■「テロ」


「なんか楽しい事ない??」
と言っていた気がする。

 石川 隆は、地下鉄の中で、けたたましい轟音を聞きながら
何も考えずにボーとしている。
隆は今学校から帰ってくる途中だった。
これといっていつもと変わったことは何も無かった。
あるとすれば、最近1年以上付き合った彼女と別れたくらいだ。
しかし、隆にとってそれはもぅどうでもいい事だった。
なぜなら、初めから好きではなかったのかもしれないと
別れた後に一瞬でも考えた自分が居たからである。

だが、その出来事は隆に変化しなければならないと
言う考えを植付けたのである。
その結果、隆は何か生き甲斐を見つけようとずっと考えていた。
最初はスポーツをしようと考えた。
昔からスポーツは好きだが、上手い方ではなかったし、
見るのは好きだがきつい事や辛い事が何よりも嫌いだった。
だから簡単に諦めてしまった。
そこで、手っ取り早く何か自分が熱中できるものを探そうと
周りの友達に
「楽しい事はないか」
と何かあるごとにメールや会話で連呼していた。
まぁ、どこにでもいるような19歳の大学2年生だった。

隆が地下鉄の中で、腕組をしながら席に座っていた。
車両の中には帰りのラッシュ時から少し時間がずれている
だけなのに、やけに人が少なく、いつもなら女子高生のう
るさく響く声も全く聞こえなかった。
隆はそんなことは気にも止めずにボーとしている。

「ふぅ・・・」

小さくため息をついた。ため息には、俺には何もないなぁ~と
いう思いが詰め込まれているようだった。
どうせなら、世界が壊れて本当に生きると言う喜びを
俺に教えてくればいいのになぁ~と思っていた。
それは、隆が最近買ったゲームの中に
出てくる状況にそっくりだった。隆は考えて少し笑った。
結局自分の想像の中では、何もないはずの自分はどんなに
世界が崩壊したとしても生き残る自信があることと、
思いついたのがゲームからの連想でしかないと言う
自分の発想力のなさである。

そんなくだらない想像をしている間に、車両の中には、
隆と制服姿で髪の毛を少し茶色に染めたとても眼の大きな
17歳くらいの女子高生だけになっていた。
隆は少し驚いた。そのこは明らかに隆のほうを見ていたのだ。
もしかして自分の空想を覗かれているのはではと、
少し思ったがそんなことは無いと軽く頭を横に振り、
前髪が目に入ったのだと言い訳するように髪をかきあげた。

少し時間がたった、隆にとっては10分位のつもりだったが、
時計の針は20秒しか進んでいない。
まだ、女子高生を見るには早すぎる・・・。
心の中の誰かが言ってい
る。でも隆は、早くその女子高生を見たかった。
何故見たいときかれると困のだが、今見ておかないと
こんな美人にはもう出会えないかもしれないと
思うと気が気ではなかった。そんな事を考えている間に
隆の眼は、その女子高生に吸い寄せられていた。
隆が、女子高生を見るとまだその女子高生は隆の事を見つめている。

これは、何かあるのではないか、隆は自分の顔に
何かついているのではないか、服が変なのだろうか、
何か見られる理由があるのか、急に焦ったように考え始めた。

・・・・なんだろう、なんだろう。

これは女子高生に直接聞いてみた方がいいのではないか。
別に何もなかったかのようにやり過ごせばいいものを、
隆は女子高生に声をかけようと思ったのだ。
ただ女子高生と話がしたかっただけなのかもしれない。
本当にただ純粋に何か変なら教えて欲しかったのかもしれない。
頭の中はパニックになって何がなんだか自分でも
分からなくなっている。

頭の中で小さな隆たちによる。隆会議が開かれている。
議題はもちろん女子高生に話し掛けるか否かである。
小さな隆Aは言った。
「これがお前の言っていた楽しいことの始まりじゃないのか?」

