つれづれなるままに いずもまりの独り言

つれづれなるままに いずもまりの独り言

2010.04.10
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久々の更新で・・・

なんじゃいこのタメイキ・・・・

さーせんって今時の若者は言うかなぁ

7日お仕事が有り 朝からPCでも仕事のことだけやってまして
クライアントさんのところへ 出向く車の中で
ラジオを聞いていたら




 でも入ってみるとちょっと違っていた。新人のみなさんはキャンプを1か月やって、「これならやれるな」と思った人と、「すごい、ついていけないかも」と思った人がいるでしょう。僕はキャンプ初日にシートノックでボール回しをやった時に、「とんでもない所に来た」と思いました。プロのスピードについていけない。ドラフト外というのもなるほどな、これはすぐにやめて田舎に帰らないと、と思いました。

 当時、開幕前に60人という支配下登録の枠がありました。僕は登録されなかった。新聞に任意引退選手と出て、故郷から「2か月でやめるのか」と電話がありました。今の育成選手は、二軍の試合に出られるし、シリウスやフューチャーズがある。僕の時には支配下からもれたら、試合に出られず、ひたすら練習。「何しにプロ野球に入ったんだろう」。今の育成は、野球をやるチャンスがある。どんどんアピールして頑張ってほしい。

 2年目に、一軍にけが人が多く出ました。二軍の野手が一軍に呼ばれて、二軍監督から外野を守るよう言われました。試合に使ってもらえるならと外野手をやり、まず第一歩を踏み出しました。そしてファームで1番を打っていた選手が米国に野球留学し、他はけが人も多く「1番がいないから、お前が打て」とコーチに言われ、何て運に恵まれているんだろうと思いました。そして9月、一軍にけが人が多く、初めて一軍に上がりました。結局、2年目は3本ヒットを打ちました。

 3年目は開幕一軍でしたが、ほとんどが守備要員でした。1か月ほどで二軍に落ちて、それ以降は一軍に上がらずでした。3年目のオフに転機がありました。9月末から12月末の4か月間、ハワイのウインターリーグに参加し、イチロー選手といっしょでした。1歳下のイチロー選手に衝撃を受けました。4か月間同じ部屋で、朝起きたらいない。朝からウエートトレーニングをしていたのです。このウインターリーグでイチロー選手は首位打者を獲りました。自分はこんなんじゃだめだなと思い、イチロー選手が僕の野球人生を変えてくれた一人になり、感謝しています。

 4年目は、1年間一軍にいましたが、守備要員でした。しかしやっと「野球選手になれたな」と思っていたのですが、広島にトレードになった。正直「何でおれが」と思いました。広島は当時、野村、江藤、前田、音、緒方、金本の名選手ぞろい……僕に入り込むすきはなかった。移籍1年目は数試合に出て7打数で安打なし。「これはクビになるな」と思い、「どうやったらここで生きていけるか」と考えました。一軍のレギュラーの中では、セカンドが確か34、35歳のベテランだったので、セカンドをやるしかないと練習するようになりました。

 移籍2年目は、一軍を行ったり来たり。それまでは右打席でのみ打っていましたが、左投手の時には代打で出られるけれど、右投手だと代えられる。どうしたら代えられないようにできるか。左打席で右投手が打てるようになればと、スイッチヒッターに取り組みました。自分が生きていくためには必要だと。

 スイッチヒッターになって、1つ気づいたことがあります。例えば右打者の時、右投手の外の真っ直ぐと左投手の外の真っ直ぐは同じではなく、角度が違う。スイッチヒッターは、練習は人の倍やらないといけないが、右打席の右投手のような、自分の体に近いところから来る球がなくなりました。球種が半分になったようなものです。打つのが一番難しいのですが、体に近いところから遠いところに逃げていく球がなくなった。それに気づいてからは打てるようになりました。プロに入って9年かかって、10年目に136試合フル出場しました。野球選手の平均寿命が8、9年で、自分がそこまで生き残れました。

