全1270件 (1270件中 1-50件目)
【送料無料】ハイブリッド水素水サーバー 20000ppm 高濃度水素水を自宅で作る!<BR>水素水サプリメントの代わりにも!
2013.11.10
コメント(0)
久しぶりのブログです。 このところ、周りや私の環境が大きく変化しています。 ただ、はっきりしていることは、『毎日を楽しく過ごしている』と言うことです。そして、思ったことは『すぐやる』ようにしています。 何の根拠もないのですが、楽しいことをすぐやる、と言うクセを自分につけていくと、いろんな可能性が広がり、大抵のことは上手くいくようです。 勿論、考えなければいけない場面もありますが、その時は流れに任せることと、周りの人のお話をよく聴いてから判断するようにしています。 また、時間のある時にブログ更新をしていこうと思います。
2011.10.02
コメント(4)
人と人が普段の関わりの中では見えないことが瞬間にその人との関係の深さがわかるときがあります。 その「分かれ道」は、いざ、その人がピンチになった時に相手がどんな行動をとるかではないかと思います。 身を捨てて、相手を守ろうとする人、知らない間にいなくなる人、言葉だけで行動が伴わない人、いろんな人がいます。 どの選択も私たちは出来ますし、どれも正しく、間違いはありません。人はまずは自分が大事ですし、余裕がないとなかなか、人のことまでは考えられないものだと思います。 しかし、世の中には自分のすべてを投げうってでも相手を守ろうとする人もいます。そこには、損得とか利害は存在しません。 この震災を見ても、そんな方々がたくさんみえると思います。 結局、いざと言う時にしか、その人との関係の深さ、信頼の度合いはわからないのかも知れません。 何があっても信じ続けるられる関係の根本は、自分が信じられるかどうかだと思います。 自分が信じられない人は、なかなか、他人は信じにくいものです。ダメだと思った一歩先に拡がる世界は無限の可能性があるのではないでしょうか。
2011.05.05
コメント(3)
私たちは「宇宙」の一部だと思います。そして、全てです。唐突にそんなことを書きましたが、そのことが「感覚的」にわかっている人は心が穏やかで、今、幸せを感じている人だと思います。 それは根拠だとか、理屈ではなく、私たちひとりひとりの本質が持っている「感覚」です。 ですが、その感覚の上に世の中で言うところの常識や知識、観念と言ったものが覆い被さると、その感覚はベールに包まれ、感じ取れなくなります。 以外とそのことに気づき、何の疑いもなく、そうだと素直に受けいられる人は少ないような気がします。 何故なら、「今の自分を受け入れる」ことが出来ている人があまり多くないからです。本来、私たちは宇宙の「一部であり、全て」ですから、存在そのものが完璧です。 ですが、何かが足らない、私はダメな人間だ、言われている意味はわかるけど、なかなか難しいなどと、私たちが経験の中で培ってきた「常識や観念」が自分を否定し、ブロックします。 この感覚を得られるかどうかのキーワードは「素直」さです。いろんな経験をし、人は素直に、そしてシンプルな思考回路になっていきます。 そして、「今」と言う、この永遠で一瞬の中に全ての答えがある気がします。私たちが宇宙の一部であり、全てであると言う「感覚」を感じられた時に「一体感」と言う、至福の時が私たちを包んでくれると思います。
2010.12.18
コメント(0)
日本ではじめての「坑道」を利用してラドン浴が出来る施設が姫路市富栖に出来ました。 海外では、オーストリアのザルツブルク地方にあるバドガシュタインにラドンガスが充満した坑道があり、ヨーロッパはおろか、世界中から多くの方がやってくる坑道が有名です。 また、オーストリアでは健康保険も適用される、非常にポピュラーなものですが、日本ではまだまだ、認知されていないのが「坑道ラドン浴」です。 実際に体験してみて実感は一度ではわかりませんが、説明をして下さった理学博士のお話はとても興味深く、面白いものでした。 すべての病気に言えることですが、免疫を高め、自らの力、自然治癒力によって病気を治していくのが正道だと思いますし、一番は病気にならない予防こそが最大のポイントだと思います。 そのことからもこの「坑道ラドン浴」のような、免疫力を高める可能性がある施設はとても大切なものだと思います。 この施設の周りは自然の木々や少し歩くと小川などがあり、とても空気が美味しい場所でもあります。 人は何故、病気になるのか、そんなことを考えるより、病気であることを忘れる時間がここにはある気がします。そして何より大切なことは病気であることを忘れられる豊かな人間関係、深いところで確かにつながっている関係があることではないかと思います。
2010.09.12
コメント(3)
毎月、第三土曜日は兵庫県の赤穂市に来ています。昨日は生憎の曇り空でしたが、赤穂岬から見える景色は絶景です。 その景色を見ながら、人と人の関係について、いろいろ感じる一日でした。 私たちは知らない間に自己否定だったり、自分の価値を認められず、「自分はダメな人間だ」と考える人が多いようです。 ただまだ、こう思っている間はいいのですが、人は都合の悪い現実が目の前に起こると、ついつい、他人のせいにしがちです。 自分は悪くない、悪いのはあの人、と言った感じです。 ですが、このサイクルを繰り返す限り、その人の心に「幸せ」の灯が燈ることはないと思います。何故なら、幸せも、不幸せも、すべてはその人の「心」が決めているからです。 幸せの第一歩はまず、自分が自分にオッケーサインを出すこと、「I LOVE ME」のサインを出すことではないでしょうか。 他人と過去は変えることが出来ません。ですが、自分と未来は今の自分、どんな自分であれ、そのままを受け入れることで未来は変えることが出来ます。 自分を変えると考えることは、今の自分ではダメだと言うことです。このサイクルに入ると永遠に自分を抱きしめ、愛することは出来ません。 まず、今の自分に「I LOVE ME」と声をかけてあげる、よく頑張ってるね、あなたはあなたで、そのままでいいよ、と心を抱きしめてあげては如何でしょうか。
2010.06.20
コメント(4)
寒くなったり、暖かくなったりの毎日が続いています。ですが、「春」は確実に私たちの周りにあります。 ただ、どんな現象が目の前にあっても、その見え方は私たちの「心の状態」、「物事の受け取り方」によって変わるものです。 ですから、毎日が幸せに過ごせるのも、不満に包まれるのも、私たちの「心」がどう感じているか、その一点ではないでしょうか。 いい、悪いを区別せず、自分の心に素直になって表現をしていく。それが出来るのは赤ちゃんのような曇りのない「心」になった時かも知れません。私たちは様々な経験をしながら、「赤ちゃんの心」、誰しもに愛される元の姿に還る為に今、必要な体験をしているのかも知れません。
2010.05.16
コメント(2)
今日、ある場所で「クリスタルボール」の演奏を初めて聴きました。私たちの7つある、チャクラと呼ばれるエネルギーを出し入れする場所ひとつひとつに呼応するクリスタルで出来たボールがあり、それを奏でることで癒しの空間を創ってくれます。 演奏がはじまると、その「クリスタルボール」から発っせられる響き、振動がエネルギーとなって身体に入ってくるのがわかります。 その響きは言葉に表しようのない、なんとも言えない響きです。ひとつひとつのチャクラがクリスタルボールの響きと共鳴し、静かな、優しい時間と空間を創り出してくれます。 あくまでも持論ですが、私たちを構成する細胞は、原子で出来ていますが、その原子の周りでは電子が霧のように飛び回り、微細な振動、響きを持っていると言われています。 病気になった人やストレスの多い人などはこの振動に乱れが生じ、バランスを崩している結果だとも考えられます。「クリスタルボール」はその響きによって、元の振動数、響きに戻してくれるのではないかと思います。 この世の中には科学では分析出来ない、立証出来ないことはたくさんあります。だからと言って、事実として起こる現実がない訳ではありません。 ある意味で、あの人といると、ホッとする、癒される、安心するなどと感じられる存在はその人にとっては「クリスタルボール」なのかも知れません。
2010.04.10
コメント(4)
私たちの体の周りには、「オーラ」と言う目には見えませんが、エネルギーが存在しているようです。 また、「オーラ」はチャクラと呼ばれる、これも私たちがエネルギーを体に取り入れたり、出したりする場所と密接に関係しているようです。 今日、その「オーラ」を目に見える形、写真として捉えることが出来る機械のレクチャーを受けました。 私は全体的に紫色でしたが、人によって、色や大きさは様々であり、測る時によって変化するらしいです。 また、それぞれの色や大きさなどにも意味があり、深く学んでいくと楽しい世界のようです。 人と人の相性や、体の状態、精神の状態などもわかり、ひとつの指標にはなるのではないかと思います。 とかく、目に見えない世界は否定されがちですが、そんな世界があるのかな、と言う気持ちで見るのもいいかも知れません。
