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入所式(全体+クラスごと)クラスごとでは一言づつ近況報告がありました。男性陣の既婚率のかなりの上昇に驚きました。普通に10人以上の人が、たぶん14,5人が結婚していました。他面、女性陣には変化はありませんでした。それぞれの進路についても概ね決まっているようで、検事になる人、裁判官になる人、意外ながらも、当事者から信頼されるようないい裁判官になるだろうなあ、と思える人や、へえ、あの人は検事かぁ、と思う人もいて、様々でした。弁護士さんの場合は、東京就職はまあいいとしても、それぞれの地元に定着した人や、実務修習地で就職を決めた人、それぞれ人生が動いているようで、興味深かったです。2限 民事裁判要件事実について、演習方式で授業。教官側で成績をチェックしたりと言うことはありませんでした。白表紙を思いっきり忘れていることにショックを受けました。後半は、起案の注意事項について、特に二回試験に向けてと言う点もありました。もっとも、なにより体調管理をとのことでした。3限 刑事裁判 証拠法についての抜き打ちテストが20分ほどでありました。趣旨としては、後期及び二回試験の小問形式になれてもらうとのことでしたが、だったらなんで回収するんだこら、と小1時間問いつめたい、と思った人は100人単位でいるでしょう(たぶんやり返されて泣きたくなるだろうけど)。種元は、噂通り新実例刑事訴訟法でした。多少指摘を受け、要注意問題を絞って貰っていたのにもかかわらず、それを活かせませんでした。あー、さぼってた報いがああああ。なお、56期は、法令の適用について、57期が前期の最後にやったものを抜き打ちテストとしてやったそうです。後半は起案についての注意でした。しかし、常々思うのですが、供述の信用性は全体として判断するという建前を研修所は取っているような気がするのですが、ある争点については証拠の裏付けもあり信用できるが、他の争点については、どうも信用性に欠けるという場合、どう書くのか、ちょっと聞いてみたい気がします。ある争点についてうそを付きたくなる理由などが分かる場合はともかく、そうでない場合にどう書くのか、実際の判決では、ある部分については信用性を認め、ある部分についてはそうではない、と言った形を取ることがありますが、これを研修所でやって良いものやらどうやら。採点基準が明らかでないとどうも動きにくいですが、別に判決とかは自分の心証に従って書けるけど、基本的に起案はルールに乗って書けるかどうかがポイントな気がするので、規範は先に示して欲しいとちょっと思いますね。ところで、クラスの人にこのHPのことがばれてました。黙ってるけど知ってる人はこの画面を見ているあなたかもしれない、などと思いつつ、さりげなく教官が知っててほくそえんでたら(知ってて黙ってそーだ)、んー、まあ、ちょっと恥ずかしいですが、たいして勉強していないと言うことだけは分かって頂けると幸いです。2回試験に照準を合わせる予定ですので、お手柔らかにお願いしたいと思います。ではではまた。
2004年06月30日
弁護修習を振り返って、個別修習や全体修習についての感想や、弁護士像の変化、今後司法修習が2か月になった場合、また、新たに2ヶ月間、修習生が自分の興味にあったものを各自で学ぶ期間をつくることについて、意見を聞かれました。全部で50~60人程度の修習生が集まった模様です。総合型実務修習:分野別実務修習(検察、弁護、民裁、刑裁)に加えて、各司法修習生の進路や興味関心に応じて自ら主体的に修習内容を選択できるような実務修習過程が導入される、可能性があるらしい。2ヶ月間、小学校などの総合学習ならぬ総合修習を設けることは結構司法修習委員会で決まっているせいか、私がその点について反対意見を述べたところ、「まあ、そういう意見もありますね」ということで、あんまり聞く気がないように見受けられました。まあ、導入したらという問題設定だったからかもしれませんが。にしても、東京修習の人と地方修習の人とで考え方や価値観が全く異なりそうなことにちょっと驚きました。東京だけが日本じゃないのにね、とは思いますね。しかし、後期修習不安だ。こえー。肩叩かれちゃったりするのかな?そんなに勉強しないと行けないのかな。俺はちなみにそんなに勉強していないぞ、などなど不安感は多いですが、まあ、しょうがないかと思いつつ。
2004年06月29日
便利な制度ですね。投票日に投票地から離れている場合に備えて、公示後には本来行くべき投票所で投票をしておくことが出来るという制度です。なお、この期日前投票と不在者投票を会わせたようなシステムとして、私のように今、住民票がある場所と自分がいる場所とが異なる場合、1,あらかじめ旧住所地の市町村選挙管理委員会に投票用紙等を請求し、交付を受け、2,ただし、交付を受けた書類の封は絶対に切っては行けない。実際に投票する場所で、選挙監理委員の面前で開かなければならない。3,最寄りの市町村選挙管理委員会で不在者投票する。という方法もあるそうです。なお、旧住所地の各市町村の選挙管理委員会への投票用紙等の請求に際しては、その請求のための用紙がどこの選挙管理委員会でも置いてあるそうなので、これを使うと便利らしいです。もっとも、旧住所地との郵便のやりとりが必要になりますから、できる限り早い時期に手続をしないと間に合わなくなりますので、ご注意を。
2004年06月28日
実家に戻ってきました。久々の東京は、非常に懐かしくもあり、自分の居場所だなと思いながらも、人の多さにちょっと辟易したところもありです。東京を相対化してみられるというのは、良いことだなと思います。ずっとこっちに住んでいると、良くも悪くもそれが当たり前に思えてしまいますから。後期修習、しょっぱなに新実例刑事訴訟法の抜き打ちテストがあるとか、ないとか。起案様に小六法も買わないと行けませんしね。とりあえずネット環境も戻ってきましたので、ご報告まで。無事実務修習を終了しました。ではでは。
2004年06月27日
ttp://www.janjan.jp/government/0406/0406266100/2.php特筆すべきは、自民党の憲法改正に関する意識でしょう。現行憲法の改正には、衆議院と参議院の双方で3分の2以上の賛成で、憲法改正について国会として改正案を提出でき、国民投票で過半数を取った場合に初めて改正できます。しかし、自民党はこれを国会議員の2分の1で改正を発議できるとしており、ほとんど法律と同レベルでの憲法改正を認めようとしております。憲法を「改正」するのか、「改悪」するのか、今の自民党がなにを考えているのかは良く分かりませんが、ドイツのナチスが当時最も民主的と言われたワイマール憲法を改正して、ユダヤ人差別をした歴史が思い起こされます。国の基本法であり、一人一人の人権を守る最後の砦とも言うべき憲法を容易に変えられるということは、非常に怖いことだと思います。私の意見が政治的意見になると言われればそうかもしれませんが、こういった手続的な問題については、非常に強い危機感を覚えます。この点について、ぜひとも問題意識を持ってもらえたら、と思います。
2004年06月26日
本当に得難い一年でした。心の師とでもいうべき先生に出会い、また、一年を共にした同士との出会いと別れ。今日は、それぞれが思っている心の丈を話すことが出来ました。実務家になるに向けての不安。志を貫徹できるかどうか。やっていけるかな?ではなく、もうやっていくしかない、という状態になること。自分の人格やこれからの人間関係。なんにしても良い友達、同士を持ちました。それは嬉しくもあり、離れること、次のステップに進むことが寂しくもあり、出会いと別れに涙がちょちょぎれそうです。充実した実務修習の1年が終わり、独り立ちへ向けて最後の3か月が始まります。
