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今日はお店に行くまで暇だったので家の掃除をした。 家を掃除していると色んな本が出てきた。自分は本をよく買う。でも、買って満足してしまう為読まない事が多々ある。 その一つ一つの本を手に取りその場で少し目を通すものだから掃除が全然進まない。面白い本が一杯でちょっと楽しくなって来ていた。 色んなジャンルの本がありそのすべての本をいつか必ず読まないとっと思う。 先日いらっしゃったお客様が「買った本をすぐ読まないと絶対読まなくなる」と言っていた。今まさしく実感した。よし!空いた時間は読書しよう!
2003年01月31日
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今日は一日休み!今日は早い時間からちょっと遠出をし休みを楽しんだ。久しぶりに休みを堪能出来た気がした。素敵な人と出会っていい一日で終わるかと思っていた。 午後も違う予定が入っていた。知り合いの経営者の方からある人っと会ってと頼まれたのだ。その人も経営者の方で自分とは大分歳が離れている方だ。 実は名前だけは知っていた。金、金、金の至上主義者みたいに聞いていた。でも表向きは大成功者である。そんな方と二人で会うと言うのだ。 西麻布某所、待ち合わせの時間に行くとその方は悠然と座敷に座って自分を待っていた。 自己紹介も早々にいきなり自分の仕事の主観を捲くし立てた。その話しの内容は「とにかく金だ!」みたいな話しだった。そして自分の仕事に対する姿勢を否定し始めた。やんわりと決して上からの物言いでは無かった。柔らかい言動だったが余計に自分がカッカッしていくのが分かった。 この方は何が言いたいのだろう?自分の事をどうゆう風に聞いているのだろう。その方がやられているような仕事をしたくないからこそ今の仕事をしていると言っても過言ではないのに・・・ 色んなお金にまつわる話しをしていたが、もう限界に達していた。「あなたの様に人の痛みが分からない方の説法は聞きたくありません!」と言いテーブルに一万円置いて席を立った。 西麻布には自分だけ知っているスポットがある。席を立ちそこに行き西麻布の夜空を眺めながら煙草を立て続けに吸った。そして色々思い直した。その方が言う事も凄い分かる点もあった。しかし人に後ろ指指されてまでそんな人生を歩みたくない。きっと自分は甘ちゃんなのだろうが意地を張り通したい。皆さんに喜ばれるようなお店を作って行きたい。それはもう自分の人生を賭けた事なのだ。人生を犠牲にしてもすべてをそこにぶつけて行きたいと改めて思った。 西麻布の今日の夜空はとても綺麗だった。自分もこの夜空のように澄み切った人生を送って行きたい。煙草を吸いながら今日の一日を思い返した。今日は本当に明と暗・・・そうそう人生楽しい事ばかりじゃないね。だけどそんなんだから人生って楽しいのかな?辛いのかな?それにしてもあそこの店の会計は一万で足りたのかな・・・
2003年01月30日
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今日も朝から広尾に行って、銀行行って、新宿に池袋・・・と用事が重なってしまった。 最初に広尾に向かった為、明治通りを使った。普段は店と家の行き来では山手通りを使うので明治通りを使うのは久しぶりだった。 昔から明治通りを通る時、必ず引っかかる信号がある。その信号の場所に一軒のラーメン屋さんがある。そこのラーメン屋さんはそこの信号に止まる度ボーと眺めていた。そしていつも満員!いつもスゲーと思っていた。いつか入ってみたいってずっと思っていた。でも自分はあまりラーメンを食べに行かない。貧乏性な自分はスープを最後まで飲んでしまいいつもグロッキーになってしまう。その為なかなか行きたいと思っていても足は向かなかった。 そのラーメン屋さんんの店頭には「替え玉二玉まで無料!!」と書いてある。って事は麺が3人分タダである。自分はあまりよく分からなかったのだが食いしん坊な知り合いに聞くと普通替え玉はお金がかかるらしい。 今日もその信号に引っかかってしまいそのラーメン屋さんを覗くと開店準備をしていた。前と変わらない店構えの中一つの張り紙が貼ってあった。 それはお世辞にもうまいとはいえない字で「長い間お世話になりました・・・1月31日を持って閉店とさせていただきます・・・」その張り紙の正体は閉店の挨拶の紙であった。 ボーとその紙を読み返した。信号が変わるのも気付かなかった。あんなにいつも満席だったのに・・・何故?という思いが頭をずっと過ぎった。今日の昼飯はここにしようと決めた。 お昼過ぎにそのお店に着いた。何とお店は昔と変わらず大盛況であった。少し待って店内に入り注文した。店内には一杯替え玉した人の写真が所狭しと貼ってあった。中には12回替え玉達成!!という人もいて何か凄い店だった。地元に根付きいいお店だなと感じた。 実際のラーメンの味はとても美味しく周りのお客さんもガンガン食べていた。そして自分も替え玉してみた。でも一回でギブアップ・・・。12回って凄いね。 そこのお店の人に「何故閉めるのですか?」と聞いてみたかった。でもそれは野暮の話しで、その人にはその人の人生や理由があるのだろう。繁盛店なのに閉めるという事は・・・難しいね・・・
2003年01月29日
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今日は早い時間から強い雨が降っており、前にも書いたがうちのお店は雨に弱い為苦戦が予想された。 この雨なら一人でOKと感じまだ出勤していなかった吉岡君を休ませた。準備を済ませ色々仕事を探すと氷が割られず冷凍庫に入っていた。 氷を割るのは久しぶりだった。以前も氷はずっと従業員達に任せっぱなしだったので初心忘るべからずという意味も込め割り始めた。 -20℃で締めた氷は以上に冷たく軽い凍傷になった気分だった。一貫を丸氷用(ウィスキーのロックなどで使う丸氷)の大きさで割るのと普通のグラスで使う氷、その余った氷はソフトドリンクに使う。 アイスピックでガツン、ガツンと割っていった。そして割った氷はまたー20℃の冷凍庫で締める。その後は面を取る作業をする。面を取るという事は、氷の尖った部分を丸く削るのだ。何故このような事をするかと言うと氷というものはー20℃で締めていたとしてもこの尖った部分からどんどん溶けてしまうからだ。水っぽいカクテルや水割りを提供しないようにするにはここまでの工程を要する。面を取った氷はまたー20℃の冷凍庫で締める。最低一日は締めさせる。通常何日かかるこの作業で初めてお客様に提供出来る氷が完成する。 面取りや丸氷などは、歯が無い包丁やパンナイフを使う。丸氷などは一貫から正方形の氷を割り一日冷凍庫で締めて翌日ピックである程度の形を作る。そしてまた一日締めてパンナイフなどで永遠と真ん丸く削る。初めて丸氷を見るお客様はあまりのまん丸具合に驚く。「この形で打ってるんですか?」と口を揃えて言う。いや削って作ってますと答えると「え~!」と感嘆の声を上げる。でも、見た目より簡単な気がするのは気のせいなのだろうか? とにかく久しぶりの氷割りなのでどうにもこうにもー20℃に手が慣れない!冷たいのなんのって・・・いや冷たいというよりも痛い!案外大変な作業だなと改めて感じた。 今日は一日氷の仕事で終わってしまうのか・・・と腹をくくると何組かお客様が来店された。これだけの雨でこの来店は本当に嬉しかった。皆さん飲み手な方でお酒を作っていても楽しかった。 久しぶりに雨に勝ち、明日以降の活力になりました。
