コナンのタワゴト

コナンのタワゴト

両親

両親


妻は夫を慕いつつぅ~、夫は妻を労りつぅ~・・・・みたいな、

浪花節だよ人生は、じゃないけど、っもう、典型的なおしどり夫婦。

今でも、というか、ますます、めっちゃ仲良し!

この世の春!ってカンジの二人です。




二人



▼ 父 ▼


父はタテのモノをヨコにもしない、典型的な日本の父親。
男子厨房に入らず、じゃないけど、ご飯を作れないのはもちろん、お茶さえ入れられるかどうか。
冷蔵庫なんて年に何回開けるか、ってほど(そういやぁ、開けたところ見たことないゎ)

札付きの不良じいさんだった父親(コレが大きいおじいちゃん)と、
それに耐えて耐えて耐え抜いた母親(コレが大きいおばあちゃん)との間に
長男として産まれ、大きな期待を背負って、まさに長男をやってのけている人。

今は、リタイヤしたものの、長年の仕事の延長線上にある問題に向かって、
完全ボランティアで、取り組んでいる。
たぶん生涯の仕事と思っているのだと思う。
そのために、今でも日中のほとんどを机に向かっている毎日。

そんな父をとても立派だと思っている。
尊敬する人=父、なんだなぁ~・・・未だに。



▼ 母 ▼


父が右を向けと言えば、一生右を向いているかもしれない、これもまた、典型的な日本の母親。
20才で、長男の嫁となり、舅、姑、小姑3人付きの家庭に入り、現在に至る。

結婚した翌日から姑は家事からいっさい手を引き、趣味の世界へ・・・。
(この姑の出た態度はひどい!と思った時期もあったけれど、
もっと深いところでの姑の優しさだったのだと思うようになったゎ、つい最近ね)
母は以後今日まで(50年以上)嫁となり、義姉となり、もちろん妻となり母となって、
今も家事を一手に引き受けて、家中を走り回っている。

先日実家に帰った時に
「テーブルと椅子だけって、何だかのんびりできないよねぇ、食後にゴロンとかできないジャン」と言うと、
母は「私は二十歳の時から一度だって食事の後にゴロンなんてしたことないノヨ」と。
考えてみれば確かに確かに、母がゴロンなんて見たことがない。

実際実家に帰っても、目が覚めれば洗濯物は風にそよそよ、ご飯もみそ汁も出来上がっているし。
(って、これは母の問題ではなく私の問題か!?)

母は末っ子の私が小学校高学年になった頃に、突然「料理学校」へ通いはじめ、
あっという間に調理師だか栄養士だかの免許を取り、家を改装、
そして我が家は突然“料理教室”とやらに変身したのです。
それからというもの夕方になると近所の病院の看護婦さんグループやどこかの会社の女子社員グループ等、
と毎日、大盛況で母は料理教室の先生となって生き生きと過ごしていたのでした。

食が細く食べることが好きとは思えなかった母が、またなんで料理教室を?
と子供心に不思議に思ったものでしたけれど、
今となってみれば、母はたぶん、嫁や義姉や妻や母や、だけではなく、何かをやりたい!と思い続けていて、
ようするに何でも良かったのではないか、ただ外に出るわけにはいかず家でできることで時間調整も自分でできる仕事、
ということの結果が料理教室だったのかもしれない。

だとしたら、凄い決断力と行動力! 戦中派の人はたくましいです。

夕方の数時間を自分の時間として働く、働かなくても自然に消えていってしまうであろう夕方から夜の時間、
テレビを見て食後のゴロンもないわけですから、母としては実は働く方が開放されて楽しかったのかもしれない。
家続きで、私ら子供に何かあったとしても、すぐに対応ができるし、かなり理想的な仕事だったのかもしれない。

月謝をどれくらいもらっていたのか知らないけれど、延べ人数は結構来ていたようだったし、
週5日くらいはやっていたみたいなので、主婦が夕方の3時間ほどを使うにしては、かなりいい収入にもなったのカモ?
(・・・ゲスノカングリ・・・だゎ、ゴメン)

ともあれ、労を惜しまない、のひと言に尽きるような働き者、
しかも回りを明るくする術を持ちあわせているので友だちも多く、
誰にでも慕われ、誰にでも優しく、そして誰にでも口うるさい? 
という母親の鏡のような母。




ありがと
感謝!!


二人には長生きしてもらわないと、親孝行する機会がなかなかやってきません、ので。




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