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講談師見てきたような嘘を言う。

そんな言い回しがある。

講談師” 一龍斎貞水 ”師の怪談は本当に怖い。

現物(失礼)を拝見したことはないが、ラジオで始めて聞いた時には空恐ろしくなって、夜中にトイレに行くのがためらわれた。随分昔の学生時代のことだが、そのおかげで、自分が心に抱いた”恐ろしさ”を自分なりに分析する気になったのだ。

師の怪談を聞いていると、まさしく情景や怨念が目に見えるようで、本当に怖かったのである。おそらく今聞いても怖いと思うだろう。

ところが講談師でもないのに、見てきたようなウソを言いたがる輩がいる。

いや、先ほど書いた精神科の方の人の話じゃないですよ(笑)
話の流れからそう思う人がいるかもしれないが、そいういうふうに考えるというのは、これはもう邪推というものです。



ウソも言い続ければ本当になる、とは誰が言った言葉だったか、とんと覚えていないが、他人を騙す為に言い続けたウソがいつの間にか自分を騙してしまっていた、なってケースは山ほどにある。

ウソは意図して吐くウソと意図せぬウソがある。

後者は勘違いや覚え違いといったものだが、真実と思いこんでしまったウソを他人に伝えたとたん、それはウソとして実体化する。しかしながら、その実体化したウソは、真実として思いこんでしまった当人を既に騙しているから、実体化したウソへと成長する前の胎児のようなものである。

実体化していない”胎児のような”ウソは、どのような人間でも多かれ少なかれ宿している。

”俺はダメだ”という劣等感も、この”胎児のようなウソ”の一種である。
逆に”俺ってスーパースターになれるはず!”というような自我肥大も、同じく”胎児のようなウソ”の一種である。ただ、それらが当人の人生にどのように影響するか(或いは、したか)は、当人が死ぬ間際になってもなかなか解らないのだろうと思う。

貴種願望というものがある。学術的な用語ではなく、自分が勝手にそう名付けているのだが。簡単にいえば”俺って本当はすごい出自なんだぞ”という思い或いは、そうあって欲しいという思いを指している。

物語の世界では貴種流離譚と分類されるものがある。簡単に言えば、行方不明であった王子の物語とでも言えばいいか。自分の出自を知らずに育った主人公が、物語の中で真実の出自を知り…といった感じだ。

”ウチは代々武家で…”なんて言い出すオヤジは、どこかに、貴種願望を持っている。今はサラリーマンなんてやってるが世が世なれば、なんてことを時折思ったり、或いは酒の場で口に出す。罪はないが、繰り返されると”たまには違う話をせぇよ”と…いやいや、これは愚痴だ。

幸か不幸か、自分の場合、貴種願望は中学入学前に終わった。

人類の歴史は1万6千年なんて話を聞いてしまうと、昔は武家だったなどと話す大人(オジサン達)の言葉を聞いても、”ずっと遡っていきゃぁ、スッポンポンで棍棒振り回してたい時代に、みんな遡れるんだよ”なんて思うようになってしまったからだ。人に話す時はもっと簡単に”所詮、祖先は猿”ということもある。科学的でないのは百も承知だ(笑)



以下、私信……
”次に生まれ変わる時は美人女子大生の飼うネコになりたい”A君、最近会ってないけど、元気?
……以上、私信。

更に言えば、オカルト好きな人達が立派な前世を欲しがるのも、貴種願望の一種だろう。或いは心霊の世界で”高級な守護霊が…”などと言い出すのも貴種願望の変形であるような気がする。

更に考察を続けていけば、権威に弱いのも貴種願望の裏返しのような気がする。”本当は立派な出自の…”という考えの中には、間違いなく社会の階層構造を前提とする考えが潜んでいるからだ。当たり前の話だが、縦の序列の中でしか貴種(本当は立派な出自)は存在しえない。



セールスマンの話法がある。よく知られている話法は、目の前の顧客がイエスと言いやすい質問を繰り返していくことだ。イエスと言うことに抵抗感が無くなれば、契約締結にもイエスと言わせやすくなる。

我々の暮らす社会は、嫌も応もなく階層社会である。善し悪しについては言うべき論拠を持たないので、自分は何も言わない。最終的にはメリット・デメリットのバランスの問題であると思うから。

その階層社会の中で、ある分野の権威は別の分野においてもハロー効果を享受できる。それは我々が無知である故である。

メクラがメクラの手を引く、という言い回しがある。
同じく、無知が無知の手を引く、という事態もありうることを肝に銘じておきたい。

かつての奴隷は暴力によって奴隷にされた。

今、我々は己の無知によって、自ら望んで奴隷となってはいないだろうか。

流石に風邪でボーッとしているせいか、内容が二転三転してまとまりが無い。
書きながらまとまりがないと感じるのだから、これはもう、平常時に読み直すと支離滅裂になっていようなとも思うが、まぶたが重く感じられる今だから、後で読みなおすというようなことは考えず、ポチッと”登録する”ボタンを押しちゃうぞ(笑)

ポチッとな(笑)





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最終更新日  2006年01月20日 17時20分52秒
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