2010.03.19
コメント(6)
だんだん、『春』の足音があちこちで感じられるようになってきました。そして『春』はいろんなものが動き出す時期でもあります。 動くと言うことは、そこに『何か』が生じ、『変化』を生み出します。 物事が上手くいかない時や、気持ちがのらない時ほど、『春』の陽気に誘われて、動いてみることも大切なことだと思います。何もしないと言うことは、現状維持ではなく、衰退していくことだと思います。
2010.03.16
コメント(0)
最近、あちらこちらに出かけることが多くなりました。きっかけは自分の意識の変化にありますが、びっくりするくらい、いろんなことが同時に、そしてベストのタイミングで起こっています。 自分がしたいこと、欲しいもの、得たい情報などが磁石に引き寄せられるように集まってくる様子は有り難いことであると同時に感謝です。 ですが、そのことに慢心することなく、むしろ油断せず、謙虚でありたいと思います。 人の意識は磁石みたいなものだと思います。まずは、自分がどれだけ強い思いで願うか、またそれに対する行動をどれだけのスピードで行うかが大切だと思います。 来月は東京や広島、岡山、山口などに行く予定になっていますが、この意識と行動のバランスをとって行きたいと思います。
2010.02.28
コメント(2)
私たちの体には「免疫」と呼ばれる、体を守るためのシステムがあります。そして、何から体を守るのかと言えば、体の外部から侵入する有害物質や病原体、或は体の中で生まれるがん細胞などからです。 まず、体の表面を覆っている皮膚や粘膜が「免疫」のシステムの重要なひとつとして機能しています。例えば健康な皮膚や粘膜は病原体の侵入を防ぎますし、有害物質もすぐには皮膚を通って体内に入ってくることもありません。皮膚や粘膜は体を覆うバリアーとして「免疫」システムの一翼を担ってくれています。 そして、バリアーの内側では白血球が体を守る防衛部隊として、「血液」に乗って全身を流れながらパトロールしています。白血球には、ケガや病気になった時にまず、マクロファージと顆粒球が働きます。これらは食細胞とも呼ばれ、体にとって敵だと判断した相手はどんどん食べていきます。 また、リンパ球のひとつであるNK細胞は 、ウィルスやがん細胞を殺す働きがあります。このように、攻撃対象とする敵を特定せず、体にとっての異物をすべてを相手にする免疫を「非特異的免疫」と言います。 更に私たちの体には高度な「免疫」システムが備わっています。マクロファージや樹状細胞などの抗原提示細胞は、細菌、ウィルス、がん細胞などの敵を見つけると、それを食べて分解し、その敵が持っていた抗原を目印のように細胞の表面に提示します。 「免疫軍」の司令塔であるヘルパーT細胞は、この提示された抗原を認識すると、B細胞やキラーT細胞、マクロファージを活性化する命令を出し、敵である抗原に立ち向かわせます。 このように、ヘルパーT細胞の指令で行われる闘いでは、ある特定な抗原が攻撃目標になります。このように、狙う相手がはっきりしている免疫を「特異的免疫」と言います。特異的免疫は非特異的免疫に比べ反応が早く、効力も大きいと言う特徴があります。 私たちが病気になるのは、「免疫」の働きが低下した時です。睡眠不足や仕事が忙しく、ストレスが大きい時、体を必要以上に冷やしたりして、血流を悪くした時などは「免疫」の力が弱ってしまいます。 ですから、普段から規則正しい生活、十分な睡眠時間、バランスのよい食事、ストレスの発散、適度な運動などにより、「免疫」の本体が本来の働きが出来る環境である、「血流」をよくしていくことが重要です。
2010.01.28
コメント(0)
今年はじめての神社へのお参りは、八坂神社でした。いつもそうですが、お参りするときにお祈りすることは決めた事をお祈りしています。 以前、ある人から、神社へお参りする時は何か自分のことをお願いするのではないと教えて頂きました。それ以来、ずっと同じことをお祈りしています。 その内容は一言で言えば「感謝」の気持ちをお祈りするだけです。どれだけお金や物や地位、名誉があっても私たちの心の中が満たされてなければ「幸せ」は感じられないのではと思います。 感謝の気持ちを忘れず、日々を過ごしていきたいと思います。
2010.01.11
コメント(0)
あけましておめでとうございます。〓 新しい年がはじまりました。今年は昨年以上に「変化」に富んだ年になる予感がします。 その中でもとらわれることなく、常に平常心で望む年でありたいと思います。 本年もよろしくお願いします。
2010.01.01
コメント(4)
今年もあと数時間で終わってしまいます。いろんなことがあった一年ですが、一言で言えば、「変化」の年であったと思います。 そして、その「変化」する環境の中でブレない自分、「変化」しない自分も感じました。 それは様々な経験を乗り越えてこそ自分の中で少しずつ、培われたものだと思いますし、そう考えれば、決して無駄な経験はないと思います。 大晦日を迎えて、そう思える自分に感謝したいと思います。最近はあまり更新は出来ませんが、この場面を通してblogを読んで下さっている皆様にお礼を申し上げます。 あと少しで2010年になりますが、よい年をお迎えください。そして、改めて「意識」のあり方が現実を創るのだと言う事を自らにいい聴かせ、来年も起こるであろう「変化」を受け入れ、楽しんでいきたいと思います。
2009.12.31
コメント(0)
今年もあと数日を残すだけになりました。月日の経つものは早いものです。 今年一年を振り返り、感じてみると、いいことばかりの一年であったような気がします。 よく言われることですが、問題は事実の中にあるのではなく、「物事の受け取り方」の中にあると言うことが実感出来ると、すべては「感謝」であるのではないかと思います。 私たちが体験する様々な出来事の中には決していい事ばかりではありませんが、長い人生の中ではその体験も「意味」があったことに気づくことがあります。 人の心は弱く、不安定なものです。どんな人も不安や失意の中に沈むこともあると思います。そんな時は何もかもが見えなくなったり、わずかな希望さえ見出だせないこともあります。 ですが、心を明るく持って、行動するによって道は開かれるのだと思います。一年を通じて学ぶべきことが多かったと感じると同時に、目の前に現れてくる現実を直視し、味わって行きたいと思います。
2009.12.29
コメント(2)
今日は心理カウンセラースクールの卒業パーティーでした。健康を考える上で「心」に触れる機会がある、カウンセリングはとても重要な位置を占めていると思います。 肉体は様々な検査機器、手術などの外科的なアプローチで治療が出来、その結果が確認出来ますが、その私たちの肉体を動かしている「心」を測る機械や手術はありません。 心理学と言うと、何か自分のことを探られているのではないか、見破られるようで嫌だと言ったようなことを聞きますが、心理学の一番の基本は「聴く」ことです。 どれだけ、相手の「心」にある気持ちを感じとれるか、耳を傾けられるかと言うことです。ですから、何かを相手に気づかせたり、教えることではないのです。 あえて言うならば、「聴く」ことで相手の考えを整理してあげて、自らが、自らの力によって問題を解決していくサポートをするだけです。 そして、その前に大切なことは、自らが自らを知ること。その為には様々な経験、体験が大切になってきます。特に、一見、自分にとってはマイナスに思える経験、体験ほど、自分の血肉になることが多いようです。 ですから、カウンセリングとは、人を通して、自らを鍛え、知る為のものではないかと思います。
2009.12.23
コメント(2)
私たちの体の周りには「オーラ」と呼ばれる、微弱な電磁エネルギーがあると考えられています。5000年以上も続いているヒンズー教では「オーラ」のことを、プラナと呼んだり、中国では、気と呼んだりしています。 また、宗教絵画に見られる、キリストの頭の周りに集まるエネルギーなども「オーラ」の一種であると考えられます。 これらの目に見えない、ですが感じることが出来るエネルギーの世界が「オーラ」の世界です。 私たちの肉体を構成する原子は微弱な電磁エネルギーを発しています。そして、この電磁エネルギーが人それぞれ違い、固有の周波数を持っていると考えられます。 科学的には未解明な分野ですが、この微弱な電磁エネルギーを目に見える形にしたもののひとつに「オーラビジョン」と言う測定器があります。見えない世界のものを見える形にするものとしては面白いものだと思います。