2004年06月25日
今日で実務修習は終了です。明日は三庁合同で送別式があります。その後は裁判所内で挨拶回りはするかどうか微妙ですが、弁護士会や検察庁に挨拶に行く予定です。で、歯医者。そして、引越の準備。おいおい、終わっちまったよ。実務修習が。まじかよ、まったく。今日朝起きたときもやべーと思ったが、まじで終わってしまうとは、ああ、恐ろしい。こんなんでいよいよ実務家か。もっと勉強しておけば良かったって。まだ後期があるから多少はフォローが効くかと思いたい。そして起案は終わらない。明日は早く出勤してなんとか少しでも起案をやろう。ああ、民裁後半の指導担当裁判官は、非常に機転が効いて、仕事も速くて、優しくて、素敵な方なのですが、なんとなくさぼっているように見える私めには若干厳しいような、ってごめんなさい。朝は苦手なんです。毎日打ち合わせには遅刻して立ち会えませんでした。申し訳ありませんでした。起案をたらたらやっている私に対する冷たい目が非常に厳しく、居たたまれない気分でした。ああ、ごめんなさい。逃げたい気分でいっぱいです。たぶん、無能な人にはそんなに厳しくないかもしれないけれど、怠惰とかうそつきは大嫌いなお人柄なのかもしれません。私が一方的に悪いので申し開きできません。私めがいなくなってご機嫌が直られるのを期待しております。はぅ。鬱だ。
2004年06月24日
「実践捜査問答」 神垣清水(かみがきせいすい)検察協会発行 立花書房発売お勧めです。とあるクラスの検察教官が修習生に向けて薦められたという本です。経験を積んだ優れた検察官というのが、いかに鋭く、また法律的知識に裏打ちされたモノの見方というものが出来るのか、思い知らされる本です。検察官になる人はもとより、弁護士、裁判官になる人にとっても発想の仕方、視野の広さなど、学べるところが多いと思います。刑事弁護やる人には特にお勧めかもしれません。しかし、この本を読むと、検察官もいいなあと今更ながらに思いました。実務に来るまで検察なり警察という捜査機関に対しては結構反発があったのですが、確かに問題ある時はあるものの、その志の高さ、志操の厳しさ、というのは時に敬意を覚えますし、検察官としてのやりがい、などを思うとき、非常に憧れを感じます。まあでも、この本みたいにやわらかな物腰で教えてくれるはずはなく、私が根性悪くならずに生きていける環境ではないと思うので(っていうか今更なれないし)、敬意は敬意として持って、そういった立派な検察官に出会いたいと思います。読み物としても面白いのでぜひどうぞ。法律的に分からないときは、刑法各論や条文をきちんと読むことを忘れずにした方が良いと思います。そちらの方がより効果的ですので。それではまた。あー、引越面倒くさい。そういえば、裁判修習入ってからか実務修習で何をやっているか、あんまり書いてませんね。基本的には、法廷傍聴と、判決、和解案、争点整理案やサマリーなどの起案の2本柱です。法廷傍聴については、民事はまともに全部傍聴すると結構な事件数になるので、証拠調べがあったり、和解が予定されている事件などで、面白そうなものを指導担当の裁判官に聞いて、事前に読んでおく記録を決めておくと良いです。記録は書記官さんの所に行って借りてきましょう。私の場合、刑事部の時は比較的書記官さんと話す機会は多かったのですが、民事に入ってからはあんまり機会が作れず(自分から行っていなかったのもありますが、一発芸とかの話を事前に聞いていたので、あまり関わらない方が良いかな、などと思っていました。実際は、芸の強要もなく、色々とお世話にもなりましたし、余計なお仕事を増やしてしまうことがあり、ありがとうございました兼すんませんでした。という感じでした。)、もったいなかったかな、とも思います。傍聴に入った事件について、証人や代理人の行動など感想を尋ねてみると、視点が異なっていて結構面白いかと思います。判決起案については、判決集など刊行物を参考にしつつ、判決綴りを見ながら(ただし、新様式なので微妙。)、なにより注意しないと行けないのは、判決起案の手引きを熟読することです。あそこに書いてあることで間違えると、結構言われます。修習生でもそこのところは押さえないと行けないみたいです。私はまだまだで結構問題なのかもしれないと自分でも思っています。和解案については、サンプルを色々さがしてみると良いと思います。交通事故などの損害額を確定する必要があるもの付いては、項目ごとの額を出したりもしますし、色々と様式はあるので参考にしてみてください。争点整理案については、あんまり問題ないかと思います。基本的には判決と同じですので。サマリー起案については、判例タイムズの去年か一昨年かもうちょっと前か、ちょっと怪しいのですが、そこら辺にサマリー起案のサンプルが載っているので、とりあえず読んでおくと気がラクになるかも知れません。要は事案と争点と結論とその理由がなんらかの形で書かれていれば良いんだな、というのが良く分かるからです。とりあえずそんな感じでしょうか。民裁修習は大体こんな感じです。和解の時の裁判官と代理人、当事者のやりとりなどを見たりするのも面白いかと思います。あとは、そうですね、裁判官と書記官とで期日が控えている事件について、事前に打ち合わせをすることがあります。これについてはできうる限り出席すると良いと思います。とりわけ当初の2週間くらいは参加しておくと良いと思います。事件の概略を教えて頂けますし(っていうか、出席する場合には記録を全て読んでおくのがベスト)、どんな風に期日を進めていくのか、裁判官の腹づもりなどが分かると思うからです。とりあえず以上でしょうか。また加筆したいことがあれば足したいと思います。
2004年06月23日
研修所に提出する書類が未済のまま貯まっております。日頃からの計画性が何よりかと。携帯によるスケジュール管理は厳しいので、パームでも買ってみるか検討中。期日のスケジューリングは結構大変そうですしね。しかし、裁判官って、当事者が揃ってから初めて出ていくところがあり、それが良いことなのか、悪いことなのか、良く分かりません。威厳という問題なのか、当事者が時間通りでも、裁判所が先に来ているとおっ、こりゃすいません、みたいな感じになるときもあります。おそらく思うのは、裁判所の威厳と言うよりも、法廷に集まる誰もがそれぞれに対して敬意を抱き、厳粛な場であることを意識すること、そちらの方が大事だと思います。裁判所がどうだ、ということではなく、公開の法廷であるべき姿を考えるとき、日頃の業務に埋没するのではなく、緊張感を持って、ということになるのでしょうか。当たり前のことなのですが、なかなか難しいのかな、と凡庸な感想を抱きます。しかし、「マイライフ」 ビルクリントン 結構面白そうですね。
2004年06月22日
世間の目―なぜ渡る世間は「鬼ばかり」なのか 佐藤直樹著オトナ社会=世間は「親切-義理-返礼」の連鎖によって成り立っている。贈与と互酬の関係、つまり「お互い様」が第一義であり、個の意向など薬にしたくともない。 以上は、評者宮崎哲也より抜粋。(2004年06月13日朝日新聞)私は朝日とは違うネタ元からこの本を発見したのですが、結構お勧めです。日本には個人という概念などなく、世間様やお互いの関係性しかなく、黙秘権などを認めても余り意味がないなどの指摘は非常に興味深いです。刑法の責任主義なんてものが、日本でどこまで成立しているのだろうか、という議論などはとても興味深いです。なお、議論が荒唐無稽なのかと言われると決してそうではないかと思います。著者は刑法学者でして、いわゆるとんでも本ではないです。面白いと思います。お腹の方はようやく落ち着いてきました。引越の準備は遅々として進みませんが・・・。カキコ頂き、ありがとうございました。養生に勤めます。