「馬鹿じゃねぇか!ナンパなんか俺みたいな普通の人間が
 できることじゃないだろ?」

小さな隆Bは強い口調で反論した。

「だから、お前には何も生まれないんだよ・・・
 おまえは周りばかり気にして何もできないじゃないか!
 いつもと同じことしてたら楽しいなんて感じないんだよ!」

小さな隆Aの発言で隆会議は幕を閉じた。

しかし、この瞬間に声をかけることは決まったものの、
いつ声を掛けていいのかタイミングが計れない。
いや、それ以前に心の中では女子高生を
ガン見しているが、実際には小心者のよう
2回チラみしただけである。
このままではいけない。そうこうしている間にも、
次の駅で女子高生が降りてしまうかもしれない。
過去の自分を全て振り払うかのように隆は、息を大きく吐いた。

そして、ゆっくりと立ち上がった。

元々少し人見知りの隆が、自分から女の子に声をかける
ことなどまず無かった。心臓がバクバクする。
死刑台に向かう死刑囚の気持ちに似ているかもしれないと、
馬鹿な事を考えながら一歩一歩女子高生に近づいていった。
女子高生の近くを一瞬通り過ぎようかとも思ったが
それじゃあ何の意味も無い。
と、思いとどまり女子高生の前で渾身の笑顔をだして
言った。

「俺の顔になんかついてる?」

言った瞬間に隆は激しい後悔の念にさいなまれた。
馬鹿じゃねぇか!!これじゃあ昭和のナンパじゃないか。
俺は何してんだろ。
渾身の笑顔で声をかけたつもりだが明らかに顔が
引きつっていた。顔の右半分はしびれている。
あぁ、どうしよう・・・。
引っ込みのつけ方が分からない。少し泣きそうだった。
その時女子高生が笑った。

「あっはは、親戚ナンパしてどうするんですか?
 隆お兄ちゃん。私ですよ。いとこの渡辺 佳恵」

佳恵は屈託の無い笑顔で答えた。

「あぁ!佳恵ちゃんかぁ!だから俺のほうみてたんだぁ~」

隆は、恥ずかしさで顔が真っ赤になるのを
必死で抑え明るく振舞っていた。少し泣きそうだった。
でも、考え方を変えれば凄くいい事だと思い、
会話を続けた。

「あれ?なんでこっちにいるの?佳恵ちゃんは確か
 埼玉のほうに住んでたよねぇ?しかも、十年ぶりに
 会うのによく俺の顔がわかったね」

「大学受験の下見ですよぉ~。もしこっちの大学
 受かったらいろんな所に遊びにつれてって下さいねー。」

と言いながら、可愛い笑顔で答えてくれた。
そして佳恵は話を続けた。

「毎年家族全員で写った年賀状見てましたからねぇ~。」

佳恵は小さな笑顔を見せた。その後も続けていった。

「それで顔を見て、もしかしてって思ったんですよぉ~。
 でも、こんなすっごい偶然あるんですねぇ~。
 ドラマみたいですよ~。いとこなら結婚できますし
 恋愛に発展するかも!って感じですよねぇ。」

佳恵は、隆の目をまっすぐ見て明るく少し興奮気味に
冗談を交えながらしゃべってきた。
その言葉を真に受けそうになる自分を必死で
押さえつけながら、隆は佳恵の言葉を軽く流して
佳恵に質問した。

「え?じゃあ今日はどこに泊まるの?もしかして、
 うちに泊まるの?俺全然聞いて・・・・・」

隆が質問している間に、地下鉄は大きな音を立てながら、
ブレーキをかけた。地下鉄は大きく揺れていた。
佳恵を守ろうとしたが、あまりの大きな揺れで
隆は席から弾き飛ばされるように、佳恵とは反対の
方向へ飛ばされた。

「いってぇーーなぁ!」

大きく揺れて席から弾き飛ばされた事より、
佳恵との会話を邪魔された事に腹を立てていた。
そして、はっと我に返り、佳恵を見ていった。

「大丈夫?佳恵ちゃん怪我は無い?」

心配する隆に向かって、佳恵は小さく横に首を振った。
少し驚いているのか、おびえているのか
小さく震えていた。隆はそれを見て、チャンスだ!
っと思い、佳恵に近づき抱き寄せようとした瞬間に
ものすごい音の警報機が鳴った。
そして、その直後、車掌の少し慌てた息遣いと声が
地下鉄内に響いた。

「只今、地上で・・・バイオテロが行われた模様・・・
 です。このまま、次の駅に向かう事が出来ない
 模様です。・・・しばらくお待ちください。」

!?!?!?!?

