だけど、そういうときはゆっくり休むんですね。で、休んで、絶対無理をしない。に、三日養生して、そういうときは変な薬とかは飲まないんです。これは放射能が原因なんだから。そうすると、大体治るわけです。だけど、二、三週間後ぐらいにまたちょっと好転反応で出てくるわけですね、その傷んだ箇所が。またちょっと。でも、その最初に具合悪くなったときよりはひどくない。そうやってちょっとずつ周期で治っていくんです。
だけどそれは、ちゃんと休養しないとそういうふうにならないんです。だから、 3 月の 27 日でしたか、いわき市に知り合いの人がいて、どうしてもいわき市まで行きたかったんで、いわき市に行ったんですけど、それで、 4 月 26 日にチェルノブイリのパネル展があるんで、ほとんど寝てなかったら、甲状腺がずっと腫れてきて、それで触ったら何かピンポンの半分ぐらいあるので、みんな、病院行け、病院行けと言ったんだけど、でも、病院行ったってわかんないのは目に見えてるから、もういいわ、寝るわ、寝るわって。終わって、に、三日寝たら、やっぱりちょっと腫れが引いてくるというか。
だから、やっぱり自分の抵抗力をちゃんと保つような努力をするということがとても大事なんですね。
子どもたちがこういう体調が起こっているんだったら、体育とかを無理してさせる必要もないです。校庭も汚れているんだったらね。走ったりすれば疲れるし、吸い込むから、なるべく体力温存で、なるべく休養もして、疲れやすいので、特に私は自分の症状としては頭の記憶力が落ちるというので、前にウクライナに博物館を見に行ったときに、 1 回チェルノブイリの覆っているやつが壊れて、何かすごい放射能が出てるときだったんですね。
で、ええっとかいって、一緒に行った里親さんがキエフのまちの中を計ってたんですけど、大体 0.16 カウントぐらい、そのトクちゃんが言ってた数値ですね。地下街の中とか、あって、もう市民の人がみんな集まってきて、何やってんだって言ったら、その里親さんは日本語で、ジャポネ、ジャポネ、放射能、放射能って日本語で言ったら、みんなわかったんですよ。
それでわっと集まってきて、数字見せろ、数字見せろっていって、キエフの人たちもどんなに心配して生活してるんだろうと思って、キエフって大きい都市ですから、ウクライナの首都で、切なくなって、もうみんな同じ人間じゃないですか。こんな心配しながら暮らして、おそらくたくさん犠牲になってる方もいると思います。でも、それはもう個人の運命と思いなさいという感じの状態ですよ。誰も面倒見てくれないから。普通に、あなたの人生に起こった病気というふうにしてみんな闘って生きていかざるを得ない国なんですね。
そのときに、里親さんが、いや、すごい風吹いてるなとかいって、こうやって放射能検知器を冗談で当てたんですよね。したら、 0.080 ってなったんです。 0.080 ? えっ、すごい高いねっていって、私も慌てたら、 0.080 あったんですね。(話からすると、頭にガイガーカウンターを当てたのかと思います)
普通、 0.05 ですから、バックグラウンドというのは 0.05 以下です。だけど、機械の精度で 0.05 とみなすから、え、頭の中の髪の毛に入っちゃったの?ということで、洗っても洗っても取れないんですよ。
で、ロシアのシャワーって何か水圧もなくて、ちょろちょろで、何回洗ってもやっぱり 80 で、そのとき髪の毛切ればよかったなと思ったんですけど、半年間ぐらいやっぱり数字が覚えられなくなっちゃった。戻ってくるんですけど、集中力がないという。
最初はね、ロシアの子、集中力ないよねとか言ってたんだけど、そうじゃなくて、被曝のせいだというのがわかって、ごめんなさいという感じだった。遊んでても、もう遊びきれなくて、すぐほかの誰かの遊びに移ってっちゃうとか、そういう子もいますよね、日本でも。で、何かそういう質なのかなと思ってたんだけど、自分でも計算ができなくなってったとか、考えがまとまらないとか、疲れてるのかなと思うけど、半年ぐらいしたらやっぱり治りました。
やっぱりずっとそこにいて、そういう状態じゃないので、体のそういう力を信じるためには、無理をしないということとか、食べ物にとても気をつけていくことですね。
これは、この先生だけは皆さんもう絶対、この先生の言ってることだけは絶対なので、この先生、私、もともと市長の菅谷昭(すげのやあきら)先生、それで、△△先生、私はそこまで勝手に深読みしてるんですけど、△△先生が日本人としてすごいとても猛烈なことをやってくれましたよね。で、この菅谷先生は、一言もそういうことは言わず、自分で単身、日本の職を辞して、ベラルーシに単身 5 年間行って、子どもたちの甲状腺がんの手術をずっとされてらしたんですね。
日本人の医師が増やした甲状腺がんを菅谷先生が無言で尻ぬぐいされてるのかなと私は個人的には思ったんですけど、もう本当に男だなという先生です。
この先生が、マスコミで自由にしゃべることはほとんどないんですけれども、ここですね、「食品に関してはこまめに放射能を測定し、安全状況をチェックしていくことが必要だ。放射性物質が検出されても」、ここがちょっと先生も大変な中で言葉をしゃべっています。「規制値以下であれば、大人は食べていいが、乳幼児や妊産婦は控えたほうがいい」というふうにおっしゃってるんです。
こういうふうにはっきり医師としての責任をまっとうしておっしゃってる方は菅谷先生だけだと思います。これを皆さん、本当に広げていただきたい。
この先生は、自分の命をかけて汚染地の国に行って、 △△ 先生の尻ぬぐいをしようと思って行ったわけじゃないと思います。先生はもっとすごい深い理由で行ったと思います。さっき甲状腺がんの手術の映像があったんですけど、 1 回で取り切らないということをわざとやるんですね、向こうのお医者さんは。なぜかというと、がんの手術を何回したかで医者の等級が上がっていくという制度があるので、わざと切り残して 2 回とか、そういうことがあって、多分、菅谷先生はもう医師として子どもたちを救いたいという思いでもちろん行かれたと思うんですけれども、あの汚染地に 5 年間行かれるということは、ただではないです。先生も胃がんになったと聞いていますけれども、真実を守ってらっしゃる方はいるんですね。ですので、本当にこの先生のこういう発表も命がけだと思います。
いろんな圧力も入ると思うんですけれども、内部被曝というのは何かというと、これは長崎の原爆で死亡した被爆者の細胞を取ってあるんですね。この黒い線を出している、プルトニウムの線を撮影できたんです。
で、プルトニウムというのは体内に入ると、アルファ線というのはすぐ止まっちゃうので計測できないんですね。初めてこういう形で黒い線で、こういうふうに放射線を出し続けていることを撮れたという、平成 21 年ですから、被爆から 60 年以上たっても放射線を放出している様子を写真で撮れたということです。
ということは、プルトニウムというのは寿命がすごい長いですから、私たちの体に入ってしまったら、とっても大変なんですね。
どうして大丈夫なんですか。この長崎の先生にこのまま記事をコピーしてよく勉強しなさいって渡してあげてくださいよ。本当に。悔しいと思いませんか。
これは、このすぱっとカッターで切ったようにDNAが切れちゃうんですね、放射能が来ると。さっき線が出てましたよね。セシウムでもそうですけど、こうやって切られるわけです。
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