2003年01月28日
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今日ニュースで東証が女性に向けての株式投資セミナーを行うという特集を見た。 責任者であろう人がしきりに女性のマーケットの重要性を語っていた。セミナー当日責任者の方はドキドキで会場を眺めていたが、想像以上の大盛況ぶりであった。 そして参加している女性達も自分達が日本経済を担っている事を自覚しているように思えた。各々の置かれている立場からより一歩先に進みたいという気持ちが画面上からも伺えた。 やはり、今や消費の主役はF1世代と言われる女性達なのだろうか?きっとそうなのかも知れない。うちの常連さんも男性より女性の方の方が多い。そして仕事の話を熱く語るのも女性ばかりな気がする。その現実をしっかり受け止め女性の所謂パワーエリートな人達も楽しめるようなお店を構築して行きたい。その中でも気軽にいろんな方々が遊びに来れるお店作りも意識したい。二兎追うもの・・・みたいになるかも知れないが結局は皆が満足出来る店を作りたいのだろう。しかし、一男性として女性に負けないよう頑張ろうと思う。
2003年01月27日
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さすがに昨日、一昨日の寝ない男に終止符を打つべくすぐ寝ようと思っていたがお昼すぎまで起きてしまった。 布団でずっとモジモジ・・・寝りゃいいものを・・・。13時過ぎに寝始めた。それから5分ぐらいしか経ってないのかと思っていたらなんと時計は23時を指していた。 大遅刻ではあったがお店はそんなに混んでいなかった為Y君一人でも余裕だったみたいで、休めばよかったかな??と思ってしまった。やっぱり規則正しくしていかなきゃダメですね・・・。
2003年01月26日
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今日は昨日に引き続き早くから仕事があった。昼には目黒区役所建設課の人が「ShotBar 扉」の建物チェックがあった。 自分が早くから店にいる事もありY君はちょっと遅くからの出勤になった。Y君が出勤するまでお店の来店数は0!まったくもって暇であった。Y君が出勤する直前、不覚にも軽く落ちてしまった。ハッと目を開けるとY君が出勤してきた所だった。「大丈夫ですか?今日は暇だと思うんで大丈夫ですよ」と彼は言った。 帰る気満々で準備をしているとよく来ていただくお客様が来店された。そしてあれよあれよという間に店は一杯になりもちろん帰れるわけもなく朝まで働いた。二日間で殆ど寝てない自分はフワフワした感じだった。明日は寝る男に変わるだろう。
2003年01月25日
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今日姉が飲みに来た。早い時間一人だった為ちょっとあくせくした。 その姉の家にはミニチュアダックスフンドの夫婦がいる。そして二日前に子供を5匹生んだそうだ。 「里親探してるんだよね~。」と姉は言った。その言葉に自分はすぐ便乗し「俺に一匹頂戴!」とせがんだ。 すると姉は「ダメだお前じゃ・・・」とそっけなく返された。自分のだらしなさをよく知る姉は自分に里親はムリだと判断したらしい。 「お前が仕事で家を開ける時どうするんだ。」・・・etcもうありとあらゆる否定を姉はした。あげくに友達の方に「昔はどうしようもない遊び人で・・・」と自分の若い頃まで軽く話した。 否定される度にやっぱりムリだ、俺じゃ育てられないなぁ~と思ってしまった。そう感じ落胆していると姉が「じゃあ今度見に来なよ」と言った。「えっ?飼っていいの?」と言うと「自分でよく考えな・・」との返事だった。 だからよく考えてみよう。飼いたいけど生き物だから。でも犬、犬と騒いでいたらこんな話しが舞い込むとは・・・犬を飼っていいよと天の声が聞こえてくる気がした。
2003年01月24日
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今日は、のんびりしていて店に行くのが遅かった。久しぶりによく寝て久しぶりに頭がクリアになった気がした。 そして急いで店に行くと、扉の向こうから犬の鳴き声が・・・「えっ?」と思い扉を開けるとそこにはOHFREDDYのフレンチブルドックのプリン社長と日記にも書いているよく来て頂いている女性のお客様のトイプードルのジニーが走り回っていた。 けっして犬を許可している訳では無いのだがこの二匹はメチャメチャ可愛い。自分の犬好きに火が灯る。 5kgのジニーと15kg強のプリン。優劣は明らかだった。飼い主のそのお客様がジニーを抱くとジニーはプリンに威嚇した。するとその飼い主であるお客様は「かっこ悪~い。お前負けたんだよ!」と言い放った。そして追い討ちをかける様に「負け犬~」とジニーに言った。心なしかジニーはいじけて見えた。 するとプリンの飼い主の准君は「そう言えばドック・カフェってよくあるけどドック・バーって無いね」と言った。そう言えばと店内にいた全員が感嘆の声を上げた。「もうドック・バーにしようよ。バー犬小屋って名前で・・・」勝手な事を皆言い始めた。そりゃバーなのに何故か犬のおやつを常備しており対応は出来るんだけど・・・もう少し普通のバーでいさして貰いませんか?っていうか普通のバーなんです!犬を許可してるのもこの二匹だけなんです(汗)
2003年01月23日
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仕事柄色んな方と出会う。うちのお店は小さいのでお客様とは大体会話する。 異性の話と双璧なのが仕事の話だ。皆さんの仕事のお話を聞いていると今の世相が見えてくる気がする。そして今の日本の不景気具合が手に取るように感じる。 でも皆さん頑張っている。そんな皆さんのお話はとても興味深く、そして自分達に勇気をくれる。 皆が皆今の世の中に指をくわえているわ訳ではない。正業を営みこれからも全力で問題に対応していって欲しい。そして自分もけっして逃げる事なく常に何かを求めて前進したい。
