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近隣病院の整形外科から紹介されていた、小児に詳しい整形外科医をやっと受診した。
まっとうなドクターだった・・・
持参したレントゲンは、肝心な箇所がちょっとピンボケではっきりとはしないが、彼の小児外科の疾患名と現状とその写真からの診断名は、
クリッペルフアイル奇形
ネットで調べところでは、クリッペルファイル症候群とも言うらしい。
首の頚椎部分の先天的な奇形である。小児外科の疾患と合併する事が多々あるらしい。
(乳児期の極端な向き癖や頭の変形、児童期の左右の耳の形の差、続いて顔のアンバランス、首の側湾と背骨の側湾・・・これらは全て、先天的な奇形によって後天的に起こったことだと思われる。
私はこれらに気付いたらその都度、小児科や耳鼻科で相談してきた。東京に転居してからは国立Sでも相談した。しかし、ここでは医療的にすることは無いからと整形外科に紹介されることもなく、調べようともしなかった。それでも本人が気にするので何度も申し出たが、最終的には心理的問題とされなんの解決にもならなかった。
要するに、「気にするな。世の中にはもっと酷い奇形の人もいるのに君はいい方だ。」といわれたのに等しいと感じられた。)
こういう経緯があったので、ショックを受けている彼の横で、もっと早くに診断がついていたら今の状態は今よりは良かったのか?出来る事があったのではないか?を詳しく聞くことは止めた。というか、出来なかった。
場所が場所なだけに手術する事はめったにない。側わんが進行して神経や内臓を圧迫した時のみ手術が検討されるという。これらは帰宅後、夜中に調べてわかった。
本人の気持ちを考えると、これらの事実はもう少し落ち着いて本人が大人になってから知った方が良いと思う。
そのドクターからは、現在国立Sに通院しているのなら、一応この事を告げたほうが良いでしょう言われたが、これまでの経緯からして、「あそこではこの程度の状態では整形では診ないのではないか?実際に他の整形外科にどうぞ。」と言われたので近隣の病院に行ったことを告げると、
そのドクターは、持っていたカルテを机の上において、
「・・・それもどうかと思うね・・・自分の所で手術してないからと言う事もあるんだろうな・・・じゃぁ、半年に1回ここに来て、再度レントゲンを撮って様子を見ていきましょう。」
と言ってくれた。
診察室を出て、トイレに行った。涙が出てしばらく外に出ることが出来なくなった。
彼が生まれたときも泣いたが、私は性格上泣き暮らして何もできなくなるタイプではない。私が悪かったと、子どもにすまないとか、自信がないといって、悲嘆にくれる母親が結構いるが、悪いけど自分は違うといつも思ってきた。生意気にも・・・
現状を受け止めて、最良の方法をいつも探し、それを試し、子どもと一緒に前に進んできた。それなのに何故今頃・・・と思った。
そのドクターの言葉
「奇形と言うと言い方が悪く聞こえるけど、実際には全体の20%程度の人が何らかの骨の奇形を持っているんだよ。だからあんまり重く受け取らなくても良いよ。」
私は病名を告知される事にすっかり慣れているのが、本人はショックだったと思う。それを少しでも和らげる為の言葉だったのではないかと思う。
「気付いたのはいつ頃?今15才か・・・」そういう言葉の端々から(もう少し早く来てくれていれば)という言外の意図を感じてしまった。
リハビリなども、この状態でこの年齢ではする必要が無いらしい。むしろしないほうが良いと。無理に引っ張ったり何かをするのはおそらく首に負担をかけるからだろう。首の可動域が狭いので悪影響があるのだろう・・・
首の曲がりや膨らみなどを気にしているが何か方法はあるかと聞くと、「少し太って筋肉をつけたらバランスが良くなると思う。」という事だった。
落ち着いたら本人抜きで一度詳しく話を聞きに行こうと思う。
支払いを待つ間、なんと声をかけたらよいかわからなかった。「ゴメンね、ショックだったでしょう?ママもショックだった。」としか言葉が出なかった。
見た目にそれほど酷いものでなくても、本人の気持ちはそんなに軽く無い。それに共感する事しか出来ない自分が情けなかった。
帰り道に本人がぽつりと言った言葉に救われた。
「はっきり言われて、かえって諦めがついた。そういう意味ではわかって良かった。」
どこまでそうなのかはわからないし、もっと早くに知りたかったのが本音だろうが、はっきりさせたかった、本当にそうだったと思わずにいられなかった。
これでもし本人が落ち込んでも、それはきっと彼の人生の上で必要な事。だからその時はあわてず騒がずにそっと見守ろう、必要とされる手助けだけはしっかりとしよう、そう思いながら帰路に着いた。
そろそろ自分達で頑張れよな・・・ 2009.07.30