はぁ!?何をいってんだよ車掌さん・・・
俺たちは大丈夫なのか?ていうか
この地下鉄には何人のってるんだ?
いや、地下鉄は何も衝突はしてないんだよな?
火が出たら地下だと死ぬんじゃないのか?
・・・とりあえず、落ち着くんだ。
まだ電気はついている。地下鉄は壊れてないみたいだ…。
よかった。

・・・・

そうだ佳恵ちゃんは大丈夫か?
パニックになっていないのか?
そう思うと、佳恵に近づき声をかけた。

「大丈夫だよ。まだ何も分からないけど、
 きっと大丈夫だよ。」

隆は、何故自分が大丈夫と言っているのか。
大丈夫なわけがないことくらい佳恵もわかっているのに、
そんなことをわざわざ言ってしまったのか
良く分からずにいた。
しかし、口だけが何かの作業をしているかのように
動いた。

「ありがとうね。隆お兄ちゃん」

佳恵は小さな唇を震わせるように小声で隆に言った。
佳恵の声は、気が動転してしまっていた隆を
いっきに冷静にさせた。いや、逆に佳恵への恋心が、
今の状況よりはるかに隆にとっては一大事だったのかも
しれない。
隆は、客観的に今時分立ちの状況を考え、
そして佳恵に伝え始めた。

「今、車内アナウンスで、<バイオテロ>といって
 いたよね。・・・
 車掌さんは何でそんなこと知っているんだ?
 ・・・
 外部との連絡が出来るんじゃないか?」

口で喋りながら、隆は自分の発言に少し驚いた。
頭の中では全く思いもつかない
事を口が先に喋ってくれたと言う感覚だった。
そして、隆は佳恵の手を強くにぎりながら、
ゆっくり力強い口調で続けた。
「とりあえず、車掌さんのところに行って
もっと詳しい状況を確認しながら他の乗客が
居るかどうかも調べよう。」

そして立ち上がろうとしたその時左足に少し痛みを感じた。

「っく!!」

隆の顔が苦痛にゆがむ。急いで痛みを感じた
左太ももの内側を見ると、ズボンが破れてはいるが、
ズボンの裂け目からは傷口はよく見えない。
しかし、ズボンの切断面は血がにじんで
確実に赤くなっている。痛みの度合いから、
傷はたいしたことがないことはすぐに分かったが、
佳恵に見せると不安がってしまうと思い、隆は
すぐに平静を装った。

「じゃあ、行こっか。佳恵ちゃん」

とわざと明るい声で隆は、佳恵が立ち上がらせるために
右手を差し伸べた。そして、ゆっくりと、
2人で車掌の居るであろう最前列の車両に
移動していった。ゆっくりと歩いていく途中で、
佳恵が隆の異変に気づいた。

「隆お兄ちゃん?ひどい汗だね。おなか痛いの?
・・・っ!」

佳恵は、隆の後ろに出来た血の後を見て驚いた・・・

「どうしたの?どこを切ったの?見せてよ!」

ものすごい剣幕で怒る佳恵を見て、隆はひどく
驚いた様子で答えた。

「うちももをちょっとね。でも、大丈夫だよ。たぶん」

「大丈夫なわけ無いじゃん!早くみせて」

佳恵は、自分のハンカチを取り出し隆の傷口
に押し当てる。そして少し涙目になりながらも、
怒った表情のまま隆に言った。

「早く座って!状況知る前に隆お兄ちゃんが
死んだらどうするのよ!」

隆は、迅速な作業とは裏腹に佳恵の子供のような表情と
発言に驚きながらも、心のそこから嬉しくなっていた。

あぁ、俺の求めていたものはこれなのかな?
世界が滅亡してもいいかもしれない。

恵ちゃんが居れば、それだけでいいのかもしれない。
俺はこの20分間は今まで生きてきた19年間よりも
濃く生きている気がする。・・・
このまま死んでも幸せかもしれない。