2003年01月22日
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まさに今ダイジェストで横綱 貴乃花関の引退会見を見ている。何故か感慨深い。 それはきっと自分と年が同い年だからだろう。まったくの同世代・・・。横綱は父が大関、叔父が横綱という相撲一家に生まれそれはまさしく相撲人としての十字架を背負い戦ってきた。 自分と同じ時間を自分とはまったく違う時間を過ごした横綱・・・。15歳という若さで勝負の世界に飛び込んだ横綱はストイックなまでに自分の心も体も苛め抜いたように思う。 横綱の15年間のダイジェストを見ているとその時自分は何を・・・と自分自身の人生も改めて見直しが出来た。横綱が戦っている時自分は・・・恥ずかしくなっている。 うちの母が相撲をとても好きで以前両親と姉を相撲に連れて行った事があった。その時に見た横綱は神々しく写った。ある意味横綱という地位は神の領域のような場所だったのか・・・そのプレッシャーとはいかなるものだったのだろうか? とにかく今はゆっくり休んで頂きたい。相撲人気を支えた偉大なる横綱が幕を引いた。きっと第二の貴乃花を育てるであろう。そして同じ年としてまた自分と照らし合わせるのだと思う。勝手にだけどね・・・。
2003年01月21日
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今日はうちのY君がお休みで一人の営業だった。がっFちゃんという前の会社のアルバイトの子が手伝いに来た。 Fちゃんは18歳で前の会社に面接に来て依頼4年の付き合いになる。面接したのが昨日のように思うが、18歳と思っていたFちゃんも22歳。そりゃ自分も年とるはずである。 彼女は自分に色んな相談をしてくる。昔仕事中だったのだが西麻布のBarに連れ出し延々と相談された事を思い出す。あの頃に比べると今の彼女は迷いもなく自分のやりたい道に向かって頑張ろうとしている。 彼女を始め前の会社の子はよく手伝いに来てくれる。みんな有志での手伝いだけにありがたい!いつになったら彼女達に恩返しが出来るのであろうか?頑張ろう! 彼女と久しぶりに会った気がして話しが弾む弾む!色んな話しをした。しかしその一つ一つの話しが終わるとお互い「お客様は来ませんね~」と顔を見合わせる。 日曜日はあまりやらない店が多い。きっと日曜日はあまり入らないのだろう。しかしうちは年中無休!営業の方はというとめちゃくちゃ忙しいか、まったくヒマかどっちかである。 しかも今日は早い時間から雨が降っており先行き暗しだった。前の店でも雨の日の売上は一桁違うぐらいだったのでうちの店では致命的だ。雨なんかに負けたくないのだが・・・こればっかりは・・・ あまりにもヒマなのでFちゃんを予定より早く帰して一人での営業となった・・・。しかし未だヒマである。雨降ってバイクで帰れないしこりゃ自分が客となって売上に貢献しようかな・・・。雨なんかに負けないぞ~!
2003年01月20日
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今日はK君が遊びに来てくれた。K君はうちのお店のデザインを最初にお願いした人だ。結局自分の決断でK君のデザインは採用しなかった。それでもK君とその後もお付き合いがあり彼の事はとても好きだ。 K君は今デザイン会社で働き、昨日までラーメン屋のデザイン、そして施工の管理などしていたらしくとても忙しかったらしい。彼はいきなり自分と目が合うと「僕、あと一年で実家に帰るんです」と唐突に切り出した!そんな話しは始めて聞いたので自分とよしおは「えー!」と驚くばかり・・・。話しを聞くと彼の実家は工務店らしく来年彼はその会社を継ぐのだという。お父さんにお願いされたらしい・・・。そして彼は延々と朝まで仕事の話しをした。 彼はとても仕事に熱い!初めて自分が家をデザインし、その家が完成した施主に「とてもいい家をありがとう」と言われとても感激したそうだ。それからというものデザインの世界にドップリはまった。 彼の仕事感はとても共感できる。彼も自分達と一緒で仕事バカである。話しを聞いているだけで彼の人柄や熱い志が手に取るように分かる。彼のお父さんも熱い人らしく彼を大切に育てた事が伺える。 自分は彼が好きである。それはもしかしたらうちのY君とよく似たところがあるからかも知れない。彼とY君は同じ年で夢や希望に溢れている。そんな彼らを見ていると俺も頑張らないといけないと感じる。二人共仕事に対して真摯に向かう姿がダブらせる。あまり内容は書かないが・・・。書くと仕事バカだって言われるから・・・ お互いの成功を祈って止まない。これだけの人材を抱える日本はまだまだ捨てたもんじゃない!
2003年01月19日
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今日忙しい時間が終わり朝方にうちのY君が自分に「何かの雑誌に色んな占い師が今年も不況って書いてありましたよ」と言った。 占い師ぐらい明るい話題を提供してくれればいいのにと端的に思うのですが、ここまで日本が傾くとそういわざる終えないのが現状なんでしょう。 景気に左右されない・・・そんなお店作りは可能なのでしょうか?不可能なのでしょうか?自分は不可能を可能に変える事の出来る人間なのだろうか? よく自分が成功するという夢を見る。また逆に事業に失敗し苦悩する夢もよく見る。それはまだまだ有限会社ドアーズ・ダイニングの将来が未知数である事を暗示しているかの如く自分を夢の中で揺らがすのであろう。自分には少ないがいっしょに夢を掴もうと日々頑張っている従業員、そして自分が苦労し具体化した会社に先を見せていかないといけない。守るべきものがたくさんあり、そのすべてが自分にとって大切なものだ。 最近自分自身もそして「ShotBar 扉」も忙しい日々を送っている。お店の方も今日なんか、常連様、お友達、新規のお客様と色んなお客様を迎える事が出来た。まだまだ新規のお客様の足が途絶えない事を考えると認知度を高めるアクションをこれからドンドンやっていかないといけないと思う。そして自分達、お店を信頼し遊びに来てくださるお客様一人一人に頭を下げお礼を言いたい。自分達がやろうとしている事が本当に少しずつではあるが浸透し始めているのを感じる。とても嬉しくもあり責任重大だ。 不可能を可能に変える・・・それが自分にとって出来るのか出来ないのかそんな事は分かるはずもない!しかし自分達が日々お店で体現している先にはきっと明るい未来が待っているはずだ。その障害となる扉を自ら切り開こうと改めて心に誓うのであった。すべては日々の行動なり営業に答えを見出していかないといけない。よく言うのだが、一日、一時間、一分、一秒を大切に過ごしていきたい。日々是決戦である!
