コーチ喜楽庵 京都発=本質のNLPとコーチング=

コーチ喜楽庵 京都発=本質のNLPとコーチング=

July 23, 2005
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あるMLで「教育とは」というお題で、意見をシェアしたいとのメールが届いたので、思うところを書きました。

せっかくですので、こちらにも書いときます。


何かを教えるという観点で思うところを述べますと、

 茶道にしろ外国語にしろ、学校での各教科にせよ、
 基本的、基礎的な知識やテクニック(Aとします)はきっちり教える必要があると思います。
 ですので、分かりやすい授業に向けた教える側の不断の努力は
 職業(プロ)として当然求められることだと思います。

 そしてもう一つ、各先生の存在や価値観や生き方、人生観に触れることにより生徒が得る何か。価値観や人生観を押し付けるのではなくて、それらに触れることにより、生徒が主体的に選択・会得する何か。(Bとします)
 これは、教える側の義務というよりも自然・自発的に起こるもののような気がします。




 ですので、教える側に求められることは

 (A)は担当教科の知識やテクニック、授業方法等の研鑽。

 (B)は自分自身の人生に対する真摯な姿勢や、精神的自立、自己の確立に向けた取り組み、
 そして、その中で得た体験や感動の積み重ね。
 つまりは自己一致の状態、統合された状態に近づくこと。
 この部分は、担当の教科や専門分野を通じて達成に近づく人と、別の分野で達成に近づく人があると思います。

 また、生徒と関わるときの在り方として、「自分のため」「自分の能力を示すため」ではなく
 「生徒のため」「生徒とともに学ぶ」との意図・姿勢が必要と思います。
 ここの、部分はコーチの在り方と近いような気がします。

           教   育
そして、「教育」は(A)と(B)のバランス。




(B)は基準のようなものがつくり難く、理想的には職場の伝統のような、先輩先生が後輩先生をコーチするような仕組みや雰囲気が出来上がっていれば、良いのでしょう。
また、(B)の部分を学校教育に過度に期待もするのもどうかと思います。
一番身近な親・家族が最も大きな影響力を持っていると思います。また(B)の部分を重視したのが、いわゆる習い事(茶道や武道、スポーツ等)なのかなと。(現状は必ずしもそうでない場合もあるでしょうが)

別の見方をすると(A)が左脳的・意識的な部分、(B)が右脳的・潜在意識的な部分。

やはり、バランスが大切ですね。




  「教育」
>> 漢字で見ると
>> 教え、育むだね。
>>
>> でも、何を教え、何を育むんでしょう?


 上記に基いて言うと

 担当教科、専門分野の知識やスキル、テクニックを「教え」
 教える側、教えられる側が「とも」に自分で自己を「育む」


教育現場のことを何も知らない者の戯言でした。
失礼あればお許しください。








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Last updated  July 23, 2005 08:20:41 PM


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