2004年06月21日
うー、引越の準備するはずだったのに、腹が痛い。昨日、今日とダウンでした。今もだるいです。あうー、明日は送別会ですが、欠席しようかという勢いですね。しかしこの時期は、何かと飲み会が多いですね。ありがたいことですね。
2004年06月20日
修習生3人で、ゆったりと飯を食い、事務所のことやら先生のことやら、進路のことやら話してきました。本当に良い一年だったと思います。それぞれが進路について決断を迫られるときであり、そう言った時を一緒に送れたというのは、たとえ進む道が違うにせよ、とても良いことだったと思います。もちろん、それぞれがどのようにどれほどの思いだったか、というのは、なかなか余人が知ることが出来るわけではないにせよ、決断していった様子を見るのは、心強くもあり、不思議と嬉しい気がします。修習生としてみた検察庁、弁護士会、裁判所の姿と、それぞれの内部から見た姿は色々と違うでしょうし、人間関係によっても様々でしょうが、分かった部分も少しあり、分からない部分もたくさんあり、いずれにしてもただただ敵意を持つべきような相手ではなく、敬意を持って協調し合いうる可能性はあるとは思います。まあ、単純な私が、上手くそれぞれの良さが引き出ていると思っていても、単に騙されているだけかもしれませんが・・・。ロースクール制度が本格化し、3000人時代が到来すれば、いずれ実務修習という制度自体がなくなるとの意見があります。事実上実務修習制度を維持できなくなる可能性は高いですし、任官、任検のルートをどのように確保するかというのは、裁判所、検察庁にとって重要な問題となると思いますが、それでも体制はそちらに流れていくのではないかと思われます。そうなったときに法曹三者間での共通の認識、理解というのはどこまでつながりうるのか。組織ぐるみで事実を隠蔽しようとする検察、違法な取り調べだとか権力の濫用だとか言って敵意ばかりで視野狭窄に陥る弁護士、目に見えないことへの洞察力が働かない裁判所、三者がバラバラになれば、そういうことにもなりかねないとも思います。お互いの仕事への敬意、時にはぶつかり合いもあると思いますが、その中でもお互いの職種に対するある種の畏敬というか尊敬というものがないと、いわゆる法曹倫理というのは守られていかないような気がします。弁護士にとっての検察修習、裁判修習、検察官にとっての弁護修習、裁判修習、裁判官にとっての弁護修習、検察修習、違う立場の仕事を見ることで、自分の持つ仕事の意味、あるべき姿、守るべき矜持、そして、法曹倫理というのが成り立ちうるのではないかと思います。狭いギルドと言われるのかもしれませんが、そういった相互理解があるからこそ、地味ながらも守られている人権なり手続の適正というものがあるのではないかと思います。むやみに争うばかりでは何も見えてこず、かといって争うべき所で争わなければ、力の強いもの、声の大きい方に物事は流れていってしまうと思います。裁判官、検察官に対して弁護士経験を義務とする法律が成立しました。この法律は、短期的には裁判官、検察官に弁護士として比較的弱い立場から争い、物事を見ることで、人権意識や世間というものを知り、同時にあるべき検察官像、裁判官像を探るというのが目的だと思います。しかし、長期的には、実務修習がなくなった場合に備えての裁判官、検察官への教育システムになるのだと思います。おそらく、それぞれにとって他職経験というのは余りにも大切なものであり、欠かせないものだと裁判所も検察庁も考えているのではないでしょうか。当初この制度は、主に裁判官を、とかく世間知らずと言われる裁判官に実態をもっと見ろ、というのが主眼だったような気がします。しかし、検察庁がこの制度を導入するのに同意したことには、かなり驚きでした。検察庁が他職経験について、重要と思っている証左だと思います。検察は警察とは異なり、適正な公訴権の行使というのが求められており、警察に対しては指揮する立場でもあり、権限濫用を制限する立場でもあります。しかし、実際は警察の強力な組織の前に、また、ベテラン刑事の前に、若手検察官は翻弄されがちになりますし、警察が強すぎる場合も多いです(やくざと警察がとても仲が良い県とかですね)。さらに言えば、検察官が見えないところで警察が何をやっているか分からない、コントロールしきれないこともありえます。検察官は、検察庁の中で強力に鍛え上げられては行くのですが(これは半端ではない鍛え方だと思ってます)、それでもやはり弁護士の立場から警察というものを見て、それとどう対応するのかを知ることが必ず警察に対する理解や意識という面でも役に立つと思います。適正な権力を行使するためには、やはり弱い立場に立った経験があってこそ、というのがあると思います。裁判官にしても検察官にしても強大な権力の行使者であり、権力を行使する立場にあるものがものを知らないこと、知らないことがあるのにそのまま権限を行使してしまうことはもっとも恐るべきことであり(知っててやるのもかなり問題なのですが)、物事の正しさ、正義というものの多面性を知らなければならない立場にあるのだと思います。もちろん、弁護士にしても、それはそうなのだと思います。裁判官の事実認定の仕方、検察庁の矜持、それを理解した上で、どう戦うのか、ただ批判するだけではだめで、きっと敬意を持った上で、あるいはあるべき検察官像、裁判官像を踏まえて、提言なり批判するなりが必要なのだと思います。私の実務修習地では比較的三者協議が成り立っている面もあり、骨のある刑事弁護人がいるせいか(無罪を17件取っている先生がいます。有罪率99%異常と言われる日本でどれだけすごいことか分かると思います)、検察官と弁護人との意見交換なりがある程度成立しているせいか、私は期待しすぎなのもしれません。ただ、それでも法曹三者がそれぞれの立場と権限、矜持を理科しつつ、お互いの立場で最善を尽くすことがやはり求められているのだと思っていたいです。それに見合う、弁護士、検察官、裁判官が多数揃うのを、またその一員になるべくこれからの何十年か歩んでいきたいです。
2004年06月18日
今日は、弁護士会主催で修習生の送別会を開いて頂きました。出席なされた先生方から一人ずつはなむけの言葉を頂きました。志を大事にして欲しい。その言葉が印象的でした。周囲のプレッシャーや迷い、葛藤、逡巡を抱えながらも、ぶれそうになりながらも、最後まで志を貫き、かといって情に流されることなく、理にかなう。結論、理、情、全てに叶う法曹になりたいと思います。昨日は酔っぱらって、あれくらいしか書けなかった。朝起きて、振り返ってみると急激な寂しさを感じる。人は出会い、別れていく。ありきたりだが寂しい。かなり寂しい。特に弁護の先生に関しては、親のような暖かみを感じていただけに、非常に寂しい。外の世界は、というか、法曹実務家になるのは普通に怖い。知らないことばかりで、間違ったことを行ってしまう場合も多いかもしれないし、仮にその場で正しいことを行っていたとしても、それは法律の世界の中で正しいことであって、現実にそれが正しい選択肢とは限らない。誤っているかもしれない。リアルの恐ろしさ、外の寒さ、厳しい風、批判、称揚、は見れるものの、弁護修習中、修習の先生というのは厚いコートのような存在で、私が凍えることもなく、恐怖にさらされることもなく、自惚れておかしくなることもなく、周りの状況を分析し、世界を受け止める。