2003年01月18日
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今日最後に来ていただいたお客様は、OPEN時から来ていただいている女性のお客様で、彼女はトイプードルを飼っており「連れてきてもいいですか?」と前からおっしゃっていた。 自分は、犬大好きなので「いいですよ!」と答えていた。しかしなかなか実現せずいつも女性二人か4人ぐらいでカクテルを楽しんでいた。 しかし今日それが実現!トイプードルがうちのお店に遊びに来た。フレンチブルドックのプリン以来のワンちゃんの御来店だった。 テディーベアーカットのその犬は大人しく、とても愛らしかった。プリン用に買った餌を差し出すと美味しそうに食べた。 しばらく飼い主とお連れ様の足をいったりきたりし、やがて疲れたその犬は飼い主の膝の上で自分をジーと見つめた。 それはまさしく「どうする~アイフル~」状態!そのつぶらな瞳が可愛いすぎる!飼いたい!どうしても犬を飼いたい~!この衝動がなかなか収まらなかった。 しかし、そのお客様が帰った時冷静になった。そういま飼ったら絶対不幸にさせてしまう・・・。断念するしかない!でも早く飼えるように仕事をがんばろう!それまではOHFREDDYのプリンと遊ぶんだ~!
2003年01月17日
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よく来て頂くプロレス裏情報通のお客様がいる。そして何を隠そううちのY君も生粋のプロレスファンだ。 Y君は子供の頃、長州力を見かけそれからファンになった。子供の頃からゴングを欠かさず読みまだ実家には宝物のようにとってある。 そしてそのお客様も大のプロレスファン!しかし裏情報満載でそれを分かった上でのプロレスファンだ。 お互い同じ大好き者同士なのでいつもプロレス話に花が咲く!その裏情報を暴露される度にY君は「え~!」「マジっすか?!」と落胆の叫びを上げる。あくまでショーとしてプロレスを楽しんでいるお客様。そしてショーだと分かっている、分かっているんだけどそこにもリアルな部分があるはずと信じているY君!二人を見ていると面白い!あくまでショー論を唱えるお客様と聞きたくない、でも聞きたいと苦悩しているうちのY君。この二人の話しは何時間経っても終わろうとしない。 P,S 何故かこのお客様、自分と話す時は「死にたいなぁ~」を連発?!あの~自分もプロレス嫌いじゃないんですけど・・・。
2003年01月16日
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昨日のお客様はこのお店をOpenしてから知り合った大学病院の先生達。彼らはとてもお酒に興味津々! うちのお店の珍しいウィスキーを飲み漁っている。まあ自分がお勧めしているのだが、そのすべてに感動してくれる。 ロックで飲まれる事が多いのだが、昨日はうちで使っている水に注目!ウィスキーの種類により水を当店では替えている。なるべくウィスキーの仕込み水に近いミネラルウォーターを使用している。わかり易く言うと魚沼産のコシヒカリはやっぱり魚沼のお水で炊いたら激ウマって説明で分かるかな? そんな、小さなこだわりを大変感激してくれてちょっと恥ずかしいぐらいだった。彼らのようなお客様が増えてくれるともっともっと珍しいお酒を探したいと思う今日この頃です。
2003年01月15日
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今日は朝早くから去年の家の護摩を西新井大師に帰し今年用のを買う予定だった。 朝九時に友達と約束し、友達が車を出してくれる予定だった。しかし朝起きると時計は九時半頃だった。それでも布団から出れずモジモジしていると友達からTELが来てこないから遊びに行くとの事だった。 さすがにお昼には布団から出てシャワーを浴びそして出かけた。会社の支払いや両替などで銀行によった。しょうがないので何年ぶりか自分の車に乗った。先日バッテリーを治し走る事を確認したのだが、何故か調子が悪かった。スポーツカーって・・・と感じてしまった。 行きは凄く混んでおり時間がかかった。そして一時間以上かかってやっと着いた。もう14日になると言うのに人が結構いた。そして出店も一杯出ていた。今や出店も色んな店が出てる。イタリアンパスタ、神戸牛、鮎の塩焼き・・・後が楽しみだった。 去年の護摩を返し、今年の護摩をお願いした。今年は父が方位厄だったのでそれも買った。護摩焚きまでの時間、出店に行こうかと思ったが最後のお楽しみにとっとこうと思い辞めればいいのにここでもおみくじを引いた。 西新井には二種類のおみくじがある。一つは小さな御神体入りのおみくじで普通にかごに入っており手を入れ引く。もう一つは一般的なものだ。やはりここは普通のおみくじを引こうとガラガラ振った。30番!いいかもと思い引いてみると「凶!」だった読むと何やってもダメとゆうような事が書いておりうわーどうしよう・・・とせっかく元旦に吉を引いて末吉の連続記録を止めたのに、それより悪い「凶」なんて・・・かるく読み上げすぐにくくり付けた。そして考えたあげく御神体のおみくじを引きなおす事にした。そしてかごに手を入れ引くと「中吉!」だった。文もいい事が書いておりそして御神体は招き猫だった。さっき「凶」を引いた事を忘れうきうきになった。これはずるいのかな? そして護摩焚き。10人程の僧侶が出てきてお経を唱え始める。西新井は二年振りぐらいで自分のイメージでは荘厳な感じだったように記憶していたのだが、今日のは太鼓の音、鐘の音、そしてお経がノリノリで凄いテンポよくこれCDにしたら売れるんじゃ・・・と思えるぐらいに勢いがありお経と思えなかった。 そして護摩焚きが終わり、さあ出店の繰り出そうと境内から出店群を眺めるとシーンとしておりやってるお店は二店だけ。それも玉こんにゃくときりたんぽのお店だった。ちょっと傷心でこれが凶の始まりかと・・・凶を引いたのを思い出してしまった。
