さわらびの「今日の人生勉強」

さわらびの「今日の人生勉強」

子不満を持つ親と、親に不満を言えない子


しかし一方、親もまだまだ未完成な「人間」なのです。
それをついつい忘れてしまう私たちへの戒めの話です。

◆子どもの心をそまつにしてきた私◆

「きんもくせい、花はたくさんついたのに、今年は、あまり香りませんね」
「世の中のおかしさが、木にも表れたのかもしれませんね」。
こんな会話を交わしながら、十四人ほどの母親の集まりを持った日のことです。

「わが子との付き合い」についての話の中で、
二人の母親が「私は、こんな失敗をしてきた」という例を発表しました。
ふだん、多くの母親が、つい、忘れてしまっていることです。

いつも、何かしら忙しい、お母さん。
うちの子は二人。小学六年の男の子と三年の女の子。
二人日の子が生まれたときから、
私は、いつの間にか、上の子が私に何か言いにきたとき、相談にきたとき、自分の忙しさを訴えるようにして

「後で」
「後にして」
「な-に、早くおっしゃい」
と応じるようになっていました。母親である私中心です。

ところが、それが当たり前となっていくうちに、恐ろしいことに気づきました。
上の子の私への語りかけが、いつの間にか少なくなり、
やがては、下の子まで、なんとなく無口になってきたのです。
それだけではなく、私の「後で」は、子どもには母親の拒否と感じとられ、
私への信頼、さらには他人を信頼する心を薄れさせていることをも
案じられるようになったのです。

今は「後で」「早くおっしゃい」を禁句にして、子どもが何か語りかけてくれば、
必ず、子どもと向かい合って腰をかがめ、いっしょに語り合うようにしています。
やれば、できたことでした。子どもの心をそまつにしたことを、
ほんとうに悔いております。

小学一年生の男の子を持つ、お母さん~私の大失敗~の話です。

私は、私自身の気分のよいときは、子どもに、
いつもは「いけません」と言っていたことを
「今日だけはいいわよ」と言い、
気分の悪いときは、いつもは「いいわよ」と言ってきたことを
「いけません」と言ったりしてきました。

子どもが「昨日までは、そんなこと言わなかったじゃないか!」と
かみついてくると、平気な顔で

「昨日まではよかったけど、今日からはいけないの」
などと言うこともあったのですから、むちゃくちゃな話です。

あるとき、私に言いくるめられて不満げな子どもの顔を見ているうちに、
母親以前の私自身の問題として、自分のいいかげんさに気づきました。
私は親の「権利」をはきちがえていたのです。

母親への信頼を失わせたと同時に、子ども自身のなかに
「いいかげんに、ものを言う心」を植えつけてしまったのではないか、
と反省しています。やはり、私も、子どもの心を、そまつにしてきたのです。

子どもの心をそまつにしてきた。
これは十人近い母親のほとんど共通の反省だったようです。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆(今日の贈り物)

大人になっていろんな事を経験してきても、
初めて子供を育てる親は、
「母親一年生」
なんですよね。
それを忘れてしまって、自分の子供だからと、
自分の不満や愚痴やイライラをぶつければ、どうなってしまうか。(-_-;)

「自分が嫌と思うことは、人にはしない」

小学校の黒板に「今日のめあて」と書かれていた言葉です。
大人になった私達は、それが出来ているでしょうか。
考えたいものです。

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