私が仮に横から色々と意見を言おうと、私自身はまだ責任を負っておらず、他人の人生に関わることの重さを感じる。まともに考えたらしんどい。もちろんまともに考えない法曹というのも、ちょくちょくいる(私の実務修習地では余り見かけないが。)。正直ひどいのだ。知識があっても、人と向き合うことをやめてしまえば、そんなにしんどくない。でも、そんな風に生きてしまってもどうということはないのだ。そこに魂はないと思う。およそ司法試験なんぞというリスクの高い試験を超えてきた連中は、そつなくこなすこともできるだろうが、魂が燃焼しないところに行って満足できるのかどうか、疑問だ。同時に、弁護士に成り立ての人、検事、裁判官になりたての人でも結構やれることはある。知識もない経験もない貫禄もない、ないない尽くしだが、それでも私らに頼ってくれる人、私らが誠心誠意向き合うことで、変わっていく何か、というものはあり、それは依頼人であったり、被害者であったり、被疑者・被告人であったり、あるいは制度であったりするのかもしれない。何かがおかしい、と思ったら、その感覚を大事にすること、日常業務に埋没して、志を失わないように。知識や経験がなくても、自分自身にしかない魅力、というのはあること。お金、技術、向き合う心、そのどれもが財産であること。健康こそがすべての土台であること。これから何年かの間、色々な相手とケンカし(法廷で、ないし交渉で)、時に間違ったり、おかしなことをしてしまうときもあるだろうが、自分が間違い謝るべきときはきちんとあやまること。一方で訳の分からない理由で批判されたり、自分に非がないときには、きっちりと否定し、絶対に謝らないこと。そのけじめをつけることが、これからどれだけ大切になるか。お金には執着しないこと。執着すれば、自由と正義の懲戒者に載る。よくよく見れば、懲戒者にはなんらかの理由でお金が絡んでいることがほとんどである。弁護士になればある程度の金銭的余裕は、きちんとやっていれば出るでしょうし、それでもお金に執着すれば身を滅ぼします。お金目当てでない何かを見つけて欲しいです。その他にも色々と教わりました。ではまたいずれ。
2004年06月17日
まずい・・・。このままではまずい。余りにも起案の件数が少なすぎる。第4クールに入って少し気が抜けすぎていたかも・・・。ラストスパートをかけるぞ、と思った瞬間に歯が痛み始めたのは痛かった。とりあえず明日は早く行こう。今日はちょっと刑事訴訟法の話。本件被告人の犯行を認める共犯者のPS、KSが不同意にされて、共犯者の証人尋問がなされ、PS、KSと矛盾する供述、すなわち被告人の犯行を否認する供述が出てきました。PSを321条1項2号書面で出し、KSを328条で出すとして、PSの立証趣旨は、被告人の犯行状況とか、被告人と共犯者の共謀とかで出てくるでしょう。KSについては、基本的に「被告人の供述経過(328条の証拠として)」などと書くとされています。ところで、KSの立証趣旨を、PSと一致していることとして証拠として出すことは可能でしょうか。PSの増強証拠として出すことは328では許されないとされているのが通説です。ところで、供述が一致していることというのは、供述の信用性という訴訟法的事実ですから、これを証明するために、厳格な証明は要らず、自由な証明でよいとされています。ということは、自由な証明による証拠として、「司法警察員の面前での被告人の供述が検察官の面前での供述と一致していること」という立証趣旨で提出すれば、仮に弁護人が不同意としても、伝聞証拠には当たらないですから(書かれているという事実だけを証明するためであれば、それは非伝聞。書かれていることが真実であると主張したいときは伝聞になる)、裁判所の裁量で、関連性、必要性、相当性で採用できることになります。とはいえ、伝聞証拠の換骨奪胎になりかねませんので、実際はあんまりそのようには取りたくないモノです。供述経過を実際に証拠として裁判所に取らせたいのであれば、取調官を呼ぶなどして、どういう経過で証人が話していったかを供述させるのも手かと思います。もちろん、証人尋問で、話させるのも良いと思いますが、まあ、今回の事例としては証人が裏切ることを想定していなかった場合と考えて良いと思います。弁護人として争う場合には結構難しくて、異議を述べたり、控訴の時に訴訟手続の法令違反を述べたり、するくらいしかないのかもしれません。そのように言ったこと自体をひっくり返すのは結構難しくて、任意性を争うとか、そういう方向になるともっと厳しくなってきますし、そうなると、取調官との証人尋問が勝負になってくるのかもしれません。そっちのほうが公判中心主義に合致しますしね。もっとも、警察官は十二分に準備してくるので、真実に近いのかどうか微妙な気もしますが。組織ぐるみで筋を作ってくる場合もありますしね。もちろん誠実な警察官の方もいっぱいいらっしゃることも確かですので、誤解のないよう添えておきます。この点については、被告人の自白調書の任意性立証に関して、取調官の証人尋問を先行させるべきだという議論もあります。被告人質問を聞いた後だと、次回期日まで一月くらい空いたりすると、その間に準備が出来てしまうからです。この点、先行させればその問題点は減ります。裁判員制度とかになると、同じ日にやることになるのか、あるいは事前準備の段階で相当事実整理が必要となるでしょうから(起訴状一本主義の変容ですね~)、どうなるのか興味がありますね。間接事実や尋問の仕方というのは、本当に想像力がいるものだと思います。あれをうまくやることができるのは、単に勉強が出来るとかそういうのではなくて、生活の中での頭の良さ、というか、地頭の良さというか、そんなものを感じます。尋問が上手くなれば、かなり優れた法律家になれる気がします。ではではまた。
2004年06月16日
2006年度、平成18年度から、修習生に対する給与制を廃止して、貸与制にする旨、司法制度改革推進本部が決定したそうで、来年度の国会に裁判所法の一部を改正する法案として提出する方向とのことでした。現在修習生には、年間300数十万の給与が支給されています。しかし、今後は、新司法試験で修習生が増えることや、待遇が良すぎるとの批判から、給与制を廃止して、貸与制にするとのことでした。弁護士会がまともに反対していますので、国会に提出したとして、どうなるかは微妙かもしれませんね。しかし、貸与制にして、でも、修習専念義務を維持してって、そりゃあちょっときついんでないかい、と思ってしまいます。普通に考えたら、研修期間中だからって働いても行けない、給与は貸すだけ、後で返してねっていったって、そんなほぼ強制的な借金なんておかしい気がします。大体9時5時で普通に拘束して、それでいて他にアルバイトはダメで、無利息だけどお金は貸しますよってなんかおかしいでしょう。学生の奨学金と一緒って考えているのかもしれないけれど、学生はアルバイトできるのに、なんで修習生はアルバイトできないのか、裕福な方はよろしいでしょうけれど、そうでない方はどうするんでしょうか。苦労した人、社会経験のある人に法曹になって欲しいと思うのであれば、もうちょっと頭を使った方が良い気がしますね。大体、修習専念義務を外して、アルバイトさせた方がよっぽど社会経験豊富な人間が集まりやすいんじゃないかと思うのですが、どうなんでしょうか。ん~、ロースクールで数百万払い、さらに借金を一年分300数十万程度背負い、既習者でも3年間で1000万弱の経済的負担を負わせて、どうするのか。そんなに法曹を金持ちエリート集団にしたいのでしょうか。