2009.12.14
コメント(2)
何年か振りに宮島を訪れました。季節がちょうど、紅葉の時期と言うこともあり、大勢の人でした。 ここ、宮島の厳島神社は特別なエネルギーを感じる、とても厳粛な場所だと思います。 今回ははじめてロープウェイに乗り、弥山にも足を伸ばしました。いろいろと感じることがあった宮島でした。
2009.11.29
コメント(2)
私たちの人生は人間関係が上手くいくか、いかないかで大きく違ったものになります。どんな人なでもこの事実は遅かれ早かれ、一度は考えることになることだと思います。 では、どうすれば人間関係が上手くいくのでしょうか。私たちはこの根本的な問題に対する答えを案外、持っている人は少ない気がします。そんな時、私たちは人に助言を求めたり、占いに頼ったり、或は神仏にお願いをしたり、様々なところへ答えを探し歩くことが多いようです。 ただ、私たちの周りに問題と感じることが生じた場合、ほとんどの場合はその原因を相手に求めることが多いようです。悪いのは「相手」であって、自分ではないと感じてしまいます。 すなわち、「矢印」を外に向けてしまうのです。その方が自分も楽ですし、自分の外側にいる相手のことはよく見えますし、簡単にジャッジ出来きます。 ですが、この「矢印」を相手に向けている間は永遠に人間関係が改善することはないのではないでしょうか。まずは、自分に「矢印」を向け、相手が何故、そのような言動、行動に出ているのかを感じ、それからでもジャッジはするのは遅くないのではないかと思います。 非常に難しいことですが、私たちと相手と言う二元論で対峙する限り、正しい、正しくないのお互いが自分の意見の正当化に終始しやすいものです。相手を「理解」しようと言う努力がない限り、人間関係は上手くいかないのではないでしょうか。 ですから、どんな時も「矢印」を自分に向けて足元をよく見ていくことが大切だと思います。人生の中には「負けるが勝ち」と言う場面がたくさんあるような気がします。「矢印」を自分に向けて行く生き方を実践すると、すべてはひとつであることに気づきます。
2009.11.17
コメント(2)
秋の深まる室生寺です。冷たい凛とした空気の中、鮮やかな赤や黄色の自然の景色が気持ちをホッと、緩めてくれます。 何事もそうですが、メリハリが大切で、引き締める時、緩める時を上手くコントロールすることが健康維持にも大切だと思います。
2009.11.15
コメント(2)
紅葉の季節になってきました。自然は「ただ、あるだけ」で私たちの心を和ませ、癒してくれることが多いように感じます。 毎日の喧騒の中で生活をしていると案外、周りの景色や人の気持ちなどを感じることが少なくなり、ふとした時にその事実に気づかされることがあります。 時には自然の中に身をおいて、自分をゆっくり眺め、感じることも大切だと思います。
2009.11.09
コメント(4)
私たちの体に必要な栄養素にミネラルと呼ばれる栄養素があり、そのひとつに「マグネシウム」と言うミネラルがあります。 ミネラルとは人間に必要は栄養素のうちのひとつで、その中でも、必須ミネラルと非必須ミネラルに分けられています。必須ミネラルは「欠乏すると症状が現れ、補充すると治癒」するミネラルで、現在29種類あります。 必須ミネラルはさらに「主要ミネラル」と「微量ミネラル」に分かれており、一日の摂取量が100ミリグラム以上必要なものを主要ミネラルと言います。そして、100ミリグラム未満のものを微量ミネラルと呼んでいます。 主要ミネラルは全部で7種類ありますが、そのうちのひとつが「マグネシウム」です。そして、主要ミネラルの中でも今、最も注目を浴びているミネラルのひとつが「マグネシウム」です。 何故なら、「マグネシウム」は今、メタボリック症候群との関係が指摘され、「マグネシウム」が不足するだけで高血圧や糖尿病、高脂血症、肥満になりやすいと言われているからです。 「マグネシウム」の一日の食事摂取基準による推奨量は量は、年代別により異なりますが、働き盛りの人であれば270~370ミリグラム、必要だとされています。 ですが、2003年の「国民健康・栄養調査」によると、日本人成人男性(30~49歳)の推定摂取量は258~270ミリグラムと、一日に100ミリグラム程度の「マグネシウム」の不足がわかっています。 ただ、中には「マグネシウム」を摂りすぎると腎臓に負担がかかるのではと思われがちですが、腎機能が正常であれば余剰の「マグネシウム」は速やかに尿に排泄されるので、食べ物から摂る分であれば心配はないことがわかっています。 それよりは、制酸剤や下剤としてよく使われる酸化マグネシウムなどの薬物を多量に、かつ長期に服用する人の方が注意が必要です。ただ、腎不全の人の場合は摂りすぎは注意が必要です。 では、何故「マグネシウム」が不足するのでしょうか。その原因の多くは、食生活の変化、欧米化があります。脂肪の多い食事をしすぎると、体内で「マグネシウム」が大量消費されてしまいます。 「マグネシウム」のようなミネラルは体内では合成されず、食事から摂り入れるしかないからです。戦後、特に昭和40年代以降の日本人の「マグネシウム」の摂取量が激減しており、今の中高年のメタボリック症候群の人原因を作っているのではないかと思います。 この他、日本の河川は「マグネシウム」の濃度が低いことや、ストレスを受けると尿に排泄されてしまうことがわかっています。アルコールの過剰摂取もその一因です。 「マグネシウム」の摂取方法ですが、食品から摂るのが一番いいのですが、どんなものを食べればいいかと言うと、ひじきや豆類、五穀、胡麻、わかめ、野菜、椎茸、牡蛎、芋、納豆など、昔から私たちがよく食べてきた食品に豊富に含まれています。 なるべく、脂肪や糖分の多い食品を避け、昔ながらの田舎料理、和食を摂るように心がけ、しっかりと「マグネシウム」を摂って、予防に努めたいものです。予防は本人しか出来ず、一番大切なことだと思います。
2009.11.04
コメント(0)
昨日から京都御所で一般公開がはじまっています。 まだ紅葉はあまりはじまっていないですが、さすがに立派な内庭で、落ち着きのある、静かな空間でした。
2009.11.02
コメント(2)
伊勢神宮に隣接して、「おかげ横町」があります。この横町には様々なお店があり、とても旅人の気持ちを癒し、ホッとさせる空間になっている場所だと思います。 ちょうど今、猫をテーマにしてイベントをしている最中のようで、あちらこちらのお店では猫に関するグッズ、イベントが開催されていました。 途中、赤福氷と言う、かき氷の中に赤福もちが入ったものを食べましたが、とても美味しいものでした。 この他にも五十鈴川をのんびり眺めながらのお茶が飲めるカフェやお店が立ち並び、まさに伊勢神宮やその周辺は癒しの空間だと思いました。
2009.09.27
コメント(0)
今日は合歓の郷に来ています。天気もよく、ひまわりがまだ元気に咲いていました。 まだここには夏の余韻が残っています。自然の中で癒される時間にしたいと思います。
2009.09.24
コメント(0)
内宮に荒祭宮と言う、天照大神の荒御魂をおまつりするお社があります。 荒御魂とは、神の特別な働きをする状態、または神が現れた状態と言われていますが、そのお社に降りて行く石段の途中にひとつだけ、規則正しく並ぶ石とは別にぽつんと埋め込まれている石があります。 ある方から聞いたお話しではこの石が古代に宇宙より飛来した「隕石」だと言うのです。真偽の程はわかりませんが、とてもロマンのあるお話しだと思います。 今回はありませんでしたが、前回、荒祭宮へお参りした時にはこの石の上には塩盛りがしてありました。 はっきりしていることは、この世の中は自分が「意識」で描いたこと、強く思ったことは具現化するようになっていますので、どんな気持ちで、この「隕石」にどんな思いを持つかだけだと思います。 そこに意味を見いだせれば、その人なりの価値が生まれてくるのではないかと思います。
2009.09.23
コメント(2)
今日の夜は海が部屋から見える鳥羽のホテルで宿泊です。 きっと、朝日がとてもきれいに見えるのではと思います。 内宮をお参りする時に人づてに聞いた話ですが、宇宙から飛来した隕石が石段にひとつ埋め込まれているらしく、その隕石も見ることが出来ました。 ゆっくりと海辺での時間を満喫したいと思います。
2009.09.22
コメント(0)
今日は久しぶりに伊勢神宮に来ています。外宮でお参りを済ませ、内宮へきました。その前にはじめて神楽殿にてご祈祷を受けましたが、宮司さんや巫女さんの優雅で神秘的な舞に身が引き締まる思いでした。不思議とご祈祷が終わった後、体が軽くなったような気がしました。内宮は参拝の方が多く、順番を待たないと参拝出来ないくらいの人でした。ゆっくりと伊勢志摩の旅を楽しみたいと思います。
2009.09.22