隆は、頭の中で死ぬと言う言葉を簡単に言ってしまった
自分をひどく反省した。

俺が佳恵ちゃんを守るんだから、ここで死ぬわけには
行かない。まだ何も分かってないんだから・・・。

佳恵に止血をしてもらい、血も引いたみたいだ。
どうやら出血の具合を見ても、動脈は
切れていないらしく、大丈夫のようだ。
佳恵は隆に質問した。

「何かハンカチを付けたままにしたいんだけど、
縛るもの持ってない?」

隆は、佳恵に言われ、おもむろにカバンの中を
あさってみると、MP3プレイヤーが手に絡み付いてきた。

「っあ。これなら使えるかも」

と、MP3プレイヤーのイヤホンを佳恵に差し出した。
佳恵は、そのイヤホンを受けとると、佳恵のハンカチで
傷口をしっかりと押さえつけ、隆のMP3プレイヤー
のイヤホンで腿にくくりつけた。
これで大丈夫よと言う変わりに、
佳恵は隆に向かって大きな目で小さく微笑みかけた。
隆はその笑顔に対して、

「ありがとう」

と、照れくさそうに言ったが、佳恵には小さすぎて
聞き取れなかった。そして、2人
はまた最前列の車掌室に向かった。
車掌室に向かう途中で2人は、他の客を探したが、
2人以外には乗客は居なかった。
その静けさは、2人の不安を掻き立てるには充分すぎる
ものだった。

そして、2人は車掌室にたどり着いた。

ドンドン!

軽くドアをノックしてから、隆が質問をした。

「すいません。もっと詳しい状況教えてもらえますか?
外部との連絡は取れてるんですか?
お客さんはいないんですけど、他に何人乗って
るんですか?」

佳恵も続けた。

「救急箱があったら貸してくれませんか?
怪我をしているんです。お願いします。」


その瞬間・・・・

ッフ!

急に地下鉄の中の電気が全て消された。

「っうぇ!?あ?」

隆は驚いて自分でも気づかない間に変な声を出していた。
そして、佳恵は隆の腕をしっかり捕まえて
座り込んでしまった。隆はそれに気づき佳恵を
抱き寄せて叫んだ。


「佳恵ちゃん?佳恵ちゃん!!」

「・・・・・・こわいよ・・・・・こわいよ」

ガクガクと大きく震える佳恵を腕で感じて、
隆はなんと言えばいいのか分からなくなっていた。
自分の言って欲しい言葉を佳恵に伝える事にした。

「佳恵ちゃん落ち着いて、別に怖い事なんて何もないよ。
目をつぶると怖いんだからゆっくりと目を開けてごらん。」

隆はそう力強く佳恵に言うと、佳恵の手を握りながら
あたりを見回してみた。まだ何も見えない。
だんだん夜目がきくようになってきた。
広告の文字は見えないが、座席などの場所は、
はっきりと確認できる。

佳恵も少し落ち着いた様子で隆の方を見つめていた。
優しい表情で見つめている視線に気づき、
隆が佳恵のほうを見ると、さっと視線をそらした。
佳恵は、自分の顔が真っ赤である事を悟られまいと、
明るく言った。

「ごめんね。取り乱しちゃって、でも、隆お兄ちゃんが
居ればあたし大丈夫だよ。」


隆は、佳恵の言葉を聞いて、俺がしっかりしなきゃ
いけないんだと気持ちを新たにしていた。
隆は、もう一度車掌室をノックした。

ドンドン!

「すみませーん!・・・・っう」

隆は、首のあたりに何か打ち込まれたような気がた・・・。
これはなんなんだろう?銃かな?死ぬのか。
こんな簡単に、あれ?佳恵ちゃんを守らなきゃ
・・・ちゃんと立たないと・・・。

床が隆の顔に迫ってくる。隆は避けきれずに
ドサッと倒れこんだ。

「・・・・・ん・・・んあ?」

隆は、ゆっくりと起き上がった。
隆は、真っ白な部屋のベッドの上にいた・・・。

隆はゆっくりと周りを見渡す・・・。

ドアも窓もどこにも見当たらなかった。

イスも机も家具さえも真っ白だ・・・。

ここはどこだ?鏡を見て少し驚いた。

隆の服装も真っ白な服なのだ。
俺の服はどこに行った?荷物は?