コミュニケーション能力とか言っているのとちょっと方向性が違うような気がしますね(苦労している方がコミュニケーション能力に優れているとは限らないものの、勉強ばっかりしてコミュニケーション能力が足りないとかとかく言われがちなのと、なんだか反対方向な気がします)。要は、お金が足りないのならば、どっかから持ってこないと行けないわけで、貸与制にするにしても、他で働かせて貰わないとね、ということになると思います。医者のインターン制度も最低給料の保障とかいう動きになったのを聞いた覚えがありますが、あれとのバランスってどうなんでしょうか。あと、裁判官や検事になった場合には、貸与されたお金を返さなくていいことになるとか、お国のためにお礼奉公と言うところでしょうか。弁護士になるのは、世間様のお役に立たないのでしょうかね。お国さまがそんなに偉いのか、とちょっと言いたくなります。ちなみに、弁護士になる場合でも、各地方弁護士会の登録料や日本弁護士連合会(いわゆる日弁連)への会費(上納金?)で月々5万程度飛びます。初年度にいきなり50万ほど取る地方弁護士会もありますから、弁護士になる人はそういった経費も負担しなければならないわけで、修習が終わった直後の人に、ロースクールの学費の奨学金、貸与制で借りたお金、弁護士会費、などなどを負担させるのはちょっときつすぎるのではないでしょうか。そこら辺分かってるのか、ちょっと問い質したいところです。
2004年06月15日
6000人減って、12000人強だそうな。合格率が70~80%って宣伝されていたのに、今になってなんだかそうもいかないらしいぞ、という流れに受験生が対応したのでしょうか。まあ、普通に考えれば、3年間の学費5,600万から900万くらいのお金を使うわけですし、もうちょっと落ち着くのを見てからでも良いか、と考えるのも自然な気がします。なんか去年は、適性試験か何試験か分かりませんが、一回目では人数が少なくてもう一度やったような覚えがありますが、今年もそうなるのでしょうか。(追加)大学入試センターバージョンもあるそうですね。おぼろげな知識ですいません。ロースクールは本当にどうなるのでしょうか。ロースクール生の日記などを見ていても、非常によい先生に教えて頂いている一方で、従来の大学乃至大学院の授業とそう変わらない授業を受けざるを得ないこともあるそうで、玉石混淆さが伺われます。しかし、新司法試験は具体的にどんな試験になるのか、研修所での司法修習はどうなるのか、また、実務修習はそれぞれが2か月という極めて短いスパンになるわけですが、そのなかでどれだけのことを学べるのか、本当に未知数なわけで、司法制度改革を外から押し進めている方々はビジョンがあるのかどうか、本当に疑問です。とりあえず、枠だけ作って、あとは頑張れよと投げる形なのか、そうだとすると、過渡期の人間はたいそう辛いことになります。法科大学院にせよ研修所にしても実務庁にしても、対応に相当苦慮していることでしょう。歯の治療は、とりあえず一段落付きました。かみ合わせが悪かったので、とりあえずもう少し詰め物を削って貰って、ただなんか歯が痛いというか、頭にズキッと来る気がするのですが、とりあえず東京に戻るまではなにもしないようにしようと思います。東京戻ったら、近所の歯医者さんに行きます。あぁ、もういや。みなさま、歯の健康だけは大切にしてくださいな。自分が気を付ければかなりの割合で避けられることも多いのが歯医者でしょうから。
2004年06月14日
少しはましになっているときもあります。痛みを感じていない、というか忘れられる程度ではあるようです。でもまあ、時々しっかり痛くなるわけで。カキコ、皆様ありがとうございます。
2004年06月13日
今日は寝てばかりです。歯茎の腫れがより進行している気がします。虫歯が進行したのか、雑菌が入ったのか分かりませんが、外から見ても顔が腫れてるし・・・。あぅ。
2004年06月12日
落ち込み中。歯の痛みに極めて神経質になってます。
2004年06月11日
先日、社会修習の一環として少年院を訪問させて頂きました。ぱっと見の感想だと、あそこにいる限りはそんなに悪いことをする少年には見えませんでした。もっとも、少し話してみたり、注意深く見てみると、そういう意識があるからかもしれませんが、若干そういう気配もあるかな、という印象も持ちました。詳細はまたいずれ。ではまた。
2004年06月10日
例えば、裁判官を選ぶシステムはどうだろうか。現在では、どの地方にある裁判所(例えば、大阪にするか京都にするかとか)を選ぶかについて合意管轄というものがあるが、地方裁判所の中で、この事件はこの裁判官に扱って欲しいという意見を出せる仕組みである。もちろん双方当事者が同意した場合でないと成立せず、同意がない場合には裁判所の通常の事件配転となる(現状での裁判所内の事件は移転の仕組みは知りません。機械的な配転だとも聞きますがどうなのでしょうか。)裁判官に対する評価のシステムとして、このような同意があった場合には昇級を早くしたり、臨時給を出すなどの扱いをする。ちなみに減給はできません。給与の保障が憲法上要求されているためです。優れた裁判官というのがどういう裁判官なのか、当事者に気に入られる裁判官とは異なるのか、訴訟代理人である弁護士に気に入られる裁判官とはどうか、広く法律に余り関わり合いがない人から見てどうなのか、そのズレがどこら辺にあるかはまだ良く分からない。最高裁の人事評価システムについては、ttp://courtdomino2.courts.go.jp/shanyou.nsf/0258b7a1680aa82849256467004875a6/571f1e9307a90efb49256e60001eb010?OpenDocumentなどがあります。大別して、事件処理能力,部等を適切に運営する能力,裁判官として職務を行う上で必要な一般的資質・能力という3つの評価項目があります。大雑把に言うと、一番目が事実認定力、法的な知識、訴訟進行に関する当事者とのコミュニケーション能力2番目が裁判所内部で物事を回す能力、協調性、他の職務に対する敬意3番目が識見と性格。ここら辺は詳細に書いておくと、識見 ・ 幅広い教養に支えられた視野の広さ ・ 人間性に対する洞察力 ・ 社会事象に対する理解力 など ○ 人物・性格 廉直さ,公平さ,寛容さ,勤勉さ,忍耐力,自制心,決断力,慎重さ,注意深さ,思考の柔軟性,独立の気概,精神的勇気,責任感,協調性,積極性などということでした。管轄の合意ならぬ裁判官の合意によると、以上に挙げた評価ポイントの中でどこにヒットするのか。とりあえず1番と3番でしょうか。とんでもない証拠評価から事実認定がされては予測が付かないでしょうし、きちんと訴訟進行してもらえないと話が進みません。能力に対する信頼という意味では一番目が大きいかもしれません。人柄に対する信頼という意味では3番でしょう。和解などの場面では裁判官の資質がモノを言う場合が多いでしょうし、新しい事件、新しい判断を示さなければならないような事象については、視野の広さが必要でしょうし、そうでなくてもごくごく通常の事件でも、当事者のやむにやまれぬ感情というモノがある以上、それに対する深い洞察力というのは欠かすことができないのかもしれません。都会でのキャリア指向からすれば、ビジネスライクに物事を進める方が良いのかも知れませんし、地方で人情がまだ残っているところであれば、そうはならないでしょう。んー、もう少し考えてみたいと思います。