コメント(4)
私たちはよく人間関係の上において、「許せない」ことや、「腹が立つ」ことなどがあります。これらの感情は誰にでもあることです。 ただ、ひとによって、こう言った感情を言葉や態度に出せるひとと、心の中に押し込んでしまうひとがあります。 どちらのタイプもストレスがかかっているのには違いはありませんが、ではどうして、こう言った感情が生じるのでしょうか。 実は私たちが怒ったり、腹がたったり、悲しかったりなどのマイナス感情を感じる心の奥には「期待」があります。 「期待」するからこそ、腹が立ちますし、悲しかったりします。相手に対して何の「期待」もしていなければ、こう言った感情は生まれてきません。 ですから、むしろ、こう言った時の相手は自分にとって大切な存在だとも言えます。そこで大切なことは相手を正すことではなく、何故、相手の言動、行動がそうなったのかの背景を探ることです。 ひとは意味もなく怒ったり、腹を立てる訳ではありません。そこにはそれなりのそのひとなりの理由があります。その理由が解れば理解出来ることもあるかも知れません。 もちろん、それでも理解出来ないこともあると思います。それは仕方がないことです。ですが、私たちは「期待」しているひとにしか感情が沸きにくいと言うことだけは言えると思います。
2009.09.21
コメント(3)
私たちは時折、「価値観」の違いから人と対立することがあります。人はどんな人にもその人の考え、「価値観」があり、これはどんな人にも変えることが出来ません。 もし、他人が何等かの形で関与して「価値観」を変えたとしたら、それは一時的なもので、長い目でみると、なんら変化をしていないことに気づきます。 人間の表面は簡単に作ることが出来ますし、合わすことも出来ます。ですが、その人の持つ「価値観」が変わることは容易ではありません。 あるとするならば、自らからが体験、経験し、感じ取った中で「価値観」が変化し、作られていくのではないでしょうか。その人の為と思ってしていても、結果が変わらない時に失望する場合がありますが、そもそも、深くそのことを見ていくと、自分の「価値観」を他人に強要していることがある自分に気づきます。 ですから、人は見ずからが感じたこと以外、変化をしないように出来ているのではないのではないかと思います。周りの人が出来ることは、「祈ること」、「願うこと」ではないかと思います。 人は全員、「価値観」は違います。その違うと言う現実を認めた時はじめて相手の話にも真摯に耳を傾けて、相手を理解しようとする心が生まれてくるのではないでしょうか。 「価値観」の対立は争いや戦いの感情を生じさせ、人間関係をこじれさせる要因になります。人間はそれぞれの「価値観」があるんだと言うことをまず、自分が認識することがすべてのはじまりのような気がします。
2009.09.17
コメント(4)
私たちは生まれた時から、その生涯を閉じるその日まで、どんな人もひとりでは生きることが出来ず、人と人の間の「関係性」の中に生きています。ですから、この人の「関係性」が上手くいけば人生は有意義なものになりますし、上手くいかなければ、不本意な人生で終わってしまうかも知れません。人は言葉にはあまり出す人はいませんが、「自分が正しい」と思って生きています。だからこそ、自分の価値観と違う人から指摘されたり、攻撃を受けるとそれに何らかの反応をしてしまいます。例えば、相手が自分より立場が強い場合、「黙る」と言う反応をします。いい返せない、返しても倍、言い返されたり、無駄だと感じた場合、私たちは黙ってしまいます。上司、部下、夫婦、親子などに有りがちな「関係性」がこのパターンかも知れません。「黙る」ことが日常で当たり前になってくると、ストレスが溜まり、病気への入口になってしまいます。世の中には案外、この「黙る」 ことで表面上の平静を保っている人が多いのではないでしょうか。それでは、黙ったことで溜まってしまったその人のエネルギーはどこへ行くのでしょうか。人は必ず、そのエネルギーをどこかで処理しなければ、肉体も精神も、もたないように出来ています。ひとつが先程の病気です。ですから、単純に病気の人の病名や症状だけに着目するのではなく、その人がそこまでに至った背景、心の状態を感じてあげることも大切なことです。現代人のほとんどの病気の原因は「関係性」が上手くいかないことによるものです。自己主張が出来る人は「反発」することが出来ます。しかし、小さい時から、いい子でありなさい、男の子だから、女の人だからなどと言った、大人が決めた価値観によって育った人はなかなか、このスパイラルから抜けでれません。人間、頭では理解出来ても、簡単には変われないものです。ですから、まずは「自分にはそういうところがある」と言うことを受け入れることが大切です。下手にそういう自分を変えようとすると、泥沼に入っていくことがよくあるのと、今の自分を否定することにつながります。自分を知ることが人生、そうであるならば、いいとこも、悪いところも自分です。自分が自分を好きになることが他人を好きになることにつながります。自分が好きではない人は他人も好きにはなれないのではないでしょうか。人にはそれぞれ、「受容範囲」と言って、許せる範囲が違います。同じことを言われても腹が立つ人と、気にしない人があるのはその為です。一般的に自分に自信があり、好きな人はこの「受容範囲」は広いです。私たちの一生を左右する人間の「関係性」を楽しく、上手くいかせる為には、まずは「自分を知り、好きになる」ことです。その自分を知る為の今の出来事、人が現してくれると思えたなら、トラブルもチャンスに生まれ変わります。
2009.08.02
コメント(0)
人間関係が円滑にいく上で大切なものはなんでしょうか。私たちの人生はこの人間関係が上手くいくか、いかないかで大きく変わってきます。その問題を解決する為には、「大脳生理学」の力が必要となります。大脳生理学と言うと何か大層な感じがしますが、簡単に言えば、「脳」の仕組みを知ることです。私の感情はこの脳が支配しています。怒ったり、泣いたり、喜んだり、楽しんだり、人間の感情はすべて脳が支配しています。そして、この脳の仕組みが理解されると、何故、相手が感情的になるのかがわかり、大きな衝突が起こる前に回避出来ることが出来ます。私たちは感情の生き物ですが、大脳新皮質がとても発達している高等動物です。この大脳新皮質は人間脳とも言われ、人としての「理性」を司っています。常識的なこと、こうあるべきと思うのは人間ならではの感情ですが、これらはすべて大脳新皮質の支配下にあります。ただ、時々、その大脳新皮質の抑制力が外れることがあります。戦争や災害などの命に危機が迫った時に「この飛んできた砲弾は○○製で、どれくらいの力があって」などと大脳新皮質は考えません。そんな時は大脳新皮質の下にある大脳辺縁系、すなわち、「動物脳」が全開になり、戦争ならば砲弾が飛んできたら、奇声や大声を出しながら逃げ回ったり、中には暴徒化して店に押し入るかも知れません。そこまでいかなくても、怒りや暴力、罵声をよく出す人は大脳新皮質の抑制が効いていないことになります。こんな状態になった人に理性で常識論や説得はとても難しいものです。その人の感情が鎮まるのを待つか、諦めるしかないと思います。諦めると言うのは後ろ向きの対応のように思われますが、決してそういうことではなく、相手の変化を待つという、とても我慢がいる、理に叶った方法です。何故なら、人が人を変えることはできませんし、変わったとしても表面的に迎合したに過ぎず、本当に納得した訳ではないことがほとんどだからです。私たちは誰しも自分がやっていることは問題がないと思っています。それが人から見たら問題であっても、本人はそんな風には思っていません。他人の悪いところはよく見えて、自分のことは全くわからないのが人間なのかも知れません。ただ、こうして「脳」の働きが理解されると、自分勝手な人を見ても、「あぁ、この人は今、動物脳が全開だなぁ」と冷静に見ることができ、相手とがっぷり四つに組むことが少なくなります。私たちの人生は人間関係が上手くいくか、いかないかで大きく変わってきます。この「脳」の働きを知って、豊かな人間関係、人生を送ることが人として大切なことだと思います。
2009.07.07
コメント(2)