ゆっくりと、今まであったことを思い出していた。

あれは、夢だったのか?いや、そんなことは無い。

今ここが自分の部屋では無いのだから。

佳恵はどこに行ってしまったのか?
いや、それより俺は撃たれたんだよな・・・
?首のあたりをさすってみる。特に傷らしきものは無い。

そして鏡で見ると、少し赤くなり注射の跡のような
痣が出来ている。・・・あれは、麻酔銃だったのか・・・

ズボンを脱いで太ももの切り傷を確認する。
傷は綺麗に縫合されていた。俺は手当てされている。

「どうなっているんだ?」

隆は、独り言をつぶやいて、自分が本当に
生きているのか調べてみた。ここは天国かもしれない。
そう思った瞬間だった。

ヴィーン

ドアも何も無いはずの壁が自動で動いた・・・。
そこから、核の防護服か?と思うくらい物々しい
真っ白な服を着込んだ人間らしきものが、
3人部屋の中に入ってきた。
・・・一人の男が、銀色の膳の上に何か
良く分からないカプセルを20錠ほどのせて持って来た。
驚いた事に、もう一人の男が日本語で隆に命令をした。

「このカプセルを食べなさい。」

隆は愕然として、声にもならなかった。
地下鉄の中の車内アナウンスが隆の頭の中で
こだましていた。

『只今、地上で・・・バイオテロが行われた模様・・・
 です。このまま、次の駅に向かう事が出来ない
 模様です。・・・しばらくお待ちください。』

隆は、ひざをガクッと床におとし、上を向いて、
誰にも聞こえないような声で、ゆっくりとつぶやき始めた。

「あぁ、そっか。バイオテロかぁ~ついてねぇなぁ…。
 俺感染したんだぁ・・・・。
 だからこんな部屋に・・・・閉じ込められて、
 んで・・・・このまま死ぬまで・・・政府の
 監視下に・・・おかれるのかぁ~・・・」

だんだん、泣けてきた。何がどうなろうと、
どうでもよかったのかもしれない。
隆はただカプセルを食べた。カプセルには、
味は無いが空腹感はなくなっていった。
隆は麻薬の一種なのだろうと考えていた。
もぅ、どうでもよかった。

ただひとつの事をのぞいては

「おい。あんた」

隆は、防護服の男の一人に声をかけた。
もちろん聞く事は一つしかなかった。

「俺が捕まる時に、もう一人女の子が居なかったか?
 地下鉄の中で凄く可愛い子で、
 制服を着てたんだけど、知らないか?」

防護服の男は、何も言わずに立ち去ろうとした。
その時、隆は思った。

こいつの防護服の目の部分は硝子で出来ている。
この部分を割れば、こいつも感染するんじゃないか?…
隆の悪意は表情にありありと出ていた。

「おい!こらぁ!!質問に答えろや!!」

その言葉を言い放つと同時に、隆は防護服の硝子の部分に
殴りかかった。隆の右手は、防護服の男には
避けきれる速さではなかった。

バキ!!

鈍い音がした。隆のこぶしは腫れ上がり、
明らかに打撲している。殴られた防護服の男は、
部屋の隅に飛ばされているが、硝子の部分は
防弾ガラスで出来ており傷一つ出来ていない。
隆の計画は失敗に終った。

隆は、後から来た新しい防護服の男に麻酔銃を
撃たれ眠らされた。

隆が起きると、銀色の膳の上にまたカプセルが
20錠ほど置いてあった。右手の打撲は綺麗に
手当てしてあった。カプセルを食べようと膳に
目をやると、膳の上に小さなメモが置いてあるのを、
隆は見つけた。そこには、

『我々は、お前をここで保護しろと命令されただけだ。
 それ以前のことは何も知らない。』

と、書いてあった。なぜか、隆はそのメモを
疑う気にはなれなかった。バイオテロのせいで
たくさんの人が死んだのだろう。
自分のように感染して苦しんでいる人も居るだろう。
もういい・・・このまま死のう。
俺はこの施設の中で一生を過ごして死のう。
そう考えるようになっていた。

こうして、地下鉄で佳恵と出会ってから一週間がたった。



隆はあることに気づいた。・・・
何故俺は死なないのだろう?バイオテロなら人間が
簡単に死ぬ菌を使うはずなのに・・・
何故今生きているんだろう?

