エルマーマミーの家庭教育

エルマーマミーの家庭教育

いじめに関して思うこと/人間教育


最近ウツの病気を持つ人も多いですね。

ウツの人に自然に巻き込まれたこともありますが・・・
それらを踏まえて下にいじめの問題を考えてみました。


いじめは昔は、ちょっと汚いとか、匂いがとか、
体型とかみんなと同じでないときに言われてたりするけど、
最近は自己ストレス発散ではじまるということも
多いというのを聞いたことがあります。

でも共通しているのは、
「いっしょにやらなければ自分もやられる。」
という心理状態ではないでしょうか。

その際、

「あの子っていやね」

「私は特になにも思わないよ」といえる子が多く占めれば
自分が思う 嫌だという気持ちが恥ずかしいと
思ってくるのだろうと思いますが
ついつい、子供たちはマイナスに動き出す。
そこをどう大人が食い止めるか。

まずは大人が他人を批判しないことが先決でしょうね。

よく先生の悪口を平気で子供に言う大人がいます。
たぶん、私はこれは人間関係の一番の根っこのような気がします。
一番憶測で話ができることですから・・・

学校というところは親には見えない。
見えない場所は憶測でしか物事を考えられない環境なのです。


学校で何かあればすべて、子供を肯定してあげる。
それは私は一番にしていることです。

しかし、相手の人間性を親なりの言葉で否定してはならない。

そう「人間を否定する言葉」何気ない言葉ですが
これが一番子供の根っこを揺るがしているように思います。

それは、良いことはなく、悪いときに、マイナスな言葉
マイナスな雰囲気、マイナスな場所であらわれてくると
思うのです。

どんな人間でもどこかで受け入れる・許せる
そういった子育てをしていかないと、
子供は乗り越えてこないでしょう。

だからこそ、みんなが、最近よく目にする
鏡の法則という文も響いてくるのかもしれません。
人を許す。そういった乗り越えができていない
親が多い。

*****


自分で嫌なことがあったとき、
とにかく同調して聞いて欲しい。そういう欲求が
人間にはあるようです。

それに対してアドバイスされたり、
その考えは改めたほうがよいとか
言われると殻や枠を作ってしまいます。

逆を言うとマイナスなことがあれば
それを同調してそのまま聞いてあげます。
自分の考えは言いません。
とにかく、聞いてあげるのです。
いっしょになって「嫌だね」といってもいいでしょう。
けれども相手の憶測人間否定はしません。

「あの子はあんな家庭でこんな風に育ってるから
こうじゃないの?」みたいな
憶測だけで言葉を出してはなりません。

((逆に言うことで相手にそう思ってはならないと
ハタと気付かせることもできますが。。。それは
多分後々のフォローが大事であり、プロの技でしょう))


この人間への憶測・推測が一番怖い代物なのです。
そして一番人間として醜いものでもあるのです。

自分で見たもの以外は口に出すな。
これは私の教訓であり、保育しているときでも
子供たちにはよく言った言葉です。
6年間のHPの中でも何度か言った話かもしれません。

○○ちゃんがしたんじゃないの??
という子供たちの何気ない言葉。

これは一番響く言葉であり、
子供たちの中でも「○○ちゃんなんだって」と
断定的な言葉になり、広がっていきます。

大人の社会でも同じことがいえます。

そうすると誤解をうけた人間は
ずっと誤解をうけなければならないのです。

そういう言葉で心理的な攻撃をしかけていることが
日常茶飯事な世の中です。
そうしかけているという言葉がピッタリかも。
何気なく自分で人の罠を「しかけて」いる。

「私は見たわけではないけれども」
それでもその話は一人言えば10人以上には
知れ渡っていくでしょう。

かなしいかな。人間ってそういうものです。
何気ないのですが。。。

また、親、人がマイナスなこういう罠をしかけてきたときに
自分で処理できる人間でないといけなくなる。

処理できないときには人に聞いてもらう。
聞いた相手は同じく同調し、
人間否定はしないようにする。

その連鎖が必要ではないだろうか。


誰もがおかしいよ。その考え。という気持ちを持てば
自然に「こういう気持ちを外に言いふらすのは駄目な
ことなんだ。誰かに聞いてもらって納得するべきである」
と思う人間になっていかねばならない世の中なのかもしれない。
その聞いてもらえる相手は親であり、兄弟姉妹であり、
夫であり、親友であるであろう。

昔は、親が忙しくて子供の気持ちに構っていられなかった。
生活するのに必死だった。
先生の悪口、子供だけの話の憶測で噂話が流れていても
実際親たちは先生を敬っていた。

ところが、個人尊重時代(今から20年くらい前より)
に入り、個々の成長を大事にしましょう。

=社会のルールは守らずに嫌なことは逃げましょう
トイレに授業中行きたいときは我慢せずに行きましょう。
やりたくないときはやらなくていいです。
個人の自由を尊重しましょう。
競争はやめましょう。走りで一番を決めるのはやめましょう。
みんないっしょにいきましょう。(進みましょう)
それでもやりたくなければやらないでいいのよ。
みんながこれをしているときあなたはそれがしたいのね。
いいわよ~~

自由に遊びなさい。遊びだけがいいんだから。
というのが平然と言い放ってきた教育。
放任教育です。

親は次第に先生なんか。となってくる。

***

個人尊重で履き違えた教育をしてこられた
子供たちがもう親になってきている世代になってきました。

良い意味で個人尊重をかかげるのは良いでしょう。
しかし、間違った意味で個人尊重を自分勝手な
行動・見解で、また、他人への配慮のない、
気の利かない意味での個人尊重は
社会の中で育ってはいかない。

孤立した自分の周りの世界だけの人間になり、
そこでまたいろんな罠をしかけ、しかけられて
いく・・・。
狭い狭い世界になっていく。


たとえばこういう話を聞いたとき
「何よ。えらそぶって。フン」と自分勝手な
気持ちだけで思ってしまいがちな人と、
「そうそう。そうだよね」と
思う人と
「ふーん。」と思う人といると思いますが、

「ふーん」の人はその後の人生で
もしも同じ経験にあられたならきっと
わかってくるのではないかと思うのです。


マイナスな言葉を自分が受け取ったときに
どんな風に考えるのか。

それもひとつの指針です。

私は今かなりマイナスな立場にいる。
むしゃくしゃするのは聞いてくれる相手がいる。
言いまくる。聞いてもらえる。ホッとすれば、
次は解決策。

これを乗り越える。次に同じ立場に立った人に
話ができる。

そう人間は一人では生きれない。

だからこそ、人間否定をしてはならない。

それが人間ではないだろうか。



***

鬱病の人はとにかく自分の話を聞いて欲しい。
それに尽きる。
人間の一番の欲求を満たされないときに
出てしまう病気ではないだろうか。
がんばりすぎてしまう自分の精神状態に。

そしてアドバイスされると嫌で、殻や枠をつくってしまいます。
わかってくれないんだ。と。

それは日常いつでも自分に降りかかってくるマイナスな
事柄だったりする。
それが大きく自分に出るか出ないか。

何気ない言葉の罠のしかけ。
マイナスなことに対しての自分の対処の仕方

覚えていけば乗り越えていける。

そんな気がします。












© Rakuten Group, Inc.
X

Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: