医療過誤体験



医療過誤、何を隠そう私もその一人である。

バッツ症候群が“無自覚で進行している最中?”の出来事だった。
風邪から軽い喘息を起した私は、前回までの投薬量で改善されていなかったので医師は、
『では、喘息の薬を倍にしましょう!それでいかがでしょうか?」と気管支拡張剤:テオドール(テオフィリン:交感神経刺激剤)を
増量された。

現在自律神経の不定愁訴の根本的原因はこの医療ミス(投薬量ミス)から激増悪した。
その医師に悪気は無かったのだろうが、ミスであることすら気がついていない。
そして薬剤師もはるかに処方量を超えた処方箋なのに、何の疑問も持たずに処方してしまったことだ。
地元で3代開業医の家系であり、地域ではそれなりの信用もあるようである。
患者が黙っていれば、“何も判らないので良いのか!!”そう思う。

忘れもしない「9.11」の夜だった。
“N.Yで飛行機がビルに激突!”と言うニュースが飛び込んでいた頃、私は原因不明の『動悸』に襲われていた。
時間が経過するごとにこの世の出来事と思えないテロの凄さの光景が画面に映し出されている時に、
私は「この信じられない光景で精神的に動揺している?(精神的要因)」だとばかり思っていた。
深夜2時を過ぎても・・・『動悸』は止まらない。「パニック発作の前兆なのか?」と過呼吸になりそうな自分の身体と精神のアンバランス
に戦っていた。
しかし、予備でもらっていた安定剤も効かず・・・どうにも“変”で治まらない。
救急車のお世話になると「また心身症か!」と病院で嫌がられるので、タクシーを自力で呼んだ。
夜中の2時だと大きな駅の繁華街近くの私の所にはなかなかタクシーは捕まらなかった。
「酔っ払いを送るのなら、病人を先にしろ!」と内心思っていたが、、、。
(そう思うのなら“救急車にしろ!”と言われそうだが、、、)

自腹を切って救急病院の夜間診療を受けた私は当直医(循環器専門)から聞いた言葉に愕然とした。
持っていった「処方箋」を見せるなり、
『テオドール・・・これじゃ(この量では)、完全に中毒だ!』だった。
『はぁ?テオドール中毒ですか?私は精神的なものとばかり思っていましたが・・・』

- 「テオフィリン100mg」の注意書きより -
>通常,テオフィリンとして,成人1回200mg(本剤2錠)を,小児1回100~200mg(本
>剤1~2錠)を,1日2回,朝及び就寝前に経口投与する。また,気管支喘息については,テオフィ
>リンとして成人1回400mg(本剤4錠)を,1日1回就寝前に経口投与することもできる。
>なお,年齢,症状に応じ適宜増減する。

>副作用
・・・
>耳鳴,不随意運動
>循環器:動悸,頻脈:顔面潮紅,顔面蒼白,不整脈(心室性期外収縮等)
・・・

私はこの「1回200mgを毎食後3回」で投与された。喘息発作で眠れないほどの状態ではない。
上記数値から最高使用量は400mg/dayであるが、私は投与されてから5日間600mg/dayで服用していた。
明らかに「投与量オーバー」である。

誰もいない深夜の救急治療室でのテオフィリンの血中濃度を下げるための点滴が開始された。
しかし、医療過誤は、ここでも『更なる体験』が待っていた。

医療過誤(2)

今日医療ミスで娘さんを失った医師(母)の判決が出た。

>7300万円の賠償命令 長期化、裁判長が「遺憾」 北九州の医療過誤訴訟   

> 小倉記念病院(北九州市)で手術を受けた高校生久能紹子さん=当時(17)=が死亡したのは医師の過失が原因
>として、両親が病院を経営する朝日新聞厚生文化事業団(東京)と主治医に損害賠償を求めた訴訟の判決で、福岡
>地裁小倉支部の杉本正樹裁判長は26日、ほぼ請求通りの計約7300万円の支払いを命じた。

> 提訴から約9年8カ月ぶりで、杉本裁判長は判決の冒頭「約10年もの歳月を要し、謹んで遺憾の意を表明したい」と
>異例のおわびをした。

医療過誤事件は、事の大小にかかわらず日常的に存在する。そしてこのように裁判になって「判決」が出るのは、
その総数に対して「ごく僅か」であり、ほとんどの『医療過誤被害者』は無き寝入り状態である。
そして何よりも『失った命や、以前の健康が元通りに戻らない』と言うことである。
そして保証がされる場合も『死亡、または高度障害時のみ」であることも調べた。