隆は、食事を配膳してくる防護服の男に聞いてみた。

「俺は何故生きてるんだ?」

「馬鹿な事をきくなよ。お前がバイオテロの数少ない
 生き残りだからだよ。我々は、保菌者かもしれない。
 だが君は違う。だからこうして我々が防護服を着て
 君と接しているんじゃないか・・・。
 でも、もうすぐ我々の検査結果も出る。
 保菌者でなければ、君とも素顔で話が出来るよ。」

言っている意味が分からなかった。

「え?・・・あぁ?・・・ん?」

隆は少しずつ理解し始めた。
俺は地下にいたから細菌攻撃を受けなくて済んだのか…?
いや待てよ。なら佳恵ちゃんも!大丈夫って事じゃ
ないのか?おい・・・おい!

「おい!本当なのかよ?」

隆は、涙を流しながら笑顔で防護服の男に聞いた。

「馬鹿な事をきくなよ。
 お前がバイオテロの数少ない生き残りだからだよ。
 我々は、保菌者かもしれない。だが君は違う。
 だからこうして我々が防護服を着て君と接しているん
 じゃないか…。
 でも、もうすぐ我々の検査結果も出る。
 保菌者でなければ、君とも素顔で話が出来るよ。」

防護服の男は先ほどと同じ言葉を繰り返す・・・。
隆はすぐに異変に気がついて、防護服の肩をゆすりながら
きいてみた。

「じゃあ、佳恵ちゃんも地下にいたから助かったん
 だよな!」

「馬鹿な事をきくなよ。お前がバイオテロの数少ない
 生き残りだからだよ。我々は、保菌者かもしれない。
 だが君は違う。だからこうして我々が防護服を
 着て君と接して・・・・・・・・ッガ」

防護服の男は、紐の切れた操り人形のようにたおれこんだ。

「大丈夫か!?おい。質問に答えてくれよ…
 誰か!!・・・・・・誰か・・・・・・来てくれ」

隆は機械のように同じ言葉を繰り返して倒れた
防護服の男を変だと思いながらも、助けを呼ぶために
叫んだ。体をゆすっても反応がない。

どうすれば・・・どうすれば。

隆はパニックになっていた。
バイオテロの犠牲者を直接目にするのは初めてだったか
らだ。隆が呆然と防護服の男を見つめていると、
他の防護服の男たちが、いつのまにか隆の周りに
立っていた。防護服の男たちは、隆に一言も声を
かけることなく、防護服の男の両足を持ち引きずっていく。
防護服のあまりの感情の無さに隆は、愕然として小さく言った。

「これが・・・当たり前の……世界なんだぁ…。最悪だ」

隆は、少し仲良くなりかけていた男の死
を意外なほどあっさりと受け入れていた。
それは、毎回食事のかわりに出される麻薬のカプセルのせいで、
感情が少しずつなくなってきていたのかもしれない。

隆はゆっくりと壊れていく自分を客観的に見ながら、
これが地下鉄で自らが望んだ
「楽しい世界」なのだと考えていた。

「普通は、面白くも無いけど幸せだな・・・」

隆は、これからは楽しくなくてもいいから普通に
生きたいと願っていた。

それは、遅すぎる後悔だった。






真っ白な部屋の隣の部屋で、隆の部屋のマジックミラー
越しに監視している若い女と中年の男が会話をしている。

「偵察ロボットで調査してみたけど、生存者は、
 私達3人だけだって、お父さん。これで
 この計画も成功だね。でも、よく地下鉄なんて
 運転できたね。」

「ロボット工学の権威を馬鹿にするな!
 これでも、細菌ロボットもここにいるロボットたちも
 全員俺が開発したんだぞ。地下鉄くらいゲームと同じだよ。」

中年の男は、少し得意げに言った。
その後ほっとしたような顔で話を続けた。

「これで、核戦争は無くなったな。
 かなり荒っぽいやり方だけどこうしなきゃ地球が
 壊れてたんだ。良かったよな。
 一種類の哺乳類ぐらい絶滅しても・・・」

力なく中年の男が語り続けた。
そのすぐ後に、中年の男は若い女に問いかけた。

「なんで、タカちゃんを生き残らせたんだ?」

「初恋の人だから・・・」


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