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PSE問題報道の舞台裏に思う

個人的には、これからの時代の報道ということを考えた場合、多くの示唆を含んでいると思えるので、多くの人に同記事をお薦めしておきたい。

さて、こうした記事だけではなく、メディアに関する他の諸々(活字メディアによる記事や、メディアに係わった人の感想、その他噂話)を見聞きして思うことは、既存の大手メディア(テレビや新聞等)は、そろそろ旧来の体勢を変えるべき時に来ているのではなかろうか、ということだ。

インターネットの普及率はいずれ8割9割という時代を迎えることになる。

その時、深い分析もできず、ただ後追いの報道をすることしかできないメディアは、人々からかえりみられることもなく姿を消すことにのるのではないか。

社会の木鐸などという言葉が今の時代に生きているかどうかは判らない。聞かなくなって久しい言葉ではるが、ジャーナリストには社会の木鐸であってほしいと思うのは、一般人の我が儘かもしれぬ。

良く言われることだが、テレビやラジオは報道機関ではなく放送機関である。

報道では信憑性が問われるが、放送では信憑性は問われない。
だから怪しい内容であっても平気で人の目に映され、人の耳に送られる。



そこでは内容に関して、クレームが起こりうるかどうか、だけしか吟味されない…ことにもなりかねないし、既にそうなっているところも、決して少なくはないだろうと個人的には想像している。

もちろん、”報道番組”と称する放送番組があることは知っている。時に鋭い分析を見せることもあるが、そうした場合は、その”報道番組”が強者としての立場を主張できる場合だけである。

近年、インターネットの発達(接続者の増加)によって、個人の発言の場は飛躍的に拡大した。その一人一人が各々の現場で生活し、観察している。

メディアの業界に棲む人達は心しておかねばならないと思う。
例えばテレビ撮影の現場で或いは新聞取材の現場で、何が起こり何が起こらなかったのか、全てが観察されていると思っておいた方がいい。

かつて一次ソースに当たる人物が泣き寝入りするケースは山ほどあった。

公人ならば金をかけ手間をかけてメディアに対してクレームをつけることができたが、一個人たる私人には「そんな事は言ってない」と身近な人に愚痴り、泣き寝入りするしかなかった。

だが、インターネットがその状況を変えつつある。個人でさえ、大企業を相手に告発サイトを造り、その非を糾弾する時代である。

メディアは、これからの時代、その存在意義をどのような形で社会に対して示していくのか、今こそ問われているのではないだろうか。

ここ2~3年が、旧メディアの存亡分岐点なのではないかと、自分は思っている。

付け加えておくが、存亡の亡というのは、メディアそのものが無くなるという意味ではない。亡とは”第四の権力”の失墜のことである。





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最終更新日  2006年03月22日 16時29分11秒 コメントを書く


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