この判例も10年と言う月日と、そして専門的知識が「勝訴」に至っているが、
私たちのような「一般市民(患者)」は泣き寝入りしかない。
私がそう感じたのが、その後の出来事からだった。

前日の日記の続きで・・・
点滴をすることになったのは良いのだが、医師が診察を終えて医局に戻った後に、
当直だった新米看護師が「おそるおそる点滴針を血管を探りながら・・・」というびくつきながら点滴を始めた。
深夜の処置室で診療台に載せられた私は身動きが出来なくなり、
さらに悪いことに、この看護師が定期的に見回りにも来ず、その上に緊急呼び鈴(ベル)も置いて行かなかった。

案の定、恐れていた“事態”が起こった・・・手が“ちりちり痛い”・・・初めての経験だった私には何が起こっているのかが
想像つかなかった。
無理に動けないので少し身体をずらして手を見たら・・・手が、手が膨れ上がっている。“ぎぇ~!”。
点滴針が血管から抜けて、皮下点滴状態になっていた。
その上、誰かを呼ぼうにも何の手段も無い!・・・焦った私は診療室にあった丸イスを床に“バンバン”叩きつけて
分厚い壁の向こうの夜間事務室に聞えるように何回も叩きつづけた。
・・・しかし無常にもその音は届かず、仕方がないので点滴を引きずりながら事務室に行って対処をお願いした。

それでも数分してやっとベテラン看護師が来てくれて、別室に移らせてもらい呼び鈴も置いてゆき点滴を再開した。
私も血管が浮き出ない体質なのでそれは仕方ないが、2度目の点滴も針が外れ、またまた腕が腫れあがった。
3度目の針は手の甲に入れて、やっと朝方4時半ごろに終了した。
『温めれば元に戻りますからね!』と温タオルでマッサージをしてくれたが、気持ちの良いものではなかった。

「9.11」は私にとっても悪魔の日であった。
この日は出張の予定で『何が何でも行かなくては!』と思っていたが、眠れずに・・・
・・・寝付いた後に仕事先からの電話で起されたが、事情を説明して“絶対に無理”と判断され、自宅で休むことにした。
しかし、本当の“医療過誤怖さ”はここでは終わらなかった。

医療過誤(3)

昨日の「北九州の医療過誤訴訟」の訴訟と合わせるかのように、厚生労働省が

>リピーター医師免許取り消しも、年内にも初諮問

のニュースも同時に流れた「リピーター医師」とはご存知の方も多いと思うが、医療過誤(ミス)を繰り返した医師のことである。

以前首都圏のニュース内で特集されたことがあったが、3、4度と医療ミスを繰り返しても何の「大きなおとがめ」もなく
医療行為を続けられるのである。これは絶対におかしい!。
命を預けられないような行為を繰り返し・無反省なら『免許取り消し(はく奪)』も当然の処分と言えよう。

運転免許のように更新制を取っているアメリカなどのように、まじめで好成績を挙げている医師はそれなりの「配慮」があっても
良いと思うが、基本的なミスを繰る返すような医師には医師であって欲しくないし、その資格はない。

これでは「患者本位の医療」などという事は、お役所や自分本位の医師が“絵に描いた餅”を前提に行っている(患者から見れば)
“医師のあこぎ”であるだけで、きちんと患者を人間として扱っている良医には「迷惑千番」なだけである。

一日も早くきちんとした制度(法制)化されて、リピーター医師には現場を退いてもらいたい。

私の「医療過誤」の本当の“怖さ”は点滴ミスではなく、これからの医療機関の対応だったが、記述は明日以降に、

医療過誤(4)

早朝処置をしてもらったばかりなので、自宅に帰っても調子がおかしい?。動悸が治まらないのである。
やっと点滴を終えたばかりなので、数時間で直ぐには全身の血中濃度は落ちはしない、が、、、、。
しかし、水も満足に飲めない状態である。少し身体を動かそうとすると、とたんに動悸として返って来る。

