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2015/03/10
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カテゴリ: 鉄道
明日で、東日本大震災と大津波から4年になります。
被災地の復興は残念ながら急速には進んでいませんが、津波で激甚な被害を受けた仙石線が、5月にようやく全線復旧します。また、復旧工事と並行して東北本線との連絡線も建設され、そちらの供用も始まります。
本日は、その仙石線のひと昔前の姿を、枝郎の古いアルバムからスキャンしてきました。

仙石線に初乗りしたのは1991年3月。春休みに、いまはなき「仙台・松島ミニ周遊券」と新幹線の自由席特急券を持って仙台近郊へ初めて日帰りしたときでした。そのときの乗車区間は仙台~松島海岸間。当時の仙台駅は、宮城電気鉄道時代からの、東北本線と直角に交わっていた古い地平ホームから発着していました(現在の地下ホームと地下線が完成するのはその9年後)。
003
★仙台(旧ホーム)にて
仙石線は昭和50年代まで旧型電車が使われていた古い電車路線で、1980年ごろから水色の103系が入ってきました。寒冷地であることから冬季に手動開閉に変更できる115系のような「半自動ドア」に改造されています。しかし冷房車はこの写真の1編成だけで、民営化後サービス改善が急がれ、大きくリニューアルされました。
001
★仙台(旧ホーム)にて
これがリニューアル車です。冷房を装備し、前面形状に手を加えられ、内装も東北本線の719系のように明るくなっています。ドア開閉もボタン式になりました。その後塗装変更が行われ、地下線完成後もしばらく使われましたが老朽化には勝てず2002年より、231系500台投入で余った205系に置き換えられました。
002
★仙台(旧ホーム)にて
また、当時は105系もいました。輸送改善を目的に、国鉄終末期に103系から改造されたクハ+クモハの2両連結の車両です。但し、JR西日本の日根野(新在家)・広島・下関所属車とは違い、前後とも103系のスタイルを踏襲しています。当初は白地に赤青のストライプでしたが、のちに水色に塗られました。103系との識別のため前面に白い2本線を引いているのが特徴。
004
★石巻にて
石巻まで乗ったのは翌年1992年3月。奥羽本線福島~山形間の改軌によって仙山線経由になった夜行急行「津軽」で夜明け前の仙台駅に降り立ち、一番列車で乗りとおしました。石巻駅は歴史的背景から仙石線と石巻線とで駅舎とホームが別々でしたが、民営化後統合工事が行われました。そのときは統合後の訪問です。
あれから20年以上の年月が経過し、そして災害復旧で仙石線は大きく変わろうとしています。連絡線経由の列車にはハイブリッド気動車が使われるとか。

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最終更新日  2015/03/10 10:34:00 PM
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