sikasi,人物、性格の所、たぶん挙げられている要素を全部というよりかは、それぞれ適度に持ち合わせつつ、強い部分もあり、ということで良いのだろうけれど、そんなにすごい人間を求められても、正直無理だろうと思う。とりあえず難しい言葉として廉潔の意味は、廉直・・・廉潔で正直なこと。廉潔とは、清廉で潔白なこと。清廉とは、心が清くて私欲がないこと。廉潔。良かった。なんとか意味が理解できそう。廉直と寛容さって結構両立するんですね。廉直の直っていうイメージからちょっと感じが違ったんですが。公平さ・・・肩入れしないことは大切ではあるが、医療過誤訴訟など一定の配慮が必要なモノもある。実質的公平の観点寛容さ・・・厳しいだけでは物事は動かない、変えられない時もあるということでしょうか。勤勉さ・・・職務に対して忠実であると言うことでしょうか。怠惰であれば、見過ごすモノは多いでしょう。忍耐力・・・本当のところ何があったのか、争いのある中できちんと考えて行くには、忍耐強く考え、訴訟指揮をし、証拠を見ることが必要でしょうし、和解においても特に必要とされることでしょう。自制心・・・裁判官の権限は強力です。結論を出せることの恐ろしさ、濫用に走ることがないようにと言うことでしょうか。決断力・・・迷いに迷っても判断から逃れられないのが裁判官です。裁判所は終局的な判断を下す場所であり、最後には結論を出す力が必要と言うことでしょうか。慎重さ・・・その重大な権力を用いる以上、安易に用いることなく、慎重に適切な範囲で用いるべし,ということでしょうか。軽率に用いては取り返しが付かなくなります。注意深さ・・・証拠は事実の痕跡であり、痕跡を探し出すのは決して容易ではないですし、それがどのような痕跡なのか、注意深く判断しなければならないということでしょうか。思考の柔軟性・・・硬直的な物事の見方は、関係者全てを時に不幸にするのかもしれません。活路を見いだすことも必要でしょう。法律論のレベルでもそうですが、和解や今後の生活設計など、柔軟な物事の収め方というのはあるのかもしれません。独立の気概・・・これは分かりやすいですね。安易に多数に流されず、知識と経験に支えられた、良心の下での自主的な判断でしょうか。少数者の人権を守ること、人権の最後の砦として,時に猛烈な批判を浴びることが予想されても、自分の信じる結論を出すと言うことでしょうか。精神的勇気・・・独立の気概と同じことかもしれません。結論を判決という形に世に出すこと、それに対して自信を持って、少なくとも世間と面と向かっていられる、ということでしょうか。責任感・・・権限を持つ者としてのなすべき任務を全うしようとする気持ちでしょうか。協調性・・・訴訟進行における当事者とのやりとり及び裁判所全体としての協調でしょうか。この意味では、裁判所には色々な専門家、専門委員、調査官、調停委員、書記官がいます。こういった専門的能力をいかに活かせるかということなのでしょうか。積極性・・・事実に対する積極的な意識。当事者に対して積極的に働きかける力などでしょうか。
2004年06月09日
裁判官は世間知らずだとか非常識だとか、とんでもない判決を書くとか、とやかく言われる。裁判官は憲法上身分保障があり、少なくとも10年間はその身分が保障され、また、ごく最近からではあるが、ごく少数の極めて危ないというか、実際に非常識な裁判官が再任を拒否される。再任拒否が表立ったのは、最近のことであるが、実際は、従前から危ない裁判官にはさりげなく示唆が最高裁などからあったというのがもっぱらの噂である。裁判官と対比して、弁護士を考えてみる。弁護士には市場原理が働き、ろくでもない弁護をやれば、懲戒請求を食らうことにもなりかねないし、実際依頼人が来ないようになれば、経営的に成り立たないから、ろくでもない弁護士は淘汰される。従って、弁護士は責任が取れる。個別的には懲戒請求や損害賠償、長期的には経営ができないから弁護士家業を続けていられないと言う形で破綻する。しかし、これは責任を取ると言うことなのだろうか。何をどうしたら、弁護過誤やらなにやらの責任を取ることになるのだろうか。人の人生に直接重大な影響を及ぼす仕事にとって、責任を取るとはどういう意味なのか。やったことに対してのリアクションを取るというのが責任の意味なのか。自業自得になれば責任を取ったと言うことになるのだろうか。そうだとすると、自分が情状弁護で執行猶予を取った犯罪者が、再度犯罪を犯したら、その時弁護人はどういう責任を取れるのだろうか。依頼人の利益を尽くすことが弁護士の良心と責任のあり方なのであるから、この場合は責任を取る必要がそもそもない。ああ、この例は適切ではないですね。っていうか、もし本当に責任を取るって言うのならば、再犯しないくらいその後の生活にも、その人の人生にも弁護士として関わって行くということまで要求することになるのだろうか。そんなん実際無理でしょう。時折少年事件などを手がけていらっしゃる先生や、本当にこれは問題があるという場合には、一生関わろうとし、実際関わっている先生方がいらっしゃいます。こういう先生は本当に素晴らしい先生です。ごく少数ですが、確実にいます。弁護士の理想像とも言って良いでしょう。こういうのをまともに要求するのが厳しいとしても、弁護士の責任の取り方とは何か。出来の悪い弁護士が淘汰されるから、市場原理が働くから、弁護士は良い、という理屈なのだろうか。翻って言えば、再度犯罪を犯した場合は、裁判官の責任と言うことになるだろう。裁判官は、批判されるという形でしか、責任を取ることができない。辞表を書くことで責任を取ることになるのだろうか。極端な話、再犯の可能性があるのであれば、実刑判決を食らわせれば足りる、とするのならば、それは簡単である。全員刑務所に突っ込めばいいのだ。話がどうもごちゃごちゃしてしまいました。もう少し整理したいと思うのですが、要は、裁判官が責任を取る、という時の「責任」は何を刺すのでしょうか。ろくでもない判決を書く人が淘汰されるべきだ、淘汰されない裁判官制度がおかしい、という意味なのでしょうか。そういう意味であるなら、その主張は全く正しいでしょう。裁判官諮問委員会みたいなのが、最近できたので、そこである程度ひどいのはフィルターにかけることになるでしょう。裁判官に市場原理入れたらどうなるんかな。裁判官における市場原理って、んー?要は当事者や弁護士が、○○裁判官のところでやってほしい、と選べる形にするということなのでしょうか。人気のある裁判官は良い裁判官、ということにすればいいのでしょうか。ふむ・・・。結構面白いかもしれませんが、マスコミというのの影響を考えると、あんまり良くないのかもしれません。ある裁判官の特定の事件に対する判断に付き、一回ぼろくそに言われたら、その裁判官は次の任期がなくなってしまうでしょう。マスコミというのの影響が大きすぎて、適正な判断がしにくくなるでしょう。裁判官、という仕事は、法律と良心に従うのみですが、あまり人気投票の形にすると、要は当事者受けしやすい形での訴訟進行ばかりが好まれ、少数者の保護というところがなくなってしまうような気もします。あの裁判官は、どちらかというと、右寄りだから、とか左寄りだから、とか、女性問題に厳しいとか、そういうので当事者が裁判官を選ぶようになったら、公権力を用いる、すなわち公平でなければならない、という大前提が崩れかねません。んー、難しいのですが、良い裁判官を選抜していくため(あるいは出来の悪いのを淘汰していくため)のシステムとして、どのようなものが良いのか、最近できた人事評価の仕組みが適切なのか、んー、難しいですね。もう少し考えてみたいです。市場原理を裁判官にどういう形で導入するのか、どういう形であれば、それなりに成り立つのか、ちょっと考えてみたいと思います。しかし、この議論には、法科大学院の問題もそうだが、経済音痴の法曹界みたいなコンプレックスがあるに違いない。判決に不満を持った場合にしても、それを弁論の形にして主張しないと、どうにもならんのに、そういうところに無自覚に批判されると、とてもきつい気がします。イラクで拘束された新聞記者さんが、国を相手に損害賠償を求める訴えを提起したそうです。つまり、国が自衛隊派遣→身柄拘束した人々が日本人も敵だと認識→日本の新聞記者を拘束→新聞記者は身体の自由を奪われ、かつ精神的苦痛を味わった。そこで、国に対する損害賠償という形です。因果関係の存在が厳しい気がしますね。自衛隊派遣の違憲確認も求めている様ですが、んー、どうなるんでしょう。ttp://www.asahi.com/national/update/0608/039.html
