ちゃいにーずティー

ちゃいにーずティー

HCAとしてのスタート、そして経験



まずは、自分で病院のプレースメントを探すか、または、業者に斡旋してもらって探すか、という二つの選択だった。

セイは、相変わらずロンドンのイーストエンドで大学生をしていた。
できれば、その辺りの病院でトレーニングを提供してくれる病院を探そう、とボランティアが終った4月終わりから5月末にかけて、片っ端から病院探しをした。

結果は、散々なもので、5,6病院を当たった中で、返事が返ってきたのは1つだけ。しかも、現在は募集していないので、募集時期にまた応募してください、ということだった。
要するに、「バツ」だった。

さて、もう一つの道は、イギリス人の知り合いが斡旋していた、「日本人ヘルスケアアシスタント-6ヶ月コース-」だった。このプログラムは、日本の某病院と現在私の働いているS病院の間で契約が結ばれており、日本人看護師を定期的に派遣して、外国での看護体験を提供する、というプログラムだった。

要するに、このプログラムに乗れば、ヘルスケアアシスタント(以下HCA)として、フルタイムでイギリスの病院で6ヶ月間働かせてもらうことができるのだ。もちろん、HCA同様のお給料も支給されるし、日本人看護師も同期としている。確かに、心強い。
ただ、問題は、その6ヶ月先に看護トレーニングが待っている保証は全くない、ということだった。

まさに、この場合、私次第で未来が決まるのだ。他の日本人看護師の人たちは、英国滞在中も日本での雇用が続いており、海外赴任、という形でこちらに来ている。つまり、私の立場は彼女達とは全く違うのだ。

他に、イギリスの病院とコネのある斡旋業者に頼る、という手もあったが、その場合、莫大にお金がかかってしまう。そのときの自分には、その道を選択するよりは、このHCAの道に賭けてみたい、いうなれば、自分に賭けてみたい、という気持ちが大きかった。

この6ヶ月で、どれだけ自分が成長できるか、の勝負だ。

そういうわけで、私のイギリスでのHCA生活が始まった。




そういういきさつで、晴れてHCAとして働き始めた私。
しかも、その6ヶ月の間、自分の好きな病棟を好きな期間回れる、というのだ。
そこで、私は計画を立てた。

①スパイナル(脊椎損傷病棟)
②熱傷センター
③小児科
④ITU(ICU)
⑤化学療法病棟
⑥そして、形成病棟(プラスティックサージェリー)

①、②は、この病院のメインだったので、ここは踏んでおかないと、という病棟。④は、日本でICUをかねた病棟にいたので、興味本位、③⑤は、予てから興味のあった病棟。そして、⑥はただ単に付け足し程度(その当時は、まさか、自分がそこで腰を下ろすとは思っていなかった)。

そういうわけで、①から⑥をテーマに書いていこうと思う。


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