2003年01月14日
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トカゲの王様!そう久しぶりにPVを見た。ジム・モリソン・・・トカゲの皮パンを履いた60年代アメリカ最大のSEXシンボルだ。 その破天荒ぶりに皆が目を向けるが実際の彼はとてもシャイな男だったように思う。それが周りの実際の彼を超越したイメージのお陰で薬にはまり虚勢を張り続けた。 彼の歌声、叫び、詩、そしてインディアンの霊がのり移ったといわれる独特なダンス、そして容姿・・・すべてがカッコよく魅力的だった。 「The End」・・・彼の死後「地獄の黙示録」のテーマソングになった曲だ。「これで最後だ・・・美しき友よ・・・」と始まるその壮大な歌はなんとも表現しがたいが彼の魅力を全面に出した曲である。彼がこの曲のクライマックスで言う言葉「パパ、俺はお前を殺したい」「ママ俺はあんたを・・・0かしたい」と言ってのけ当時のアメリカの青年達は影響を受け実際に行動に移してしまった者も少なくない。そんな馬鹿な事を・・・と思うのだが当時の熱狂ぶりがやってのけてしまったのだろう。 彼の暴れん坊ぶりはとても有名だが、彼女との愛を貫いたという事実もある。そのパメラという彼女に送った詩がデビューのきっかけになった。しかし当時のロックスターの例に漏れず彼もすっかり薬に依存してしまった。自分の過大評価に戸惑いそんな自分を薬というカモフラージュによりジム・モリソンを演じた。薬に依存した事はけっして評価しないけどそれでも何一つ色褪せない魅力を自分はガキの頃から感じていた。 ドアーズ脱退後、彼はフランスでヘロイン中毒で死んだ。当時のロックスター、ジミーヘンドリックス、ジャニスジョップリンと同じ27歳という若さでこの世を去った。そして彼女、パメラも薬漬けとなり娼婦になってジム・モリソンの亡霊を捜し求めた。そして同じ27歳でヘロイン中毒でこの世を去った。彼らはあの世で幸せに暮らしているのであろうか?もし、彼が今も生きていたら・・・シドビシャス並に想像がつかない。 彼は27年間という短い時間走り続けた。でも本当の意味で扉を突き破れなかった。自分は彼に敬意を評した意味も込めて会社名にドアーズというフレーズを入れた。自分は彼が果たせなかった「その扉を突き破れ」を必ず叶えたい。彼とは違い一日でも長くこの会社を繁栄させたい。でも、彼のように日々走り続けていこうと思う。
2003年01月13日
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今日は以前の会社の店舗Concertoの調理長だったN君(24)の結婚式&披露宴だった。自分は式には出ないで披露宴のみ出る事となった。 14時半に開宴予定で14時から受付開始となる。この日は当初自分は正月休みの予定でヨーロッパに滞在する予定だった。「俺行かなくてもいい?」とうちのY君に言うと「ボスさんが行かなくってどうするんですか(怒)」と怒られてしまった。そうだよな~俺行かないでどうすんだ~!と反省したのだが、当日家を出ようとした所TVで東京丸の内に出来た外資系の高級ホテルで働く人の人生模様的なドキュメントが始まり思わず食い入るように見てしまった。「俺行かなくても・・・」と思うほどそのドキュメントに興味を持ってしまったが心を鬼にして会場に向かった。会場に着く頃に「そうだ!ビデオに録れば・・・」そう思った時は後の祭りである・・。 その会場のドアをドン!と開けると既に披露宴は始まっていた。空席が見当たらない・・・そう、自分が一番遅い出席者だった。辺りを見渡すとF君の一際でかい体が目に入り中央のその席に向かった「おはようございます!」とうちのY君、F君、T君、Mちゃん、S君とコンチェルトで頑張った仲間達が既に着席し厳かなムードにマッチしていた。自分はグラサンにロングコートに皮手袋と相変わらずの殺し屋ルックでのいでたちだった。グラサンを外しN君に目をやるとすぐ目が合い何故かペコペコ頭を下げていた。 式は新郎、所謂N君の知り合いからの送る言葉から始まった。その方はN君の家族と30年来の付き合いで大きい会社の社長さんだった。その方は体がとても不自由ででもしっかりとした口調で新郎、新婦に祝辞を述べた。その言葉一つ一つに何か感動してしまいこの披露宴での自分のクライマックスを早くも向かえてしまった。底知れない感動を覚え今まで数多くの祝辞を聞いてきたけど一番素敵な祝辞だった。 そして、乾杯が終わりしばし歓談タイム。自分はコートを係りの人に渡し、遅刻したせいもあり結婚祝いを渡していなく係りの人に聞くと「じゃあ新郎の親族の方に直接・・・」それでいいのかと思ったけど直接N君のお父さんに渡しに行った。「自分、N君の以前勤務しておりました会社の責任者をしておりましたボスと申します」と挨拶をして結婚祝いを渡すと自分の後ろにはF君、Y君、Mちゃん、S君と何故かうちのテーブルの殆どがお父さんに結婚祝いを渡していた。「何?みんな遅刻してんの?」「は~い」と口を皆揃えた。一人後ろに並ばなかったT君に何時に来た?と尋ねると「13時です。式も出ました!」彼なら納得・・・。するとF君が「何でこの場所での披露宴か知ってます?」聞いてきたので「知らない?何で?」と聞きなおすと今度はY君が「この披露宴のホールがConcertoって言うんですよ」そしてF君が「あいつ、今日まで何も言ってなかったんですよ」と付け加えた。一昨年の頭、会社に残るのを決断し新店を自分が企画したそれがConcerto!Y君、T君、Mちゃんの3人は以前から夜光虫で働いておりN君やF君、S君その他の夜光虫、Concertoのメンバーは会社に残るという決断をしなければ出会わなかった・・・。そしてN君はこのConcertoを愛してくれた。いやここにいる仲間達は皆愛してくれた。その思いがこの会場にしたのだろう。