新電人房 別室『十畳』

尊敬する人は?



そんな親父殿のことを徒然なるままに書いてみます。

私は三人兄弟の末弟としてこの世に生を受けました。

親父殿は当時35歳。
今の私より若かった。
親父殿は、陸上を走る乗り物で運転する資格を持っていたなかったのは鉄道のみ。
(「けん引2種」の運転免許証はなかったが、そんな乗り物は実際に見た事がない)

恐らく昭和7年生まれで自衛隊にも所属せずに、それだけの免許証を所有していたというのは凄い事だと思う。

親父殿は非常に行動力に溢れ、小学生の時に一人で大阪から九州まで汽車に乗って米を買いに行った事があるらしい。
(当時第二次大戦で米不足の為)
この行動力は私の長兄に色濃く引き継がれている。
長兄は6歳の頃、母方の祖父の葬式に参列する父方の叔母に宝塚から伊勢までの道順を案内した。
また、私が幼稚園の頃、5年生の長兄は、3年生の次兄と私を連れて、宝塚から伊勢まで電車で遊びに行った事がある。

親父殿は、非常に頑固で負けず嫌いである。
新しい現場に行く度に、喧嘩をしていたらしい。(母談)
長兄も取り敢えず気に食わないヤツは、シバきまわすのが基本である。

親父殿は昭和7年生まれであるが、身長は175センチと当時の日本の平均身長から考えるとかなり大きかった。
これは次兄に引き継がれている。
昭和39年生まれの次兄は、身長191センチと現在の日本の平均身長に比べてかなり大きい。
また、顔立ちや声も兄弟の中では次兄が最も親父殿に似ている。
小学校の時、父親参観に親父殿が来てくれた時は、必ず同級生に、「おっちゃん、恐そうやな~」と言われた。
今になって思えば、恐そうな親父殿が少し誇らしげだったと思う。

親父殿はとてもビールが好きだ。
これも長兄が一番引き継いだと思われる。
そして、酔い方もよく似ている。一番似ているのは、酔い潰れる前にはちゃんとやめるところである。

親父殿は新しい物好きでもあった。
私が幼少の頃、我が家はお世辞にも裕福な家庭ではなかった。
しかし、オープンリールのテープレコーダーや、カセットテープ、ビデオ、レーザーディスクなど、気が付けば親父殿が購入していた。
これも長兄がよく似ている。兎に角新しい物が発売されると買っている様だ。

親父殿は凄く力が強かった。
私が小学生の頃、親父殿は40を越えていたにも関わらず、キリンビールの王冠を、親指の力だけで二つ折りにしてみたり、リンゴを手で二つに割るなどしていた。
学生時代なら、当然私も同じ事ができたのですが、37歳の今、できる自信はありません。
腕力は長兄、握力は次兄に引き継がれています。
私も弱い方ではないと思いますが、世間一般レベルである事には違いありません。
恐らく長兄と腕相撲をやると両手でも勝てないと思う。

親父殿は、家族の大事なイベントがあった時は家族で写真館に行って写真を撮っていました。
実家にはそんな写真が3枚残っています。
長兄の小学校入学。
まだ生まれたばかりの私は、母親に抱かれて写っていました。
こんな私でも、赤ん坊の時はかわいい。
次兄の小学校入学。
3歳になった私は、余所行きの服を着せてもらって、精一杯のお洒落をしていたという感じで写っています。
次兄の中学入学。
小学校3年生の私は、学生服を着ている二人の兄を羨ましく思い、早く学生服を着たいを母に言った事を覚えています。

子供の頃、親父殿は、家に帰ってくると、よくお小遣いをくれました。
親父殿がくれた最後のお小遣いは、私が結婚する3日前。
朝から雨が降っていたので、駅まで親父殿が私を送ってくれた車中でした。
親父殿が「小遣いや」と一万円札を私に差し出しました。
断ったのですが、親父殿が「ええから、とっとけ」と言うので、ありがたく頂戴しました。

私は親父殿に似ず、ビールが大嫌いです。
それでも何度かは親父殿と一緒に酒を飲んだ事があります。
でも、もう一度くらいは飲みたかったですね。

きっと兄弟で一番親父殿の血を引き継いでいないのが私だと思います。
親父殿からすれば、失敗作だったかも知れません。
でも、親父殿。
長兄、次兄ほどではないにしろ、短気で頑固で負けず嫌い、手足がでかくて石頭。
ちゃんとあなたの血は受け継いでますから、ご安心あれ。

ところで、なんで私の小学校入学の時に写真を撮りに行かなかったのかは、最後まで教えてくれないつもり?

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