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チバ・シティ @ ありがとうございます  いつも有益なな情報を提供していただき…
2007年09月06日
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ナンシー梅木さんが亡くなられました。
 オスカー受賞の「サヨナラ」は
レンタルで鑑賞することができます。
 以下、報道より

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 渡辺謙(47)や菊地凛子(26)など、今でこそアカデミー賞に日本人俳優がノミネートされることは珍しくなくなったが、その道を切り開いたのが梅木さんだった。菊地が「日本人でオスカーに輝いた方がいたなんて知りませんでした」と驚いた梅木さんは1957年公開の映画「サヨナラ」で、米兵と恋に落ちる日本人女性を演じ、アカデミー賞助演女優賞を獲得。東洋人で初のオスカーに輝いた。

 59年にはトニー賞ミュージカル部門の主演女優賞候補に、その後もゴールデン・グローブ賞にノミネートされるなど、50年代後半から60年代にかけて米国で一世を風靡、まさに国際女優の先駆けだった。

 29年、北海道小樽市に生まれた梅木さんは48年に上京。米兵相手にクラブでジャズを歌って人気を集め、映画「青春ジャズ娘」(53年)では江利チエミらと共演した。55年に渡米。映画「サヨナラ」などで売れっ子の仲間入りを果たしたものの、69-72年放送の「エディの素敵なパパ」で引退した。

 68年に米テレビ局幹部と結婚したがまもなく離婚。ドキュメンタリー番組のプロデューサーと再婚し、76年に死別している。以後は再婚相手との間に設けた息子と暮らしつつ、スタジオ向けに編集機器を貸す企業を経営し、表舞台に現れることはなかった。


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最終更新日  2007年09月06日 23時49分47秒
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