表情には表さなかったが感慨深かった。そしてあの時、退社を決意していれば、出会わなかったであろうN君やF君、S君を初めとするスタッフの顔がよぎり人生って面白いもんだなと感じた。 自分は最近の披露宴は三回連続で瓦割りなどの空手演舞がありN君の披露宴はどんな事が・・・と期待したが案外何もなく歓談タイムが続いた。「こうゆうのが無いと集まれないなぁ~」と自分が言うと皆「そうですね」と答えた。「次は誰だろうね」とMちゃんが言うと皆一斉にY君に目を向けた「しないっす、しないっす」と独り言のように呟くY君に自分が「適齢期だもんね!」と言うとMちゃんが大爆笑した。「適齢期って・・・」とY君は呟いた。 ほどよくお色直しで退場した二人、そしてまた歓談!飯を食いに来てるようだった。F君とY君は子供向けに出されるオムライスやスパゲッティを見て「あっちの方がいいよなぁ」と言い合っていた。N君!お前が選んだ料理はオムライスに負けてるぞ!そしてN君のお母さんがお酒をつぎに廻ってきた。「まあまあNが・・・」と言い一人一人に丁寧にお酌して廻った。Y君のテーブルに来た時「いや~N君、若いのに大したもんですよ」とお母さんに言うと「そうなのよ」とさっきまでの態度が変わりY君の肩を叩いた。そしてよしおもタジタジになる暴露話をコソコソ展開した。聞こえてるって・・・。 そしてお色直しも終わり各テーブルにキャンドルサービス・・・。皆大人しく拍手で迎える中、うちのテーブルは何故か「えっい!えっい!」と皆笑いが起きるぐらいの掛け声を掛けた。N君、Iちゃん共苦笑いをしていた。 カラオケタイムも終わり最後新郎、新婦が御両親に花束贈呈がクライマックス!Mちゃんは既に泣いており、自分やY君、F君とおちゃらけな3人も真剣に目をやり、S君、T君も真剣に目を向けた。N君のお父さんそして閉めの挨拶の博志!共に素晴らしかった。式が終わると「N!大したもんだ」と今日のキーワードを皆口にした。自分が「Mもやりたいでしょ?」と言うと「いや~恥ずかしいですよ!」とMちゃんは言った。でもきっとやらないと後悔するのは女性の方だと思う。男性側は、嫁さんと両親の為って気があるけど、女性側は嫁ぐ方など両親の最後の挨拶となるんだから絶対やった方が良いと思うけど・・・。 とにかくN君にはこれからも今以上に頑張って欲しいと思う。今年にはパパにもなる事だし一段と素晴らしい料理人として男として父として夫として頑張って欲しい。育ちゃんは体に気を付けて立派な赤ちゃんを産んでください!N、Iちゃんおめでとう!末長くお幸せに・・・
2003年01月12日
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やはり戦争は起こりそうだ・・・。イラクも腹をくくったみたいだし・・・。アメリカ軍の動向を見ていると地上戦も視野に入れ根絶やしにするつもりなのか? 当初、ロシアとフランスは反対していた。それはこの二国がイラクの石油開発事業に参入していたからであり、人道的見地からでは無い。アメリカにイラクのまだまだ未知数の石油を取られたくないとの事でだ。今、ロシアは経済成長の真っ只中!あと五年もすれば日本を凌ぐと言われている。それは、アメリカにイラクを取られた後の格差をどうしても埋めないといけないという考えがあるからだろう。 アメリカは戦争後、日本でのGHQのような統治下にイラクを置くと思われる。イラクの石油を奪えばアメリカはさらに安泰だろう。戦争は金を生む!戦争需要という想像もつかないお金が動く事になる。北朝鮮の戦争ではあまり得をしないのであろう。イラクに比べ消極的な気がする。 今、ブッシュ大統領は5カ年計画での経済政策を発表した。きっと父であるジョージブッシュ元大統領が湾岸戦争で勝ちながら選挙に負けたのを教訓にしているのであろう。しかしその経済政策も雰囲気的には資産家優遇というか庶民には何等関係の無いもののような気がする。日本もそうだが国内での経済格差をどう考えているのか?と頭を捻ってしまう。結局一番被害を受けるのは自分も含めた一般庶民であると思う。前線で戦うのもアメリカの一般庶民であろう・・・。 戦争というものの本質は一体なんなんだろう。一つの外交手段と考える人もいる。でも実際、戦争被害者のTVを見るとこれでいいのか?と思ってしまう。化学兵器による被害などは目を覆ってしまう。民族紛争、宗教戦争・・・色んな理由があると思うけど平和的解決を望む事はむりなんだろうか?何がテロで何がテロじゃないのか?自分にはよく解らない。イスラエル建国はテロじゃないの?中国の民族浄化政策は・・・?今、資本主義、そして社会主義の限界が見えどう世界が動いていくのか・・・まったく先が見えない気がする・・・。P.S あくまで自分の主観で書いたものです。事実大きく異なる事もあるかも知れません。ごめんなさい。只、世界が、日本が明るい未来を見て欲しいと・・・只それだけです。明日からはもっと明るい日記にします。
2003年01月11日
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日本ではセックスレスや適齢期の女性の減少とともに2002年に生まれた赤ちゃんは115万6000人で過去最低を更新という少子化が進んでいる。自分も結婚もしてなけりゃ子供もいない。だから本当の意味を理解していない結婚生活が長くなるとセックスレスというのは普通なのか・・・?あまりに仲がよくなりすぎると、肉親みたいに思えて、男と女の関係を超えてしまう。なので、夫婦間のセックスが近親相姦ってな気分になるから、セックスレスになるらしい。特に子供がいたりすると互いのことをパパ・ママなんて呼んじゃうから、よけいに近親相姦度は高くなってしまうとか。そこでドクターからアドバイスされたのは「5日間、風呂・シャワーなしで過ごす!」ってこと。互いに男女の体臭が漂えば、人間がもつ動物くんな本能が刺激されてセックスしたくなるというのだ。なんと簡単な方法だろう。薬も要らなきゃ~、マッサージや湿布も要らない。それで結果はというと、パンパカパーーーン!ついにセックスできたという。これは人の話なのだが・・・何かわかる気がする(笑)フェミニンな男性が増えている中、中性的な男の子はなりやすいのかな?確かに野獣っぽい男臭い人は夜が強そうだけど・・・。まあそれよりも嫁さんを見つけないとね!なかなか一生を共に生きていく人って出会わないなぁ~。
