Honey-Bunny in America

サンノゼ・ジャパンタウン


サンタクララ・バレーにやってきた。

中国人排斥方により中国人移民が減ったことで、
日本人移民労働者の需要が高まり、
1890年頃には日本人移民労働者によって日本町が形成され始めた。

日本人町の人口のほとんどが独身男性だったため、
日本町の中心であったジャクソン・ストリートとフィフス・ストリートの周辺には宿、銭湯、ビリヤード場、賭博場などが多くみられた。

1900年代以降、日本人移民は家族を形成するようになり、
日本町は家族中心のコミュニティーへと変貌していく。

町には日本食レストランや商店が立ち並び、
仏教会やキリスト教会が社会的団結の重要な役割を果たしていった。

日本町の形成は、社会的に差別され、
自給自足の生活を強いられていた日本人移民の生きてゆく手段でもあったのだ。

第二次世界大戦の勃発により、住民は一時この地を離れたが、
戦後再びサンタクララ・バレーに戻り、
サンノゼに日本文化の中心を形成していった。


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