私たちの体は免疫と言う力で守られています。これは人類が地球上に誕生し、その中で獲得してきた能力です。目には見えませんが、私たちの周りには様々な細菌やウイルスなどが存在します。それらと私たちの免疫は常に戦いをし、日々、私たちを守ってくれています。その免疫の中でも最も大切なものが「腸管免疫」と呼ばれるものです。私たちの免疫の約60%がこの腸管にあり、いかにこの腸を大切にするかが健康維持のポイントになります。ただ、これからの時期、この腸に負担のかかることが増えてきます。そのひとつが「冷たい飲み物」です。私たちの体温は一度下がるだけで免疫力は約30%以上落ちることはよく知られています。夏風邪や下痢、病気の原因のほとんどは冷えによる免疫力の低下です。その一番ダメージを受けるのが腸になります。特に免疫細胞の主役であるNK細胞のはたらきが弱ってしまうと毎日私たちの体の中で数千個生まれてくるガン細胞をやっつけることが出来なくなってしまいます。今の時代、どこの家にも冷蔵庫があり、冷凍食品や冷たいものが簡単に手に入ります。ビールや清涼飲料水、お茶など、つい外気温が高いとたくさん飲みがちですが、量と回数には注意が必要です。ですから、夏場でもなるべく温かいものを食べたり、飲んだり、冷房の温度に注意したり、服装も薄着になりすぎないような工夫が必要だと思います。特ににお腹を冷やさないことが重要です。
2009.07.04
コメント(0)
私たち人間は万物の霊長と言われ、この地球上では栄華を誇っています。私たちが文明を起こし、他の生物の違いはいろいろありますが、一番は「大脳新皮質」の発達があげられます。 所謂、人間脳と呼ばれる部分で、人間が人間らしく、ルールを守ったり、一般に言われる常識と言われるところが守れるのが人間脳、すなわち、理性の脳です。 生まれつき、厳格な両親に育てられたり、教育者、指導者、真面目な人、堅物、責任感の強い人、こうあるべき、非常識な人を見ると許せないと感じる方などはこの人間脳、理性が強い人です。 ですが、何等かのストレスがかかり、その人の器以上のものがかかると私たちの脳はオーバーヒートしてしまいます。一見、真面目そうに見える人が犯罪行為に手を染めていたり、教育者でありながら、教え子と深い関係になったり、買春をしたり、反社会的な行為をしてしまいます。 ですから、理想の強い人ほど、時々、「ガス抜き」をする必要があります。私たちの脳はいくつものストレスや過度のストレスが掛かると、大脳新皮質では物事が処理出来なくなり、人間が元々持っている動物的な回路が開きます。これが「情動発散」です。 読んで字の如く、感情を動かし、発散することが「情動発散」です。これにはふたつの発散方法があります。ひとつは「動的発散」です。大声をだし、カラオケで歌を歌ったり、運動をしたり、体に動きを伴う発散方法です。 もうひとつは「静的発散」です。一見、発散しているようには見えませんが、美術館で好きな絵画を見たり、神社仏閣にお参りしたり、クラシック音楽を聴いたり、ハーブティーを飲んだりなどがこれにあたります。 私たちはそれぞれ個性がありますので、ストレスがかかってもこのように発散方法は異なります。ただこのように発散していくことが大脳新皮質である人間脳に負担をかけないようになります。 病気や犯罪のほとんどの裏側にはストレスの蓄積があります。それは外から見た限りではわかりません。いざ、事が起こった時にはかなりの時間が過ぎています。 ですから、上手くこの「情動発散」、ガス抜きをすることは大切です。特に真面目な人、固定観念の強い人、我慢強い人などは発散が下手な方が多いように思います。現代社会を生きていくには、いかにがんばり過ぎないか、自分を縛りつけないかがポイントだと思います。
2009.07.02
コメント(2)
人生とは「人間関係」です。そして自分の廻りにある人間関係は自分の中にあるものが人を通して現してくれています。ですが、なかなかこの原理、原則は理解出来ません。私たちは他人のことはよくわかり、簡単に批評、批判をします。ですが、いざ、自分のこととなると全然わかっていないものです。この全然わかっていない自分が「人間関係」を形づくっていくのです。これでは「人間関係」が上手くいくはずはありません。そして、上手くいかない「人間関係」に悩み、考え、ある人は占いに、またある人は友達に相談し、中には宗教に救いを求めるかも知れません。それもひとつの方法ではあります。ただ、「人間関係」が上手くいかない原因は、「自分と言う人間を知らない」と言う、とてもシンプルな理由にあります。それが答だと思います。自分を知ることは、実は、この世界のすべてを知るこになるではないかと思います。これは真理ですが、本当にそう感じられる人は案外少なく、人と自分を別のものと捉え、その差にもがき、苦しみます。少し、視点を変えて見ると、私たちをはじめ、すべての動物、植物、鉱物、この地球上にあるものはさまざまな元素と呼ばれる本当に小さくて、微細なエネルギーの集合体です。ですから、表面上の形や特徴、人間で言えば人種、性別、年齢といった違いはあれど、私たちの肉体はすべて同じ元素で構成され、意識でさえ、ユングは無意識という意識でつながっていると喝破しています。ですから、「人間関係」とは自分との関係であるということです。何故なら、すべては同じであり、人も他人もその根底は同質であるということです。自分を知らない人、自分が嫌いない人、自分にコンプレックスがある人は無意識に他人を否定し、その結果、こころの中に不満や不平、妬みなどの感情が生じやすく、円滑な「人間関係」の構築にストップをかけてしまいます。私たちは「自分を知る」為に、様々な経験をし、特に挫折、失敗、病気、苦しみを乗り越えたときに「気づく」ように出来ているのかも知れません。出来れば、誰しも経験したくないことですが、楽の道は、苦の道です。どこまでいっても、目の前の現象や他人から「自分」を見出し、認めることで許せる幅が広がると思います。これは私じゃないと思っている間は、いつまで経っても心の平静は訪れないのではないかと思います。円滑な「人間関係」の構築は「自分を知る」ことからはじまると思います。そして、今がどんな自分でもまずは、その自分を受け入れ、「好き」になることが第一歩です。
2009.06.29
コメント(0)
私たちの一生は人間関係であると言ってもいいくらい、人の関係が上手く行っているときと、上手く行っていないときでは目の前に見える風景は180度違って見えます。 ひとたび、人間関係にトラブルを持つと、以前に興味があったものに興味が無くなったり、何もやる気が起こらなかったり、起きるのさえ、面倒になることがあります。 そんなとき、私たちの「心」は閉じてしまい、小さく固まっていきます。これは人生の中で誰にでも起こることです。それだけ、私たちの「心」は精妙で、弱く、壊れやすいものだと思います。 自分の思いが相手に伝わらないとき、誤解を受けたとき、無視されたときなど、私たちの日常にはそんな出来事が溢れています。但し、そう感じたその人の「心」を感じとっている人は案外少なく、特にしっかりした人ほど、平静を装っていることが多く、わかりずらいものです。 現代はストレス社会です。物質的には満たされた世の中になりましたが、ある意味で満たされることにより不足を感じるようになり、何も無かった昔に比べ、あることの有り難みを感じにくくなっています。 そんな時代にあって、特に「心の渇き」を覚える人は年々、増え続けているような気がします。何かが足りない、心に隙間を感じる、このままでいいのだろうか、など、私たちの心は渇き続けています。そして「ある」ことに対する感謝、感動がなくなると私たちの心は無感動になります。 そんな時ほど、心を前向きに、「心を開いて」行きたいものです。永遠の夜がないように、永遠の心の闇もありません。必ず経験したことは、いつか活かされる時がきます。
2009.06.28
コメント(0)
私たちの一生の問題として、健康問題がありますが、それは誰しも一度は考える問題でもあります。今の世の中、何にもしなくても健康と言う人はほとんどいません。 また、今の健康が永遠に続くかと思うと、これはこれでなかなか、難しい問題です。それは厚生労働省が発表している死亡統計でもわかります。 では「真の健康」とは何でしょうか。それを考えてみたいと思います。私たちの体はパソコンで言うならば本体である肉体と、ソフトである精神、すなわち、心と言うもので出来ています。 現代において、肉体を酷使し、病気になる人もありますが、病気のほとんどの原因は実は「心の在り方」からくる場合が多いのです。まさに、病は気からです。 ちょうどそれはパソコンの画面に映っている映像をいくら変えようとしても変わらないのと同じで、ソフトである私たちの「心」が変わらなければ現象面である、目に見える現実は変わりません。 ですから、ガンをはじめとする慢性疾患は、様々なストレスが重なって起こった心の病、「心身症」であるのではないか思います。事実、私たちの体調は心の状態に大きく作用されます。ドクターの白衣を見ただけで血圧が上がる人、心配事で胃潰瘍になる人、考えすぎて不眠症に陥る人など、ほとんどが心が関わっています。 ですから、「真の健康」を保つ為には、心を平静に保つ必要があります。私たちの心は目の前で起こる出来事や他人の言動や行動によって大きく揺れ動きます。そこで、ほとんどの人はその出来事や他人に問題があると感じてしまいます。 しかし、同じような出来事や他人の言動、行動が気にならない人もいます。何故なら、ある出来事と生じた結果の間には、その人の「物事の受け取り方」というものが存在しているからです。 その受け取り方が私たちの心を晴れやかにしたり、曇らせたりもします。「真の健康」とは、この受け取り方が変化すること、すなわち、心の変化があった時のみ、私たちの体は変化します。その変化のキーワードは「心の素直さ」であるのではないでしょうか。