2003年01月10日
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今、17時~「3年B組金八先生」の再放送がやっている。やっているのはパートⅡで一番好きな話しだ。 子供の頃、このパートⅡを見てた時「中学校って窓ガラスを割る所なんだー」と本気で思ってしまいました。時が経ち自分も30歳になり改めて見ると感慨深いものがあります。 松浦役のヒロ君はこの頃自分の幕引きをするなんて思ってもいなかったでしょう。加藤優役の直江喜一は自分がこんな頭になるなんて思わなかったでしょう。 「生まれながらに恨まれる子供なんていない」と金八先生は叫びました。果たしてそうなのでしょうか?望まれて生まれてこない赤ちゃんもいるでしょう。戸籍を持てない子供もいるでしょう。そうゆう子供達を真直ぐな道に進ませるのはきっと難しいんだろうな。そんな子供達には金八先生のような真正面からぶつかってくれる先生と出会う事を願います。皆さんもへんな先生を一杯見てると思います。でも中には金八先生みたいな先生もいるはずです。 「俺達は腐ったミカンじゃない!」加藤優は叫びます。そう人はミカンじゃない。いくら腐っていようが人なんです。もしこれからの人生そんな人に出会っても腐ったミカンを放り出すような事はしたくない。真摯に捉え真正面からぶつかりたいと思う。出来るかな? 「シュプレヒコールの波~」と中島みゆきの歌が流れるだけでちょっと泣けてしまいます。何度も再放送で見ているのですが、その時々の情景が浮かびます。そして色んな事を考えさせられます。何故、生まれてきたのか?生きている存在理由とか・・・考えすぎですけど。このドラマは本当に面白いです。機会があったら見てみてください。色んな問題提議をしてくれるはずです。自分はビデオに取って朝見ようと思います。いや~色々思い出すなぁ~。
2003年01月09日
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夕方のニュースで飲酒運転による被害者の家族の苦悩を特集していた。 その一家は、飲酒運転による事故によりお母さんを亡くした・・・。父は泣き、そして子供達も泣いていた。父が子供に「クリスマスプレゼントは何が欲しい」と聞くと「・・・お母さんの命と体・・・」と答えたと言う。 それと対比でお酒を飲んで運転しても大丈夫!という若者や検問に捕まったおじさんが答えていた。これを飲酒運転で家族を亡くした人や人生を棒にふった人などどう見るのだろう・・・。 自分もお酒をメイン商品として仕事をしている。ぶっちゃけうちの店などは繁華街でもないし、駅からも遠い。車での来店が無ければ正直キツイのが本音だ。しかし、うちのお客様も今のところ車で来られてないようだ。ある方は、わざわざ車で来てうちにコーヒーを飲みに来る方もいる。 みんな捕まるのにビビっているのだが、それで良いと思う。自分は大丈夫!自分に限って・・・と皆思う。それは事故を犯した人も思っていただろう。でも起こってからじゃ遅すぎる。自分もそして相手の人生をメチャメチャにしてしまう。飲んだら乗らない最善の予防だと思う。 自分もお客様に薦められて飲む事もある。最近、車にあまり乗らないがバイクで通勤している。自分はいくら飲んでも全然酔わない。全然変わらない。大体お腹一杯で飲むのを辞める。そんなのなんの自慢にもならない。お酒を飲んだら運転しない勇気を持とうと決めた。 それにしても今日の家族が時間が凄いかかるかも知れないけど立ち直って欲しいなぁ~。
2003年01月08日
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今日は、独立してから初めてのまともな休みだった。朝から予定がありある意味忙しい一日だった。 でも、頭をリセットし色んな物から何かを感じる事が出来いい一日だった。夜もこれから出かけ色んなお店を見に行く予定だが久しぶりに家でボケーとするのもいいかなぁーとも思っている。 欲張りな自分は、休日でも何か得たい!その為にどう過ごすか・・・。何を見て、何を聞いて、そして何かを感じたい。その何かを自分の糧に出来たら良いと思う。 すべては自分を少しでも向上してくれればと思う。常に何かに飢え、そして興味を持ち自分に生かしていければと思う。
2003年01月07日
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今日は久しぶりに店に残り徹夜の作業!思いの他溜まっている仕事もあり慢性睡眠不足の自分は頭がグルグルしております。 日々の営業、そして経営者としての仕事・・・色んな仕事が山積みで大変ですが、時間を大事に過ごそうと心掛けています。そうは言うものの寝て無いせいか一つの仕事をやり遂げるのに時間も掛かるし途中で他の仕事を始めたり・・・かなりの浮気性である。 今日は店の模様替えや、ずっと挨拶に行きたかった人に会いに行ったり、店の買い物、そして事務仕事・・・何かまだまだあるんです。でも今日からY君が復帰するので、今日は早く帰ります。そして明日一日休もうと思っています。その休みもTELが鳴り予定が入ってきているのでゆっくり休めないかも知れませんが、一日頭をリフレッシュさせようと思います。でも、時間があったら店の事を考え始めるんだろうなぁ~。P.S 何か久しぶりに日の当たった店内を見ているとペンキの落ちが目立つなぁ~。ペンキ今から塗ったら夜には乾くかな?スーツだけどやっちゃおうかな。あっ脚立がない!