そしてちょっと水を含ませようと身体を横にした時に、ついに「発作性頻脈」が起こってしまった。
(発作性頻脈:動悸の酷いもので労作状態に関係なく脈が“早鐘を打つ”ようになる状態で、
時に脈拍が200回/mim近くになることもある)
そのような発作が起きた場合、慣れて?(反射神経の刺激を使う)いない限り自分では止められない。
特に今回のように原因が精神的なものでない場合には、医療機関に行く以外に止める手立てが無い。
発作後少し我慢していたが、どうしようもなくなったのでついに「救急車」を要請した。
昨夜から数えて2日目の昼間であった。

救急車で今朝方まで点滴を受けていた病院に舞い戻った。しかし・・・ここからの対応が前日の「当直医」と全く違っていた。

まず、着いた早々「心身症」として(決め付けられて)扱われた。明らかに「今朝までの処置:カルテ」が残っているはずである。
なのに「心身症」である。単なる過呼吸発作(パニック発作?)と混同されている。
今朝方まで「何の治療をしてたんだ!」と内心思っていたし、そうであることを訴えたが聞き入れてくれない。
しばらく救急外来の診療台で観察され「安定剤」を飲まされ、「治まった?大丈夫でしょう?」と言い、
その後は「落ち着いたら帰って良いよ!」とあっさりと言われてしまった。

確かに安定剤で一時的にも頻脈発作は治まったようになったが、、、原因が何も解決されていない。
「まだおかしいようなら、明日にでも外来で来て下さい」(今おかしいから来てるんだ!と思いながら)と
・・・まだ動悸はするが、返されてしまった状態だった。
どこか「何かがおかしい?」と“人為的なも”のを感じた。
その日の“治療費と帰りのタクシー代”が高くついた感じだった。
『何のために救急で行ったのか?』が何も判らなく意味がなかった。

翌日その病院の「呼吸器外来」に行った。
「呼吸器専門医」と書かれてある外来の医師にかかった。そして今までの状況を説明したが・・・
怪訝そうな顔つきをした“専門医”がこう口にした。

「私には診れないので、今別の先生を呼びますので、、、」

とあからさまに医局に電話をして、“内科の一番偉い先生?”がやって来た。そして開口一番、
「喘息の薬にはこういう“動悸の副作用は『当たり前ですから』”と笑いながら話した。」

明らかに人為的に“何かを隠している!”と感じた。
そうか・・・昨夜の当直医は別の場所にある大学病院の“アルバイト医師”であったからだ・・・。
だからその場では「正直な診断」が出来た(言えた)のだ。しかし今は違う。
ミスを犯した同じ街内の「総合病院」と「開業医」との“見えない関係”が見えたような気がした。

そしてその内科医は点滴を用意して“何かの薬を入れ”、点滴を開始させた。
こんな状態では“インフォームドコンセント”などという言葉には程遠い治療過程である。
そしてその点滴が終わっても余計に「動悸」は治まらなく、そのまま帰宅させられた。
「動悸は直ぐに治まるから・・・」と言いながら、その動悸は点滴後約12時間続いた。
(たぶん、同じように“テオフィリン系の喘息薬”を静注したのだと思う)

この事件からどうにも自律神経の調子がおかしくなり、この病院ではらちがあかないので
結局別の「神経内科」で自律神経調整剤を飲む羽目になった。
元気でいた自律神経のバランスを薬害で強制的にズタズタにされたのである。
未だに自律神経は元に戻っていない。

ちょっとした喘息を治療するために行った病院でミスが起き、
そのミスの治療に行った病院でまともな扱いを受けなかった。
『これが医療の実情なのか?』ととても医療不信になった。

これが私の『医療過誤体験記』である。

そして昨年“バッツ症候群”を治癒するきっかけとなった高橋医師との出逢いにより、
この「医療ミスで起きた自律神経の失調」を含めた私の『全人的な治療』を行ってもらっている。
これからまだまだいろいろな意味での治療には長い時間がかかると思うが、
高橋医師に出逢えた事で積極的に治療するチャンスと意思(意欲)が与えられた。
このHPのためではないが、私は今まで出会ってきた医師の中で一番人間味のある医師であり、
私のなりたかった「医師像」を持つ“研究熱心で厳しくも優しく丁寧で、そしてユーモアセンスもたっぷりな医師”である。
この出会いを“とても幸せなこと”と思う今日この頃である。

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