2009.06.26
コメント(2)
私たちの体を構成する細胞は約60兆個あると言われています。その細胞、ひとつひとつは細胞膜と言うもので包まれています。その細胞膜を構成するものが「脂肪」です。この脂肪にはいくつか種類がありますが、人間の脳は約60%が脂肪で出来ていますから、どんな脂肪を摂るかは脳ばかりではなく、私たちの感情にも影響を及ぼします。1998年に有名な「ランセット」と言うアメリカの研究によると、魚の摂取量とうつ病に着目しています。ひとり当たりの魚の年間消費量と人口に対するうつ病の割合をグラフにすると、魚の消費量が少ない欧米諸国はうつ病の割合が総じて多く、台湾や韓国、日本のように魚の消費量が多い国はうつ病の発症が少ないことが分かっています。ただし、近年の日本は魚の消費量が減少し、肉食の過多、糖分の過剰摂取が見られ、若い世代を中心に、年々、うつ病や心身症、精神疾患などが増加傾向にあります。私たちの脳にある無数の神経細胞は物凄い速さで情報のやり取りをしています。そのやり取りを様々な神経伝達物質やホルモンがお互いに協力しあいながら行っています。例えば、普段おとなしい人でもお酒を飲むと気が大きくなり、暴れたり、暴言を吐いたりすることがあります。あれなどは、アルコールと言うニセ神経伝達物質が本来の正しい神経伝達を狂わせ、感情や思考の抑制が十分に行われないために起こる現象です。また、女性が生理中などに情緒不安定になるのも、女性ホルモンのバランスが崩れ、他のホルモンに影響を与えた結果、脳内の神経伝達物質のバランスが崩れることに起因しています。ですから、私たちの感情は、自分たちの意思で行っているように見えますが、実は体内の物質に操られていると言っても過言ではないかも知れません。特にうつ病は「セロトニン」と言う神経伝達物質が大きく関わっています。私たちの脳の神経細胞と神経細胞の間には隙間があり、その隙間をセロトニンなどの神経伝達物質が行き来しています。本来であれば、神経細胞から放出されたセロトニンを違う神経細胞が受け取り、それが刺激となって次の細胞に情報が伝えられるのが正常な流れなのですが、うつ病の方は何らかの理由(ストレスが大きい)で神経細胞がセロトニンを受け取りにくくなってしまっています。その為に感情や思考に問題が生じ、気持ちがうつ的になっていきます。セロトニンが上手くはたらかない理由は3つです、ひとつは神経細胞から上手くセロトニンが放出されていない。二つ目は、受け取る側の神経細胞に問題がある。三つ目は脳内でセロトニンが十分に作られていないこと、これには腸も大きく関わりますので、便秘をする方は特に注意が必要です。この3つの原因を解決する方法が「青魚」を食べることです。魚に含まれるDHAは脳に言いといわれるのはこれが理由です。特にオメガ3、オメガ6という脂肪は私たちの細胞の膜をつくる大切な材料です。特にオメガ3という非常に「柔らかい油」で、私たちの神経細胞が隣接する隙間に向き合った部分の細胞膜に欠かせない脂肪です。この部分が硬くなると上手く神経伝達がいかなくなります。そういった意味でも魚、特にいわしやあじ、さば、さけと言った背の青い魚は「オメガ3」の宝庫です。また、魚にはセロトニンの原料であるトリプトファンと言うアミノ酸のほか、タウリンやマグネシウム、ビタミンB群も豊富に含まれています。タウリンは神経伝達の調整作用をしますし、ビタミンの中でもビタミンB6は、セロトニンをはじめとする神経伝達物質の合成にも関わっています。うつ病の予防や改善には魚、特に青魚を食べる習慣をつけていきたいと思います。
2009.06.25
コメント(0)
運動習慣の大切さは慢性病が蔓延している現代において大切なことです。現代人は文明の発達と共に車や電車、バイク、バスなどを利用する機会が増え、運動習慣が不足している人が多くなっています。その運動には「有酸素運動と無酸素運動」があります。有酸素運動には、ジョギングやウォーキング、エアロビクスなど、比較的低い負荷で長時間、続けられる運動です。一方、無酸素運動は、ウエイトリフティングや短距離走など、息を止めて短時間に体に強い付加をかける運動です。有酸素運動では、運動のエネルギー源として「糖」と「脂肪」の両方を消費します。通常、メタボの人はこの有酸素運動をスポーツクラブなどで薦められてしている方が多いようです。これに対し、無酸素運動のエネルギー源は「糖」だけで脂肪は使われません。ですから、無酸素運動をいくら頑張っても体脂肪の減少にはつながりません。一番分かりやすい例を挙げると、マラソン選手と短距離選手です。マラソン選手は有酸素運動なので脂肪が燃焼されます。その結果、体脂肪の極端に少ない体型になります。高橋尚子選手や野口みずき選手のような体型です。一方、短距離選手は、100メートル走のように、呼吸をせず、一気にパワーを全開にし、フィールドを駆け抜けます。その結果、無酸素運動では脂肪は燃焼されませんので女性にバストやヒップには脂肪がついています。ちなみに筋肉には2種類あり、強い瞬発力を発揮することが出来る「速筋」と、力はないが、長い時間にわたって力を持続することが出来る「遅筋」があります。速筋は筋繊維が太いので、鍛えると太く、大きく発達します。北京オリンピックで金メダルを獲得したボルト選手のような筋肉のつき方は速筋が発達した人です。無酸素運動で鍛えられるのはこの筋肉です。反対に、マラソンランナーは有酸素運動で筋繊維の非常に弱い遅筋を鍛えますので、あまり筋繊維が太くならず、一見すると筋肉質とは思えないような体型になります。有酸素運動をした場合、糖と脂肪が消費される割合は1対1です。30分間、ウォーキングした場合の消費エネルギーは約140キロカロリーです。と言うことは、有酸素運動によって燃焼される脂肪は70キロカロリーです。70キロカロリーとは、脂肪の量にすると、脂肪は1グラム、約9キロカロリーなので、わずか8グラムしか消費されません。そして、脂肪はすぐには燃焼しません。脂肪は脂肪酸とグリセリンに分解されてからでないと燃焼しないからです。ですから、通常、有酸素運動では30分以上、継続して運動を行わないと脂肪燃焼効果は期待出来ません。それは脂肪を分解するまでに時間がかかってしまうからです。ただ、この分解を速める方法があります。それは「成長ホルモン」を出すことです。成長ホルモンとは脳の下垂体というところから分泌される人間の成長を促すホルモンです。主な働きは骨や筋肉の成長を促すことですが、「脂肪」を分解するはたらきもあります。この成長ホルモンを分泌させる方法が「無酸素運動」です。成長ホルモンによって脂肪の分解が進み、一度出ると、その分解効果は約6時間続くことが知られています。ですから、筋トレのような「無酸素運動」を最初に行い、「有酸素運動」を行うと無酸素運動を行った段階で脂肪の分解が進み、有酸素運動をはじめてすぐに脂肪の燃焼が始まり、より効率よく脂肪が燃焼します。無酸素運動を行ってから有酸素運動をする、この運動法こそが今の現代人、特にメタボ対策になるのではないでしょうか。
2009.06.24
コメント(2)
「安心」出来る関係ほど、私たちの心を豊かに、落ち着かせるものはありません。世の中の不安の原因のほとんどはこの「安心」がないことです。 心が安らぐと書いて「安心」ですが、ではどんな時に私たちの心は安らぐのでしょうか。また今、自分の心は安らいでいるでしょうか。時に私たちは自問自答する必要があるのではないでしょうか。 私たちの一生は生まれる時からこの世を去る時まですべてに人間関係が生じています。きっと、この世に生まれ出る時は「喜び」ではじまったでしょうし、去るときには「楽」でありたいと思います。まさに、これが「喜怒哀楽」の世界です。 生きていく上で私たちは人の関わりなしでは生きていけません。その中でも「安心」した関係は私たちの人生を豊かにします。 相手を受け入れ、また相手からも受け入れられた時、「安心」が生まれます。その根本は「今の自分を100%受け入れている」と言うことだと思います。 完璧でなくていいのです。完璧と言うのはその人が作り出した幻想です。0か100などと言う物事の考え方をすると相手にも、自分にもプレッシャーを与え、永遠に自らが作り出した幻想と戦い続けなくてはなりません。 まずは「今の自分でいい」と言う、自らが、自らにオッケーを出した時のみ、「安心」は生まれます。私たちはこの「安心」を求めて外の世界、人を探し歩きますが、実は自らの中が「安心」した時のみ実現する世界だと思います。
