なまけいぬの、お茶うけをひとつ。  

なまけいぬの、お茶うけをひとつ。  

2007年05月10日
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カテゴリ: 楽園に吼える豹
中にいる二人に気付かれないよう、二人は聞き耳を立てる。



「今言ったことは本当なのかい!?」


橘の声だった。
すぐに彼を小声でたしなめる声が聞こえる。


「キョウ、声が大きいわ! 誰かに聞かれたらどうするの」


ユキヒロは声を聞くのは初めてだが、この声がマリエ・タランダだろう。
顔は見えないが、理知的な感じのする声だ。

聞いている二人の体が自然とこわばる。




「だって…こんなことを聞いて落ち着いてなんていられないよ!



アスカが実験道具みたいに扱われようとしてるっていうのに……!!」



「―――!!」

アスカ。
彼女の名前が橘の口から現れたとき、レオンは思わず声をあげそうになった。

(実験道具…!? 何だよ、それ……)

ユキヒロも緊張した面持ちで中のやり取りに聞き入っている。



マリエが言い辛そうに続けた。

「実際問題、アスカちゃんをそういう目で見る科学者は結構いるのよ。
初めて現れた女性のGS…彼女の生殖細胞を優秀な男性のGSの生殖細胞を受精させれば、より優れた特質を備えたGSが生まれるんじゃないかっていうのは―――」

「科学者にとっては魅力的な研究だって言うんだろ!? 


橘の声はかすれていた。極度の興奮から喉が渇いたためなのか、情けなさのあまり涙が出そうになるのをこらえているからなのかは分からない。

マリエは優しく恋人の肩に手をやる。


「私もそう思うけれど……とりあえずその案は立ち消えになったわ。
やっぱり人権上問題があるっていうことになったの」


その言葉を聞くと、橘は若干落ち着きを取り戻したようだった。



だがマリエは厳しい表情で首を振る。

「残念だけど……あまり状況は変わらないわ」

「え…」


「わからない? うちの科学室が諦めたのは“無理矢理に”実験を進めることだけ。裏を返せば、


本人の同意があれば堂々と実験ができると踏んだってことなのよ」


「ど、同意?」

橘は混乱してきた。
あのアスカが、自らをモルモットにするような実験に承諾などするだろうか。
死んでもしないだろう―――それが橘の結論だった。

それをマリエに伝える。
しかし彼女は、そんなことは関係ないと彼の意見を一蹴した。


「科学室は、彼女とSクラスのGSを接近させようとしているの。
恋人同士になって、もしアスカちゃんに子供ができたりしたら、科学者連中にとっては実験をしたのと同じことなのよ」


橘は絶句した。
彼女の言う“SクラスのGS”に思い当たる人物が、即座に思いついたからだ。



「レオンか………」



橘も、ここ最近アスカとレオンの仲が良いのは知っていた。
二人の仲が接近したのが自然な流れによるものなのか、科学室が介入したからなのかは分からなかったが、そんなことは問題でない。




「………!」

部屋の外で聞き耳を立てているレオンは、自分の名前が出てきたことに愕然とした。

(俺が、アスカを危険にさらしてる?―――)




「レオンはアスカちゃんの“花婿候補”筆頭なの。実力的にも申し分ないし、年齢も釣り合ってる。
何より―――アスカちゃんともっとも親しい」

衝撃的な言葉から、橘の脳に更にショッキングな推測が浮かぶ。


「もしかして―――草島さんが辞職したのはこのことが原因なのかな…」


つい最近、突然指導教官の役目を降りたゴウシ・草島。
彼は辞職の理由を橘にも言わずに去っていったが、ここにきてようやくその訳が分かった。

無論推測でしかないが、かなりの確率でこれは正しいと思われる。

彼ならば、このような卑劣な行いを許すはずがない。
彼のそんな正義感が本部の上層部との確執を深めたのだろう。


肺腑の奥から大きなため息が漏れた。


橘はまだ、二人の仲が恋人にまで発展しているとは思っていない。今ならまだ間に合う。
だが―――。

(二人がもし既に好き合っていたら………)

自分はどうすればいいのだろう。
未来ある二人の意思を無視してまで仲を引き裂くことが果たして正しいのだろうか。

やりきれない表情で頭を抱えた橘を精一杯励ますように、明るい声でマリエは言った。


「そう落ち込まないで。私もできる限りアスカちゃんを守るわ。
あなたにだって、あなたにしかできないことがあるはずよ、キョウ。
このことに気付いただけでも前進したと見るべきだわ」


「………そうだね。君の言うとおりだ、マリエ。
―――とりあえず、今日草島さんに会ってくるよ。
これからのことは彼と相談しつつ決めよう」


彼の表情から完全に憔悴の色が消えることはなかったが、自分がこれからやるべきことが明確になったせいか、先ほどよりは瞳に強い輝きが戻りつつある。

その時点で二人の会話も区切りがついた。

「そろそろ戻ろう。君も仕事があるだろ」

橘の言葉に応じて、二人は会議室の出口に向かう。

ドアに手をかけようとしたその時、扉がほんの少しだけ開いているのに気付く。
橘は不審に思った。

自分たちがこの部屋に入ったとき、確かに橘はドアを閉めた。
話の内容が内容だから、誰にも聞かれないよう細心の注意を払っていたので間違いない。


「どうかした?」


背後からたずねたマリエの言葉には答えずに、橘は勢いよく扉を引いた。

廊下に出ると同時に左右を見渡す。
しかしそこには、誰の姿もなかった。

磨き上げられた床が、橘の姿をぼんやりと映し出しているだけだった。









つづく

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最終更新日  2007年05月10日 21時30分09秒
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