アルカトラス島:アルカトラスといえば、昔、機内で「ザ・ロック」を見たり、アルカトラズからの脱出を見たりしつつも、昔、レインボーにいたグラハムボネット(ボーカリスト)が作ったバンド名でもある。高校生のころ、あの声にしびれて、思わず、全部アルバムは揃えていたのであるが、あのギタリスト、イングウエイマルムステーンはどうしているのか。まるで、グラハムを無視しているようかのプレイで、ちょとだけむかついていた高校生時代であった。 以下、ウディキペデシアより抜粋;1983年、マイケル・シェンカー・グループを解雇されたグラハムは元ニュー・イングランドのゲイリーとジミーと共にバンドを結成する。グラハムはレインボーで共演したリッチー・ブラックモアに良く似たギタリストを探すためオーディションを行い、元スティーラーのイングヴェイ・マルムスティーンを獲得。(イングヴェイ本人の話ではUFOの誘いも受けていたが、グラハムの方が歌が上手いと言う理由でアルカトラスに加入したという。) イングヴェイを獲得したバンドはまだ正式なドラムが決まっていなかった為、スケジュールの都合で加入できなかったコージー・パウエルの推薦でクイーンのロジャー・テイラーと元アイアン・メイデンのクライヴ・バーを紹介してもらったが、ロジャーとはスケジュールの都合で断られ、クライヴに至ってはイングヴェイが拒否したため、加入にはいたらなかった。バンドは元アリス・クーパーのヤン・ウヴェナを加入させ、レコーディングに突入。 1983年12月にはデビューアルバム『NO PAROLE FROM ROCK'N'ROLL』をリリース。グラハムの凄まじいボーカル、イングヴェイの強烈なギタープレイとそれまで聴いたことないようなメロディアスな楽曲は世界中のヘヴィメタルファンに衝撃を与え、数年後の速弾き戦国時代突入のきっかけとなった。また、日本盤の伊藤政則のキャッチコピー「泣くがいい。声をあげて泣くがいい。」は日本のヘヴィメタルファンの間では有名な名言(迷言?)になっている。 1984年1月には初来日を果たした。イングヴェイはリッチーに憧れているとはいえ黒い衣装、白いストラトキャスター、ギターを壊すパフォーマンスと全てリッチーのコピーであるため客から失笑がもれた。しかし「テープの速回しじゃないか?」と噂されていたイングヴェイのメロディアスかつ強烈な速弾きは紛れもない本物であった。そして、この初来日の東京公演を収録されたアルバム『LIVE SENTENCE』をリリースされるも、グラハムとの関係が悪化したのを理由にイングヴェイは脱退してしまう。後任にはイングヴェイとはギタースタイルが極端に違うスティーヴ・ヴァイを加入させ、1984年10月に再来日を果たした。初来日公演も再来日公演もライブ・ビデオが発売され好評であった。 1985年にはスティーヴを迎えての傑作「Disturbing The Peace」をリリースしたが、同年、スティーヴが当時ヴァン・ヘイレンを脱退したばかりのデイヴィッド・リー・ロスの誘いを受け脱退、後任にダニー・ジョンソンを迎え、3rdアルバム「Dangerous Games」をリリースするも鳴かず飛ばずで1987年に解散した。