松毬の丘で。

最初の妊娠のこと。



とは、いっても、素直にこの言葉を、かんたんに受け入れることは出来ない。

そして、自分の中でも、まだ、整理できていない。

一生、このままもやもやが続くかもしれない。

人によっては、「もう、子供がいるんだから、いいじゃないの。」と言うかもしれない。
軽減は、しているとは、思う。目の前の子供と対峙しているだけで、ほんとはいっぱいいっぱいであるから、普段から、その事について、考える暇はない。そして、その事を思い出させられる事にぶつかる度に、うろたえている自分に気づかされるのだ。

医師に投げかけられた、心ない言葉。

あれが、やはり大きかった気がする。

あの医師は、別な分娩時のトラブルで、既に産科を行っていないので、あの医師に同じ事を言われる人がいないと思うだけ、マシだけれど、言われた言葉は、今でも、突き刺さったままだ。

婦人科の健康診断では、「妊娠回数」を書かなくてはいけない。
私は、「3回」と書く。でも、なんで書かなくちゃいけないのかな?
忘れない、でも、生まれるのを待てずに、逝ってしまった子…

「自然淘汰」と言う言葉で、医療関係の方は、避けて通って、患者(「異常妊娠」ということで、流産は保険診療になります。)のケアは、ほとんど無かったように思います。
でも、私のように、まだ、痛い棘として、その事を持っている人も、また多いと思います。
「よくあることなのよ。」
そんな言葉で、ごまかされるようなことでは、ないのです。
「何故?」という疑問に、全て答えられるわけではないことは、色々勉強して、わかりましたけど、もっと、心のケアをしてもらえたら…
そう、切に願います。

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