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ken_wettonさんKeyword Search
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たまに気が向くと訳すシリーズ(なんじゃそら)。
今回は1971年CBSから唯一アルバムを発売したFIELDSのレコード発売前に行われたインタビューを毎度のヘッポコ意訳でお届けします。日本では現役当時ほとんどインタビュー記事を見なかったアンディも答えております。一番後に加入したアランは全く発言が載ってないですが、まあそれも短い記事ですので仕方ありません。
= 新たな名・・・それは音速の壁を破れる フィールズを解剖してみよう =
この二、三ヶ月というものグラハムフィールドはずいぶんと長い道のりを感じていた。
彼のバンド「レアバード」は分裂していたし、彼は真剣に教師の世界にもう一度戻ろうとさえ考えていた。音楽面では無い事柄が彼を疲れ果てさせていた。彼は言う、
「舞台裏で行われた激論だったんだ。レアバードというバンドが成功した為に起きた内輪揉めだったけど、人とミュージシャンの両方として相互に合意した。」
「フィールズのコンセプトやアイデアはレア・バードが分裂した後、ちょうどボブ・フリップと夕食を共にした際に思いついたんだ。フリップは、新しいバンドを用いたロックのゲームをやってみるべきだよと言ってくれた。その基本的アイディアの維持には音楽にもならないやかましいリードギタリストも要らないだろ。とね。」
フリップはまた、グラハムの鍵盤演奏を補完する完璧なドラマーを思い付いた。そしてアルバム「リザード」でプレイしたアンディ・マカロックを試してみるよう薦めた。
次にマカロックを通じてグラハムはフィールズを飛躍させる為のもう一人の完璧なミュージシャンを見つけられた。
アラン・バリー、ギタリスト。
彼は自身が所有するベースとギターのダブルネックギターを演奏する。それは彼とグラハムの両方が必要に応じて、リードとベースパートを互いに受け渡せる事を意味している。
「私たちはとても幸運だった。彼の他にリードギタリストを見つける必要がなくなったからね。いうなれば彼はフリップタイプのギタリストだが、楽曲で始終ギターを弾きまくる必要もないしね。
アランは非常に良いボーカリストでもあるんだ。彼は発声がいいんだ。他に言いようがないんだけど彼はちょっとマッカトニー風でもありバッハっぽくもある。」とグラハムは語った。
まもなくリリースされるフィールズのアルバムは、良質な楽曲を混ぜ込んだネオクラシカル・ロック。
「私達はグラハム邸の居間でアルバムを書き上げたんだ。」アンディ・マカロックは語った。
「バンドは今より向上する可能性がたくさんある。半年もロードに出ればね。」
「三つのスタイル全てが同時に進行するのさ。」とグラハムが付け加えた。
「良質なロックンロール(アラン)、ゴング(アンディ)、バッハやストラヴィンスキーっぽいのと(グラハム)」(※カッコ内訳注)
「私達は制作が決るかどうか問題を抱えている。私は、次のアルバムは、たぶん全てで2倍の手間を掛けなければならないと思う。アルバムには2、3曲知的で長目の曲を持ってくるだろう。もう一方は、その上に短い曲たちを配することになる。しかしそれらの制作にそう長い間を空けずに私たちが制作に入り共に練り上げる事ができるよう待つ事になるだろう。」
以上です。
残念ながらアルバム発売後のフィールズはこれと言った際立った活動も無いまま消滅しましたが、グラハム自身は後年当時のマネージメント問題を指摘してました。また、フィールズ結成後もレア・バードに残ったメンバーから持ちかけられるレア・バード名義の存続問題等色々悩ましい問題があったようです。結局グラハムはフィールズの後はロックの表舞台から去ってしまったわけですから、彼もまた1970年前後の時期のバンドの多くが悩まされた契約問題に嫌気がさしてしまったのかも知れないですね。インタビュー最後で触れてるセカンドアルバムも結局ドコまで構想出来てたのかも判りません。
またこのインタビューではバンドの成り立ちと、ロバート・フリップがどんな感じで結成に関わったのかが読み取れる点が面白いと個人的に感じました。たぶん一緒に食事をしながら業界のぼやき話でもしてたのでしょうねw
フィールズ各メンバーのその後
グラハム・フィールドはテレビ音楽の仕事や75年にBob PeggのAncient Mapsと言うアルバムで古典楽器を取り入れた作品を手掛け、英国アートセンターの古典楽器のアンサンブルやジャズアンサンブル、劇場の美術担当や詩人や音楽家の代理店等をしてきたそうです。
ジ・アクトレス
で共にシングルを制作した元ザ・リーグ・オブ・ジェントルメンのティノ・リチニオ、そして シャイ・リムズ
で共演したジョン・ディッケンソンと3人で King Harry
と言うバンドを立ち上げ1977年にレコードデビューしました。その後の詳しい活動は判明しておりませんが、2008年にリチニオ氏が亡くなった際のフリップ氏の日記によるとアラン・バリー(日記ではアラン・ボウリー)は、晩年のリチニオ氏と元 DOWLANDS
のマイク・ピゴット(2015年3月30日苗字読みを修正、彼もガス漏れ事故で亡くなっている)と地元でLUCKYというバンドを組んで活動していたそうです。
※2015/11/30追記、ゴードン・ハスケル氏の返信で、King Harry後のバリー氏とは一緒にクリフ・リチャード・バンドで演奏してた事もあったそうです。ただしマネージャーと演奏方針でもめて解雇された為、3日しか居なかったそうですが。
アンディ・マカロックはフィールズ後にダブルキーボードのバンド、グリーンスレイドへ参加したのはご存知の通り。バンドが76年2月に解散するとプログレ系ミュージシャンとのセッション活動をした後、パンクの台頭した70年代末には音楽業界から離れヨットマンに転身した事は当ブログでも過去何回か 取り上げて
きました。
既に全メンバーがロックの第一線から退いてしまったのもあり、再結成の可能性が無い幻のバンドとなってしまいましたが、彼らの遺した比類なき独特な音楽世界は今後も語り継がれていく事と思います。
今回も最後までお読みいただきありがとうございました。
■2015年3月27日追記■
インタビュー記事中でも出ているフィールズのセカンドアルバムがいよいよ発売されることとなりました。
遂に発売!フィールズ幻のセカンドアルバム!!
http://plaza.rakuten.co.jp/chop100/diary/201503240000/
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