 今、みんなは希望にあふれて「レギュラーを獲って生き残ってやる」と思っているだろうが、必ず壁にぶつかる。そんな時、少し言葉で考えると、僕みたいに生き残れる。ざ折してあきらめるのか、そうでないのか、自分で考えないといけない。

 そして34歳の時、トレードでジャイアンツに来ました。広島が若手選手への切り替えを図っていて、僕は出場機会が減りそうだったのですが、子供はまだ小さく、家のローンも残っている。「トレードに出してください」と球団にお願いしたのですが、決まったのが(戦力が充実している)ジャイアンツ。「出番を求めているのに、何でジャイアンツなんだろう」と思いましたが、入団してみると、けが人が続出してチャンスがもらえた。

 最後にジャイアンツに入って、3連覇や日本一を経験し、勝つ喜びを知った。今までは自分の事だけを考えていました。プロ野球選手になると自分が成功するために、どうしても自分の事ばかり考えてしまう。しかし勝つ喜びはものすごくて、言葉では言い表せない。みなさんも、自分が活躍して優勝するんだという気持ちを持ってほしい。

 自分は「こういう選手になろう」と思ってここまで来た選手じゃない。こうやるしか思いつかなかった。それが「ユーティリティープレーヤー」、「何でも屋」で、それでもこの世界で食っていける。「レギュラーになる、エースになる」だけではない。巨人の藤田宗一投手は、中継ぎ登板だけで自分と同じ歳までやっている。それで飯が食える、それがプロ野球。「俺が一番うまい」と思って入団して、一番得意だった事がうまくいかない。それもプロ野球。その時にあきらめるのではなく、自分の話を思い出してほしい。投げ出す前に、自分自身を知って可能性を探るのも必要ではないか。


誰の話かも判らず聞いてました
でも途中から ( ̄◇ ̄;)エッ これってキムタク??
読み上げていた女性アナウンサーは最後は涙声






37歳の若さで・・・とパーソナリティが言った時
頭の中は うそぉぉぉぉ 







その事実を知ったとき 涙は出なかった
ただ 胸の中がからっぽで

なんで 若すぎるやん
お子も小さいのに
彼の生き方は まさしく今彼が在籍する球団監督の考えと同じで
すごく教えることを実践した人だと
とても期待してたのに・・・





その後ネットで
現役止めたくない…って思ってたとかの書き込みも見るけど


後身の選手を育てるために
野球が大好きな 拓さんに コーチをお願いしたのか…
わかりませんが


ただ 動画サイトなどで見る 彼の引退時のコメントの最後に
パパはがんばったよ







いつも一生懸命その時を生きた人だから
いつそうなっても もし彼が今回のことがなくても
その時には 人にメッセージを残す生き方をしていたのかな
そんな風にも 思ったり




あっちこっちでみかける

神様なんていないと思った
どうして彼を連れ去ったのですか??





ワタシも同じ様に思います





でも 彼が今いなくなったから
より強烈に 心に突き刺していった物
それを ワタシは受け止めたいなと


あなたと同じ時代を生きてたことに感謝します

ありがとう 木村拓也さん



葬儀も終わり あなたの肉体がまだある間は
馬鹿みたいだけど まだ奇跡はあるかもねなんてね
現実はね あるわけないのよ・・・ドライアイスで囲まれて…etc


でも 本当にもう生身のあなたが居なくなったんだと





もうあなたの笑顔も見れないことが
とても寂しい・・・
でもたかがファンです
ご家族の悲しさに比べたらね…





でもやっぱり とても悲しい

まっとうに努力することの尊さを教えてくれた
あなたにありがとう
笑顔のあったかさ 見せてくれたあなたにありがとう






ありきたりな言葉ですが
どうぞ あなたが心配とか心残りとか
そんな思いだけでなく
そう思う存在を見守れる そんな心になられますよう(^-人-^)








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最終更新日  2010.04.10 21:52:48
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