2009.06.23
コメント(0)
世の中には、やせたいと思っている人はたくさん見えると思います。特に女性にとって、きれいなスタイルは憧れだと思います。その為にいろんな「ダイエット」にチャレンジしたり、その度に、ほとんどの人は失敗して、対して効果を感じられなかったのではないでしょうか。では、どうすれば効率よく、「ダイエット」出来て、なおかつリバウンドをせず、維持が出来るのでしょうか。それと体重が同じでも、加齢と共に私たちの体の肉の付くところが変わってきます。どうすれば、下がることなく、維持が出来るのでしょうか。その答えは「筋肉」にあります。私たちの体は一種の燃焼機関です。食べたものや、特に脂肪の燃焼、様々な臓器などが正常にはたらく為には、体温が36.5度は必要になります。そこで、この体温を保つ為には「筋肉」が必要になってきます。ですから、「ダイエット」には筋肉をつけるのが一番効率いい方法です。筋肉をつけると、基礎代謝が高まり、簡単に言えば寝ているだけで「痩せる」ことになります。そして大切なことは、食事制限をして「ダイエット」したときに真っ先に減るのは脂肪ではなくて「筋肉と水分」です。だから、1~2キロ痩せたと言っても喜んではだめです。何故なら、脂肪が減った訳ではないからです。「ダイエット」をする場合、ある程度の食事制限は必要ですが、それはあくまでも過剰なカロリーを制限することであって、最低限必要なものは食事から摂らなくてはいけません。そうしないと、脂肪ではなく、筋肉が落ちてしまうので、かえって痩せにくい、脂肪だらけの体になってしまいます。カロリーを控えて痩せる「ダイエット」で一番怖いのは痩せる時に筋肉が落ちて、リバウンドする時に、その分が「脂肪」として増えてしまうことです。カロリー制限をして「ダイエット」した場合、減った体重分は筋肉です。そして、リバウンドして増えた体重は脂肪です。同じキロ数ですが、この違いは大きな違いです。何故かと言うと、筋肉と脂肪では脂肪の方が軽いので、体重が同じでも脂肪がついた場合の方が確実に服のサイズは大きくなります。ですから、正しい「ダイエット」とは筋肉をつけることです。私たちの筋肉は、基本的に20代をピークに年々、減少していきます。20代の中肉中背の男性で体の筋肉量の割合は約40%です。女性で35%くらいです。私たちの筋肉は大体、一年で1%ずつ減少していきますので、70代になるとピーク時の3分の2程度まで減少します。筋肉は動かさないとあっという間に減少しますので、寝たきり老人などになると1日で約0.5%の筋肉がなくなります。なんと、たった2日間で1年分の筋肉を失うことになります。では、どういうことをすれば効率よく筋肉がつくのでしょうか。それは「無酸素運動」です。そして、人間の筋肉は約70%が下半身にありますので、その筋肉を鍛えるのにお勧め無酸素運動は「スクワット」です。それも普通のスクワットではなく、最近、有名になってきた加圧トレーニングに近い効果を持ち、自分でも出来るスクワットがあります。具体的に言いますと、1回のスクワットを1分間くらい、時間をかけて行うのです。まず、30秒くらいかけてゆっくりと腰を落とし、また、30秒くらいかけて元の位置に戻します。これを、呼吸数を減らし、出来るだけ無酸素に近い状態で行います。この運動をすると脳は筋肉がかなり負担のある運動をしているのだと勘違いし、脳は「成長ホルモン」をたくさん出してくれます。この原理が加圧トレーニングで行っている若返り、アンチエイジングです。この方法を用いると、筋肉がつくことで燃焼効率が高まり、冷えの改善や血流の改善、基礎代謝量の増加が見込め、結果的に「ダイエット」になります。また、老後の足腰の老化予防にもなります。
2009.06.21
コメント(6)
blogをはじめてから四回目の誕生日を迎えました。元々はこんなに正直、続くとは思ってみませんでしたが、このblogでたくさんの方にコメントを頂いたり、オフ会を通して実際にお会いしたり、毎日こうして読んで下さる皆様のおかげで続けられています。 最近は少し忙しい為に飛び飛びになっていますが、この場をお借りして、皆様にお礼を申し上げます。ありがとうございます。 当初のblogをはじめた動機は興味からでしたが、途中から何か健康に関して、それも心身ともに健康になれる情報を発信出来ればと思うようになりました。 blogをはじめてこのように自分の気持ちを吐露するのははじめてですが、お世話になっている皆様に自分の誕生日にお礼を申し上げます。 今後も不定期にはなりますが、blogの中でいろんな情報、考えを書いて行きたいと思います。よろしくお願いします。また、ご縁がありました皆様とのご縁を今後も大切にしていきたいと思います。ありがとうごさいました。
2009.06.19
コメント(10)
私たちは自分のやりたいことをしている時にはとても楽しく、やり甲斐を感じます。そして、時間も忘れ、そのことに没頭します。それはとても大切なことですが、それが出来る人はほんの一握りの人ではないでしょうか。何故なら、私たちが生きていく上で必ず、相手が存在するからです。これは非常に難しいことですが、例えば、何かしたくても子供さんがいるから出来ない、経済的に難しい、パートナーがいい顔をしないなど、少なからず障害が生まれてきます。そんな時にはどちらかを選ぶと言う「選択」を迫られる事があります。仕事を取るか、家庭を取るか、お金を取るか、自由を取るか、友人を取るか、彼、彼女を取るか、すべては自分の意思により「選択」をします。残念ながら、「選択」すると言うことは、どちらかを選び、どちらかを諦めると言うことになります。私たちは生きていく中で常にこの「選択」をしながら生きています。どちらを選んでも、その道の先には答があります。よく私たちは「もし、・・・」と言う言葉を使いますが、「選択」した時点で答がある訳ですから、もし、と言うのは有り得ない話しです。自分が「選択」した道しかない、それに対して後悔のない生き方、今を大切にする生き方をしていきたいと思います。
2009.06.18
コメント(0)
近年、「メダボリックシンドローム」すなわち、代謝異常症候群と言う言葉をよく聞きます。この定義は、内臓脂肪が蓄積することによって、糖代謝異常、脂質代謝異常、高血圧などと言った症状が複合的に現れ、「生活習慣病」のリスクが高まった状態です。 ただ、これらの症状はほとんど自覚症状がなく、危機感がないことが多いのが特徴ですが、いざ、これらが原因で大きな病気に罹ることが多いのです。 そこで生活習慣病を予防する上で血糖値、中性脂肪、コレステロール、血圧 、腹囲などを計り、自分の今の位置を知ることは重要です。 ただ、ここでふたつ大切なことがあります。ひとつめは、これらのものはすべて「食べたもの」で出来ていると言うことです。私たちの体はすべて食べたもので出来ていると言う事を知ることはとても大切なことです。 ふたつめは、血糖値、中性脂肪、コレステロール、血圧と言った項目はそれぞれが独立している訳ではなく、すべてがお互いに関与しあっていると言うことです。 そして、このふたつのポイントに共通するキーワードが「代謝」です。代謝とは英語でmetabolismでmetabolicの形容詞です。 この代謝が上手くいかないのがメダボリックシンドロームです。ですから、メダボ=肥満ではなく、メダボ=代謝異常が正しい考え方です。 この「代謝異常」の最大の原因は、「ミネラルとビタミン」の不足です。私たちの体で行われる様々な代謝を行う酵素は、ミネラルとビタミンなしでは働くことが出来ません。 ですから、メダボリックシンドロームの改善には、運動をすること、カロリーを減らすこと、痩せることより、「ミネラルとビタミン」をしっかり摂ることが大切です。 ミネラルとビタミンを摂ると代謝が上がり、余分な糖、脂質などが燃焼され、メダボの改善に大きく貢献します。小魚や根菜、海藻、果物などから摂ることが出来ますが、一番効率よく摂ることが出来るのは「サプリメント」になると思います。 サプリメントについては日本ではまだまだ、正しい認識がされていませんが、年々、取り扱うお医者様や一般の方もサプリメントを摂るようになってきました。 未病の時に予防をしていく、早め早めの対応こそが私たちの人生に健康と言う最大の財産をもたらせています。「メダボの原因」はミネラルとビタミンの不足による代謝異常です。
2009.06.16
コメント(0)