2004年06月08日
歯石を取ってもらったら歯がざらざらしてます。歯にこんなに隙間があったとは驚きです。とりあえず、歯の治療をしてダメージが大きいので、今日はこれくらいで遠慮させて頂きます。ではでは。ちなみに下のページはとても分かりやすく絵で説明してくれています。ああ、おそろしい。マジで恐ろしい。寒気がする。こんなんにならないように気を付けよう。ttp://www.cyber-dental.com/
2004年06月07日
今日は、柳生の地に行ってきました。柳生家由来の地を歩きつつ、柳生菖蒲園に行き、一刀石(石州斎?石舟斎?あれれ?分からなくなってしまった。この人が天狗と剣の修行をしていたところ、天狗を切ったと思ったら、巨石を一刀両断にしていたという伝説のある二つに分かれた石)や、その側にある四つの巨岩(天の岩戸、天照がスサナオが怖いと行って逃げ込んでいた岩の扉が落ちてきたと言われる逸話があるくらい大きな岩)、柳生家家臣の屋敷や柳生家の道場、芳徳禅寺などなどを見てきました。菖蒲園は来週くらいが一番の見頃かもしれませんが、様々な色の菖蒲を見て、しょうぶはこんなに鮮やかで種類が様々なのかと驚き、そのきれいさ、可憐さ、かわいさ、強さに心を動かされました。あと、スイレンもとてもかわいらしくて、素敵でした。柳生菖蒲園はかなりお勧めです。帰りには、柳生街道沿いにある円成寺に行ってきました。灯篭や鐘楼、素晴らしい仏像、柱に書かれた絵がそれぞれとても素敵でした。足が疲れた頃には、お寺や柳生家の屋敷の縁側で、足を伸ばし、ゆったりとした時を過ごしました。今日は、とても贅沢に過ごせました。良い休日でした。この時期の菖蒲、睡蓮はとても素敵ですね。もう少し経つとあじさいがきれいになる頃ですね。あじさいもどこかで見れたらいいなと思います。ではではまた。今日はこの辺で。
2004年06月05日
先週のことですが、いわゆる精神病院に行って来ました。精神病院と言えば、暗い、狭い、拘禁、薬漬け、虐待などのイメージがありますが、今回訪問させて頂いたところは、極めてきれいで、かつ、病院というかホテルのような場所でした。旧来のイメージを払拭すべく、病院関係者は相当尽力されたそうで、また、現在もされているご様子でした。さて、統合失調症というのは、かつて精神分裂病と言われていたものでして、精神障害者という風にカテゴライズされています。私は宇宙人だ、とか、私はテロリストに狙われているなどの妄想や、誰かが自分にずっと話しかけてきている、会話しているといった思考化声、対話性幻聴などが有名です。ところで、統合失調症に限らず、人格障害だとか、人格以上だとか、色々と病名を聞く機会が多いとは思うのですが、大雑把に言うと、こんな感じらしいです。 統合失調症躁鬱病 神経症 人格障害 ↑ ↑ ↑ 健康な人間で、躁鬱、神経症、統合失調症はお医者さんがやってきた治療、いわゆる精神医学の領域で、ある程度治療法や対応策が立てられている分野だそうです。一般に、鬱病に関しては、初期に適切な治療を行えば直るとされていますし、神経症についても同様らしいです。統合失調症も、最初に発病した際には、2,3か月の入院で退院できるようになるらしく、約40%程度の人が完全に治癒するとのことでした。ただ、統合失調症は、再発、再々発となると、徐々に入院治療期間が長くなり、治療や社会復帰が難しくなるとのことでした。そして、完治しない40%以外の人でも、その内50%の人が軽症で留まり、通院治療や服薬の継続という形での治療で過ごすことができるらしいです。ただ、残りの10%の人は、長期入院となり、病院で一生を暮らすことになることも少なくないとのことでした。統合失調症などは、当初の急性期はやはり危険らしく、薬の服用が欠かせないらしいです。ただ、急性期への対処法は相当程度確立しており、その時期を脱すれば、基本的には薬の服用を続けることで(最近は副作用もかなり軽くなってきたとのこと)社会的にも平穏に過ごせることが多いようです。で、精神医学の領域としては、従来は躁鬱、神経症、統合失調症などを扱っており、人格障害というのは基本的に想定していなかった事例らしいです。というか、人格障害とは、人格の転移(どういう意味か良く分かりませんが)であって、とりあえず病気ではないと言うこと。医者に来る人は多いのですが、それは病気だから、というよりは、人格障害をご自身が悩まれているから来ているとのことで、人格障害ゆえの社会不適応に悩まれていると言った方が正しいらしいです。従って、別に病気ではないので、いわゆる治療という対応は施されないようです。さて、刑事責任能力の問題ですが、統合失調症などの場合は病気ですから、責任無能力というのは認められやすい様です。他方で、人格障害は病気ではなく、人格が異常と言うことなので、刑事責任能力には問題がないとのことです。で、最近問題になっているのは、特にボーダーラインといわれるもので、統合失調症と人格障害との境界事例が問題となっているもので、ここら辺になると鑑定医の意見もわれてくるそうで、難しいところらしいです。大体刑事で争われるような場合だと、こういうケースが多いそうです。以上大雑把に報告でした。統合失調症が早期治療さえすれば、かなりの確率で直るとのことに結構驚きました。いわゆる社会的入院の多さについても色々と言われていました。とりあえず今日はこの辺で。ではでは。
2004年06月04日
民法171条 弁護士または弁護士法人は事件終了時より3年を経過したるときはその職務に関し受け取りたる書類につきその責を免る。とありますので、3年間は書類の保管義務を負います。ここにいう「書類」の意義については、すいません。今日調べるつもりだったのですが、忘れてしまいました。今度の月曜日に再度答えたいと思います。とりあえず、今の段階だと、1年半より前の証拠書類を処分しているわけですから、この民法上の義務に反することになり、「書類」に証拠書類などが該当すれば、当然懲戒理由になるでしょう。次に、2問目の方ですが、問題となるのは、訴訟手続の中断・受継、審級代理の原則、特別の授権、訴訟代理権の終了時期、といった観点です。まず、本件では、10月14日で依頼人が死亡しているので、原則としては手続が中断します(124条1項1号)。ただし、訴訟代理人がいるときは中断しません(同条2項)。従って、訴訟代理人が代理権を有する間は訴訟手続は中断しないことになります(原則として、民法653条で委任契約は委任者の死亡によって終了。しかし、例外として民訴法58条訴訟代理権の不消滅)。それでは、訴訟代理人の代理権はどの時点まで継続するのでしょうか。民事訴訟法55条2項3号は、控訴、上告等について特別の委任を受けなければならない、と規定しています。従って、少なくとも控訴はできないのが原則です。