2003年01月06日
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今日で一人での営業がラストになります。一日~五日の五日間、こんなに長い期間一人なのはOpen以来初めてでした。一人で店に居ると色んな面が見えてきます。 前にY君が自分に言った言葉がありました。「スケールが小さい」・・・この言葉について色々考えました。確かに「ShotBar 扉」は10坪程の小さい店です。今まで働いてきたお店から比べるとありえないぐらい小さいかもしれません。でも色んな方々の協力もありとても素敵な店になりました。 きっと大きい店や豪華な店、あるいは安い店など山ほどある事でしょう。しかしこのお店にはこのお店にしかないものがあります。自分達にしか出来ないサービス、自分達のしか作れないカクテル。自分達にしか出来ない何かがこのお店にはあります。そしてスケールは小さいかも知れませんが五感を刺激する空間がここにあります。これからも何等引け目など感じず素晴らしいお店を築き上げようと思います。
2003年01月05日
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昨日最後のお客様は、いつも一人でいらっしゃる男性の方でした。いつもは女の子の話しばかりで「もう!いい娘いたら紹介してよ~」とこんな話しばかり・・・。 でも昨日は違いました。仕事の話をずっとしました。「でもえらいよ!正月もやるんだから」と唐突に言われたので「いや~家に居てもしょうがないんで・・・。」と答えると「そう!Openしたてなんだから我武者羅にやらないとね。」とそのお客様は言いました。 それからも自分の仕事の話やうちのお店の話など今までのお客様のイメージが変わるぐらい真面目な話しばかりしました。その方は、いわゆるFというスポーツカーに乗っており今度ミニに乗り換えると言いました。「何でですか~F乗ってる人がミニに乗り換えるって聞いた事ないですよ」と言うと「二、三年後にうちの会社で大きいプロジェクトがあるからそれが成功した時またF買うよ」と何気なく言いました。もういい年のそのお客様ですが、すごい前を向いて歩いている気がしました。わざわざ乗り換える必要も無いのに何かを糧にしてまでも、やり遂げようとしている意志を感じました。その意気込みは素晴らしく自分もそうありたいと思いました。 何か、そのお客様と本当の意味で仲良くなれた気がします。素敵なお話しありがとう・・・。
2003年01月04日
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昨日、最後のお客様をお見送りすると外は大粒の雪が降っていた。「あちゃー」今日は帰れないのか?と覚悟した。 みんな正月休みを取り自分一人で一日~五日での営業となり片付けなど以外に時間が掛かった。それでも外は雪が少し降っていた。 帰るのを諦めつつ店でインターネットをしていると気付いたら8時頃になりそして外は晴れていた。 よし帰ろうと原チャに跨りダッシュで家に向かった。渋谷を越えた辺りでいきなり後輪が右に左に暴れだした。バランスを失った自分は78回転し地面に叩きつけられた。バイクは吹っ飛んだ自分からさらに10m程先に横たわっていた。前後に車両が走っていなく大きな事故にはならなかった。道路が雪の為凍結(アイスバーン)していたのだ。 自分は、吹っ飛ばされ体の回転が止まるとすぐ起き上がりバイクに走りよった。するとバイクはエンジンが切れていなかったのでそのまま乗って家に向かった。その後も蛇行は続いたが心の準備が出来ており以外に楽しんだ。 「うお~(笑)」何かどんどん楽しくなっていた。走る車達も危うく事故になりそうなスリップを連続で見た。新宿を過ぎると警察が一杯居て滑り止めを巻いていた。そしてその先には無残な姿のタクシー他何台かが止まっていた。 それを見て「うわ~」と思った。けど自分もちょい今しがた映画のようなダイブをしたばかりだ。何か全然動じる事もなく家に着いた。 家に着き冷静に考えると「ラッキー」だと思った。原チャはもう2万km以上走っているお爺ちゃんだ。そして後輪はツルツル滑るのも無理は無い。しかし朝そして正月だからというのもあるが山手通りがコケタ所だけ空いていた。スーツを脱ぐと膝、肘から結構血が出ていた。でもボクシングやスポーツをしていたせいか体が頑丈である。そして頭を打たなかった。 乗ってるバイクがもう一台のどでかいアメリカンのバイクだったら・・・山手通りがいつもの状態だったら・・・頭を打っていたら・・・何か俺って生かされてるなあ~と思った。いや、おみくじ通り自分の事は自分でけつを持つ為に生かされたのか・・・。ますます仕事を頑張らないと・・・
2003年01月03日
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大晦日~元旦の営業が終わった後、初詣というか店の為に買った大玉串を戻しに原宿の神社に行った。 まず入り口で去年のお守りと店の大玉串を渡しいざ境内へ。まず神前にお賽銭を入れお参り。店の事や家族の事・・・etc。特に宗教を信じている訳でもないがこうゆう日には必ず神頼み。お賽銭以上のお願い事を切々と頭に思い描いて祈願する。今年も例に漏れず延々と一杯のお願い事をした。 そして、店の大玉串を買い「あのー祈祷してもらいたいんですけど・・・」と巫女さんに頼んだ。開店前にお願いした時の金額よりちょいけちリ気味でお願いし控え室で待っていた。そして巫女さんに呼ばれ神前の前に・・・。 よくよく考えてみると自分が神前の前に立つ後ろにはお賽銭を投げ祈願している人達の山が・・・。恥ずかしいし、そしてみんな自分の後ろ姿に手を合わせている姿が何とも言えない光景だった。 「しょ~と~ば~と~び~ら~」と神官の方が独特の言い回し祈祷を捧げ自分は神棚に深く頭を下げた。後ろでは相変わらずお賽銭を投げ込む音が・・・ごめんよ~自分の後ろ姿で~と後ろめたい気持ちで終了を待った。程よく祈祷も終わりそそくさと神棚を後にした。 そして恒例のおみくじである。自分はこのおみくじに人生を左右されているのではないか?と思うほど、その年の出来事や運勢が当たる。一昨年、去年と末吉でその通りあまりいい年じゃなかった。去年も独立を決める前と決めた後両方しんどい一年だったし・・・。今年こそ末吉以外を~と心で叫びながらおみくじを引いた。番号は10番!そして結果は「吉」思わずその場で「ヤッタ~」と野太い声で叫んでしまった。そしてそのおみくじには「自己の責任は自分でとる。(中略)神にも人にも依頼したり依存しては不可」と書かれてあった。う~ん今年も当たりそうな気がする。
2003年01月02日
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今日は色んな方が足を運んでくれました。ロゴデザインをしてくれたY君。いつも旧夜光虫のメンバーの髪を切ってくれるYさん。そして旧夜光虫のメンバー去年お世話になったお客様。そして新規のお客様。色んな方が遊びに来てくれて朝までお店が賑わいました。 去年の大晦日~新年にかけての一日は夜光虫でお客様と大乱闘?!がありそれはそれはある意味賑やか?な一日だったのを思い出す。その時に今度のカウントダウンは自分のお店で迎えられるとはこれっぽっちも思わなかった。 時間は自然と流れ・・・自分も立場が変化した。しかし自分自身はなかなか変えれない。自分の信じている道を歩むだけ。一日、一時間、一分、一秒を大事に生きていこうと思う。
2003年01月01日
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