私たちの「心」はその字のようにどこも交わっているところがなく、自由です。ですから、コロコロ変わるのが「心」です。この「心」がかたまり、淋しさや苦しさ、辛さが積みあがると所謂、心身症となってしまいます。突然、大切な人との別れが起こったり、信じていた人に裏切られたり、仕事で挫折感を感じたりと、私たちの周りには常にそういった環境があります。この「心」のはたらきは、いくら頭や知識で理解していても、実際に事が起きると自分ではコントロール出来ません。むしろ、コントロールしようと思えば思う程、深みにはまっていきます。これは人間が人間である以上仕方がないことですが、いざ、自分がその環境におかれた時、私たちのほとんどは有効な手だてを持っておらず悩み苦しみます。そして最終的には自らの命を絶つ人が出てくるのは最近の自殺者数の増加が物語っています。ではどうすれば「心」が安定し、多少のことではくじけない、強い「心」を持つことが出来るのでしょうか。それには仕事や何かに没頭する、他に楽しいことを作る、誰か他に好きな人を作る、仕事を変わるなどの方法もあります。こういった方法でも有効ですが、これらは悩みが無くなった訳ではなく、意識的に「心」を問題や悩み以外に向ける方法です。ですから、また時期や相手が変わるだけで本質的な問題が解決しない限り、また同じように問題を抱え、私たちの「心」は揺れ動きます。その「心」の動きには本能が関係しています。その本能には三つあり、ひとつが食欲です。生命を維持する為には食べなくてはいけません。ふたつ目が性欲です。どんな生命も命を次世代につないでいく必要がありますので性欲は大切なものです。そして、一番大切な本能が集団欲です。私たちは常に誰かとつながっていないと不安になります。たったひとりでも100%と自分を受け入れてくれる存在がいると言う実感があるとき、私たちの「心」は安定します。ただ、必ずそれには相手があり、相手に対しての安心感、信頼感が無くなると無惨にも崩れ落ちます。特に信じていた人から感じてしまうとトラウマとなり、人間不信となってしまいます。ではどうすればいいのでしょうか。多分、この問題は私たちが一生、考え続けていくものだと思います。但し、問題があると言うことは必ず、答があります。おそらく、その答はひとつではなく、無数にあります。私たちが私と言う存在を知る為の問題です。私を知る為に「心」はわかりやすいバロメーターとして動き、その時々で悩み、苦しみ、喜び、笑い、私たちを私になるために導いてくれるのではないでしょうか。確かなものとつながり、私は宇宙とひとつであると言う実感が得られる道が人生なのかも知れません。
2009.06.15
コメント(0)
「今」と言うこの時間は二度と戻ることはありません。時間と言う概念は誰にでも同じようにあてはまり、平等に与えられたものです。 その時間をどのように使うかによって大きな違いが現れるのが人生なのかもわかりません。ただ、時間をどんな使い方をするかは本人の自由意思に任されていますし、全ての人生は大局的に見ると、自分で選んだ人生です。 ですから、今の状況がどうであれ、全ては思いのままになっているのが「今」であると思います。この「今」と言う瞬間に何を選択したかが次なる現実を作りだし、その連続が一生です。 そうであるならば、「今」この瞬間に何を思っているかがとても重要であることがわかります。何故なら、私たちの心に描いたことは遅かれ早かれ、実現するからです。 豊かで、楽しく、愉快な人生をおくる秘訣は「今」の私たちの心の在り方にあります。ポイントは、起こっている事実は同じでも、私たちの「受け取り方」次第で現実は変わると言うことです。 「今」、自分は楽しめているか、無理していないか、無理しているなら、それは何故か、どうすれば無理をせず楽しくなるかを自分の心の声を聞き、自分に正直に生きることが「今を生きる」コツだと思います。 「今を生きる」ことは、決して自分勝手ではなく、周りに迷惑をかけることではありません。むしろ、表面だけを合わせて、肝心な時にノーを言うより、素直に評価を恐れず生きることも大切だと思います。 「今」、心はワクワクしているか、喜びや感動、感謝で心が満たされているか、自分にまずは聞くことが「今を生きる」スタートだと思います。
2009.06.12
コメント(0)
私たちの「目は心を現す」最大のポイントだと思います。人は簡単に嘘をついたり、その場限りのことを言いますが、その人の真意がどこにあるかは目を見ればわかります。 昔から左目はその人のルーツを現し、右目は本人の今の心を現していると言われています。人と話をしていて目線を合わさない人や、投げかけた言葉に納得がいかない人は右目がきつくなります。 そして、私の生活が乱れ、心がすさんでくると、目つきまで悪くなります。そんな時はなかなか、周りが何を言っても通じませんが、その人がそれを体験し、実感する時期だと思います。 私たちが動物的に幸せを感じるためには、食欲と性欲、集団欲を満たせば幸せを感じられます。何故なら、それが人間の持つ本能だからです。 しかしながら、私たち人間は理性があり、動物のように自分の欲望だけを満たそうとしたりはしません。理性がはたらく人間は、時には自分を自制し、相手を尊重してこそ、人間です。 ですが、心がすさんで、ストレスが溜まると、大脳の働きに異常が起こり、理性がストップして、動物脳が活発になります。腹がたったり、暴力的になるのもすべて動物脳のはたらきです。ただ、こういう時は溜まった感情を発散することも大切です。大きな声を出したり、運動をしたり、反対に神社仏閣のような静かな場所で心を癒すことも必要です。 私たちはどの人も自分が正しいと心の中では思っており、誰も他人の意識に介入することは出来ません。ですから、まずは自分を正していくことだと思います。どんな大切な人であっても人は人を変えることが出来ません。 自分の「心は目が現す」と言うことを忘れず、身を律していきたいと思います。
2009.06.07
コメント(2)
人が何かに取り組もうとしたり、或は人間関係が深くなる時などに必ずと言っていいほど、「お試し」と言う出来事がおこります。 「お試し」はトラブルだったり、人間関係のもつれだったりしますが、よく見ていくと何かの成果、その先にある素晴らしいものへの入口であることに気づきます。 ただ、目の前の現実や、出来事に囚われていると、なかなか、そう感じることは出来ず、物事のマイナス面に自分の意識が行ってしまい、毎日が苦痛の日々となってしまいます。 例えば、ある出来事が起こったとします。その出来事はひとつのことなのですが、私たちの「受け取り方」ひとつで答は無数に生じます。意識が縮小すると私たちは物事を冷静に判断することが出来なくなり、思考が停止していまいます。 そんな時に注意すべきことは、意識が楽な方へ流されやすいことです。それも選択肢のひとつですが、自分が弱っている時の判断は往々にして次のトラブルにつながっていることが多いのです。 ですから、私たちが何かをつくる時、本当の人間関係が築かれる前には必ず「お試し」があります。そこで「あぁ、今私はお試しの時だな」と思えると楽になります。そして、青空に向かって大きく深呼吸をしてみるのもひとつの方法です。 気分が落ち着いてくると周りで自分のことを心から心配し、じっと何も言わずに支えてくれていた存在にも気がつきます。考えたくない現実や人間関係は誰にでもあることです。 ですが、遅かれ早かれ、乗り越えていかなければいけない時がきます。「お試し」が起これば勇気を出して、素直になって、乗り越えていきたいものです。
2009.06.06
コメント(0)
誰かを「信じる」と言うことは、誰かから裏切られるより辛いことだと思います。ストレスの原因のほとんどを占めるのは人間関係ですが、「信じる」ことは人間関係が安定する一番の根底にあることだと思います。 ですが、私たちはなかなか、人を信じられません。何故なら、過去に恋人に裏切られたり、仕事上で裏切らたりなどの経験をし、その事がトラウマとなって、信じたくてもほんの少し、心にブレーキがかかり、また裏切られるのではないかと言う不安が付き纏うからです。 ですから、私たちの心の一部には常に欠けている部分があり、その部分を満たしてくれる場所、相手、空間などを無意識に探しています。所謂、癒しと呼ばれるものも、この心の欠けた部分を補ってくれるものかも知れません。 すべてではありませんが、癒しはまずは自分の為にあるような気がします。ヒーリングや神社仏閣、自然など、私たちの周りには癒される場所、物がたくさんあります。 それらは、一時的に私たちの心にパワーをくれます。ですが、最終的には欠けている自分でもいいんだと言うことを「信じる」ことが大切ではないかと思います。自分が信じられてはじめて相手が信じられる、なかなか難しいことですが、真理はその辺りにある気がします。 人は誰かに「信じて」もらえると感じられている時は、少々の困難も乗り越えていきます。反対に信じられてないと感じると力が出ないものです。 一度「信じた」人はどんなことがあっても最後まで「信じきる」、その強い気持ちを持ちたいと思います。そのことが、自分を「信じる」ことにつながると思います。
2009.06.04
コメント(0)
全1270件 (1270件中 1-50件目)