

十個目の職場は産業廃棄物の運搬でした。
知人に誘われたんですけどね。
「2トンダンプでゴミを運ぶんだけど
いい勉強になるからやってみませんか?」って。

収入を取りながら勉強になるんならやってみよう。
そう思って運送会社に入りました。

仕事は簡単でした。
建設会社やリフォームの会社の下請けです。
産業廃棄物ってきれいな物ばかりじゃないですよ。

建設現場に置かれてあるゴミ置き場には
空き缶や弁当の食べ残しなどもあるんです。
そこには
ゴキブリやネズミなど
時にはうじ虫が沸いているんですよ。
雨降りの時は泣きながらやってましたよ。

とくに家屋のリフォームの場合
大工さんがお客さんにこんなことを言うんです。
「家に要らないものがあれば出しておいて
業者に一緒に持って行ってもらうから」って。

僕たちは回収しないわけにはいかないから
何でも持って帰るんですけどね。
社長に相談すると・・・
「分別は時間がかかるからここへ持って行け」って。
不法投棄ですよ。

こりゃあいけないと思って
「普通の運搬の仕事をやらせてください」って言って
工場へ運ぶ普通の運送の仕事に変えてもらいました。

案の定警察の手入れがありましたよ。
産業廃棄物の免許は取り上げられてしまったけどね。

山間部には県知事の免許をもらって営業している
産廃処分場があります。
穴を掘って埋めたり
谷のような所に産廃を捨てて土をかぶせるんです。
その上には緑地公園のようにきれいにしてね。

そんな状況を見て思ったのが
土壌汚染は何年も先に起きるんだろうな~って。

そして
まだまだ使えるものをいっぱい捨てる。
もったいないな~って思う。
利益を上げる経済活動のためには
使い捨ては必要だし
リサイクルは出来ないんです。
コストがかかるから。

本気で
大規模リサイクルセンターが必要だと思ったのも
お金の無い社会にすることが必要だと思ったのも
この時ですね。

産業廃棄物の運搬は一年半やってやめました。
その後数年間は製鉄所やソーダ会社、製薬会社など
大きな工場へ石灰や次亜塩素酸ソーダなどの配送です。

そして・・・
次の仕事は今のパートの仕事です。


     (十一個目の職場)

     「現在の仕事」

今の仕事は十一個目の職場になります。
ハローワークでパートの分野で探しました。
「自動車部品の仕分け作業と出荷・梱包作業」
9時~12時と13時~18時でした。

面接で働く希望を言って・・・
現在では9時~13時までの仕事です。
昼から女房の実家へお手伝いに行くことが出来ます。

仕事の内容は軽トラを運転して
車屋さんや整備工場などへカー用品を届けます。
小さいものは発炎筒やワイパーの替えゴム。
大きなものはマフラーやタイヤ、バンパーなどです。

自分が欲しいものは卸値で売ってくれるので助かります。

物流って無駄が多いよ。
本当はメーカー直送がいいと思う。
それにワイパーの替えゴムとかブレーキの部品。
いろんなメーカーで作っているんです。
品質を下げてコストを下げて競争して販路を広げる。

つくづく思うんだけどね。
部品は規格を統一して作ったほうがいいよ。
品質も統一してね。

ガソリン車は部品が多いです。
電気自動車が主流になると部品メーカーはどうなる?
多くの企業が倒産しますよ。

お金を必要とする経済は
多くの無駄をたくさん作らないと成り立たないんです。

電気自動車が主流になっても
ワイパーとゴムタイヤは無くならないよね。

今の仕事は老いても出来るけど
記憶力も体力も気力もいつまで続くか?
それが問題だ。(笑)

2006年12月から働き始めて
2018年2月現在(70歳)も勤めています。
2019年5月20日(71歳)で引退(退社)しました。

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