で、ここからは解釈なのですが、第一審の終了時とはいつでしょうか。基本的に判決は言い渡されますが、控訴期間が始まるのは判決書の正本の送達を受けた翌日からであり(民訴法285条・なお控訴期間は14日間)、送達を受けた時点で第一審の手続はすべて終了したと行って良いだろうと言うことになります。ここで訴訟代理人に判決書の受領権限を認めないと、判決が送達されても当事者に行き渡るまでは確定し得ないことになりますし(民訴法116条、285条)、送達自体は訴訟代理人に送達されるのが実際の運用であり(なお、当事者への送達が有効とされた最判昭和25年6月23日)、大体送達は特別の定めのある場合を除いて、郵便又は執行官によってする(民訴法99条1項)ので(なお、裁判所は、民訴法109条「送達をした公務員は、書面を作成し、送達に関する事項を記載して、これを裁判所に提出しなければならない」との規定により、送達の有無を知ることができます。)、代理人が当事者に渡したところで、送達の効力が生じるわけではありません。(但し、例外として控訴状正本が誤って第三者に送達された場合、その送達を受けるべき訴訟当事者がこれを現実に受け取ったときから上告期間を起算するとの最判昭和38年4月12日があります。)従って、訴訟代理人には、判決書正本の送達を受領する権限があり、従って、訴訟代理人の権限終了時期は判決正本の送達を受けたときと言うことになります。それでは、次の段階に行きます。本件では10月14日に当事者が死亡しているわけですから、訴訟手続が中断するかに見えましたが、訴訟代理人がいる間は中断せず、従って、訴訟代理人が判決書を受け取った10月16日の時点までは訴訟手続は中断しません。しかし、訴訟代理人が判決書の送達を受領した段階で、訴訟代理人の代理権は消滅し、訴訟代理人がいない状態になるわけですから、原則通り、訴訟手続は中断することになります。訴訟手続は、受継がされるまで中断するので、この間控訴期間は進行しません。従って、2週間経っても、10月30日を経過しても、判決は確定しないのが原則です。(なお、期間の計算について、民訴法95条、民法139条乃至143条。特に初日不算入の民法140条。なお時効の効力は例外ですね。144条)しかししかし、日弁連のHPにあった委任状をよくよくご覧になったでしょうか、下の方に、控訴の提起をする権限を認めている条項があります。すなわち、特別の授権も当初の委任契約時に既に為されていたと判断されることになるわけです。となると、訴訟代理人の訴訟代理権は消滅せず、訴訟代理人がいる間は手続は中断しないわけですから、控訴期間は進行することになります。本件では、訴訟代理人が依頼人の相続人である依頼人の妻から控訴をするかどうかの回答を受けるのは10月30日までで、10月30日が控訴期間の最終日ですから、かなり危険といえるでしょう。これで確定したら、確実に弁護過誤になります。ということで、委任状の記載も一度は見ておくべきです。定型なので、あまり気にしないかもしれませんが、ちょっと危ないところですので気を付けた方が良いと思います。とりあえず控訴するかどうか、控訴状だけでも2週間以内に出すというのが安全策です(もっとも、収入印紙を貼らないといけないので、出費はあります)。ちなみに、控訴趣意書はいつまでに提出しないと行けないでしょうか。規則182条で、控訴の提起後50日以内に、だ一審判決の変更・取消を求める具体的事由を記載した書面を控訴裁判所に提出する必要があります(なお、控訴状はだ一審裁判所に提出します)。ついでに、上告理由書は、上告提起通知書乃至上告受理申立て通知書の送達を受けた日から50日以内です(315条1項、規則194条、規則189条、規則194条)。上告期間は、控訴期間と同じで(312条)、控訴状正本の送達を受けた翌日から14日間です。今いる民事部の部長から(合議、3人の裁判官でやる裁判の裁判長ですね)教えて頂きましたのを、ちょっと付け加えて書いてみました。それではまた。「書類」の意義については、来週の月曜日にまた。
2004年06月03日
1,民法の知識からA弁護士は、自分のオフィスに書類が増えすぎているのにイライラして、少し整理することにした。A弁護士は、事件の種類ごとに昔の事件から大体の年度ごとに分けていき、判決と訴状や答弁書、準備書面などを残して、かさばる証拠はどんどん処分していった。その日一日かけて書類を整理したところ、去年度からの記録を除いて、整理が完了した。2、かなり難しいかも翌日の平成○○年9月15日、A弁護士は、1年間続いた売掛金代金請求訴訟についての最終準備書面を書き上げ、意気揚々と弁論期日に望み,裁判所に書類を提出してきた。審理は終結して、判決の言い渡し日は1か月後の10月15日と決まった。その10月14日、依頼人は不慮の事故で死亡した。唯一の相続人である妻は、夫の死をA弁護士に伝えるのを忘れていた。その後の10月16日、A弁護士は裁判所から敗訴判決の正本の送達を受けた。そこで、A弁護士は依頼人宅に電話し、始めて依頼人の死を知った。依頼人の妻は、夫の財産管理が色々と大変であり、夫が起こしていた訴訟についても余り知らないので、全てお任せしたいのだが、とA弁護士に話した。しかし、A弁護士は、事件の概要を簡単に説明した上で、依頼人が書いた陳述書なども見た上で、奥様自身が控訴するかどうかよく考えた方が良いと言って、書類を送る旨伝えた。翌日A弁護士は、書類を依頼人の妻に送り、10月30日までに控訴するかどうか決めて、自分に連絡をするように伝えた。なお、委任状は以下のHPのものが提出されていた。http://www.nichibenren.or.jp/jp/soudan/chishiki/saibanbunsyo/doc-06.htmlさて、これらの事例は弁護過誤になりうるでしょうか。答えは明日。根拠条文を考えつつ、順序立てて思考を進めてください。
2004年06月02日
紛争類型別の要件事実をきちんとやるのがやはり一番ぽいですね。できれば参照に付いている判例解説を読み合わせてやるのがより良いですが(通称「判例解説」、最高裁判所判例解説と言って、最高裁の法律的判断について、調査官が解説しているものです。なお、調査官は裁判官の命を受けて事件の審理及び裁判に関して必要な調査を掌るとされています。)、うー、判例解説が手元にあればいいのですが、今DVDの値段を見てみると、平成11年度までのやつで24万、本文付きだと29万だそうで、ボーナスが飛んでしまいます。あうー、これに判例タイムズか判例時報のCDーROMをそろえれば、さらに昨日のエクスワードがあれば、かなり行けるはずなんですが、とてもお金が足りません。まあ、類型別をろくに読んでもいない人間の言えることではありませんが。ああ、なんか話が逸れました。(話題をそらすのそらすって逸らすなんですね。なんか不思議な感じがしました。)とりあえず類型別を、問題研究15題は基本的なところをきちんと書けるようにするために適していると思います。言い回しとかを押さえておくと起案的にはらくなような気がします。しかし、昨日からの急激なアクセス数の増加は何によるものなのでしょうか。どなたかお分かりの方、掲示板の方にカキコをして頂ければ幸いです。>>自分で発見しました。はてなアンテナというのでしょうか?んー、なんかすごいシステムですね。確かに便利そうです。blogというのも、んーなんか分かったようなわからんような感じです。ではではまた。
2004年06月01日
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